http://lkhjkljkljdkljl.hatenablog.com/entry/2013/08/12/004216を読んで思い出したことがある。
思い出したから書いているだけで、それ以上でもそれ以下でもないことを先に述べておく。
1950年代生まれの女性がいる。叔母ではないが、記載が面倒なのでここでは叔母ということにしておく。
叔母はそこそこの中学を出て、慶応女子高に行った。当然、高校を出たら慶応大学に行くつもりで。
当時は1学年3クラス150人弱、半分くらいが中等部からの持ち上がりで残り半分が高校受験して入る。いずれにせよ、東京とその近隣から通う女の子ばかりだ。
受験して入ってきた下町のクラスメイトが2年になったときに驚いた
彼女以外の全員がびっくりした。
このクラス、じゃないよ。
たまたま勉強ができたので、中学の担任が異様な熱意を持って彼女とその両親に慶応女子高の入試を薦めた。
なので、彼女は慶応女子高を受けた。通学もそんなに時間がかからないし、悪くないと思ったからだ。
でもそれ以上のことは考えていなかったらしい。
大学なんて、本当に一部の特別な人が行くところで、中学で勉強ができたからといってみんながみんな行く場所ではない・・・彼女の頭の中では、世界はそうなっていたのだ。
「だからなに?」
彼女は女だったから、大学卒業後、就職先で結婚相手を見つけて家を出た。その地域を出た。高学歴の人がたくさん住む地域に、移っていった。
けれど男だったらどうなったのだろう。
就職しても転勤が無ければ、親元から会社に通っていたのだろうか。
近所の飲み屋で幼馴染と顔を合わせたときに、仕事とは別によぉよぉと話をうまく合わせられたのだろうか。
結婚相手は幼馴染から選べたのだろうか。それとも大卒→就職した大企業の仕事ぶりに合わせた相手を選んだのだろうか。
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もう一人、私の友達のことも書いてみる。
関西生まれで、彼はトップクラスの国立大学の工学部から大学院に進み、研究所勤めをしている。
彼の両親は中卒で、兄3人も高校中退。彼だけが勉強の人だった。
仕事の関係で東京で暮らしていたけれど、めったに関西に帰らなかった。
なぜ帰らないのかと尋ねた。
「帰ってもだれとも話が合わないから」
勉強する環境っていうものを親も理解していなかったから、両親が自分のためにテレビを着けるかつけないかでけんかするのがテレビ以上にうるさかった。
兄たちの宿題は小学校のころから全部自分がやっていた。面白いと思うものがあっても、兄弟とも近所の男の子たちとも共有できなかった。
兄たちは好きだ。でも、兄も両親も「会社で働く」ということが分からない。だから「最近どうしてるの」といわれて、返事をしてもまったく会話にならない。
好きだけれど、会話が成り立たないんだ。だから帰りたくないんだ。