2016-02-19

もうブクマ言及されてたけど

映画を月200本見てようがなんだろうが、人の薦める「名作」とはどこまで行っても

「俺の好みにぴったり一致した作品」という意味しかない。

「いや、お前がどう思おうが世の中には名作と呼ばれるものがある」と言う人に聞きたい。

それは何故名作と呼ばれているのか?何か個々人の感性依存しない客観的指標があり、

それに沿って採点していった結果合計点が90点を超えたんで名作、ということか?

違うだろう。

その作品は恐らく、非常に多くの人が面白いと言った作品か、すごく影響力のある人が

面白いと言った作品のどちらかだ。多くの人が面白いという名作とはつまり「多くの人の

好みの最大公約数となるポイントをきっちり踏んでる作品」という事だ。だから無論好みが

その最大公約数から外れる人からしてみれば面白くないことだってある。後者については

何をかいわんや、世の中で言う「審美眼」なんて言葉や「評論家」とか「鑑定士」みたいな

仕事を俺は一切信用していない。いや、仕事として存在するからにはそれなりに世の中での

コンセンサスはあるんだろう。さっきの「好みの最大公約数」を毎回踏み外さずに的確に

語れるなら確かにそいつの言う「面白い」は多くの人にとっての「面白い」なんだろう。

だが何度も言うがそれが俺の「面白い」「美しい」と常に一致するという保証がどこにある?

この世で一番うまい飯がセブンイレブンのタコチャンジャに決定した世界で、その世界

グルメを極めたGackt似のセレブ王が「この料理オススメ!」と言って来たら多分それは

辛いだろう。そして多分足が8本ある海産品が使われている。ヤマザキチーズ好きのための

チーズケーキでは多分ない。だが俺は何よりチーズケーキが好きだ。タコチャンジャより

好きなのだ。そしたら後は殺し合いだ。仕方ないのだ。そういうものなのだ



話がそれた。

まり何が言いたいって、人に何かを薦める時はお前の嗜好をまず教えろという事だ。

情報伝達の極意とは「目的を人に伝える事」ではなく「人を目的地まで運ぶ事」だという。

伝えたいAという事象があるとき、それをαという地点から眺めている自分とβという

地点から眺めている相手では、同じAを見ても受け取る理解が異なるということだ。

から本当に自分理解するAという事象自分理解通り相手に伝えようと思ったら、

まず相手のβという地点がどういうところかを理解した上で、αという自分の地点から

眺めた時と同じ理解になるよう工夫してAを説明する必要があるのだ。

そういう意味では不特定多数に何かを説明するプレゼンレビューは受け取り手一人一人の

地点を細かく理解し、オンデマンド説明の仕方を変えるのは不可能だ。だから自分のαという

地点をまず公開し、「ここからAを見るとこう見えますよー。それがいい景色なんですよー」と

説明するのだ。そうしてやっと初めてレビューというもの読み手にとって価値あるものになるのだ。

自分性癖パンツも下ろさず作品概要やら手法やら監督の想い?みたいなもののみを語って

人にモノ薦めて価値観の殺し合いを無駄に誘発する、あと一人称にボクとか使うレビューサイトなど

害悪しかない。



結論

レビューサイトは全員エロゲカウントダウンを参考にしろ

http://www.ne.jp/asahi/pero/ecd/howto.htm

  • 正直嫌いだけど好きな人の感覚もわかるようなのとか 自分の気持ちは置いといてこの人ならこれおすすめするなって作品ないの?

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