2010-06-21

http://anond.hatelabo.jp/20100621002646

少し話しが逸れますが、僕の勉強法はほとんど、「読むだけ」、「見るだけ」だったと思う。

成績はといえば、まあ中の上、大学受験偏差値で60ちょいくらいだったと思うけど、ノートにまとめるって必要性を感じなかった。

今でもそう思う。

いわゆる教科書というものは、最初からまとまってたように思う。

重要な事柄には詳細な説明があったし、そうでもないところは"それなり"だった。

"それなり"の部分がいらない知識かといえば、前後をつなぐ上で削るわけにはいかないものだった。

教科書という体裁をとるために、事実公理に至った背景なんかは端折られていたけれど、そこそこ楽しめる物語性があったと思う。

文系科目の教科書はどれも普段の読書の延長で読んでたし、イコール勉強だった。

理系科目だって、教科書ストーリー性があって楽しかった。

ノートは演習問題を解くためのものだった。

ノートをまとめるとか、見返した記憶はない。

ノートにまとめるってなんのためなの?

大学だと、二冊(あるいは数冊)の本を読み比べたり、矛盾する二つ実験データや仮説から考えるときに紙にまとめる必要があったけど、高校の勉強ってまとめなくても教科書最初からまとまってたよね。

そんなに分厚くもなかったし。

  • 本のスキャンで盛り上がってるのはライフハックとやらに夢中になってる人だけじゃないかな

    • 確かにそんな感じはする。 殆どの自炊賛美論は何らかの閲覧端末とか数万円のADFを持ってる事が前提だし。

      • 自分の場合、小中高、大学と、ノートというものをほとんどとらずに、テキストやプリントの余白に書き込んでた。 もともと要点がまとまってるテキストを、教師の個人的な解釈で黒板...

        • 辞書の場合、検索性の高さや物理的なサイズでは電子辞書が優れているとは思う。広辞苑が手帳サイズに収まったりしているわけだし。 ただ、学生の勉強という面ではやっぱり「手を動...

          • 読むだけ見るだけよりも、自分で手を動かして頭使って見たものをまとめなおしたほうが勉強になるとは思う。 でもまあ、書き込む道具は電子書籍であってもいいだろうな。いまのとこ...

            • 少し話しが逸れますが、僕の勉強法はほとんど、「読むだけ」、「見るだけ」だったと思う。 成績はといえば、まあ中の上、大学受験の偏差値で60ちょいくらいだったと思うけど、ノー...

            • 学習という観点から見れば、電子書籍端末はどれだけ紙と同じ使い勝手を実現出来るかが一つの基準になると思う。 しかしそうなればなるほど「じゃあ紙でいいじゃん」という事にもな...

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