ぬくぬくと育ちすぎで社会の仕組みがわかってないからそんなに夢がみれるんだと思う
悪いことを悪いといって正義が履行される世界というのは「正義を履行する強者」がいるとこだけなんですよ
法律というのは公務員という国家の団体を威力として投入できる根拠をもって正義としてるんですよ
ひとりで間違いをノーといっても団体を動かす原因である「適法」という範疇に押し込められたら
正しかろうが間違いだろうかなんであれ国家の集団をなした威力にひき潰されるんですよ
それが嫌でしょうから法律まもりましょうねというのが法治の平和なんですよ
一人でなにかいいことをしたとしても正義をしたとしてもそれがデメリットだとは言いません
しかしメリットという意味で期待しているそれもふってくるわけではないのです
正しいことを正しいというような形に履行させる前例をもってして法で勝てるという起動方法を
つくろうというのがムーブメントというやつなわけでみんながそうしているということの積み重ねで
ノーということで確実に不利益があり悪が履行されだれも助けがないという状況や状態などは
助けてほしいと声をあげても助けられることも確実ではありません
なによりの根拠としてあなたはどれほどの困っているという声を拾い上げ何人を助けましたか
その数ほどに助けは稀有なのです
みんなそんな声をあげてないからそんな目にはあってないはずだと思い込むのもよいですが
そうでないことは声にあげない不満や不利益があることなどはご自身でもよく感じていることでは
ないのですか
結局集団をなして威力で相手をつぶす以外に正義の履行方法はなくつぶされたほうが常に悪なのです
いまのムーブメントが正しいとしても正しくないとしても公益性にたけていても不利益が多くても
そういう転換がありそれはなんども覆されくりかえされていきます
人がやたらと安い命で死んでいく時代もありましたし弱者が働かなくても暮らしていける時代もあります
いやなことをいやだというと殺される時代もありますしいやだと個人が声をあげるだけで
無関係な正義の履行集団が相手を押さえつける時代もあるかもしれません
あなたの正義は不利益の不満は悪といっているそれはだれがどのように供給してくれるのかをまずゆっくり考えてください
その存在と使い方をいまいちど思い出して使えるのであればそれを使おうというムーブメントに乗れるとおもいます
密室でふたりきりで相手が無理を強要してきて身体能力的に回避することができず以降も社会的に不利益を
解消してくれる先が期待できない場合「ノー」という判断をしてそれを阻止することができるとお思いな
もしその不利益などない正義はあるべき「ノーと言おう」で確実に正義が履行されるのだというのであれば
「世の被害者すべては自分で選択して被害にあった至極当然の自己責任でそうなっている」
ノーを選択しなかった事が「自分も楽しんだんでしょ」と言われることの裏付けになってしまうということに気が付いてもらえれば幸いです。