これまでの優生思想は「有能である俺の邪魔だからあの無能どもを殺せ」って趣旨だったじゃん
でも最近は「無能で怠惰である俺は生きててもしゃあないから殺してくれ」って趣旨の優生思想がどんどん出てきてる
これに現代社会はどう答えるんだ?
従来のやつへの答えは「生きたいと思っている人間を殺すことはどんな理由でもダメ」「遺伝子の多様性を考えると何を残していいかは分からない」「お前もいつか殺されることになってもいいのか?」あたりじゃん
でも弱者発の優生思想は、まず殺される側が自発的に死にたいって言ってるし、そんなこと言うやつはどう転んでも子供なんか作んないから多様性も何もないし、殺されるぞって言っても脅しにならない
社会システムに根本的に合わないからもう死なせてくれた方が楽ですって言ってきてる人間に「生きることは素晴らしい、絶対に肯定されるんだ」つってもしょうがないじゃん じゃあ肯定してくれよってことになる でも資本主義社会で就労可能なのに働かないことは許されないからそれはできない
「ショボい労働を低賃金でやらせるための奴隷が必要だから死なれると困る」っていうのが本音なんだと思うけど、それと建前があまりに離れすぎててさすがに白々しすぎるんだよな
玄関開けたらいる人「神様についてのお話を聞いてみませんか?」
え、何?お前が俺の話を聞くの?
それって優勢思想とは違うのでは?
俺たち無能は消えるから有能な奴らだけで楽しく社会やっていってくれ!っていうのは優生思想的じゃない? もうちょい厳格な定義がいるのかな
「俺たち」だったら優生思想かな。 優秀な遺伝子を残して、そうでない遺伝子の人間は子供を作らせないとか、優秀な集団と血を交わらせないとかいうのが優生思想だから、社会不適合...
答えは三つある。 まず第一の答え。社会を良くするとか、優秀な個体を残すとか、そういう効果で言えば、優生思想は全くの悪手だっていうこと。落ちこぼれが存在するぐらいのほう...
でもキモくて金のないおっさんは自己責任だから福祉の対象にする必要はないし職場を変えようとしても不採用にされる現実は都合が悪いからなかったことにするんですよねわかります
いま団塊老人を大量処分しなければ、 25年後に団塊ジュニアで絶対そういう議論になって安楽死と見せかけた大量虐殺(自死)が起きるから 安心して今のうちから先延ばしと問題提起を...