https://note.com/onoholiday/n/n8cfb26fefa1e
不安を感じていた理由として、下記のような後ろ向き(?)な意見が最初は多かったからだ(私の勘違いだったらごめんなさい)
「そうだと思うが、結論は?」
「最近この手の「地獄の紹介」的記事の意味が分からない。結局嫌悪感だけ残して何がしたい?」
「申し訳ないけど読んだらこの人の不幸が感染する文章と思って読むのやめた」
「最近、この手の話題も結局は「馬鹿が多いよな。ま、私は違うけど」という消費の仕方しか出来ないってことに気づいて、つまらなくなった。」
「こいつ嫌い」 「作者名見ただけで読むきがしない」
「その他色々」
①人間って***という傾向があると思うよ。
②それが原因で現実世界では***というまずい事が起きてる/起こる と思うよ。
「だから何?」 とか 「嫌悪感が残る」 とか 「不幸がうつる」 とか 「馬鹿が多い」
だってあくまでもこの記事はこの人の意見であるので、受け入れるか、受け入れないかは個人の自由だ。
この人の意見に相違があれば、その部分について指摘すれば良いので、嫌悪感や不幸を感じる必要性がない。
「確かに人間って***という傾向あるよな。そうならないように***の時には***というようにすればよいかもな」
という様に考えれば良いだけのはずだ。
これは仮説だが、上記のようなものごとについて考える余裕が無い場合、後ろ向き(?)な意見で終わったり、人の意見に流されてマイナスな感情だけが残ってしまいがちな気がする。
上記仮説のもと、「日常生活に疲れている人の方が多いので、そのような意見や、それらの意見に同調する意見が多いのかな・・・」 と不安に感じていた。
ただ、その後
「これを「愚かさ」と切り捨ててしまうと何も変えられないのだろう。自分にもより良い未来が選択できると気がつき、過去と決別する痛みを受容するにはどうしたらいいのだろうか。」
とか
「経験したことを正当化するという性質があると認識した上で、その経験を利用すれば、経験したこと自体は有益にはできそう。それで他人に経験を強要するのは、まぁアホじゃなければ判断できると思いたい」