はてなキーワード: カルチャーショックとは
《私の中学では同和教育をしている。前の学校では、ひとかけらもこんな教育を受けたことがなかった》
東京から大阪に移り、2度目の引っ越し先となった大阪市東淀川区での生活は、橋下自身が「僕の人格を作ってくれたところ」と振り返っているように、濃密な時間だった。中でも中学校で学んだ人権教育は、思春期の橋下にとって「カルチャーショック」とも言える出来事だったようだ。
かねてより疑問に思ってたんやが、同和問題に関して西と東とではだいぶ温度差があるんでないかと。。
関東以北、とりわけ東北地方においては同和問題は存在しない・・・たぶん
自分が不勉強なだけかもしれへんけど、学校の授業でも習った記憶がない
はじめてこの言葉を耳にしたとき、綜合警備かなんかと思ったくらいやもん(汗)
あまりにも貧しすぎて東北全体がそもそも同和地区みたいなもんやったからやろか
それとも、やはり同じ日本とはいえ蝦夷と倭との違いみたいなもんがあるとか
ほんまのとこはどないなんすかねえ・・・
近頃思うんだけど、男性って、女性が思っている以上に、「男らしさ」を気にしていない?男性性への拘り、というのか。
http://anond.hatelabo.jp/20080710213444
このエントリもちょっとそんな感じなんだけど……私もまあモテないんだけどさ、でも「結婚したり彼氏と付き合うことによって自分の女性性を復活させたい」とかそういう事は考えたこともないんだよね。発想すらしてなかったっていうか。別に女らしさとかそういうのはあってもなくてもどうでもいいや、鼻ホジホジ、ていうからしさとかよくわかんねーし、みたいな感じでさ。
どのエントリだったか忘れたけど、「男手があるといいね」って言われると嬉しいとか書いてる人もいた。それに同意してる人も。
そんなに、なんていうのか、「男らしいね」って言われたいの?みたいな……そんなに「男性としての自分」を褒めて欲しいもんなの?みたいな……普通に人として褒められるんじゃなくて、男としてあくまで褒められたいみたいな。みたいないいすぎだな。
いや、ていうかもしかしたら女性も、そのくらい拘ってるのかもしれないけど。私と私の周りがたまたまその辺感心少なめなだけかもわからんけども。
男性は、男性性が好きなのかな?男性性っていうと寧ろあんまりいいイメージはないんだけど。粗野とか、乱暴とか、そんな感じで現実使われてるよね。そんなので褒められて嬉しいものかな、と思うんだけど。特にはてな界隈の男性はそういう乱暴っ気のあるものは嫌っていそうな方々じゃない。DQNっ気のあるものは嫌がるというか。そんな彼らでさえ、「男らしい」と言われたがっているのにはなんだかカルチャーショックを受けたよ。カルチャーじゃないけど。
私は高2ぐらいまで君が代を歌えませんでした。
小学校高学年ぐらいのときに
学校行事の時には国旗掲揚、国歌斉唱することという話が持ち上がっていましたが
私の通っていた学校のある地域では、それに反対する人が多いようです。
小学校ではどういう考え方かはわかりませんでしたが
君が代はいつか歌えるようになるからと教えてもらいませんでした。
中学校ははっきりとした態度でした。
予行練習で国歌斉唱のときに立つと後で呼ばれて
強制じゃないから歌わなくていいんだよと言われたのでした。
目立ちたくないし面倒だったので素直に従いました。
けれど君が代はどこから歌い出して、どうやって終わるのかが
なんかちょっと難しいのです。
君が代が歌えない私は、そこで初めて
歌わなくてもいいですが何もない人は歌うこと」
と言われました。
それまでは「歌わない」という前提の上に「歌う」という選択肢があったのですが
高校では反対です。
つまり、私は初めて自分以外の人が君が代を歌えることを知ったのです。
この時の衝撃はとても大きくて今でもたまにぼんやり思い返すのですが、
大学の友達にもバイト先の人にもあんまり上手に説明できないです。
すごく恥ずかしくて、居たたまれなくて、
歌ってないことがバレないか冷や冷やしたことが誰にも伝わりません。
なんかそんな話を思い出しました。
はてブではトップページから、ブックマーク数の多い今人気の記事がチェックできるようになっている。
ブクマの数や好奇心をそそるタイトルにひかれて、アクセスする度に人気記事をその都度読んでしまうような習慣が今では付いてしまったわけだけど、人気を集めてる記事(俗に云うホッテントリ)になんだか共通する特徴があるように感じたので、ここでそれを適当に順次列挙してこうと思う。
1・自分の体験したことを具体的に、赤裸々に曝け出してみる……ホッテントリには、自分の体験をベースにして、ストレートに感じたことや考えたことを伝えているものが多い。具体的な体験があった方が、読む側は断然作者の心情に共感しやすい。また実際にあったことであるため、机上の空論に比べて説得力もグンとアップすると思う。音楽とかでも気持ちを込めて演奏した曲のが聴き手に強い感動を与えてるけどこれはそれと結構似てるかな、って感じ。
2・箇条書きにして要旨を端的にまとめる……これは上記の体験系のネタとは対称的に、ハウツー系のネタで記事を書くときに重要なポイントです。勢いに任せてどれだけソウルフルに心の叫びを表現しようとも、それが理解しにくければ読み手は簡単にそれを放棄して下さいます。回りくどくなく、要は何を伝えたいのか,ポイントが幾つあるかなど、ユーザーサイドにたってわかりやすい記事を書くことも非常に大切です。特にネットの情報なので、(専門性や内容の濃さよりも)素早さや手軽さがホッテントリには求められていると思われます。
3・切り口を斬新に。あえて正論を否定して、インパクトを与えるような主張をする……当たり前のことを当たり前に主張してても、読み手はあまり面白いと思わない。予想を裏切るようなパッと目を引く意外性のある記事は、タイトルを見ただけでちょいっとクリックしてみたくなる。世の中って常識的に信じられてることでも、掘り下げてみると違う側面が結構ある。逆立ちして見えた景色をちょちょいと表現するだけでも、逆立ちをしたことのない人にはそれまで見たことの無い、強烈なカルチャーショックを与えられるかもしれない(意味不明)。
4・旬の話題・議論に便乗する……コバンザメ商法的なやり方であまりお勧めは出来ないけど、手っ取り早くブックマーク数を稼ぎたいならこれ。話題性のあるキーワードがフレーズとしてあるだけでも、それがアクセントになって話を盛り上げやすい。3とも被るけど、主流となってるものにアンチを掲げるだけでも、賛否両論を巻き起こして注目を集めることは間違いない。ただしあまり行き過ぎると叩かれ貶されるのでその点はご注意の程を。
「当たり前だ」って思えるような浅はかな主張ばかりだけど、書いた奴はそれをわかって書き込んでるので、親切心で「当たり前だのくらつかーww」などと無理に厨房を煽ったりしないように。
前にドラゴン桜は結局東大受験は環境次第って書いた増田だけど、あれ受験を控えた高校生が読んだらどう思うのかって疑問が出てきた。
繰り返すけどあの漫画って受験をするにはいかに充実した環境と情報が大事かというのがメインテーマなんだよね。
自分の学力やメンタル面を24時間体制で分析管理ケアしてくれるセラピストとしても超優秀な講師チーム
そこの生徒なら誰でも東大目指して勉強して合格するのが当たり前という空気←多分これが一番重要
これらが揃わない環境下ではどんな努力も方向性を誤って空回りするするだけで、実際モロにそれを生徒に言わせているシーンがごまんとある。
だから講師としての立場の人間や既に受験を終えた人間が読んで自分の受験生時代との違いにカルチャーショックを受けたり自分の子供の指導に少しは活かそうとしてフムフム頷くのはわかる。俺もそんな感じで読んでる。
けどリアルタイムで受験に挑もうとしてる学生が読んだら絶望してしまうんじゃないか?
だってあんな理想的な環境は受験生本人の努力で得られるものじゃないし、求めても時既に遅しだ。まさに受験環境の格差社会ではないか。
なのに作中で散々「東大に行けなかったら騙されて馬鹿にされて人生終了」とばかりに煽ってるから今更引き返そうにもどうしても敗北感を引き摺って気が重い。
ついついそんな心配を抱いてしまうのだがどうなんだろうかな。いらん世話だと言えばそれまでだが。
沖縄とか、今1泊2800円とかでわりと奇麗な宿泊まれるのね。
北海道とか。
そういうところ行ってみたら?
昨日だっけ、「常識知らない」って書き込みあったけど、1か月も旅行してりゃ
ATMの使い方に野宿の仕方、洗濯の仕方にコレクトコールのかけ方、赤の他人との無難な会話の進め方なんかも覚えられるかもしれない。
本当は海外の方がカルチャーショックになっておもしろいと思うけど、
今サーチャージ高いしねえ。
ちなみに自分は女だけど、親に卒業旅行と偽って
バリ1人旅行したよ。寂れた漁村に宿とって、部屋閉じこもって散歩して海辺で寝て、ナンパされて逃げて、ひたすらぐーたらした。
1人でタクシーやら乗り合いバスやら乗れたときは、ちょっと自信ついたなあ。
現地の乗り物は価格交渉必要だし、行き先表示ないし、観光客と見ればぼったくられるから、えらい気合い入れて乗ったらさ、地元民価格だったのさ。えらいうれしかった。
なんかカルチャーショックを受ける
俺の大学(旧帝)で文理問わず修士以上で奨学金を貰わないのはほぼ皆無じゃないかな
少なくとも俺のいた研究室には男女問わず貰っていない奴は一人もいなかった
育英会の場合、学部だと親の収入で貰えないこともあって
事実俺は貰えなかったが
地方出身ならその地方の奨学金があるとか
兄弟が多いとか
親が金持ちでも自営ならOKだったりとか
色々抜け道があって、過半数はなにかしら貰っていた
理由は親の世話になりたくないから
子供の立場でそれを黙って受け取るのはぼんぼんの腰抜け役立たず扱いだった
学部時代は親に学費を出して貰った俺もちょいぼんぼん
それどころか親に車を買って貰って自慢しちゃうような奴は軽蔑されるし戦力外
上京ついでにマンション買ってもらって仕送り毎月50万とか言う学生も知り合いにいることはいたがね
ただ、そう言う子供を甘やかすような親を持っちゃうのは
漏れなく地方の大病院の御曹司とか、土建の社長のご令嬢とか、芸能人の息子とかの成金か田舎もので
そんな奴らも一年も経つ頃には世間知らずを自覚してバイトを始めたりする
サークルづきあいがあるBラン程度の私大や女子大だと卒業するまでそのままの浮世離れした人もいて
それにしても今はともかく、昔からそんなに貰うもんだったんかな?
親のリアクションから、親の世代では貰う人がすごく少なかったんじゃないかと思っただけなんだけど。
俺の親も貰っていたみたいだよ
同じ大学で学部卒だけど
昔は学費がタダ同然で良かったな的に
もう時効であろう友達の話(現在はちょっとだけましな生活をしてる)。
両親が日雇いに落ちたらしい。
建物は日雇い会社の社宅。社宅からバスが出て会社直行なんだと。
厳密に言うと、なんつったっけ、派遣の3重雇いみたいなやつ。
友人も中学生の時から闇バイトで数万稼いで、なんとか妹を高校まで卒業させた。
中学卒業後(といってもほとんど行ってなかったらしい)は両親と同じ日雇いで労働。
まあ中卒で雇ってくれるところもないよな…。
(なぜ4人で働いているのに金が貯まらないのか自分も疑問なんだが、親がパチで使っちゃうらしい。
それもどうかなーって感じなんだが…。多分社宅代とバス通勤代なんかもぼったくられてそうだ)
さすがにこれが数年経過して、友達が疑問に思って自分に相談(自分はネットゲームの友達)。
希望の職種とは全然ちがうところにガンガン飛ばしまくっていたらしい。
(これを断るとお父さんお母さんは…と脅迫まがいの要求も相当あったとか)
やっとその「日雇い会社だけが頼り」みたいな状態から抜け出せた。
まだ貯金とかはできてないらしいけど…。
そういう生活をしている人は驚くほど情報を知らないんだよな。
都営住宅みたいな、貧乏だと安く暮らせる場所もしらないし(なぜ調べようとしないのか)。
頼れる親戚もなく、その時に流されてる…みたいな。
うまくいえないなー。
自分はほんと、この話をきいてカルチャーショックだった。
すみません、レスされてたの気づいてませんでした。
19時に帰ると早いと言われるというのは、なかなかすさまじい職場でいらっしゃいますね。
うちの学校は帰れるときは早く帰ろうぜ、という空気なので、19時過ぎると教頭が「そろそろ鍵閉めるよ??」と言ってきます。
勤務時間に関しては先進的な試み(?)があって、会議や出張などが勤務外時間にかかっている場合(休憩時間中に会議が入っている場合も含む)は事前に申請をすると、その分年休に振り替えられたりします。
なので、PTA総会も仮に20時スタートでもきちんと後日年休としてその時間数が使えます。
そのあたりは安心です。
どちらかというと、しかり方ではなく、いじめや精神的な病気(というか特別支援教育に関係するLDなど)に対する対処法、理論的な分類などがメインになりつつありますが(極端なケース?)、
本当に必要なのは、いじめとか病気とか、学級崩壊を未然に防ぐためにどのように指導をしたらいいか、という勉強だと痛感しています。
その一つの勉強として、怒り方、注意の仕方、誉め方というのは、学生のうちに勉強しておくと良かったと思いました。
学生に対しては、教師の一日の流れ、ぶち当たる困難がどういったものであるのかを、羅列するだけでもいい、把握しておけるような本を一冊読んでおけ、と言っておきたいです。
その分野では、私の出身ゼミである教育臨床学の先生と今後も交流を深め、勉強をしていきたいと思っています。
いただいた教えは明日から実行してみます。
とは言え、最近は私のことを「怒ると怖い」と思い始めたのか、名前を呼ぶだけで席につくようになりつつあります。(3回くらい言わないと座りませんが)
いや、教室で思いっきり着替えるのは教育実習の時で経験していたのですが、やはり自分の受け持つ児童でもそうだったというのが、ある意味カルチャーショックだったので書いてみましたw
この前は音楽の時間なのに「暑い」とか言ってなぜか上半身裸になる男子児童がいて、さすがに怒りましたorz
昔暮らしてた寮には、なんとも豪快且つ陰湿な伝統行事がいくつかあった。新入生歓迎行事でカルチャーショックを受けた新入生が毎年数名、間もなく退寮していた。
色んな行事があるけど、一番インパクトのあった行事の流れが大体こんな感じ。
毎年春になって入学の話題とかちらほら見かける度に寮のことを思い出す。行事のショック感とは別の理由で退寮して久しいけど、今でもやってるのかなあ。怒った親とかそういう外部からの圧力が存在してなければ、今年も誰かが今頃ヘークションってしてるんだろうなあ。
本田透の『萌える男』が一部で話題になっている模様。近いうちに読んでみる。
いつの間にか俺は「恋愛至上主義」についてよく考えるようになった。いや、俺がこれをよく考えるようになったのは専門学校に入ってからだった。
俺の高校時代は2年のときに理系を選んでしまった為、女の子とほとんど交流できず(女の子はほとんど文系に行ってしまった)。偏差値はかなり低い高校だった。でも俺はオタクではなかったので、スクールカーストでは中間の位置にいた。サッカー部に入っていたこともあって、周りの友達もどちらかというと体育会系とかちょっと不良っぽい人が多かった。
それが入試に落ちて専門学校に入ってからというもの、その環境が一変。
もともとコンピュータが好きだったので、それを深く学ぼうと思いコンピュータ系学部に入ったのだが、周りにオタクしかおらず強烈なカルチャーショックを受ける。自分の服装はどちらかというとB系とかストリート系なので、オタクしかいないクラスでは浮きまくり。オシャレをしているオタクの人もいるものの、さすがにB系、ストリート系ファッションをしている人はいなかった。
だから俺はアニメも見ないから趣味も合わないし、話してもアニメの話題をされると何を言ってるかわからないので、「あーおれ何てとこに入っちゃったんだろ・・・」と絶望した。でも、だんだんと日にちが経つごとに何人かのオタクの人たちとも話すようになった。特によく話したのは二人。一人は自分よりも4,5歳年上の人。もう一人は同い年の人。後者はオタクの中では珍しく、下ネタが大好きな奴だった。だから下ネタが元で急速に仲良くなった(ゲイって意味じゃないよ)。前者はFラン高校から来た俺に熱心に勉強を教えてくれた恩師のような存在だ。俺はアニメの話題は出来ないものの、授業や勉強の話題、下ネタだったらどうにか話すことができた。
そして彼らと仲良くなるにつれて、あることが見えてきた。
それは彼らが「゛恋愛”という競争からドロップアウトした人」ということだった。
何かしら異性関係などで相当嫌な経験をしているという事でもあった。ここではあえて書かないが、確かに昔の話を聞いてみるとけっこう嫌な思いも体験しているようだった。かくいう自分も、中学高校時代は女子ともご縁が無く、何度かあったそういう事柄も、恋愛至上主義者たちが言うような「美しいもの」ではないことを身を持って知った。素晴らしい部分もあったが、ドロドロとした部分も見てきた。だから彼らのエピソードは全く無縁な話ではなかったのだ。その当時はまだ自分も恋愛至上主義に結構毒されていたので、「彼女がいないのはおかしい」と自分にプレッシャーをかけてしまったりしていた。だが、彼らを見てその考えは徐々に変わっていった。そこから自分も恋愛至上主義の蔓延ぶりに疑問を持つようになった。
テレビなどでは「恋愛は素晴らしい、もっと恋をしよう」と扇動するが、俺は「恋愛は素晴らしい、でも汚い部分も同じくらい多い、だからほどほどに」と付け加えたい。その方が精神も安定すると思うんだ。
最近はその同い年のオタクな友達も「あー彼女できないなぁ・・・」と落ち込んだりしている。
あれだけ趣味に情熱を注いでた奴までもが、深刻そうな顔してそんな事を言うのである。これには俺も心底ショックを受けた。だから、最近の「恋愛至上主義」がマジョリティになっている状況を憂う。「無理やりにでも恋愛しろ」という考えには心底疑問を持つし、無理やり付き合ったりしてる奴は大抵、頭の中がお花畑なバカが多い。それで別れそうになると痴話ゲンカで騒いだり。
もう本当にこういう状況をなんとかしてほしい。「恋愛しなきゃおかしい!」みたいな風潮は消えてなくなってほしい。
ポルノ話題をたどっていくと、結構最近目にするのが、「そもそもポルノの存在自体、女性である私にとっては不快感満載、傷つく」という意見。
はじめにその類の意見を目にしたときは、女子中学生じゃあるまいし随分ピュアな人だな、どっかの箱入り娘か?と思ったのだが、それから結構その手の意見が出てくるわ出てくるわで、ちょっと今、軽く困惑している。
――あれ?もしかして寧ろそういうもんなの?
と。
私は今まで、別に大人にもなれば女性もなんやかんやで皆オナってるし、そのときにはエロいもんを見てネタにしてるだろうし、よっぽどピュアな箱入り娘でもない限り、「存在自体、目にしてしまう事自体、嫌」な女性はごく少数だと思っていた。なぜか。……まあなぜかっていうか、単純に私が平気だったから皆も平気だろう(まさか自分だけ特殊な存在ではないだろうという平均値の心情が働き)という考えだったんだろうけども。
それでも性とトイレのことってのはあんまり他人同士語らうもんじゃないから、「え?うんこしたあとって前から拭くんじゃないの?」「後ろだろ!?」とかそう言う事がたまに起きたりする。今回もそんな感じで軽くカルチャーショックだった。
といってもまだ、「ポルノとかそもそも存在が嫌だし傷つく」派の女性が、多数派なのか少数派なのかは分からない。例によって「ネットはそういう極端な意見が多数派だと誤解されやすい」とかいうアレかもしれない。でもほんとうに多数派なのかもしれない。それはまだなんとも言えないが。
それでもネット上で、「いやまー猟奇モノでもなければ二次元エロはたいがいオッケーっすわ」的な話をすると「どうして女性なのにそういうのが大丈夫なの?全然気持ちが分からない」と返ってくるのは私にとって物凄い驚きだった。
そういわれても、実際にやるのと想像するのはちゃうでしょーよとしか言えん。
コナンとか金田一が好きだっていう人に「殺人の漫画なんて見て何が楽しいの?全然気持ちが分からない」とか言わないよね。それと同じだよ。とその時は言ったけど相手は納得していないみたいだった。
なんてーかな。フィクションで楽しむときってのは、そもそも、「現実で出来ないから」楽しむんだと思うんだよね。たとえばイケメンに囲まれて激しいセクロスなんて現実に出来ないじゃん。そもそもイケメンとか集められないだろとかいうこともあるけどw、それだけじゃなくてリアルで考えると後のこととか色々生々しい事考えるととても出来ない。でもフィクションだと全部クリアですよ。妊娠とかするもしないも自由自在だし、その中のイケメン一人とくっつくとかイケメン全員に囲まれて暮らすぜとか逆ハーレム作るぜとか、逆にこっぴどく振られる妄想して悲しい気持ちに浸るのも全然ありなわけよ。でもリアルで振られたいかっていうとそんなん絶対嫌なわけ。リアルの生活に響くかもしれないし、そのあとそんな辛い想いを引き摺って生きていかなきゃいけないという現実も待ち受けてるし、そんな「リアル」上ではそんな経験まっぴらごめんなわけ。んでもせつな的な刺激というか、そういったものを人間得たいという気持ちもある。んだから、安全で何度でもやり直し・巻きなおしのきく「フィクション」上でそれを楽しむわけ。得たい刺激だけピックアップして、嫌な「生々しいその後の現実」とか、そういう自分にとって不都合なものは全部シャットアウトして楽しめる。だからこそのフィクションなわけですわ。少なくとも私にとっては。
でも勿論嫌な人たちにとっては「そもそもフィクションでも嫌」なんだろうし、誰だってそういう面はあると思うが
でもフィクションで楽しんでるのは、逆に、現実じゃ無理(法律的にというより自分自身が嫌だという意味で)だからこそって人もいるんでないかと思うのだが。んまあ、私以外の人はどうだかしらんが(男性は特に、全然違う理由かもしれないけど)。
でも「どうして女性なのに…有り得ない…」みたいな、なんかキ○ガイでも見るかのような驚きはやめてくれい……それこそ微妙に傷つく……
自分はニートで暇なのでニュー速にいたのですが、ニートながら2chで過ごす時間の無駄を激しく感じ、
TerminalとかViとかよくわかんないやつ使ってnamidame.2ch.netに自ら接続出来ないようにしました。
(自分はシステムの事はさっぱりわからないので、実行するときと同様戻すときもググらねばならないダルさがあるから2ch抑止効果あるのだ)
たまたまはてなを見つけ、マッチョvsウィンプっていうのを楽しく観戦してたのですが、
なんでここまで平行線なんだろう?と思ったのでちょっと自分の意見を書いてみます。
要は物事が起きたときどちらを選ぶか、って事だけなのでは。
たしか土居健郎著『「甘え」の構造』の前書きに書かれたエピソードの中で、
著者がアメリカに留学したとき招かれた家で飯をご馳走になった際、
食後の飲み物はいるか?いるんだったらコーヒーにするか?それとも紅茶なのか?
コーヒーだったら砂糖とミルクは使うのか?砂糖を使うのだったら何個使うのか?
ミルクを使うのだったらどのくらい使うのか?それは何ミリリットル使うのか?
と、日本人ならナアナアで済ます事を外人がしつこく聞いてきてカルチャーショックを受けたみたいな話ですが、
マッチョな人は何事も無かったように全部自分で選択して、何事も無かったように会話を続けるだろうし、
ウィンプな人は途中でかったるくなって、めんどくさいからもうどうでもいいっすよ、と席を立つんでしょう。
常に取捨選択すんのってマジかったるい。だから自分はニートなんですけど。
ウィンプとか言われた人は仕事辞めないでデスクに齧り付くだけ全然偉いっすよ。
全然マッチョっすよ。逞しい兄貴ですよ。だってもし俺だったら速攻でケツ捲ってるだろうし。
たぶんウィンプの人は努力を尽くしてヘトヘトになっちまって同意のコミュニケーションを求めてたんだけど、
予想に反して「さらに努力すればいいじゃん、今までよりさらに取捨選択すればいいじゃん」っつー、
超越マッチョな現実的対応策が帰ってきたから、ダンコーガイに反発しちゃったという。
マッチョな髭兄貴ダンコーガイは、指名された嬉しさと勢いでついつい余計な事(失礼)を言っちゃっただけなのでは。
マッチョは相手の気持ちを察する事より、目先の問題の具体的解決法を提示したがる生き物。
ウィンプはそんなことより俺超大変だったんだよ疲れちまったよ聞いてくれよ、ってただ聞いて欲しかっただけ。
すれ違って当然っしょ。そりゃどっちも当惑するよー。俺からすりゃどっちも偉いよ。どっちも真似できねー。
つかマッチョも悪くないぞ?スタジオで脚もつれる自分はカッコ悪いけど、プロテイン飲むの楽しいぞ?マズいけど。
もうマッチョになった気で、アミノ酸とか調べ始めちゃって。今日もガチムチしてくるぜ。
ウィンプの人はもう疲れっ切っちまったんだろうから、何も考えないでゆっくり休める時間を取ってください。ヨガとかオススメ。
取捨選択できる気力が十分に溜まってきたら、また戦い始めりゃいいんでないですか。休みすぎな俺が言うのも余計なお世話だと思うけど。
マッチョな兄貴達はこれからも俺らを激しく叱咤激励してください。最大音量でガンガンにターボキャンプ続けてくれ。でも時にはスルーしないとめんどくさいのでは。
めんどくさいことをめんどくさいと思わないのが兄貴たちのいい点であり悪い点なのかも。
・安室ちゃんのシングルと『リスに恋した少年』をタワレコで買う
・『「甘え」の構造』を前書きで飽きないでもっかい読むため三省堂で買う
昨日本屋で平積みになっていたから、何気なく、いわゆる携帯小説とやらを見てみた。
で、ぱらぱらっと見てみたんだけど、なんていうか、凄いカルチャーショックを受けたよ。
台詞9割、心理描写1割、情景描写皆無。
おまけに文字も老眼にやさしいやや大きめのサイズであることに加え、
たっぷりと確保してある行間でさらに読みやすくなり
その結果ページ数も十分に確保され贅沢な達成感も得られるお得仕様。
文字のサイズや行間の幅とかを一般的な文庫本サイズの小説に合わせたら、一冊が
10ページ前後でまかなえそうな量だ。
値段は見ていないが、豪華な装丁からその高級感に応じた値段だと思われる、
内容については好みの問題もからむから即断は避けとくが
ともかく贅沢に紙資源を消費してつくられた高級品であることだけはまちがいない。
始めに「読んでみた」ではなく「見てみた」と書いたのはそのせい。
「読む」ときに感じる労働感はなく気軽に「見る」感覚で読めてしまう
20年くらい昔、富士見ファンタジア文庫が創刊して、スレイヤーズあたりが
「この手の小説って下半分を真っ二つに切ってもメモ帳として使える」
と、台詞主体の複数行にわたる長文の少ない文体の利点を褒め称えた
ものだが(残念ながら貧乏くさくびっしり書いている人もいた)、
携帯小説はそれを遥かに上回るゆとりを持った文体で、残念ながら
旧世代の俺達には単なる空白にしか見えないが
「考える力」育成重視の脱詰め込み教育を受けた新世代はこれくらい広大な行間から
様々な情報を読み取ることが出来てしまうのか、と思うと
今後俺達は行間を読む力がなければ新しい世代の小説もロクに
そういうのバカにする空気が出来上がっちゃってるからじゃないかな。
他のブログサービスでもあんまギャル文字とか見ないけど。mixiでなら良く見る。
そういえば2chでギャル文字なんてあり得んだろと思ってたけどけっこう前にギャル雑誌で2chが取り上げられたとかでスレたって
数ヶ月前に書き始めたただの日記なんだけど、どうしてヤツはあんなおもしろい文章が書けるんだろうか。ライター系の仕事でメシ食ってるけど、文章のおもしろさでは全く勝てる気がしない(そもそも仕事ではそんなの求められてないっちゃーそうだけど)。そのくせ宣伝とかは全くしないので、カウンターもほとんど回らず未だ500前後。せっかくのおもしろ日記がもったいない、と思って聞いてみた。
「ブログ宣伝せんの?」
「宣伝?」
「とらば?」
(解説中)
「・・・で、『トラバありがとうございました』とかってまたコメント返して、輪を広げていって」
「むりむりむりむり。怖い」
そうそう。彼女はあまりコミュニケーションが苦手・・・ってわけじゃないけど、人脈の幅を広げたがらない人で、今ある人間関係で楽しくやってけたらそれでいいっていうタイプらしい。ん?別に誰かとコミュニケーション取りたいってわけじゃないならなんでブログなんか?などと問いただしてみるけれど、教えてくれない。どうせ大好きな若槻千夏にでも影響されたんだろう、と聞いても「ふふーん、どうかな」などと返す。まあいいや。
閑話休題。なので、彼女のブログには滅多にコメントがつかない。知人から2,3日に1コメントつく程度。おもしろいのよ、ホント。俺が書くとあっさり200文字、あるいは小難しいこと持ち出して2000文字くらいに伸ばしそうな出来事を、どうしてあんなふうにおもしろく簡潔に書けるんだろうか。もしかしたら彼氏の欲目とか思われるかもしれないけど、文章を見る目はそこまで腐っちゃいないと自分では思うし。で、心配なわけですよ。いちファンとしては。俺も知ってるもん。mixiでコメントつかないときのあの寂しさ。いつその寂しさに負けて更新しなくなっちゃうかと心配になったりしたりしなかったりするのです。まあブログについては考えてることよくわからんし、ほっとくしかないけど。じゃあなんで書いたの?って、そうです相談とかじゃなくて、徹夜明けに息抜きがてらのノロケですごめんなさい。いつも好き勝手書き殴らせていただいてます増田さん。今年もよろしくお願いします。
あ、でもね。しつっこいけどホントにおもしろいのよ。そんなにかわいいわけじゃねーよ。女子らしさ、というかロマンチック度かなり低いし。こないだ知り合いの女の子がいつか彼氏に贈るためにと、かわいいデート日記つけてるのみてカルチャーショックだったし。表紙とかラメできらきらした文字で○○LOVE○○とか書いてんの。おいおいどこの異星人だコイツ!って、よくよく考えてみたら自分とこの彼女が異星人なことに気づいた。おもしろいモノ見たらすぐラーニングするし。こないだは「太陽」って映画でイッセー尾形がやってた口をモニュモニュさせる動きとか「ティスティ、ミ〜ト」とか覚えてた。覚えるだけならまだいいんだけどね。街中でもはばかることなく披露するのはやめてほしい。気に入ったらもう常時青魔法発動中。周囲の人から「何今のヘンな声?珍獣?」ってチラ見されるのも、日常茶飯事です。でももういいや。おもしろいから。美人は3日で飽きるらしいけど、異星人は6年付き合っても飽きません。
http://anond.hatelabo.jp/20071007234402
気持ちはわからないでも無いし、正直に言って、どこかである程度そういう種類の配慮をしないといけないこともあると思うけど。
それでも結局そういう(=あなたがイメージしているような)種類のコミュニケーションの種類だけで世の中を渡っていくって無理なんだよね。
だいたい、ここに挙げたようなフィルタリングなんかじゃぜんぜんふるい落とせない理不尽さ、野蛮さ、狡猾さ、下品さ、愚かさ、衝動みたいなものを(その「上品な人たち」も含めて)人はいくらでも持っていて、生きていく上でそれらを避けることは不可能だ。そもそも、自分たち自身だってそうじゃない?
http://anond.hatelabo.jp/20071008013431
「名門私立」みたいな同質的な空間では構成メンバーが同質であることよりむしろ、その空間特有のルールにしばられてごく貧弱なコミュニケーションのパターンしか存在しないことが問題だと思う。たとえ構成メンバーが実際には多様なコミュニケーションパターンを持っていたとしても、「この空間ではこう振る舞うべき」というルールに基づいて、予測可能な範囲でみんな行動している。そういう空間だと、人間の理不尽さ、野蛮さ、狡猾さ、下品さ、愚かさ、衝動を処理するコミュニケーションを学ぶ機会が圧倒的に少ないんだよね。
もちろんそういうネガティブなコミュニケーションだけの問題じゃなくて、要するにどんな種類であれ、コミュニケーションパターンの多様性についての学習機会が少ないということ。
だから、同じような「名門私立」で同じような「予測可能なコミュニケーションパターン」を提供し合った仲間であってさえ、社会に出てそのルールから自由になったとたんに予想外のコミュニケーションをしかけてくるやつがたくさんいて、そのことにカルチャーショックを受けるナイーブなやつ(=名門私立的空間に過剰適応してしまったやつ)が少なからぬ割合で生産されるわけだ。あの頃のお前らは一体何だったんだ?と。賢明なやつらは表で適応してるようにみせかけてても裏で別のコミュニケーション回路を確保してるからね。
「名門私立」だって全くそういう学習機会がないわけじゃないよ、もちろん。そういうところでしか体験できないようなコミュニケーションパターンだってあるよ。でも、トータルでみたらやっぱり多様性が小さいんじゃないかな。
「名門私立」っていうのはあくまで「同質的社会環境」を説明するための例で、このくくり自体にたいした意味はない。だから、名門私立に子どもを行かせること自体は全然構わない。ただ、社会における「名門私立的なもの」に対して、それほど信頼を置かないほうが賢明だと思うよ。