2021-05-16

幸せになりたかった

私が小学生だった頃の、母の日か、母の誕生日だったか

母を喜ばせたいと思い、年の離れた弟たちと"日頃の感謝"の表明として、サプライズをしようと思った。

予想以上に時間がかかってしまい、夕方ご飯時になっても部屋でコソコソと準備をしていた。

部屋から出て手伝いをしろと親から何度か言われたが、私はプレゼントを作っていたので、弟に"そっち"を頼んで、黙々と作業をしていた。

やっと準備が整い、いざプレゼントを持ってリビングに行った私を待っていたのは、カンカンに怒った父と、泣いている母の姿だった。

震える手でプレゼントを渡そうとしたら、母には「そんなもの要らない」と跳ね除けられた。

失敗した、と思った。

 

小学生の頃は"いい子の皮を被った非行少年"だった。

学校はいい子だが、家では大体怒られるか、母が父の容姿を貶して父親がプチンとキレるという流れが定番だった。

からは、よく「バカ」大根足」「ブサイク」と言われていた。これは大人になっても続いている。

 

思春期真っ只中、青春真っ盛り。

あれは反抗期だったのか今ではわからないが、明確な「生きづらさ」と「家に居づらい」といった感情を持つようになった。

私の事で両親が喧嘩をしたり、私も発狂したり、親に警察を呼ばれそうになったりしたとか。

仲の良かった友人には、「ちゃんと食べてる?」「生きてる?」と心配され、ある日「たまに別人みたいになるよね」と言われた。

あの頃の自分が笑えていたのか、今となっては知る由もないが。その場で逃げられない状況に居た弟たちには、とても申し訳なく思う。

 

ただ、愛されたかったのかもしれない。それだけ、未熟な子供のまま大きくなってしまったのだ。

 

二十歳くらいの頃に、「もしかして自分の家庭環境自分にとってちょっと違う(合わない)のでは」という疑問が確信に変わった頃に、それまで棒一本で支えられていた精神が崩れ落ちた。

それまで何度か亀裂が入って折れかかっていたのにも関わらず、よく堪えたと思う。

でも、出来ることなら、もっと早く気付けたら何か変わっていたのかなぁとも思う。

から家族ぐるみ交流のある人には「それが貴方にとっての"家族"なんだよね」と悲しそうな顔で言われた。今でも心のどこかに刺さって抜けない。

 

私は愛されたかった。

安心して眠りたかった。怒られたくなかった。

甘えたかったし、褒められたかった。

私は幸せになりたかった。

 

 

子育てに正解はない。家族の形も千差万別自分は確かに両親から「愛されていた」。

過去を振り返ってフラッシュバックを起こすことも少なくなったし、自立してから、あの頃の親の気持ちが少しずつ分かるようになった。

あの頃の自分は未熟で、間違った行為も多い。到底、褒められた人生じゃない。

だけど、あの時苦しくて死に損なった自分記憶は紛れもない事実で、あの環境を「許す」ことは出来ても「無かった」ことには出来ないと。

「結局許すことができていない」感情に押し潰されそうになる時に、どうすればいいのだろうか。

 

そんなことを反芻しながら、今日ゆっくり眠る

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