僕はよく女性から男の愚痴を話される。彼女たちは期待しているのだ。
僕のような人間に一刀両断される弱者男性の脆さと、その痛快さに。
「この人は日本社会を変えるような人なのよ、もっと尊敬した方が良い」
だいぶ偉そうな他者紹介だけど、そういうのも悪くない。
「10億企業の社長だって、100億企業の社長だって、結局行き着く動機は一緒なの」
「そうでしょうね。あなたはきっとそれを知っている。そういうのって、所作に顕れるものですよね」
夜職の女性は敏感に嗅ぎ取る。どういう奴が人間として信頼に足る人間なのか。
僕は嗅ぎ分ける。どういう人に夜の経験があるのか。彼女たちはわかってほしくって、ちょっとずつシグナルを発している。
彼女たちは僕に対等を求めている。より凄いと認めた男性と対等でいられる状態を望んでいる。
自分のそういう性質を求めている人のことを僕は「この人はモテるタイプの女性だったんだな」と思う。
それは外見だけに限った話ではないが、少なくともそれなりの大学にいる女性たちが経験しにくいことを経験した上で獲得した自分を持っている。
僕は、そういう女性の方が強いことを知っている。
「それで、どうして不倫なんかするんですか?よくないですよ。奥さんのこと、好きなんでしょう?」
「あなたこそ、どうしてついてきたんですか?」
「わからない。どうしてだろ」
可能性がまわりに充ちているときに、それをやりすごして通りすぎるというのは大変にむずかしいことなんだ。
同時じゃなくたって好きでいることがあることは許容されていて、どうして同時性だけが罪になるのか。
もしそれが罪になるなら、人間は最初っから罪を背負って生きているとしか思えない。
「マツダさん、むずかしいです。わっかんねえです」
僕が二者択一を要求する時、その二つの要求はどちらに転んでも自分の望むものだ。だからだと思う。
欲しいものとか、ひょっとするとそんなものはないのかもしれない。
これはなんですか?といってお腹を摘む。
「これは愛と、夢!」
「ありったけの夢をかき集めたんですね」
愛だとか、夢だとか、一途であることとか、そんなものは実利に基づいているだけだ。
もし自分が相手の不倫を全く疑わず、自分もしないと信じられるなら、それは単にそうすることで実利的なものが得られるからだ。
あなたが専業主婦であったり、ちょっとした仕事を続けながら生きることを正当化される口実がそれなだけで、そこにモテ非モテは関係ない。
それに、きっとあなたの旦那が朝帰りをしているなら、十中八九その相手は女性だ。
「もし、結婚相手に子供がいたとして、その子たちをあなたは愛せるの?」
「雇用を経験していれば、守らないといけない人間が1人増えたところでどうってことないよ」
透徹した眼でその人の望んでいるものを見極める。
毎日がその繰り返しの時、僕はあらゆる人々の望むものを理解する。
あとは蛇口をひねって水を飲むように、それを満たしてあげたらいい。