答えは三つある。
まず第一の答え。社会を良くするとか、優秀な個体を残すとか、そういう効果で言えば、優生思想は全くの悪手だっていうこと。落ちこぼれが存在するぐらいのほうがいい。
というのも、優秀さっていうのは常に相対的でしかなくて、常に環境に左右される。野武士が跋扈し和製マッドマックスを地でいくような感じだった戦国時代は、体力が強いことがすなわち優れた人間だった。それなりに平和になった江戸時代なら、職人的な器用さを持つ人間が優れていたかもしれない。パソコン仕事がメインの現代は、論理的な思考力があることが優秀さだとされる。未来は? それは誰にもわからない。
誰にも判らないのだから、どんな状況が来ても大丈夫なように備えていくのが望ましい。それがいわゆる「生物多様性」だ。今ある人間がマジ中のマジで落ちこぼれなら、確かに今の社会で浮上する確率は低いかもしれない。それでも低空飛行のままどうにか命をつないでいたら、時代が変わったら大逆転で天才扱いになるかもしれない。そういう天才をキープしておくことが、遺伝子的に優れている、ということだ。
だから劣ったやつを社会が恣意的に選んで殺すのは間違い。不幸せでもいいから生きてもらう。(多様性っていうのはそういう風に一部の不幸せを前提する残酷なところがある)
第二の答え。そいつが殺してほしいというのは、そもそも不幸せだからだ。そいつが優秀かどうかは関係なく、幸せにしてしまうのがよい。
つまりごく普通の福祉だよ。優性学なんて感情的に抵抗がある事をする必要は全くなくて、いまある福祉をさらに推し進めれば問題は解決する。
ただし、福祉がコストであることは純然たる事実で、われわれ人類はコストを負担できるぐらい豊かになる必要があって、そのためには福祉のコストは邪魔だったりするかもしれない。その辺の兼ね合いは確かに葛藤ではある。
ただ第一の答えで言ったようなこともあるんで、今しばらくは葛藤のなかでどうにかこうにか誤魔化し誤魔化しやっていくということだ。
第三の答えは1番目と2番目の併せ技。
優秀かどうかはおおむね個人の特性ではなく環境によって決まる。そいつが今の社会のどんな環境でも本当に幸福になれないほど無能なのかは疑わしい。だいたい本当に無能なら自分が無能かどうかなんて判断ができないのでは? 単純に職場を変わればうまくいくかもしれない。だからとりあえずそれを試してもらう。
これまでの優生思想は「有能である俺の邪魔だからあの無能どもを殺せ」って趣旨だったじゃん でも最近は「無能で怠惰である俺は生きててもしゃあないから殺してくれ」って趣旨の優...
答えは三つある。 まず第一の答え。社会を良くするとか、優秀な個体を残すとか、そういう効果で言えば、優生思想は全くの悪手だっていうこと。落ちこぼれが存在するぐらいのほう...
でもキモくて金のないおっさんは自己責任だから福祉の対象にする必要はないし職場を変えようとしても不採用にされる現実は都合が悪いからなかったことにするんですよねわかります
玄関開けたらいる人「神様についてのお話を聞いてみませんか?」
え、何?お前が俺の話を聞くの?
それって優勢思想とは違うのでは?
俺たち無能は消えるから有能な奴らだけで楽しく社会やっていってくれ!っていうのは優生思想的じゃない? もうちょい厳格な定義がいるのかな
「俺たち」だったら優生思想かな。 優秀な遺伝子を残して、そうでない遺伝子の人間は子供を作らせないとか、優秀な集団と血を交わらせないとかいうのが優生思想だから、社会不適合...
いま団塊老人を大量処分しなければ、 25年後に団塊ジュニアで絶対そういう議論になって安楽死と見せかけた大量虐殺(自死)が起きるから 安心して今のうちから先延ばしと問題提起を...