親は、子供を産むことの意味、リスクを事前に知ることができる。
無論、万人が知識を満足に得られる訳ではない。
親は、人生の中で産むタイミングをある程度コントロールできる。
当然、その選択を行うことは私ごときの想像を絶するストレスがあるだろうし、
宗教、道徳、社会的外圧によって、単に医療の限界によって不可能である場合の方が多いだろう。
どんな親の、どんな時期に、どんな時代に、
選択する機会はない。
例えるなら、夜寝ている間に、部屋に忍び込まれて印鑑を盗まれ、
勝手に婚姻届を出されて受理されてしまうようなものかもしれない。
もしかしたら親が子作りをした晩に、夢で産まれてくる前の魂か何かと面会して
契約書にサインでもして、そのことを忘れているのかもしれないが
自分自身の人生をどれだけ努力したところで完全に自由にはできないのと同じように
生まれて20年で自殺するかもしれないし、15年で他殺されるかもしれないし、10年で餓死するかもしれないし、
5年で事故死するかもしれないし、3年で親兄弟が殺すかもしれないし、1年足らずで病死するかもしれない。
胎内で死ぬことすら受けられる医療によっては珍しくもないだろう。
親、というより人間は責任なるものを持つには無力すぎるからである。
人間にはどうしようもないことは他にも無数にあるが、出産は特に不可逆性が強い。
例えば物を壊した責任、盗んだ責任、ケガをさせた責任くらいなら被害者が納得する賠償もありうるが、
産んだ者に対して幸せを保障することも、なかったことにすることも不可能である。
人を殺した責任など持ちようがないことと、もしかしたら似ているかもしれない。
ここに重要なのは、子供を産むことは善であるとか、悪であるとか
好ましいとかそうでないとか、必要か不必要かとか、本能だとか愛情だとか
そういった瑣末なことではなく、
それだけ恐ろしいことである、ということだ。
それだけ恐ろしいことをしている者は、勇敢なのか無謀なのか
恥ずかしいポ エム終わり