俺はお返しの品を持って、ドッペル宅に赴いた。
自分の家にこもっていれば、お返しそのものをしなくてもいい可能性もある。
だが俺にとってホワイトデーとは、借金をした人間の給料日みたいなものだ。
支払能力があり、責任もある人間が「ただ気が乗らない」だとか、「金を出したくない」とかいう理由で、それを反故にしていい理由にはならない。
あれこれ理由をつけて、目の前の問題そのものから逃れようとするのはナンセンスだ。
「あ、マスダの兄ちゃん……どうしたの」
「ドッペル、分かっているだろう。前置きは不要だ」
俺はドッペルに箱を渡す。
中身はケーキだ。
値段はドッペルの渡したケーキとほぼ同じ。
「ドッペル、お前の言いたいことは分かる。これでは満足に足らないのだろう」
「い、いや、そんなことはないよ……」
そう言っているが、内心はそうじゃないはず。
これでは3倍にならないことは明白だからだ。
触れないし、聞こえない、匂わないし、味わえない。
実感でのみ認識できる。
では、どう認識させるか。
「このケーキはな。『何となく』で買ったものじゃない。お前が好きそうなものは何かと考えながら、複数ある候補の中から選んだんだ」
俺はそのケーキが3倍の価値だと思い込ませるために、ひたすら付加価値をつけた。
自分は苦心したのだと、お前のことを考えて選び、結果として値段自体は同じくらいになったのだと。
「う、うん。ありがとう。とても嬉しいよ」
そして、この説得は成功した。
正直なところ、賭けだった。
最終的に貰う側がどう思うかに委ねられている以上、納得してくれなければ終わりだからだ。
ドッペルが素直で助かった。
しかし、この作戦を考えていた段階からあった、違和感が未だ拭えない。
俺の真心は十分伝わったはずだ。
これで等価交換は……
俺がチョコを食えないことを知っていてのチョイス。
だから俺が同じ値段の品に真心を入れたところで、それでは3倍のお返しにはならない。
だが、気づいたところでもはや手遅れだ。
俺は、今の持ち札で等価交換を成立させねばならない。
「待て、ドッペル。これだけじゃないぞ」
「俺の愛用品だが、手入れはしてあるから新品同然だ」
俺の持ち札の中ではそれが最もマシだった。
ケーキを丁重に運ぶため、余計なものはほぼ持ってきていなかったのだ。
「あ……ありがとう!」
ドッペルの嬉々とした声、表情。
これでダメだったときはどうしようかと思っていたが、どうやらホワイトデーは無事完遂できたようである。
「ドッペル……仮に来年またくれるようなら、今度は安いのでいいからな……お返しを考えるのも楽じゃないんだ」
「え、そんなの気にしなくていいよ。マスダの兄ちゃんだって今度からは安いのでいいよ」
お手本のような「気にしなくていいよ」。
弟が帰ってきた。
「ただいまー。ドッペルに会ったけど、兄貴のお返し気に入ってたよ。すっげえ自慢してくる」
でなきゃ困る。
借金を返済したと思ったら、利子だけしか払えていなかったでは話にならない。
「そういうお前はどうだったんだ?」
「うーん……何とも言えない」
「どういうことだ?」
総論からいえば、お返しこそ貰えたものの金銭的な側面から弟はほとんど得はしなかった。
3倍返しなんていう文化は、大人たちの間では風化していたからだ。
“取り繕っても、見栄は張らない”
たぶん、そのトレンドは当事者たちにとって都合がいい範疇で適用しているに過ぎないのだろう。
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