はてなキーワード: バラエティ番組とは
【ガミって】みんなのケイバ Part16【大喜び】
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/keiba/1218720267/
3 名前:名無しさん@実況で競馬板アウト[sage] 投稿日:2008/08/15(金) 00:22:56 ID:QcTV5IwI0
バラエティー化で台なし!民放競馬番組は何とかならんか (ゲンダイネット)
「もう、バラエティー路線は勘弁してくれ!」――。ちまたの競馬ファンからこんな不満の声が聞こえてくる。
フジテレビの新競馬中継番組「みんなのケイバ」の評判が良くないのだ。
これまで、日曜日の午後3時からフジが生中継していた「スーパー競馬」は87年から昨年まで続き、ファンから支持されていた。
フジは今年1月にそんな草分け的な競馬番組を全面リニューアル。川合俊一(45)とほしのあき(30)をメーン司会に起用し、
「競馬ファンだけでなく、初心者も楽しめる内容を目指す」と胸を張っていた。
しかし、いざフタを開けてみると……。
「“競馬はまったく知らない”というほしのはもちろんですが、大の競馬ファンとの触れ込みだった川合も初心者丸出し。
“当たった!外れた!”と大騒ぎするだけで、落ち着いて見ていられません。
予想の参考になるような情報や分析は減っているし、2人ともしゃべりがたどたどしいからヒヤヒヤしてしまう」(マスコミ関係者)
フジとしては、あまり競馬に興味がない層にアピールすることが狙いだったのだろうが、
今のままではこれまで中継を見ていた競馬ファンが離れるのは確実。本末転倒だ。
「狙いも完全にブレています。ほしのは競馬中継だということを意識してか、露出の少ない衣装で中継に臨んでいる。
川合の起用にしても、6年近く司会をしていたフジの午前中の情報番組を打ち切ったことに対する救済措置なのはミエミエ。
テレビ東京の「ウイニング競馬」も俳優の萩原流行が司会を務めているが、こちらも“片手間感”がありありで評判は良くない。
競馬番組にしろ、スポーツ中継にしろ、民放がバラエティー化に力を入れるとロクなことがない。
http://news.www.infoseek.co.jp/entertainment/story/15gendainet07024563/
22 名前:名無しさん@実況で競馬板アウト[] 投稿日:2008/08/16(土) 16:02:31 ID:sh/Rp6IGO
今さらだけど…
テレ東は、イイ中継だな!今さらだけど…
フジは…川合とほしのは消えてくれないかな!
お願いします。東原さん
36 名前:名無しさん@実況で競馬板アウト[sage] 投稿日:2008/08/17(日) 15:23:06 ID:dSHepHNC0
51 名前:名無しさん@実況で競馬板アウト[] 投稿日:2008/08/17(日) 15:45:49 ID:fFjMg4j40
細江に向かって「欲張り女」
川合・・・
71 名前:名無しさん@実況で競馬板アウト[sage] 投稿日:2008/08/17(日) 16:33:21 ID:lEeEqZLa0
「こんな簡単なレース外すなんて」
時々消音にしてたから知らなかった。
川合氏ね
72 名前:名無しさん@実況で競馬板アウト[] 投稿日:2008/08/17(日) 16:56:50 ID:A4t+WTa40
>>71
青島が訂正後謝罪したのに川合は全く謝罪なし。普通なら謝るだろ。
細江が明らかに幸四郎がレース中に八百長をしたとか言ってた様な気が?
言葉は選んで言わないと大変な事になると言う事が分かってるのかな?
73 名前:名無しさん@実況で競馬板アウト[sage] 投稿日:2008/08/17(日) 17:26:14 ID:m35+iN2K0
>>72
細江に関しては
禁句のひとつである「(マイネルチャールズは)早熟」とも言っていた。
昔、あの大川でさえ、リザーブユアハートを早熟と言ってしまった翌週の番組内
で謝罪していたことを思い出す。
来週、細江は無事番組に出られるのだろうか。
74 名前:名無しさん@実況で競馬板アウト[sage] 投稿日:2008/08/17(日) 17:28:07 ID:EIBymddT0
バラエティ番組だからいいんじゃない
84 名前:名無しさん@実況で競馬板アウト[sage] 投稿日:2008/08/17(日) 23:39:07 ID:M3rKXrXW0
つーか、ほしのの「ごってぃ」が安田の「うちのウオッカ」並みにウザく
感じるのは俺だけ?
92 名前:名無しさん@実況で競馬板アウト[sage] 投稿日:2008/08/19(火) 01:36:25 ID:WaBnV88cO
>>84
同意
「まっちー」もうざい
128 名前:名無しさん@実況で競馬板アウト[sage] 投稿日:2008/08/22(金) 23:07:07 ID:SuUaneKr0
http://www.fujitv.co.jp/fujitv/news/pub_2008/08-193.html
> 2008年フジテレビの北京オリンピック中継は、「リアルタイムの夏、リアルタイムの感動」というテーマで、20年ぶりアジア開催の時差のない大会を臨場感たっぷりにお伝えします。
> スペシャルキャスターに関しては新鮮な感動をより多くの人に伝えてもらうために、「オリンピック番組史上最高にフレッシュなキャスター」というコンセプトで選ばせていただきました。
> フジテレビ北京オリンピック中継、「明るく」・「さわやかに」・「フレッシュに」競技を盛り上げてまいりますので、どうぞご期待ください。
129 名前:名無しさん@実況で競馬板アウト[sage] 投稿日:2008/08/23(土) 00:09:55 ID:uIbEFWo6O
矢延はスポーツ中継の癌
147 名前:名無しさん@実況で競馬板アウト[] 投稿日:2008/08/24(日) 11:40:15 ID:5WlvcSfW0
http://jp.youtube.com/watch?v=LLmrswxlfZs
井森「また手綱を引き締めて、引き締めなおして
来週も頑張りますかね、私たちも。
勉強させてもらいたいと思います。」
バカYと偽乳は井森の爪の垢でも飲めよ。
164 名前:名無しさん@実況で競馬板アウト[sage] 投稿日:2008/08/24(日) 15:24:44 ID:hR7f9SY/0
166 名前:名無しさん@実況で競馬板アウト[sage] 投稿日:2008/08/24(日) 15:25:18 ID:O/lH5tOH0
ほしのはシャドーロールすら知らんのか?
マツリダゴッホの「鼻、白いとこ何?」みたいなこと言ってたが・・・
209 名前:名無しさん@実況で競馬板アウト[sage] 投稿日:2008/08/24(日) 16:42:07 ID:z0pCN9JP0
川合
開始早々「久々にワクワクする。」
ほしの
シャドーロールみて「鼻の所、白いのは?」
夏競馬はつまんないといってるのと同じだよね
現時点で既にそういう層も差別はされてるんじゃないかなー。
直接いじめに加担もせず、いじめられている側を助けもせず、いじめる奴もいじめられる奴も見下している人間って普通に居ると思うんだ。実際に手を下さないから罪悪感はもちろんないし、事が露見したときに責任を問われるようなリスクは取らない。つきっぱなしのTVの過激なバラエティ番組を見ている感覚でそういう場を受け入れる。そういう人間からは、いじめっ子も(いじめられっ子と同じように)「バカだなあ」って目で見られていると思うよ。
そういういじめが存在することを消極的に容認して、双方から距離を置く態度ってありがちじゃないかしら。傍観者にとっては、いじめている奴もいじめられている奴も「双方等しく」可哀想な子なのであって、どちらも肩入れして直接何かをしてやろうとするという対象ではない…という。
そこまでは行かなくとも、そのしょうもない行為を見ながら心を痛めたり、あるいは楽しんだりしながら、TVの向こうの出来事のように消化することで、一段上の位置に身を置いているように見える人も多い。何か手立てを取ろうとすれば、もう番組の視聴者じゃなくて出演者になってしまう…そうなれば自分も「可哀想な子」の仲間入りだ、と思っているみたいに。
そう考えると「可哀想な子」という視点がいじめの抑止に繋がるとは思えない。むしろ、いじめへの傍観者的態度を助長するだけなんじゃないかな?
…もちろんだからって良い考えがあるわけじゃないんだけどさ。どうすりゃいいんだろうね。
およびhttp://anond.hatelabo.jp/20080727155522
「文化」なんてほとんど非採算部門で、メディアの中でも採算とれるとこから予算を回してもらってる状況だろう。
2ちゃんや増田でも、「バラエティ番組なんかくだらねえ。もっと良質なドキュメンタリーとか流せよ」みたいな書き込みをみるが、ヘキサゴンやエンタの神様のおかげで、教養番組が成立してるようなもんだろ。
もともと貧弱な日本の文化行政が弱ったら、今後どうなるんだろうね。
ずっと思っていた。
はてな村でよく使われる「承認」を巡る物言いは、誰かに承認させるために知恵をひねって絞り出した言葉なのだと…
でも、それは自分の勘違いだったようだ。
ここでいう「承認」とは、自らが他の誰とも代替不可能な存在として認められることを指す。自らの物語・生き様が他者のものとして回収・吸収されることなく他者のそれと連結され、社会において一つの存在として認められることと同義である。
つまり、「"承認"させてやる」と言う事でなく、「"承認"してくれる誰かを求めているのだな」と
ありのままの自分を受け入れてくれる場所や人、そういう居所を探すための物言いだと言う事らしい。
例えばこういう発想の元で、「自分の言ってる事、あるいは思っていることが伝わらないから工夫してみよう」と言う発想が出てくるかというと、それはかなり疑わしいと思う。
他人に理解(吸収)される事を望まず、ただ肯定(連結)される事を望んでいるのだから…
これに対しては小飼弾氏がBlogにて所感を述べているが、おそらく「承認」に関する認識の違いで平行線を辿る事だろう。
ちょっと前にこんなエントリがあった。
その言葉はまるで自分に向けられているように聞こえるから - うどんこ天気
肥満状態の女性が出ていたTVのバラエティ番組を見て、肴として自堕落鰤を揶揄する知人に絶望した女性の話。
このエントリに対するコメントやブックマークコメントを見ていたが、「彼もバラエティとして適当に見ていたんじゃないかな? 自分の考えを理解して欲しければ、彼の視点を把握した上で、色々疑問を投げかければ理解できたかもしれないのに…」と思った。
それが演出なのか、ガチなのか。あるいは出演した本人の意図と反して自堕落な人として放送する側に演出されてしまったのか
そう言う疑問を投げかけられて、しっかり考えればいいのだけれど、あくまでも「そうだよね。うんうん、分かる分かる」と言う主旨の意見のみ受け付けているのが残念だった。
ここでもまた、"自らの物語を他人に吸収される"事を忌避して、ありのままの自分を受け入れて欲しい人がいるのだな
そう言う感想を持った。
彼女にとって見れば、そう言う自分を認めて、意見する人を「資格無し」と断ずる人こそ望むべき人なのだろう
それはそれで一つの考え方かもしれないが、それならば理解して欲しい。と言う言葉は不適当だなと思う。
「理解してもらえないかもしれないけど、受け入れてくれる人と関わりたい」
そう言うべきだと、私は思う。
本当に大事なのは、誤解なり齟齬なりを、「貴方はこう考えてるかもしれないけど、私の考えはこういう理由で違ってる」と言葉でもって相手を納得させることだと思う。
それが理解であり、人に承認してもらうことの肝なんじゃないかな
承認してもらう事を考える前に、「なぜ承認してもらえないのだろう」「どうすれば承認してもらえるだろう」を考えた方がいいよね
と言うのがこのエントリの主旨だと受け取っていただければ幸いです。
まずね、「自称お笑い通」とか「自称お笑い評論家」が大嫌いってのがあるんだけどね。
お笑いバラエティ番組をムッツリした面さげて眺めてさ、所詮好き嫌い程度のレベルの物事をわざと論説ぶって言って、
他の奴と違って自分は分かってる、みたいな風にしてんのね。
中には自分では何も作り出せないし人前に出るなんて滅相も無いのもいる。
ふと、赤絨毯とか見てて思ったんだけど、芸を打つ人が、番組中のヒエラルキーの中ですごい低い位置にいんのね。
ベテランの役者タレント芸人ならまだしも、何ができるんだかわかんないタレントもどきの若い人から「評価」されてんのね。
「見てあげてる」ってなっちまうんじゃないかな?
まあたしかにどうしようもない芸人とかいるよ。
けどさ、そこまでお笑い芸人ってのは低く見られるもんなのかな?
つーかさ、ああいう番組の作りが多いとさ、困るんだよね。
しかもそれが客観的だと思ってるフシがあるから。
自分が好きなエピソードを書かなきゃ気がすまなかったり、
単なる自分の評価を世間的な評価のように書いてしまう。
例えば、「坂本龍一」の記事から気持ち悪いフレーズを抜き出すとこう。
一分読んだだけでこんなにも気持ちわるーい言葉がズラズラと!
wikipediaは好き好きアピールするとこじゃないでしょ。そんなのは好きな人同士、閉じた場でしろよな。
こんなんじゃたまたま見た「好きでも嫌いでもない人」は読む気なくしちゃうよ。
昨日のモクスペを見てああやっぱりこの子は頭の弱い子なんだな、と思った。
以前バラエティ番組で「私はお金持ちより貧乏人のほうが好き」って発言した時もだいぶ沸いてるなと思ったけど。
「家が貧しい」「自分ひとり食べていくのがやっと」
と話している母親に向かって「何で子供を施設に入れたんですか?」って質問は並みの神経では出来ない。
そして勝手に同情して無理やり再会させようとするその行動も並みの神経では(ry
とどめに「子供が納得する答えを明日までに用意して欲しい」ってもう頭の中お花畑全開でわろた。
それに対して病気の母親が、「仕事が見つかったら、春には必ず迎えに行くから」って言ってたけど
もし病気が治らなかったら?仕事が見つからなかったら?迎えに行く事が出来なければ?
子供を2度傷つけるだけじゃないか。
そうなったところで上戸さんは東京に戻ってるから関係ないんでしょうけど、だったら中途半端な同情振りかざすなよっていう。
テレビ局の意向、演出なのかもしれないけど、あの発言と行動は余りに酷かった。
元増田が言っているのは、「アイドルとしてどの市場にフォーカスすればよいのでしょうか」ということで、此れはすなわちマーケティング調査のためのアイデア募集と言うことになる。アイドルと言う言葉の字義(偶像)からすれば、本来雲の上的なものであるはずで、輝くばかりの魅力それ自身が磁石のようにファンをひきつけるはずだ。だが、実際にはアイドルにそういったものが求められたのはメディアによってアイドルとファンが断絶させられていたときの話で、今は違う。芸能ゴシップ雑誌や番組が競ってアイドルの非偶像性を追い回したため、誰もそのような幻想を追わなくなった。等身大アイドルと言う流れもそれに拍車をかけた。
現代ではアイドルと言うのは、今時珍しい投機に興味のあるお嬢さん方、という意味しかない。掛け金は自分の容姿と人生。投機先の研究をするのは現代的アイドルとしてはよい。
幾分揚げ足取りをしておくと、列挙されたニッチ(ニッチの翻訳としての「隙間」は小さな空間と言うよりも「ある形のクボミ」に近い。そこに逃げ込む場所ではなく、ぴったりはまる何かがあれば、ぴったり収まる空間こと)の中でマージャンというのがあるが、これは適応すべきところではなく、落ちていく所である。パチンコも同じ。言い方は悪いが「風呂に沈められる」のとさほど変わらないから志向しないほうがいい。投棄するなら少なくともいかがわしくない場所を選ぶほうがいいだろう。
なお、ミリオタに関してはすでに研究を開始しているらしいが、一部雑誌の表紙をお嬢さんが軍服で飾ることは珍しくない。つまり先を越されていることになる。
鉄道ファンはどうか知らないが、ミリオタの中で軍服マニアは実はそれほど多くない。イベントは米軍か自衛隊が主催であり、カメラを持って集まる連中からすれば「そこの女、邪魔、どけ」となる。自衛隊が必要とするアイドルはせいぜい自衛官募集である。
警察ならどうか。一日署長という仕事は多い。だが、制服マニアからすると、アイドルの偽警官に頼むまでもなく、正真正銘本物の婦人警官がたくさんいる。しかも、イメクラに行けば偽警官が奉仕してくれる。アイドルが輝くところはない。
Xアイドルのうち、どのくらい狙いが当たったのかと言うと、実際にはそこを志向して成功した例と言うのは皆無に近いのではないか。コスプレアイドルと言うが、定番はいるのか。いないように思う。ニッチ適応型アイドルで成功している例は、実際には落ちていく中で偶然窪みにぴったりとはまっただけであるように思える。
アイドルであるならば、本来あるべき偶像性を目指すほうがよいように思われる。まっすぐ走り続ければ、何年か苦しい思いをした後に受け皿が現れるかもしれない。
蛇足になるが、「要領の悪いアイドル」では受け止める隙間がない。掃いて捨てるほどいるからだ。何もできないアイドルとしては上原多香子がいたが、状況はご存知の通り。彼女はモデルに進んだほうが成功したと思う。「どじっ娘」というカテゴリはあるが、あれは記号であり、生身が求められない。バラエティ番組ではアイドル自身の記号性より番組の進行への適応性が求められるので記号を維持すると失敗する。小倉優子の浮き具合がそれを示している。
蛇足ついで。純粋アイドルの方向性以外にもうひとつ磨いたほうがいいものがある。これは20台中盤までは隠していたほうがいいかもしれないが、文学や音楽に接することである。なるべくなら20年以上前に作られたもの、つまり時代を乗り切って生き残っているものである。そして受け答え。社会人として当然の話し方を土台に、機転の利いたアドリブに対する力をつけておく。
整形はやめておけ。
を読んで思ったんだが
別にこの人に限った事じゃないかもしれない
自分の印象では、はてな民の多くは過激な言い方をすれば「アンチ普通の人」であるような気がする。
「普通の人はこうみたいですね、でもちょっと理解できないな、それ(笑)」←こんなスタンスの人が実にはてな界には多いと感じる。
しかし、だ、
これが俺は、本当によく分からない。
ケータイ小説を好きであれば「普通の人」であり好きでないならば「普通じゃない」のだろうか?
スイーツ、と言えば「普通の人」であり言わなければ「普通じゃない」のだろうか?
逆に
「普通の女子」なら髪を巻き上げているはずなのだろうか
「普通の女子」なら「だよねー」「うんうんー」という会話しかしないはずなのだろうか……
「普通の人」って一体何だ。どの基準をクリアしたら「普通の人」認定されるのか。一つでもひっかかれば普通の人なのだろうか。ケータイ小説が好きだけれどもスピリチュアル(笑)江原(笑)と思っている人は普通の人なのか、普通でない人なのか。雑誌でスイーツの店をチェックし、スイーツを食べに行くのが好きだが、ライトノベルが好きで、韓国ドラマが嫌いな人は、普通の人なのか、普通でない人なのか。髪を巻き上げ、ディズニーランドに行くのが好きだが、議論が好きで、「だよねー」「うんうんー」といった会話が嫌いな人は、普通の人なのか、普通でない人なのか。スイーツもライフハックも好きな人は、普通の人なのか、普通でない人なのか。
一体普通の人とは何なのか。自分は普通でない人だ、というスタンスで語っている人は、本当に普通でない人と言えるのだろうか?
例えばケータイ小説スイーツなどなどを普通の要素とするならば、その人は本当に普通の要素を一つたりとも持っていないといえるのだろうか?それとも一つまでなら持っていても普通でない人を自称する事は許されるのか?ならばいくつ以上持っていれば普通の人と判定されるのか?その境目は何か?そして誰が判定するのか?そもそも普通の要素は一体誰が決めたものなのか?本当にスイーツと呼んでいる人は多いのだろうか?ケータイ小説を支持している人は多いのだろうか?
普通の人って一体何だ。
人はそれぞれたくさんの様々な要素を持っている。洋菓子をスイーツと呼ぶ。呼ばない。ケータイ小説が好き。嫌い。ディズニーランドが好き。嫌い。ファッション雑誌が好き。嫌い。ライフハックが好き。嫌い。ライトノベルが好き。嫌い。バラエティ番組が好き。嫌い。ニュースが好き。嫌い。鉄道が好き。嫌い。韓国ドラマが好き。嫌い。などなど。たくさんの要素をそれぞれが多彩な組み合わせで持って生きている。
その要素のうちどれが「普通」でどれが「普通でないか」は定まっていないし、定まっていたとしても「普通要素を何個以上持っていれば普通」という決まりはない。
ただそれぞれの人間が漠然と、「これは普通っぽい要素なんじゃないか」「これは普通っぽくない要素なんじゃないか」と思っている。「メディアでそう言ってた」「周りの人間数人が皆そうだから」などの理由で。
そうして各々の感じる「普通っぽい要素」をたくさん持っているであろうと思う人を、「普通の人」と言う。あるいは一つ自分の思う「普通っぽい要素」に引っかかっただけでも「普通の人」と言う。
自分を「普通じゃない人」と言う人は、自分の感じる「普通っぽい要素」に自分が当てはまらないと感じ、自分の感じる「普通っぽくない要素」に自分が当てはまる、と感じている人だ。そしてその人が感じている「普通っぽい要素」を、他人も「普通っぽい」と感じているとは全く限らない。
判定基準は全て自分の中にある。
客観的な「普通の人たち」があるのではない。
普通かそうでないかを決めているのは自分自身。
人間はそれぞれが個別の様々な要素を抱えて生きている。それだけの話。
「普通」って、そのくらい、曖昧で、あやふやで、どっちつかずで、内容の無いものなんじゃないか。
ゆえに「普通」を気にする必要など全くない。
ありもしない「普通」幻想に怯え、それと自分を対比させる必要もない。
「普通の人」はいない。
1話を見たけど、これって「毎度おさわがせします」+「熱中時代」だと思った。あとは現状に合わせて性への興味の低年齢化を表現してるだけ。そんなに過激な内容じゃない。問題は、あけすけにモロ裸を描いたりセックスしたりしてるわけでもないのに、バラエティ番組でも使えないようなエロ用語は頻繁に登場する(フェラとか中出しとか)ので修正したり年齢制限したりせざるを得ない、けれども話の基本線はエロではなく小学校を舞台にしたコメディ、という内容のアンバランスさだと思った。
ま、なんでアニメ化しちゃったのかは未だにわからんけど。見てもわからん。
文学批評理論というのは世の中のあらゆるテキストを読み解くことでしか自身の意義を誇示できないわけなんだがまあそんなことはどうでもいいが。とりあえず、価値というのはだいたいが捏造の産物、というか、瓢箪から駒、みたいなもので。消費者の心に火を点けたもん勝ちみたいなところがある。自由主義ではある程度。そういう意味では批評理論はマーケットでも使える。と思う。
それはそうと、
「初音ミク」は、おそらくオタク共にとって、自分たちの音楽というジャンルにおける活動を世間に認めさせるためのツール
そんなこと思ってミク使ってるヲタなんて、日本に5人ぐらいしかいねえんじゃねーの。
もしニコニコがなかったら、「こんなん作ったよ聴いて聴いてー」ってする場所すらなかっただろうわけで、ミクの購入者はより本気度が高い奴らばかりだったろうと思うけど。実際にはニコニコ内ミク同好会の同志に聴かせてうふふうふふするぐらいのもんで、それ以外の「世間」に対してアピるような意識はほとんど皆無だと思う。つか、ニコニコ内ミク同好会だけで十分な「理想の観客」がいるわけで、その外に向けてわざわざアピる必要性を感じないと思う。
そもそも、このソフトを使って「世間」に向けて一般的な音楽を作ることに音楽業界が難色を示したから、そこへの配慮も含めながらうまく商品展開するために今のミクの形(「ボーカロイド」としてのキャラクター展開)があるわけで、今一部ヲタの内輪だけで爆発的に盛り上がってるという状態は、メーカーにとってはすごく理想的な展開なんじゃないかね。ミクという商品については。
んで、この盛り上がりをミクの次の商品、というかボーカロイドの次の展開、につなげられたらいいな、という思いがやはりメーカーにはあるだろうから、そこでテレビを見てる一般層にこの盛り上がりをちろっと露出しようと考えたんだろうね。そしたらテレビ的にはソフトの特徴とか革新性の訴求とかはシマンネからどうでもよくて、ヲタいじりの方がバラエティ番組的にオモロなんでそっちにいっちゃったと。番組での取り扱われ方についてはテレビ的ヲタいじりのテンプレ通りなんで、この件についてのヲタvs非ヲタの議論は全く進展しないこと必至。東スポ並みに確定。
あ、ちなみにアッコとやらにまかせる番組は見てません。
普段からT豚Sとかマスゴミとか言ってる割にはテレビ放映キターみたいに期待しちゃうから駄目なんじゃねえの?
http://nukkorosu.80code.com/img/nukkorosu2483.jpg
http://nukkorosu.80code.com/img/nukkorosu2482.jpg
この進行表通りだったら印象も変わっただろうね、と思うし事前情報としては「あの鐘を鳴らすのは」を初音ミクが歌うんだとばかり思っていたんで、最初なんでこんなに荒れているのかわからなかったけど、YOUTUBEを見る限りでは「こんなもんでしょ、テレビなんてさ」程度の感想しか沸かなかった。
仮に図星でないのであればもっとひどい。テレビに出演した自分とおなじカテゴリーに属している人を見下しているからだ。その人の属していると同じカテゴリーと属しているから、「テレビに出ているのは一部で、全体を推し量るな。」「レッテル張りをするな」と反応するのだろう。しかしその意見はそのテレビに出演した人の価値を低く見ているからこそでる意見だ。仮に低く見ていないのであれば、テレビ局は普通の人を報道したことになり批判すべき理由はない。それにもかかわらず批判をするのは出演した人を低く見ているからだ。だから「(俺はあんなのとは違う。ああいう変な奴を出して)オタク全体を推し量るな。レッテル張りをするな」というんだろう。今回の批判にあてはめると「3次元には興味がないんで」「俺の嫁」という人を見下しているといえる。2ちゃんねるやはてなでもよく見かけるのに。
所謂「はてなムラ」みたいな纏めのされ方については個人的には違和感を持つのだけれども、テレビに出演した人たちの「扱われ方」をして「おとしめられた」と感じるのは良くわからなかった。女装しようがオレの嫁と言おうが良いじゃんか、と思うし、和田アキ子が「わからない」発言をしたって仕方ないだろうと思う。おまえらは和田アキ子に承認されたいのかと。テレビ局様に褒め称えられたいのかと。
「あっこにお任せ」は放送を見ていなかったんでYOUTUBEで確認したが界隈で言われる程非道い放送だとも思わなかった。
「ご立派ですねえ」の発言には違和感があると言えなくもないが「オタクを差別している」というようには受け取れなかった。
「コンビニでバイトしてこれだけの機材を買えるなんてどんだけだ」とか「楽器を演奏出来るだけの環境があるだけで羨ましい」としか思えなかった。
番組全体については「ソフトの紹介が短かったし、もっと演奏される時間が長いほうが良いと思うけど…」とは思ったが所謂オタク叩きだというふうには受け取る事は出来なかった。
個人的にはT豚Sの肩を持つつもりは無い。初音ミクの取り上げ方として適切ではないのかもしれない。
そもそもバラエティ番組の2分程度の枠で何が伝えられるのかを考えれば「正しく」伝わる事など到底無理な相談ではないだろうか。
テレビという装置はそういうものなのだと、あなた達は十分に知っていたのではないだろうか。
その上で「これはひどい」「がっかりした」というだけの期待を未だにテレビに持っているのは何故なのか。
"テレビ局様"に取り上げて貰える事がそれほどまでに「すごい」事なのか。
マスコミに取り上げられるという事は、相手の一方的なルールに従ってゲームするようなものだ。
一旦電波に乗ってしまえばこちらが反論したところで声の大きさで勝つ事が出来ない不公平なゲームだ。
そうした事を十分に理解しないでテレビの取材を受けた時点で、そして放送に期待した時点で「負け」だったんだと思う。
いやどう考えても笑い話だろそれ
太田光も真っ青なくらい面白い
文章が明快で上手いのに、その上手な文章で語っている内容が童貞の中学生レベルのルサンチマンっていうのがすごく面白かったです。
俺は今非常に不快感でいっぱいな気分になったのと同時に、バラエティ番組にありがちな
「まじめに主張してるイタイ奴をみんなで一緒に笑いましょう、下を見て安心しましょう」感を煽った書き方・見せ方。
カースト下位層への言葉はもっと、弱いものへの配慮を含んだ言葉か、もしくはもっと嘲笑的な言葉になる。
かなり乱暴な言い方になるが、これはカースト上位層がカースト上位層に向けて書いた言葉だろ。
これを「上から目線」と捕らえるか、単なる一意見として評価するかによって、受けて側のポジションが決定されてしまうんだって。
http://anond.hatelabo.jp/20070924201609
本文投稿者です。暴力的なコンテンツの放送が子供に影響を与える、という検証結果が出ているかなり有名な研究があります。アメリカで1961年に行われたBobo doll experimentというやつです。ウィキですが、リンク置いときます。
http://en.wikipedia.org/wiki/Bobo_doll_experiment
更にアメリカFederal Communication Commissionの2007年4月に提出されたリポートには、暴力的なテレビプログラムの子供への影響についての調査結果がつらつらと並べられてますね。ブログ経由ですがリンクどぞ。
(本文中の赤字のReportをクリックすればPDFが手に入ります)
本文書いた後に微妙に決定的なリポートを見つけてしまって少しがくっとしていますが、自分なりに反駁してみましょう。
子供に影響をあたえるので社会的に規制をしよう、という議論は誤りではないですが、何もそこまでしなくても、という印象です。テレビのチャンネル権を子供に与えないことを含め、子供を悪影響のあるテレビ番組から遠ざけることは、ほとんど親の裁量によってコントロールできます。家族がテレビを見るゴールデンタイムなどの時間帯にひぐらしのような番組を流すことは、FCCのリポートや先行研究を鑑みて問題が多いかもしれませんが、子供のテレビの消費はまずもって家庭問題であるはずです。子供に悪影響がありそうなものを社会的に全て規制しまうと、酒・たばこ・ジャンクフード・風俗・その他もろもろ全て規制しなければならなくなります。過剰に反応する前に、自己責任でなんとかなるんじゃねぇの、というのが私の意見です。
更に暴力表現が子供に悪影響を与える、という事実が立証されれば、それは報道番組にもなんらかの規制をしかなければならなくなります。そもそも生でリアルで過激でエンターテイメントなニュースを日夜追っているのはテレビのニュース番組でしょう。テレビ局が製作に関わっているバラエティ番組も暴力表現が必ずといっていいほど含まれます。ニュース番組が暴力的内容の作品にいちゃもんつけることは諸刃の剣に等しいですね。
一つ提案ですが、"テレビを見るときは部屋を明るくして云々。"に加えて、"物語に登場する人物たちは特殊な訓練を受けています。絶対真似しないでね。"というテロップを放送前に流したらどうでしょう。まぁ、世界観とか、物語性とか、台無しになりますが。
標題に書いた通り、本書の感想ではありませんが、ちょっと思ったことを書きます。
まあ、私自身、元理系の無知なヌルオタなのは自覚していましたが、うなってしまう箇所がありました。少々長めですが、引用します。(当然、無断引用なので、問題等ありましたら、削除いたします)
(以下、P151からP152にかけて)
ローマ帝国は、独裁者によって運営されています。というより、独裁者(デイクタトル)という言葉自体、ローマ帝国の政治システムから生まれた用語です。
もともと共和国家であったローマは、度重なる戦役や国内の混乱に対処するため、迅速かつ公正な判断を下す統治者制度をつくりました。それが「独裁者」です。
長老たちによる推薦と市民の選挙によって「独裁者」を選び、それまでは議会で長々と、時には数年も話し合いながら結論を引き延ばしていた懸案も、あっというまに解決させる。
独裁制は当時のローマ帝国の混乱を一気に解決しました。今の私たちから見ると、ディクタトルは「大統領」とか「社長」と翻訳した方が理解しやすいかもしれません。
独裁者=ディクタトルは共和制ローマから帝政に移行したときに「皇帝」と名前を変えます。独裁者が任期制だったのに対し、皇帝は基本的に終身制でした。
独裁者の任期問題で苦労したユリウス・カエサルが作り上げようとした「終身独裁者」というシステムが皇帝制度です。カエサルの死後、一時は共和制に戻りかけたローマでオクタヴィアヌスは皇帝就任を宣言します。
(このあたりのローマ帝国の歴史経緯は西欧諸国ではかなりの常識です。たとえば『スターウォーズ』のお話を理解するためには、「共和制→帝政」の理解が不可欠なんですけど、あまりそのあたりに踏み込んだスターウォーズ論は読んだことがありません)
さて、この文章を読んでいる方は、このスターウォーズに関する「常識」をご存じでしたでしょうか?私の場合、自分の無知を棚に上げて、どうして誰も教えてくれなかったのか?と逆ギレしてしまいそうになってしまいました。なんというか、映画評論家とかって、自分の感想しか言わないじゃないですか。そんなのは、インターネットの素人の意見の方がよっぽど信用がおけます(私に限らないと思いますが)。プロに求められているのは、一般人に作品の背景を教養学的に解説し、作品の面白さをさらに上げる講釈家みたいな仕事だと思うのです。
そういう意味では、町山智浩氏の『映画の見方がわかる本』は良い仕事でしたね(元ネタがあるそうですが、それでも、日本語の本にした功績は大きい)。マンガ夜話やアニメ夜話も、そういった意味では良い番組だと思います。
いずれにせよ、TVのバラエティ番組が脊髄反射的に視聴者を笑わせて、時間を消費させる時代というのはもう終わっているような気がします。働き盛りにとっては時間は貴重な資源ですし、若者は携帯やPCで、自らコミュニケーションしていた方が楽しい。結局、TVは、団塊世代を中心とした老人向けの番組が多くなるかも知れませんね(笑)。
つまり、言いたいのは、プロにはプロならではの仕事が求められるでしょうし、ネットの普及で、「プロならではの仕事」の定義が変わってきている訳で、その辺に自覚的なプロがどれくらいいるのかということですね。まあ、露骨な世論誘導をするTV業界は、無自覚なまま滅んでしまっても良いと思いますが(笑)。
世の中ではそれでも構わない卒論とか卒研とか、それを許すゼミとか、存在するらしいんだわ。
愕然とするけど。
「○月○日の放送を録画した人いませんか?卒論にどうしても必要なんです!」
というような書き込みをしてる阿呆がいるから
という趣旨のことを書き込んだところ
「そんなこと書けるわけ無いじゃないですか!頼んだ私が馬鹿でした トピ汚し失礼しました」
だと。
まあ「トピ汚し」とかいってる時点で次元がアレなわけだけども、そもそもTVのバラエティ番組の内容を卒論にするってなんだそれ。それを許す指導教官の顔が見たい。
とまあ、世の中おしなべてそんなレベルだから、mixiでアンケートとって卒論できました、でも通るんでしょうね。
いくら面倒臭いからとはいえ、それで通す教授会がいちばんいけないと思うけど。
嫌いで仕方ない。なんかすごいオタクくさいの。
いや別に日常会話の中で「パパにもぶたれたことないのに!」とか言うわけじゃないよ。
あのねー、例えば、「今なんで笑った!?なんで笑った!!?」って二回繰り返したりとか
(うわなんか思い出すだけで恥ずかしい)
会話を思い出すと漫画に出てくる人の話し方してる自分がいて、すごくオタクくさい。
反応で出てくる言葉もテンプレ通りだったりすごいオタクくさい。
もうね、オタクだから仕方ないけど、それでも引く。自分で引く。
人との会話の間の取り方って何で勉強すればいいのかなー
ライトノベルとか漫画で学んできた結果がコレってことは、バラエティ番組でも見ればいいのかなあ
普通の人の話し方したいなあ。
どのくらい前だろうか、グッドルッキングボーイズだとか、そういう名前の番組をたまたま見たんだ。
イケメンが時間内に何人の女性の携帯電話番号を聞けるか競ってたり、誉め言葉じゃない侮蔑語としての「バカ」が似合う番組で「アホだなぁ」と永久歯がポロポロ落ちるんじゃないかという思いをしながら見ていたら、その中のトークコーナーでロンゲで金髪の赤ちゃんみたいな可愛い顔をした男が逆ナンパされたときのことを話していた。
話の内容は、風邪を引いたので病院にいったらそこの女医から診察中に携帯の番号とメアドを聞かれたという「それで先生、病気は?」的な羨ましいエピソードだった。
新鮮な時間だった。このコーナーを見ながら、私はこみ上げてくる嬉しさを、抑えられなかった。
常日頃から感じていた憤りが私の中にはあった。
それは正直者がバカを見るような現代社会の仕組みについてではなくて、テレビ番組に出ているイケメンと称されるタレントたちについてだ。
彼らはバラエティ番組などでイケメンという謎な肩書きで登場するのだが、司会者に「モテますでしょう」と聞かれると決まってこう言う。
「いやいや」
彼らは決まってこの話題になると黙して語らず、なのだ。しかし、美形がモテることは世の道理なのでこの「いやいや」は「いやいや(全然モテませんよ)」ではなくて「いやいや(そんな話できませんよ)」なのだ。
司会者もどうせ否定することを想定してこの質問を投げかけてる。
モテない組はモテないエピソードをネタにしたりしているのだ。美形もそうしてほしい。
こうやったらモテる、じゃなくてこんなモテ方をした、が聞きたい。
美形タレントが顔を出して、客を想定した形で楽しげに披露する。
私は美形が「モテますでしょ」と聞かれて「そうなんですよ。この前こんなモテ方しましてね」とフランクにモテエピソードが話せる世界を望む。
何より山下智久や成宮寛貴だとかのテレビに出てくるような美形のモテトークが聞きたいのだ。
きっとすごいモテ方をしているはずなんだ。