2015-01-23

名前を書いてはいけない例の人について

名前を書いてはいけない人のアカウント閉鎖がずいぶん盛り上がっているようだ。この件に関して自分は以前から不思議に思っていることがあって、それはこの人がまだ子供でしかない、という事実を忘れている人が実に多いように見えることだ。確かにこの人は影響力がある。またちょっとどうかなと思うようなRT晒しあげなんかも多かったことは事実だが「そこまで含めて子供やらかしたこと」でしかない。いってみれば、ガキに大金ピストルを与えたような状態だ。問題なのは、チャンスさえあれば子供でも大金武器を入手できるインターネットというもの構造にある。この人はその表現ひとつしかない。

確かにこの人は子供にしては賢かった。しかし考えてみればこの程度に賢い子供はわりといる。そうした賢い子供が表面化、あるいは問題化しないのは、賢い子供は黙っていたほうが得策だと理解しているからだ。この人はたまたまものを言う手段を持っていたし、周囲にもそれを歓迎する環境があった。

なので、問題はただこの人だけの特殊ものではない、ということだ。実際に被害にあった人がいようと、それは「しょせんガキのやったこと」というのが大人の態度だろう。少年犯罪前科に問われないのは基本的にはそういうことだ。人が死のうがなにしようが「しょせんガキのやったこと」であり「よく教育すればわかるはず」という建前のもとに法律はできているんだろう。

もともとネットでは、書かれた言葉がひとり歩きしやすい。目の前の子供が賢しげな顔をして理屈をいえば「なんだこのガキ」と思える大人でも、ネットではなかなかそのことを実感するのが難しい。相手が影響力という名の暴力装置を持っていればなおのことだろう。

ネットは昔にくらべてずいぶんとすっきりした見通しのいい場所になったもんだ、などと思っていたのだが、実際のところそれは錯覚であるらしい。

ネットにつながる端末さえあれば、たとえ5歳の子供でも、90歳の老人でも同じシステムを利用して発言でき、それは完全に平等に並べられる。その意味インターネットはよくも悪くもクソ平等だ。しかしその平等サバンナ平等に似ている。サバンナという場所を与えられて、同じ動物やってるという意味では平等だが、そこはむき出しの力の支配する世界だ。充分にカオスである

いつかはこんな場所も整備されていって、秩序だっていくのだろう。20年かかるんだか30年かかるんだか知らないが。少なくともインターネット存在自明のものとして認識している世代社会の中心的存在になり、教育必要性を感じるそのときになるまでは、カオスは続く。

というより、そもそも現状にしてからが、インターネットにいるの大人だけってわけでもないもんな。7歳だって102歳だってはてなアカウントを持って、年齢を明かさなければ、外側からは年齢に関しては推測しかできない。

  • ずれすぎだろう 弱い者虐めを趣味にしているゴミクズに目をつけられていただけだぞ? http://anond.hatelabo.jp/20150122190109 こういうのを見れば分かることだろうに またちょっとどうかな...

  • 実際は母親がやってるってのが定説だったし ステージママの営業の一環と言っても結局ブレイクする事はなくローカル有名人レベルにしか行けなかったし 「子役」でなくなる年齢ももう...

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