『コンピューターおばあちゃん』大好きな方は回れ右して欲しい。
コンピューターおばあちゃんが怖い。
楽曲そのものではなく、「情報機器を自在に操り能動的利用を図る高齢者」という意味でこわい。
歌詞のなかのおばあちゃんだけだならまだいいが、「誰だって歳をとる。いわんや悪人をや」。
総ての高齢者がコンピューターおばあちゃん、もといリテラシー老人になったらと思うとこわいぞ。すごいこわい。
人口に占める高齢者割合に比例してネットリテラシーをもつ高齢者だって年々増加している。
そして困窮。「パソコン?そんなん持ってないけどケータイで十分だよね」「どうも情弱ゆとりです(笑)」。
さて、政党政治家は支持者を増やすためにすこし本意の裾をずらしてのばして近づくのは、確実に高齢者方面だ。
選挙に勝つためには、投票率ふくめ人口で大きな割合をしめる高齢者により有利な政策を提案しないとならないから。
ネットという拡声器を得て、ただでさえ大きな声をさらに張らせて叫びはじめる日本全国の高齢者。
彼らが「使い方」を覚えることがこわい。
受動的閉鎖的な利用ではなく、いわゆるネットの力を駆使して叫び始めることがこわい。
本当に困窮している先人を追い詰めたいとは毛頭思わないが、
「高齢である」というだけで社会的弱者という盾を若年層の頭頂部に押し付ける層も確実に存在している。
もはや「高齢である」ことはイコール「弱者」にはならなのではないか?
端的に言えばカネをガッツリ貯め込んだジジババがさらなる悪知恵をつけて生産年齢人口を圧迫することがこわいのだ。
コンピュータおばあちゃんは決して孫の味方なんかじゃない。
でかくて重い筐体を抱えて孫にのしかかるモンスターにだってなりうるのではないか。
戦争や苦しい時代を生き抜いただとか苦労して育ててやっただとか必ず出てくる配慮は今回一切排除させてもらって言う。
こわい。
だからこれ以上悪知恵をつけないでくれ。
私が将来そのひとりになる時がきたら、どうなっているんだろう。