はいはいおまえもなwwwwwwwwwww
やきもん家のあれこれ:ひとりごと - livedoor Blog(ブログ)
最近の研究により、論理的思考能力は、男性ではテストステロンが少ない方が成績が良く、 ... 理系の男の人は、思春期以降はテストステロンは高くない、、とされてました。 ...
君はもう自由。
家族のことは放っておきなさい。妹が出来婚なら、もう結婚にこだわる必要もない。子供を産まなければならないというプレッシャーからも解放されてる。会わずにいたいなら、会わないで済む環境を整えること。それには実のところ、お金が必要です。
そりゃ結婚もしたかった、子供も産みたかった。漫画家としての名声も、家族の理解も欲しかった。その気持ちはわかる。
でもこだわり続けるのは、勝てないばくちに金をつぎ込むようなもんで、最終的に破滅するような大ばくちに人生をかけたりとかしてしまう。人生に逆転なってそうそうないから。肩すかし逆転なんてしょっちゅうだから。
割合とんがった人かなと思う。そういう人になにが合ってる考えてみると、ダブルワークぐらいやっていいんじゃないかと。今の会社がいずれ傾きそうなら、それこそ次になにをするかの当てぐらい自分で開拓するとか。暇で貧乏だからよけいなことを考えるわけで。
個人的にはお金を数えている時が一番落ち着く。日雇いだけでど、生きてる。負けてるけど、でも借金はしてない。まだ戦えると思ってる。根拠ならないよ。まだ戦いたい。
ばかかてめー語るるに落ちようが論理性があろうがまったく反省しないのが感情的なマッチョなんだって言っただろうがカス
匿名で地位がどうたら言ったって何の証明にもならねえんだよクズひれ伏せ雑魚が
大衆の分際で俺に逆らうな
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2009033002000071.html
おまえよりは明らかにかなり社会的な地位はあるし、昼間っから酒かっくらってグータラしてるやつよりは普段から鍛えてるから筋肉あると思うよ。少なくともお前は馬鹿だしな。昨日自分が論理性を持ってることを言わせてやっただろうが。さっさと死ねよ。それとももう忘れたのか。ばかに効く薬はねーな。
結局、ごねた奴が得してんじゃん。気分悪い。
JRの件は、最終的に全面禁煙にする為の、分煙だったと思うな。つまり目的達成しただけ。
いきなり全面禁煙だと文句が出るからね。
社会的にもそういう風潮になってきていて、もはや喫煙=専用スペースでって認識になってきている。
そうすると目につくのは路上で歩きたばこしてたり、禁煙な所で吸ってるモラルの低い連中。
禁止されてる事をしている以上、叩きやすいよね。
んで、たばこ=悪に仕立て上げるってわけだ。
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最近の研究により、論理的思考能力は、男性ではテストステロンが少ない方が成績が良く、 ... 理系の男の人は、思春期以降はテストステロンは高くない、、とされてました。 ...
question:1238427293
自分にコダワリがないのなら、なんでもない音にするといいと思うんだけど。
これが40代以上なら、変な話「おっ?拘ってますネ」になるんだけど、
それは”40以上にもなってそんな細かい所に注力するなんて”という目線であり、
そこから何が好きだの、娘が勝手にだのという話にもなる。
「30過ぎの男」の括りが曖昧だけど、
20~30代の男って、やたらと拘って(A.K.A周囲の視線なんて気にせずに)
最近、ぶっちゃけチャラっとしてそうな同僚(20代)の着信が「黒電話の音」という地味な物だと知ったとき、そっちの方が断然カッコイイ事に最近気付いた。
あれ?と思って、聞くとこんな返事だった。
前は流行の曲とかまめにDLしたり、好きなアーティストをかけてたけど
別に電話がかかって、取るまでのたかが一瞬にかけなくてもええやん、と。
誰に向けたものでもない、俺が気づけばいいんだから、と。
でも、これもギリギリでも20代だからカッコイイんであって、
30にもなったら、「どうでもいい」話かもしれない。
そしてただイケな気がしないでもない。
所謂「弱者救済」ってやつであって、権力を持てば云々と言うわけではない。
弱者(=嫌煙家)の救済のために強者(=喫煙者)を、会社や社会が封じ込めていると言うだけ。
まあ、会社や社会で権力を持てば変えられるのかもしれないけど、世論や世界の風潮として「喫煙=発がん性・催奇形性・中毒性等=悪」というイメージがある上実際に害はある訳で、そこを変えていかないといけないだろうな。
ちなみに、民主主義における最大の権力者は「市民」であることを忘れてはならない。
いくら筋肉がモリモリだろうと、いくら東大法学部首席卒業だろうと、市民と言う束の構成員でしかないんだと言う自覚を持たなきゃならん。
そうでなければ革命だ。
東京メトロや都営地下鉄はとっくにホーム含めて構内全面禁煙(だよね?)だけど
気にせず吸ってる人ってあんまり見た覚えないなぁ…いる?
「地下鉄の駅構内は吸えないところ」って意識が浸透してるように思うんだけど。
JRもすぐ浸透しなくても、5年10年経つうちに
「駅ってのは吸えないところ」って浸透していくんじゃないかねぇ
それでいいと思うけど。
[2009.3.31]
解散のタイミング。
北鮮のミサイル発射に対して、民主、共産、社民、国民新の野党4党は、国会決議を作るのに、反対の意見を表明している。"安保理決議違反"という文言を外し、"弾道ミサイル"を"飛翔体"と言い換えるように要求を出しているという話である。
しかし、この問題こそ、衆議院の3分の2を使って強行採決し、参議院に下駄を預けて揉めさせるべき問題なのである。参議院では野党4党が過半数を握っている為に、確実に反対してくる。勝手に参議院側の決議案を出してきたり、決議が止まっている間に北鮮のミサイル発射の事実が確認されたならば、その時点で、衆議院を解散して民意を問えば良い。郵政民営化で、参議院で否決されたから衆議院を解散するという荒業を使ったが、同じ事である。二つの決議案がそのまま、どちらの決議を選ぶかを問う公約になるのである。
これは、おそらく、主体的に解散権を行使できる最後のチャンスとなるであろう。経済状況が好転する見込みは無く、政治的に、国民の信任を得るには、外敵を利用しなければならない状況にある。
参議院の任期はまだまだ先なので、たとえ衆議院で単独過半数を維持したとしても、国会運営は厳しいままとなる。しかし、直近の民意という錦の御旗を掲げられるというメリットは、根拠の無い衆議院の3分の2を振り回すよりも実利が大きい。
野党4党に売国政党という烙印を押して選挙を戦うというのは、ばら撒きをしなくても政権を取れるという実績を作る、一つの方法である。
政治家は国民の意見を代表する仕事であり、政治家個人の思いつきやアイディアを好き勝手にやれるというわけではない。道路を引いたり箱物を作ったり補助金をばら撒いたり、公共工事の入札に参加したいならば政治献金を積めと業者に圧力をかけたりといった事を、国民は望んでいない。それから利益を得られる個人は望んでいて、その個人の発言力や影響力が大きいと、あたかも国民の意見であるかのように錯覚して、走り出してしまうのであろう。だが、日常の政治活動報告において、それを正直に報告できない以上、国民の望んでいる事ではないという事を、政治家自身も理解しているという事になる。
議員仲間や秘書や官僚や企業やマスコミといった、利権や栄達を求めて自ら近づいてくる人々よりも、国民を選ばなければ、それらの人々に担ぎ上げられた軽くて馬鹿な神輿になってしまう。
国民の支持を得ていない為政者は、それらの人々の支持を得て神輿にならなければ、地位を維持できない。利権をばら撒き、人事権を渡し、天下り先作りに協力するだけとなる。しかし、国民の支持を得ている為政者ならば、それらの人々の支持が無くても地位を失う事が無い為に、政治がやれる。公共工事の予算を削り、人事権を行使し、天下り先を潰せる。
政治をやりたいのか、政治家ごっこをやりたいのか、この数日の間に、今の内閣の性質が判明するであろう。議員立法として、過激な対北鮮決議案をぶつけるという手段で、次期首相への名乗りをあげる者が出てくるというのも、面白いであろう。
[2009.3.30]
知識がお金になる時代の終焉。
知っている人が得をし、知らない人が損をするという情報の非対称性は、あらゆる取り引きに存在している。その一番極端な例が金融取引である。買いたい人は売りたい人が居なければ買えないわけで、買って利益が生まれる理由を独り占めしておかなければ、売りたい人を増やせない。同様に、売りたい人は、持っていると損をする理由を独り占めしておかなければ、買ってくれる人を増やせない。
知っている事が利益になり、知らない事が損になるという、知識がお金と等価であった時代の仇花がCDSであり、CMO(Collaterized Mortgage Obligation)であった。それらの加工された債券は、元本である債権の情報が隠され、高格付けの高利回りの債券として売られていた。
それらの偽装された格付け情報を信じて買ってしまった所が、大火傷をしている。
インターネットが社会に受け入れられたのは、知識を手に入れやすくなるという点を評価した人々が飛びついた為である。しかし、それが一般化すると、知識はあって当然であるという状況へ向かう事になる。
つまり、知識・情報を独占して間抜けを騙して損を背負わせるというアンフェアなビジネスを否定し、地道に汗水流して働く事でしか利益が発生しない社会へと向かう選択となっているのである。個人の利益の為にとった行動でも、全員が同じ行動を取ると、誰も利益を独占できないばかりか、社会の構造自体が変化していくという結果に繋がるという、興味深い変化でもある。
金融バブルと違うのは、こちらの方は、その変化を続けた方が、社会全体にとってメリットが大きくなるという点であろう。
このwebで、著作物の独占的所有権を否定して、情報を生み出す能力を評価する仕組みを提唱しているのも、同じ文脈に沿っている。
医療・介護費用の削減においても、いろいろな取り組みが行われているが、究極的には、知識の独占を解除するという方向に進まざるを得ないであろう([2008.2.9])。知識の独占がある為に、病院に行けば治してもらえるし、治らなければ期待を裏切られたとして裁判沙汰になるというトラブルが発生しているとも言える。患者の側に、病気に対する知識と、どれだけの費用をかければどれだけの事ができるのかという知識があれば、無理難題の持ち込み先は病院ではなくなる。
病気で苦しんでいる人に、病気に対する知識や治療法を説明して、説明にかかったコストを請求するなんて事は、神経を逆撫でするだけでしかない。合意を取り付ける為には、相手に十分な知識がなければならないが、その知識を相手が持っているかどうかなんてことは、誰にもわからない。文書で説明し、サインを求めるという手段で説明と合意は成立したとしているが、訴訟対策でしかない。
どんな名医でも、自分の身体を手術できないし、レントゲン等の個人所有するには高価すぎる機械を使うには、それを所有している他人の手を借りなければならない。この、サービスの対価が医療・介護のコストであるべきである。知識を独占する事は、利益の源泉ではないし、むしろ、デメリットの方が増えていくという状況が、生まれつつある。
知識の独占が利益の源泉であるという考え方は、軍事においては正当化される。それは相手が滅ぼすべき敵だからである。共存しなければならない相手に対し、軍事ドクトリンを当て嵌めてしまった所から、ボタンの掛け違いが発生しているのである。
知識・情報の独占に偏り、それを作り出す能力や技能といった部分を軽んじると、敵味方の識別を間違う事になる。著作権者が、消費者は著作物を盗む泥棒であると主張したり([2008.7.9])、手数料収入を稼ぐ為に返済能力の無い人にローンを組ませ、格付けを偽装した債券に加工して売り飛ばしたりといった、罪刑法定主義の下では違法ではないが、不正な行為をやらかしてしまうのである。
お金はマネーゲームのチップとして使われるのではなく、財やサービスを生み出す為に使われるべきであるという考え方は、至極まっとうな考え方である。ただし、マネーゲームの原因を作った人が言うのは、企業献金を受け取って蓄財してきた人が企業・団体献金の禁止を言い出すのと同じで、おまえが言うなと突っ込まれて当然の、渾身の自爆ボケと言える。このボケを言う為に、あれだけの迷惑を引き起こしたのかと考えると、すさまじい芸であるとしか言いようが無いのであった。
[2009.3.29]
ゲームについて。
ロジェ・カイヨワの分類によると、遊びは、競争、偶然、模倣、めまいの4つの要素に分類できるという事になっている。
RPGを無理やりこじつけると、勇者になるという模倣、モンスターとの遭遇に偶然、他のプレイヤーやモンスターに勝つという点に競争、魔法等の画面効果にめまい、として説明できる。
だが、それらの四要素があれば良いのかというと、実は、そこにもう一つ、楽しいという要素が加わる。競争に勝つ、偶然が続いて幸運を感じる、模倣がうまくいって予想通りの結果になる、派手な画面表現で驚くといった事は、それぞれ、楽しい事であろう。しかし、それらには、慣れが発生するという欠点がある。
慣れてしまったら、それは、楽しい事ではなく、単なる操作の結果の反応でしかなくなってしまう。
常に新しい刺激を提供していかないと、陳腐化するということである。
人間には忘却という能力が備わっているので、時間がたてば、懐かしいという理由で、一時的な需要を発生させる事は不可能ではないし、常に新しい消費者が誕生しているという点から、毎年の新生児数を基準にした新規ユーザーの獲得は、やり方によっては不可能ではない。しかし、それらの需要は、いわゆるロングテールによってカバーされる需要であって、生産コストを短期間で回収して次の作品に備えるという自転車操業には、適していない。
自転車操業にならざるを得ないのは、パッケージソフトでは必然であるし、オンラインゲームにおいても、プレイ実績を能力値に反映すると、ユーザーに階層が発生し、上の階層ばかりを対象としたイベントを作らなければならなくなり、新規加入者が疎外感を感じるようになり、新しい顧客を掘り起こすには、新しいゲームをスタートさせなければならないとなる。パッケージソフトと同様の消耗が発生するのである。パッケージビジネス時代のゲームを売るというスタイルから離れない限り、自転車操業は変わらない。
RPGの世界におけるプレイヤーの能力値は、現実世界の通貨と同様に考えられる。貧富の格差が大きいと、ゲームの世界においても、運営が行き詰まるのである。キャラクターを殺してステータスを失うように仕向けると、キャラクターを再び育てるという所にモチベーションを持たせる事が難しい。同じ事をまた繰り返さなければならないのでは、新しいゲームへと移動してしまうことになる。
月額利用料課金等の場合には、毎月の料金が安い分、長期間にわたってプレイしてもらわないと、コストを回収できない。8000円のゲームディスクと同じ売り上げを確保するには、月額500円ならば16ヶ月。1000円ならば8ヶ月間はプレイしてもらわなければならない。それだけの期間、ユーザーの興味を引っ張り続けるのは、大変難しい。海賊版対策をしなくて良いというメリットはあるが、海賊版対策に注ぎ込む人的資源を、ユーザーの興味を引っ張り続ける為に投入しなければならない。
競争という要素を省き、偶然と模倣とめまいという三要素だけの娯楽として定義を行うと、ゲームである必然性がなくなる。匿名掲示板では、自分ではない匿名の誰かになれるから模倣は成立するし、話題に参加する事で、コミュニケーションが成立するかどうかという点で、偶然とめまいは体験可能となる。ユーザー投稿型の動画サイトにおいても、同様の事は体験可能であるし、実名型のSNSにおいても、捨てメアドを作って招待するという行為を何回か繰り返して、途中のアカウントを退会させる事で、つながりを切った他人をでっち上げる事は可能であり、自作自演等で盛り上げるという手法は、不可能ではない。
ゲームでなければならない理由が、存在しなくなってきているのである。
ゲームは、携帯電話や携帯型ゲーム機に搭載され、電車やバスの中、あるいは、待ち時間といった、隙間を埋める娯楽へと向かい、パズルや反射神経だけで遊ぶモノへと先祖返りをしていると言っても過言ではない。
家庭用の据え置き型ゲーム機は、何の為に存在するのかという答えを、作り出さなければならない状態にある。
家庭用ゲーム機には、thinclientとしてのネットブック程度の性能は存在している。足りないのは、ハードウェアとしてはキーボードとマウス、ソフトウェアとしては、Linuxを丸ごと載せてしまう事で、おおよその問題は解決出来る状態にある。ゲーム機を家族用のパソコンとして定義しなおす事は、新しい規格のPC・サーバーをでっち上げる手段としても成立するのだが、家電メーカーは独自ハードで大火傷をしているから、難しいのかもしれない。
[2009.3.28]
医療や介護は、他人の不幸に付け込む商売である。葬儀屋や焼き場と同じで、相手がお金を持っていなければ、どうにもならない。つまり、それらが産業として大きくなるには、それらを必要とする人々がお金を持っていなければならない。保育にしても、子供を保育園に預けた方が稼げるという人が増えなければ、成立しない。保育園で働く人よりも稼げる人が増えなければ成立しないという点で、従属性の高い産業と言える。
このような従属性の高い産業が、社会のメインプレイヤーとなる事はありえない。何をどうやろうとも、新産業にはなりえないのである。
しかし、医療や介護や保育の世話にならなければならないという個人的な事情がある人にとっては、医療や介護や保育を利用し易くする為に、新産業になりえるから公費を注ぎ込んで拡充しろと主張する動機が存在する。
個人的利益の為に、産業の構造的条件を無視しろというのだから、恥知らずにも程があるのだが、なまじ社会的に地位がある人だけに、扱いに困るのであった。
[2009.3.27]
派遣業の許可基準の厳格化。
これまでは、資産から負債を引いた額が1000万円以上ある黒字企業ならば許可されていたのが、2000万円以上で、かつ、1500万円以上の現金・預金を持っていることとなり、同時に、これまで5年に一度だった派遣元責任者講習を3年に一度にするという話である。
しかし、派遣制度の根本的な問題は、雇用の調整弁である派遣労働者は、無期雇用者に比べて退職金や保険年金や食費補助や交通費補助といった福利厚生が無い分、高給でなければならないのに、無期雇用者よりも低い額の賃金しか受け取れていないという点にある。
さらに、工場立地法や、建築基準法等による作業場面積制限によって、人口密集地、すなわち、派遣労働者となりえる若者の居住地での職場を無くしていること、地方の工業団地のような、居住費を負担しなければならないような場所に工場が移転していて、派遣のような流動性の高い労働者の為の居住施設を確保する為に、どうしても寮を所有する地元の派遣業者を噛ませて多重派遣にせざるを得ない点に、問題がある。
そもそも、地方の工業団地に工場が移転していったのは、そこで無期雇用の労働者を雇い、工場周辺の土地を住宅地として開発していくという目的があったのに、派遣労働者を雇い、派遣労働者向けの寮を建て、派遣労働者向けのコンビニを作るという程度で終わってしまっている(cf.[2008.6.10])のでは、高速道路を引っ張り、インターチェンジを作り、工業団地を造成した意味が無いのである。
高速道路や工業団地を作る為の補助金は欲しいし、工場の法人税や労働者の所得税は欲しいが、地域に有権者が増えると、選挙に差し障りが出てくるからというニーズに、派遣労働者という制度は、ぴったりと当てはまっているとも言える。
住民票を持ってこないか、あるいは、住民票を持ってきたら、即座に寮を運用している地元の派遣業者から、寮で不都合があったので派遣契約を終了して欲しいと派遣元と派遣先に話を通して追い出し、代わりの派遣を雇い入れるという手口が常識化して、ようやく、地方に作られた工業団地は有効に機能し始めたとも言える。
"派遣は社会の最底辺"、"働いたら負け"というのは、こういう現実を体験した人が、実感として持つ感情なのである。
日本人が働いてくれないから、外国人労働者を呼び込もうと主張している者が居るが、日本人が働かない理由を理解していないから、そのような主張が出てくるのである。そのような主張をする者は、一派遣労働者として、ド田舎で、寮と工業団地を往復するだけの日々を体験してみるべきである。
[2009.3.26]
金融資産というと、流動性の高い預金や証券を想起しやすいが、日本の個人資産のほとんど全ては、土地家屋である。高度成長期に長期のローンを組んで、金利を支払って手に入れた家である。
それらの資産は、法人と違って個人には減損会計の手続きが存在しない為に、ローンの金利分だけ割高になっていて原価割れしている上に、バブルの崩壊以後の低迷で評価額は一桁以上減っているが、個人資産の帳簿上の数値としては、簿価、すなわち取得価格(支払い総額)で評価されている。個人金融資産の1500兆円という数字は、そういう数字なのである。
会計の透明化が叫ばれて久しいが、個人資産の減損会計を認めてしまうと、所得税が取れなくなるという実にエゴイスティックな本音と、資産が目減りした事を誰も認めたくは無いだろうという思いやりあふれる建前によって、粉飾されたままの数値が一人歩きしている。右肩上がりの時代には、それでも良かった。時間がたてば、地価は上昇し、簿価を上回ってくれるのだから。
1500兆円といっても、上物の家の価値はとっくに無いし、底地にしても、少子化と雇用の流動化によるローンを組める労働者の壊滅的減少によって、値が付かない。相続税の支払いの為に売りに出しても、何時までたっても売れないので、土地を分筆して物納という手段が増えてきている。物納で細切れの土地を貰っても手間ばかりかかってしょうがないからという事で、一定額以下の土地には相続税を免除するとなっているが、この為に、評価額の下落に対して、歯止めが利かなくなっているとも言える。住んでいる家をただで引き継げた方が、将来の値上がり益を丸ごと手に入れられるという点で、メリットがあると考えるのが、自分はまだまだ長生きできると考える個人の特長である。水ぶくれした評価額は、相続税の免除額以下にまで圧縮される過程で、消滅する。引き継がれた土地は、将来の値上がりが発生するまで塩漬けとなるだけで、経済的には死に金でしかない。
相続・贈与税を時限免除しても、それで若い世代への資産の移転が発生するのは、企業献金を政治資金団体にかき集め、そのお金で土地家屋やマンションを買い漁っている政治資金団体の所有者である代議士と、お手盛りの役員報酬や退職金を掴み取りし放題の企業の役員や天下り官僚くらいであろう。
つまり、個人資産をあてにした消費刺激策など、いくらやっても効果は無い。生きたお金は、生活必需品を買う為のお金であり、国民の生活水準を平均的に引き上げなければ、低迷していくばかりとなる。餓えや困窮が発生すると、暴動に発展する。そうならないという事は、最低レベルの所得層に、全体の生活水準が固定されてしまい、それを上回る所得は、すべて、貧富の格差を再生産させる方向に働いてしまうというのが、資本主義社会の基本構造であり、この構造を個人の死亡という不可避な事象によってリセットする為に、相続税や贈与税の負担を重たくしておく必要がある。
相続税や贈与税の負担を引き下げるのであれば、所得の格差を発生させない過重な累進課税等を導入しなければ、長期的な社会の安定を維持するのが難しくなるのである。
[2009.3.25]
戦地における兵士にとっての常識を、イラストと文章でわかりやすく描いたTシャツが問題視されているらしい。
安全で平和な社会においては批判・非難されるようなことではあるが、コンバットフィールドに居るのは敵と味方だけであり、味方でなければ敵である。敵を殺すのがコンバットフィールドにおける兵士の仕事であり、それ以外の事を求めてはならない。捕虜の保護とか、敵と非戦闘員の区別とか、治安の維持といった事は、兵士の仕事ではない。
軍隊の仕事は破壊と殺戮であり、それ以外の事を軍隊に求めてしまうようになったのは、おそらく、ローマ帝国時代のカエサルが原因であろう(cf.[2006.8.15])。
カエサルはガリア地域で、平定した蛮族をローマ化することで、戦争を終わらせるという手法を選択した。ローマ軍は、蛮族を教化する集団となったのである。現地民を根絶やしにして植民する屯田兵ではなかったのである。この手法は、最初はうまくいき、ローマはその版図を広げ強大国へとなっていったが、同時に、国土が広がりすぎて、国境から遠い首都では厭戦気分が広がり、国境警備は貧乏くじとなっていく。国境警備をしている地域と、それらから遠く離れている地域とでは温度差が発生し、統合された大国は分裂する事になる。
蛮族のローマ化は、その場所での戦争を終わらせる手段としては合理的であったが、ローマ化した蛮族の敵が、新しいローマの敵となるという、敵を増やす結果に終わった。その敵すらもローマ化し、世界を統一するまで続けなければならない選択であったが、カエサルは志半ばで倒れ、その後継者達は、世界を統一するという所までの意思はもてなかった。また、首都ローマから遠く離れ、現地の気候に合わせた生活を取り入れなければならなくなると、ローマ化という目的すらも薄れていく事になる。
現地に適合した生活様式があるように、民度にあわせた政治体制があり、文化がある。自分達のやっている事が正しい事であるという意識が薄れ、ジャングルで泥まみれになり、砂漠で砂まみれになり、何をやっているんだろうと悩み始め、士気が衰え、せっかくの兵士が使い物にならなくなるのである。
戦争に勝つ為には、国民の協力と兵士の士気が必要であり、それらを確保するのに正義を信じさせるというのは、一番手っ取り早い手法である。しかし、軍隊や戦争が正義であるとなれば、道義的に正しい行動を求められてしまい、破壊と殺戮がやれなくなる。
戦争は、勝った方が正義であり、戦場で行われる事は、勝った側の行いは全て正義であり、負けた側の行いは全て悪になる。終わっていない戦争に善悪の価値観を持ち込むのは、戦争に対する理解が浅いという事である。
米ドルを基軸通貨の地位から蹴落とし、人民元をその地位に据えるには、アメリカを滅ぼして、アメリカの地位を乗っ取るというわかり易い手法がある。しかし、さすがにそれは難しいとして、中国の力を蓄えつつ、アメリカを弱体化させるという、遠回りではあるが、着実な道を選択している。
IMFの準備通貨に米ドル以外の通貨を加えるべきという中国の中央銀行である人民銀行総裁の発言が出ている。この発言は、十分に予想可能な内容である。しかし、問題は、そのタイミングにある。
アメリカは、1兆ドルの予算でバッドバンクを始めるが、負債を単純に買い取るだけでは、企業は反省しない。
不良債権には、仕入れのコストがかかっている。現在の価値に比べて、そのコスト分の支払いが過大だから、不良債権となっている。この仕入れのコストを支払う為に、政府から融資を受けなければならない。しかし、担保物権には、本質的に価値が無い。そこで、政府から融資を受けるが、その融資をバッドバンクに出資し、不良債権をバッドバンクに売り渡し、代金として、出資分を返してもらう。そのお金で、コストを支払う事で、連鎖的な破綻を防げる。
バッドバンクへの出資と、政府からの融資とは見合っている。企業は利益を上げて政府からの融資を返済すると同時に、同額だけ、バッドバンクへの出資を減資する。この仕組みが活きている間、企業には順当に利益を上げてもらわなければならない。つまり、産業管理体制に入り、さらに、国内産業を保護する為に、保護主義をバリバリにやるという事になる。
自由貿易体制を維持する装置としてのドルポンプが無い状態で、アメリカが貿易のセンターとしての活動を、事実上、ストップする事になるのである。
このタイミングで、IMFの準備通貨を多様化しろと主張するのは、米ドルとの交換比率を固定でき、多くの消費者と世界の工場としての生産能力を持つ中国の通貨"人民元"を準備通貨に加えろという主張に等しい。
IMFのフレームで、南米や中東の反米国家に人民元を貸し、中国で生産された工業製品を買わせるという手法を想定しているのであろう。反米でさえあれば何でも飛びつく中東諸国や、工作が浸透している南米諸国が賛成に回るという読みで、このタイミングで出してきたのであろう。
アメリカは、自由貿易体制と国内の産業管理体制を、同時に維持するという綱渡りをすることになる。これは、背反する条件となっているので、ゲームボードを軍事力によってひっくり返すという手段ぐらいしか、選択肢が無い状態へと向かうのである。