これ読んでも関数型分からないけど、入り口の前あたりに立つために
プログラマとしての引き出しが増える。
って書くと「そんなもんどんなプログラミングテクニックだって一緒だわ」って言われそうだけど、でもそうとしか言い様がない。
とりあえず、オブジェクト指向と同じで、プログラムを構造化して、複数のレイヤーに切り分けて部品化していくテクニックだとは言える。
ただオブジェクト指向とは大分切り口が違う。何ていうか、割と直交する切り口でプログラムの構造を切り分けていく。
なので、関数型とオブジェクト指向と両方憶えるだけで、大分切り口の引き出しが増える。
オブジェクト指向と関数型両方憶えると、プログラマとしての引き出し増やすのに効率が良い、って思えば良いかも。
オブジェクト指向は、プログラムの各部品を「あれの中のこれの中のそれの中にあるあれ」みたいな感じで組み合わせる。
部品が更に細かい別の各部品で構成されていて、それぞれの部品が噛み合わさって、複雑な一つのプログラムを構成するような切り方。
関数型言語は、プログラムの部品を「あれをした物にこれをした物にそれをした物にあれをする」みたいな感じで組み合わせる。
もっというとプログラム全体を簡単に記述するできるDSLがあって、そのDSLを簡単に実装するためのDSLがあって、DSLの入れ子構造で一番小さい部品はシンプルな関数、みたいな切り方。
ケースバイケース。
ではあるんだけれど、シンプルな部品を大量に組み合わせて構成するのがしっくりくるならオブジェクトで、部品数が少ないんだけど一個一個が複雑な動作する構成にしっくりくるのが関数型……かも?
関数型言語たる条件として「関数が第一級オブジェクト」ってのがあるんだけど、関数が第一級オブジェクトだとイミュータブルなデータを素直に扱える。
で、イミュータブルなデータ構造使うと色々便利、ってことで実例として一番出てくるという。
関数型言語のエポックメイキング的な言語が三つくらいあって、元祖のLispとその流れ汲んだMLとMLの一種で関数型をある種の到達点に持っていったHaskellって感じ(独断と偏見)。
で、このうちのMLって奴が、プログラミング言語に型システムがついてるんじゃなくて、型システムにプログラミング言語がついてきた存在だったりする。
型で色々やるために生まれたわけで、まぁなんというかそもそも型と密接な関係にあって、Haskellもその流れを汲んでて、こいつが超有名になった、って感じ。
おかげさまで、型使って色々やったりする方法が日々考えられているわけです、静的型付関数型の世界では。
関数型言語ではよく「関数と関数を引き取って、合成した関数を返す関数」みたいなのが使われるんだけど、関数と関数の合成って、それ合成された関数がもともと引数として与えられていた関数憶えてないと無理やん? 自分自身の構成部品憶えてられないわけだから。
クロージャあると憶えててくれるわけですよ。
そんな感じで高階関数を実用的なレベルで使うのには大体必須と言う。
関数型言語はDSLを作りまくる言語みたいに書いたけど、モナドはちょっと複雑なDSLを簡単に作らせてくれる仕組みだと思っとけば良い。
まず純粋の定義だけど「全ての関数は同じ引数を与えられた際、必ず同じ値を返す」ってことで、これがいわゆる副作用がないって状態だ。
で、これって逆に言えば「プログラム内である関数に対して、絶対に同じ引数を与えさえしなければ、その関数がどんな値を返したところで、事実上純粋だと言えてしまう」ってことでもある。
本末転倒感があるんだけど、HaskellではIOモナドという仕組みと特別なmain関数を使って「呼び出すたびに絶対に違う引数を自動的に関数に与えてくれる仕組み」を実現していて、こいつを使って入出力する。
うん……凄い本末転倒。ちなみにこの自動的に与えられる引数はRealWorldって名前がついていて、要は「刻一刻と変わり続け絶対に同じ状況にならない現実世界の状態を引数に取っちまっているようなもんだからしょうがないだろ?」的な感じ。
毎日誰かが書いてる様な内容をここで書いて何が楽しいの? 何の承認欲求を満たしたいの?
逆逆。 だから増田に書くのですよ。 どこにでもあるものだけど、自分の学習をまとめるために車輪才発明的に説明書くなら、増田が一番良い。
なんで? 増田ってレベル低いから間違ってても指摘してくれないし何の意味もないよ?
なんで? 増田ってレベル低いから間違ってても指摘してくれないし何の意味もないよ?
ツッコミは多いよ。 自分のブログに書くよりは。
そりゃお前の何も意味のないブログは誰も見てないだろうけどさ。。。 ここで指摘されても指摘自体が間違ってる可能性のが高いのに。。。