2013-11-25

父親が上座に座る家族の者ですが

http://anond.hatelabo.jp/20131124203412を書きました。反応があったのは初めてで驚き。私の出生について疑う斬新なコメントも含め興味深く読んだ。

書いたとき自分でも胸のつかえの正体がよくわかっていなかったが、いくつかのコメントを読んで腑に落ちた。

あれは、家族うんぬんというより、単純に「自分けが知らないことへの恐怖」だったのだ。

周りの人が知っていることを自分けが知らないということ。入ったばかりのバイト先、欠席した飲み会の話、初めての海外旅行。これまでにもいろんな所で経験したことだった。しかしたいていの場合、「知らなかったこと」をここまで気にはしなかった。今回は、それが家族という勝手知ったる(と勘違いしていた)場所だったから、自分の中で葛藤があったのだと思う。

コメントで、許されるのは子どものうちだと書いているのがあったが、私は自分がこの手の非常識を今後もやらないとは断言できない。この世界には自分の知らない常識が多すぎる。

から大事なのはやはりその後の対応なのだと思う。「知らなかったこと」を認め、知識として受け入れること。家族で上座下座というのは個人的には常識とは思えないが、ここで私個人の感覚などどうでもいい。うちの家族ではそれが常識なのだ。一つの社会として、その社会での常識にならおうと思う。素直に今度から気をつけようと思える人間になりたい。

確かに私は幼いのだと思う。母親が見かねて、教育に入ったのかもしれない。それで思ったのは、大人に対する敬意というのは教育できるのだろうかということだ。それこそ自然と身につけるものなのではないか。親がそんなことを言ったらなんだか押しつけがましくなってしまう。そういう点では、席次というのは敬意が視覚化される良いルールだと思う。

前のを書いたときは、非常識コールが来そうだなと思ったら案の定その通りで、みなさん非常識人間説教することに飢えているんだなと思ったが、中にはどきりとするような意見もあったし、何より私よりも私の心理を突いているコメントのおかげで自分なりに今回のことを消化できたので、やっぱりここに書いてよかった。しかし改行のタイミングが難しい。

記事への反応 -

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん