あなたは、メインテーマとサブテーマの区別もつかないんですね。
『えんとつ町のプペル』は夢の話ではない。
作者があとがきで、わざわざ太字にして懇切丁寧に説明してくれている部分をよく読んでみましょう。
この物語のメインテーマは、夢を叶えるために行動することです。
太字したり、同じ言葉を繰り返して強調していることが、作者がもっとも伝えたいことだからです。
ちなみに、例の無料公開のページには、最後にこの言葉が繰り返されています。
http://spotlight-media.jp/article/370505056378315909
他の誰も見ていなくてもいい。
黒い煙のその先に、お前が光を見たのなら、
信じぬくんだ。たとえ一人になっても。
それから「信じぬくんだ。たとえ一人になっても。」の言葉も2回繰り返されてますからね。
つまり作者は、自分は孤軍奮闘で夢を叶えるために常識破りの行動してる、とでも思ってるんじゃないでしょうかね。
なぜなら、プペルは作者があとがきで
「夢を見る」「夢を語る」「行動する」といった、大人になる過程で皆が折り合いをつけて捨てたモノをまだ持ち続けているという意味で、主人公を《ゴミ人間》にしてみました。
と書いてある通り、「大人になる過程で皆が折り合いをつけて捨てたモノ」の擬人化であるからです。
プペルとルビッチが友達になるというのは、ストーリーの「表層」でしかありません。
「そこに込められた意味がある」ということを、作者はわざわざあとがきで 懇 切 丁 寧 に 説明してくれているのに、あなたには理解できなかったのですね。
西野氏が無料公開した理由は、2000円が出せない子どもがいるから、と説明していました。
こんなに野暮ったく物語のテーマを易しく丁寧に説明するあとがきを書くのも、子どもに対して向けたものなら仕方ないかな、とも思ったのですが、あなたにはもっともっと丁寧な説明が必要だったようですね。
父親のペンダントを見つけるために物語は進んでいきますが、これを「マクガフィン」と言います。
「……ぼくの父ちゃんが、その『ホシ』をみたんだ。
とおくの海にでたときにね、ある場所で、頭のうえの煙がなくなって、
そこには光りかがやく『ホシ』がたくさん浮かんでいたんだって。
町のひとはだれも信じなくて、父ちゃんはうそつき呼ばわりされたまま死んじゃったんだ。
でも、父ちゃんは『煙のうえにはホシがある』っていってね、
ホシをみる方法をぼくにおしえてくれたんだよ」
つまり、父親は煙で覆われた閉じられた狭い世界のえんとつ町(言うまでもなく現代社会のメタファーですが)を飛び出して、外の世界で「ホシ」を見た(夢を叶えることのメタファー)という存在として描かれています。
あとがきの言葉を使うと「常識に屈せず」、夢を叶えるために行動した「モデル」として描かれているだけで、愛してくれた父親としての思い出が語られるような描写はありません。
これを親子愛の物語だというのは、「天空の城ラピュタ」が親子愛の物語だと言っているようなものですよ。
私にもお話しする相手には「下限」がありますので、あなたへのお返事はこのへんで終わりにしておきます。
作者があとがきで、わざわざ太字にして懇切丁寧に説明してくれている部分をよく読んでみましょう。 えんとつ町は、夢を語れば笑われて、行動すれば叩かれる、現代社会の風刺...