を読んで思ったんだが
別にこの人に限った事じゃないかもしれない
自分の印象では、はてな民の多くは過激な言い方をすれば「アンチ普通の人」であるような気がする。
「普通の人はこうみたいですね、でもちょっと理解できないな、それ(笑)」←こんなスタンスの人が実にはてな界には多いと感じる。
しかし、だ、
これが俺は、本当によく分からない。
ケータイ小説を好きであれば「普通の人」であり好きでないならば「普通じゃない」のだろうか?
スイーツ、と言えば「普通の人」であり言わなければ「普通じゃない」のだろうか?
逆に
「普通の女子」なら髪を巻き上げているはずなのだろうか
「普通の女子」なら「だよねー」「うんうんー」という会話しかしないはずなのだろうか……
「普通の人」って一体何だ。どの基準をクリアしたら「普通の人」認定されるのか。一つでもひっかかれば普通の人なのだろうか。ケータイ小説が好きだけれどもスピリチュアル(笑)江原(笑)と思っている人は普通の人なのか、普通でない人なのか。雑誌でスイーツの店をチェックし、スイーツを食べに行くのが好きだが、ライトノベルが好きで、韓国ドラマが嫌いな人は、普通の人なのか、普通でない人なのか。髪を巻き上げ、ディズニーランドに行くのが好きだが、議論が好きで、「だよねー」「うんうんー」といった会話が嫌いな人は、普通の人なのか、普通でない人なのか。スイーツもライフハックも好きな人は、普通の人なのか、普通でない人なのか。
一体普通の人とは何なのか。自分は普通でない人だ、というスタンスで語っている人は、本当に普通でない人と言えるのだろうか?
例えばケータイ小説スイーツなどなどを普通の要素とするならば、その人は本当に普通の要素を一つたりとも持っていないといえるのだろうか?それとも一つまでなら持っていても普通でない人を自称する事は許されるのか?ならばいくつ以上持っていれば普通の人と判定されるのか?その境目は何か?そして誰が判定するのか?そもそも普通の要素は一体誰が決めたものなのか?本当にスイーツと呼んでいる人は多いのだろうか?ケータイ小説を支持している人は多いのだろうか?
普通の人って一体何だ。
人はそれぞれたくさんの様々な要素を持っている。洋菓子をスイーツと呼ぶ。呼ばない。ケータイ小説が好き。嫌い。ディズニーランドが好き。嫌い。ファッション雑誌が好き。嫌い。ライフハックが好き。嫌い。ライトノベルが好き。嫌い。バラエティ番組が好き。嫌い。ニュースが好き。嫌い。鉄道が好き。嫌い。韓国ドラマが好き。嫌い。などなど。たくさんの要素をそれぞれが多彩な組み合わせで持って生きている。
その要素のうちどれが「普通」でどれが「普通でないか」は定まっていないし、定まっていたとしても「普通要素を何個以上持っていれば普通」という決まりはない。
ただそれぞれの人間が漠然と、「これは普通っぽい要素なんじゃないか」「これは普通っぽくない要素なんじゃないか」と思っている。「メディアでそう言ってた」「周りの人間数人が皆そうだから」などの理由で。
そうして各々の感じる「普通っぽい要素」をたくさん持っているであろうと思う人を、「普通の人」と言う。あるいは一つ自分の思う「普通っぽい要素」に引っかかっただけでも「普通の人」と言う。
自分を「普通じゃない人」と言う人は、自分の感じる「普通っぽい要素」に自分が当てはまらないと感じ、自分の感じる「普通っぽくない要素」に自分が当てはまる、と感じている人だ。そしてその人が感じている「普通っぽい要素」を、他人も「普通っぽい」と感じているとは全く限らない。
判定基準は全て自分の中にある。
客観的な「普通の人たち」があるのではない。
普通かそうでないかを決めているのは自分自身。
人間はそれぞれが個別の様々な要素を抱えて生きている。それだけの話。
「普通」って、そのくらい、曖昧で、あやふやで、どっちつかずで、内容の無いものなんじゃないか。
ゆえに「普通」を気にする必要など全くない。
ありもしない「普通」幻想に怯え、それと自分を対比させる必要もない。
「普通の人」はいない。