まず俺の立場を書いておくが、俺は韓国を見限ってはいない。韓国人の知人も何人かいて、彼らは虫ケラでも何でもない、立派な人間だ。ただし、その他ならぬ韓国人達が、実は韓国を見限っている。私の知人は皆国を出ていて、今住んでいる国に馴染んでいて、韓国人、特に韓国在住の韓国人との接触を避ける傾向がある。
これを見るに、「韓国」と一口に言っても、その指すものはひとつじゃないんだな、と思うわけだ。民族としての韓国、国家としての韓国、文化形態としての韓国、伝統としての韓国……という具合。だから、それを十把一絡げに「韓国」という言葉のもとに総括することは俺にはできない。
ただし、特にスポーツでは様々な問題が吹き出ているよな。サッカーは元増田が書いている例だけでなく、今現在もC・ロナウドの欠場騒動、ちょっと前にもパンダ・カップ騒動、と、まあ揉め事のネタの尽きることがない。俺はモータースポーツが好きなんだが、F1の韓国GPの一件などは忘れられない。宿舎の確保がデタラメだった結果、各チームのスタッフや有名なモータージャーナリストまでラブホに泊まらされたり、水捌けの悪いスリッピーな路面、うねったストレートを 300km/h 以上で走らされたり、発火したエンジンに粉末消火器をぶっかけられたり……まあ酷かった。運営サイドが、開催権料のみならず、問題が発生した後の違約金まで値切り倒していたのも後から分かったんだったっけ。
知人とこういうことの話になることもあるんだが、彼らが重い口を開いて言うのは「根拠なきプライドが高く、しかもいわゆる恨の思想とそのプライドがペアになっているのが問題」ってこと。「プライドを守る為なのかソフトな対応が苦手」「プライドを脅かされると今度は恨を持ち出して被害者の顔をして抗議する」これが諸悪の根源だというわけ。
しかも、恨の思想というのが、ある抑圧対象と被抑圧対象を前提としていて、各々の対象が一括りとして扱われることが問題だという。彼らはプライドに酔っているときは抑圧対象、それを脅かされると被抑圧対象の立場を取るわけだが、いずれの場合もその集団における一体感が過剰に要求される。ほら、韓国の街頭でインタビュー取ると、そこらを歩いている一般大衆が国家や民族背負ってるようなコメントが出てくるじゃん。あれは、その一体感を冒さないようにという社会的抑圧が強く強くはたらいてるからだ、というのさ。
まあ、この辺りを越えていかなければ、この先も色々揉めるんだろうと思うんだが、俺の感覚では、富裕層や高い教育を受けた人々はここから出ていくことを望むようになりつつあるし、若い子達も解放されつつあるように思う。まだ時間はかかると思うけどね。
アメリカのネットで彼らのいるコミュニティーを見てると、英語できるような若者でも日本にめちゃくちゃ執着してるのは全然めずらしくない。 プライドを脅かされると今度は恨を持...