悪意とか殺意とか憎悪とか、対象が私じゃないってわかってても、そのエネルギーをぜんぶ吸収しちゃうよね。そういうことがもしかしたら君にもあるって思うと、私が嫌われるとか私が君を嫌いとかそんなことにはかかわらず、私が、わたくしとして考えるほんとのこころからの願いなんて、人を傷つけたくない以外には一個もないから、自分の言葉の攻撃性を自覚してから何にも言えなくなっちゃったよ。伝えたいこととか理解してほしいこととかマジでなんもない。それどころか伝わってほしくないこと理解してほしくないことばっかりだ。それでも言いたいことってあって、何で言いたいのかわかんないけど、言わないと多分自分が死ぬんだろうなって思うよ。うんこしなきゃ死ぬじゃんね。憎悪とか好意は対象がある、その人に対して死ねって言えばいいし好きって言えばいい。それと比べると、嬉しいとか寂しいとか悔しいとかそういう私だけの感情、どこにやったらいいんだろう。絵は描けないし歌も歌えないよ。消化も昇華もできず堆積してゆくばかりのあれこれを雑多に心の中にほっといていたら、いつの間にかiphoneの下書きに感情が思考が腐敗したものがもう何百件も、裏垢でも作ったらいいのかなって思うけど、私は自分の感情をわたくしから切り離したくない、から、匿名の世界で、感情とか命とかコンテンツにするのはいやだよ。心なんて壊れればいいわたくしなどなければよいと散々思って、つらいことを重ねたら心が壊れるって思った、聖人の真似、神様の真似をしつづけたらわたくしが消えると思った。つらいことを重ねつづけたらじぶんがどんどんボロボロになって、相対的に世界がすごく綺麗にみえるようになった、しらない綺麗をたくさんみることができて、生きていてよかったっておもった。聖人と神様にはあと一歩でどうしてもなれない、ここだけ、ここだけ越えれば神様になれるんだってところまで何回もおちて、すごくもがいた、わたくしが消えるようにすごく頑張って、人の事を嫌うことはなくなった、それでも、いくら頑張っても、やっぱり誰かを好きになってしまう最後の壁が消えなかった。どんな人のことも大好きになってしまう、ちょっと話しただけでも。見ず知らずの人の事なんて本当にどうでもいいんだ、どうでもいいのに、ちょっと話したら好きになってしまう。私はとっても人間だった。心があった。道端に花が咲いていること今日も朝が来ること朝が来ない日も夜が綺麗なこと人が生きているということにいちいち心を使っていたら私の心がなくなってしまいそうなのに、それでもなくならなかった。感じる閾値が下がれば下がるほど生きているってすごくよくわかる、それがうれしい、生きていることが幸せだって心から思っちゃうこと、たのしい。知っていましたか、実は画面の向こうには人がいます。知っていましたか、実は人には心と感情があります。どこにあるのかわからないけれど確かにある、地球とは別にある電脳空間の中では、そんなことを覚えている人は誰も居ないみたいだ。さっきも言ったけどこの世界では感情も命もコンテンツになるみたい、だからすごくこわい。それでもどうしても人が好きで、ちょっと特殊な別世界でも、やっぱり現実と複雑に絡み合ってて、今日はこんないいことがあったんだ今日はこんなつらいことがあったんだ。SNS映えのしない毎日にたしかにあるしあわせ、いいねの数に数値化されないしあわせって、とっても人間らしくてすてきだ。わたしはそれをききたい、きみのそれをききたい。これをここに投稿することがもはや私の姿勢に反しているね。誰がよんでるか誰が見ているか知らないけれど、心とナラティヴをきちんと持っている神様でも聖人でもないきみといつかお友達になれたらいいな。ちょっと話したら好きになっちゃうみたいに、きみのこと、誰か知らない君の事、無条件にわたしはすきだよ。今日も生きていてよかった!