実家に帰ってメシを食った。
実家までは電車で1時間ほどだが親と特に仲良くしているわけでもないので帰るのは年に数回だ。
テレビでウクライナのニュースが流れると「ホント、ヒドイな。ロシアが好き勝手やるからこうなるんだ。」と言う。賛否ある部分だと思う。ロシアだけをそんな単純に非難できるのだろうか?老化が彼の脳を鈍らせメディアが流す一方的な意見を鵜呑みにしてしまったのだろうか。
そんな感じでボケーとニュースを見ながら雑談をしていたら年金の話になった。
父親は団塊特有のメンドクサさもあるけれどまあバカではないし、政治的な考えは自分と近いと思っていた。
父親曰く、自分には企業年金もあるからまだマシだが、それが無ければ月に7万しかもらえない(夫婦で14万って事か?本当にそんなに少ないのかどうかは知らない)。保険料は毎月1.5万も取られる。国はもっと福祉を厚くしなければならない。北欧などはそうなっている。
北欧の高税率社会も破綻の兆しを見せていることを知らないのだろうか?いや、そんな事よりも同じような政治観を持っていると思っていた自分の親が、税金はもっともっと老人のために使われなければならないと考えていることがショックだった。どこにそんな余力があるというのか。出生率向上とかの方が優先ではないのか?答えの出しにくい問題だとは思うが、自分たち世代の利益だけを見据えて断定的に語れるテーマでは無いとも思う。それを恥じらいも留保もなく言い切る父親に愕然とした。
弟が最近自営業を始めたのだけどそれを指して「自営は大変だ。サラリーマンが一番いい。それが安定的で幸せへの道だ」みたいなことを語る。極一部を除いてそんなに安泰で安心なサラリーマン生活など今の世の中には存在しないとおれは思う。それでも彼はサラリーマン生活を盲信している。
定年退職後に暇を持て余してるので小遣い稼ぎになにか仕事をしようと探しているようなのだけど、「65も超えるとなかなか雇ってもらえないんだよ。なんの仕事したらいいだろうね?」とたびたび言う。何か資格を取れば?とか、大企業に属していた時の人脈で何か会社を作れば?とか、英語もできるんだし小規模な貿易でもやれば?とか、ネットショップは?とかいろいろ言ってみる。彼はそれらをまったく聞いていない。聞いていないから否定もしない。結局はそういうことなのだ。彼にとっての喜びはどこかの組織の一員になり月給をもらう事なのだ。
これが歳をとるという事なのかもしれないし、団塊世代特有の考え方なのかもしれないし、彼の個性なのかもしれないけれど、身近な人であるのに決して理解しあえないんだなあと思うと少しさみしくなった。こう書くと「人と分かり合えるなんて幻想プギャー」とか言われるのはわかってるけど、別にそんな無垢な妄想みたいなことを考えていたわけじゃない。あまり父親と接してこなかったので、小さくなった親の背中に今さらながら気が付いたというだけの話なのかもしれない。なんとも言えない残念な気持ちだった。
かなり優秀な人間でも子育てにリソース割いたら自分の頭で考える余裕なんてなくなるから、そのまま歳食ったらそんなもんだろ。
仕事やめて情報や人との交流絶たれると視野が狭くなるのは必然