先日仕事の質に対して厳しいお客さんから良い仕事をしていると言われた.おそらく飴と鞭のうちの飴を使ってこちら側のやる気を引き出そうとしているのだろうが,分かっていても嬉しいものであると実感した.確かに普段厳しい人から褒められると,「よし,頑張ろう」という気になるものである.常に「何かかが足りないからもっと頑張れ」とかいつも「ここが駄目だ」という批判ばかりだと,全ての人が奮起して見返してやろうという気持ちで頑張るということは無いものである.緩急,剛柔,信賞必罰,上手く使いこなす事がいかに大事かを実感しその意義を学んだ.自分の今後に活かそうと思う.
最近妻との関係が冷めてしまった.きっかけは些細なことだが,妻が(半分冗談だったのだろうと期待しているが)自分に対する愛情という情も無くなったと彼女の友人に話しているのを知った.そのちょっと前にお互い尊重し合おうという旨の長文メールを送ったのだがそれもその友人に見せて二人して「何が言いたいのか分からん」,とか「お前の大変さなんか知らねーよ」,というような小馬鹿にした会話を繰り広げているのを知った.そうやって日頃の自分に対する不満や子育てのストレスを発散しているのは分からなくもない.分からなくもないし,自分に色々落ち度があるのも理解しているつもりだが,自分の家族とちゃんと向き合わないで,こちらが珍しく真面目な話を伝えると家族外の人間とその話をネタにしてふざけるという行動を取る事には腹が立つ.自分に色々落ち度があるにせよ,自分のことをもう愛情すら無いと宣言する相手と家族を続けて行けるほど自分は能天気な性格では無い.真剣に離婚を考えていた,というか今でも考えている.子供はまだ幼稚園にも上がっていないのだが,自分が引き取って育てて行きたいと思う.妻はいなくてもいいや,と思っていた.
そんな時,久しぶりに近所の喫茶店に遅めの昼食を食べに行った.帰り際にマスターに声をかけられた.もう5,6年は通っているお店なのだが,声を掛けられたのは多分初めてだと思う.「お子さんがいるでしょう」と言われて,最初はどこに?と思って何回か聞き返してしまったが,自分の子供のことを言っているのだと気付いた.この前お店の前を妻と子供と通り過ぎたのを見たそうである.そして二言三言適当な話をしてお勘定を済ませて店を出ようとしたら「今が大変だろうけど頑張ってね」と月並みなことを言われた.しかしこの何でも無い一言が今の自分にはぐさりと深く刺さった.今は確かに大変である.仕事も家庭も上手くやれているとは到底思えない.自分は離婚をして楽になろうとしていたことを見透かされていたようだった.世のお父さんお母さんはみんな大変なのである.自分はそんな大変な思いをする覚悟もなく結婚してしまったのだろうか?ちょっと文句を言われたから,ちょっと自分の思い通りに相手が行動してくれないからといって,簡単に離婚を考える程度の覚悟しかしていなかったのだろうか.
どんな覚悟をしていたか自分自身でも分かってないが,今自分が問題だと思っていることは、「こんな程度で離婚を考えてしまうのか,浅はかだな」という程度のことなのかもしれない.自分のパートナーと真剣に向き合うのは相手ではなく自分自身に対して言うべきなのかもしれない.言っても変わってくれなくても,そういう相手を選んだのは自分だったはずである.離婚は簡単に出来る.その後ある面を見れば楽にもなるだろう.でもそれは本当に自分の望むことなのかどうかは良く分からなくなってしまった.もう一度妻とちゃんと向き合って対話してみようと思う.それでも駄目なときはそれまでだったということなのだろう.
そのちょっと前にお互い尊重し合おうという旨の長文メールを送ったのだが 言葉や話し合いで分かり合えると勘違いしてるヤツにありがちなミス
お前の嫁さんその喫茶店のマスターとできてるよ間違いない もう少ししたら嫁から妊娠報告がくるぞ