「中国史」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 中国史とは

2010-12-04

うへぇ

中国研究者日本大学に「中国史」の研究に来るんだよ最近、自国よりよく資料が残ってるから。

そりゃあ、文革に代表されるあれこれ轢いて埋めて銃殺してって国だもん歴史文化なんて消えてくわなぁ。

どの部分を言ってるんだかしんないが

ほとんどの部分はま中国にあるよ・・・

日本研究者が行くケースの方が圧倒的に多いでしょ・・・

一部だけを取り上げて勝ち誇ったように言うのミトモナイ

http://anond.hatelabo.jp/20101204222038

http://anond.hatelabo.jp/20101204221246

えーと日本中国現在中国はなく、中国大陸のあのへんって意味)に強い影響を受けている国で、

文化レベルでいえば歴史の9割くらいは中国の下にあったのはそのとおりで、実際中国文化はすばらしいよ。

でも、それを踏まえても「嫌中」ってのはごく普通のことだよね。(だって、現在中華人民共和国が嫌いなんだから)

天皇って文化にも確かに影響はあると思うよ、うん。でも天皇自体はもう完全に日本文化だよね。

よーするに、俺はラーメンは好きだけど刀削麺あんま好きじゃない。それだけの話じゃないのか。

別に、嫌中の人間だって二郎ニンニクマシくらいするだろう。中国が嫌いなくせにおまえラーメン食うの?みたいなこと言われても。

まー、あと「中国」が一つの継続国家たいなこと言うのはさすがにおかしいよね。

人種も勢力も替わりまくりだし。現在中華人民共和国歴史ほとんど無いに等しい新参国家だよなぁ。

マルクス主義以降、新しいイデオロギーを取り込みまくったせいで伝統」とか「文化」なんて消えたい放題でしょ。

中国研究者日本大学に「中国史」の研究に来るんだよ最近、自国よりよく資料が残ってるから。

そりゃあ、文革に代表されるあれこれ轢いて埋めて銃殺してって国だもん歴史文化なんて消えてくわなぁ。

ある意味日本中国文化ブラッシュアップしてバックアップするシステムといえるかもしれない。

2010-06-29

書評 A・Gフランク 「リオリエント」(藤原書店

著者はドイツアメリカ人原著の刊行は1998年で、世界中専門家の間に論争を巻き起こした。

本書におけるメッセージは、冒頭書き出しの1文に凝縮されている。

本書において私は、既存のヨーロッパ中心的な歴史叙述および社会理論グローバル学的パースペクティブを用いて転覆しようと思う

西欧先進国アジア発展途上国」という、我々が慣れ親しんだ世界の図式は、たかだかここ200年程度のことに過ぎない。西欧諸国はむしろほとんどの期間を通じて世界の傍流にあった。本書において、著者はこのことを繰り返し強調する。

 フランクは、まず1400~1800年の交易データを検討し、次のようなことをインプリケーションとして述べている(2章)。

 最大の経済大国中国だった。中国は絹織物、陶磁器水銀、茶の生産などで圧倒的な輸出競争力を誇っていた(全地域に対して貿易黒字)。インドも負けてはおらず、綿織物という輸出産業があった。東南アジアも同様、香料や胡椒があった。一方で、ヨーロッパアジアに対してほとんど何一つ輸出競争力を誇る製品をもち得なかった状態で、一貫して貿易赤字を計上していた。その結果、欧州から中国などアジア諸国への銀(貨幣)の流出が常態化していた。しかもこの銀も、もともとはアメリカ産のものを奴隷貿易でぶんどってきた物だから(当時、銀の主要産地といえばアメリカ大陸日本ぐらいしかない)、ヨーロッパ自体は、実は世界交易について何ら価値創出に寄与しなかったともいえる。

 また、大航海時代以降、海上ルートユーラシア大陸の隊商交易にすぐさまとってかわられたという主張も、誤りとして退けられる。アフリカ周航のルートは陸上輸送とくらべて決してコストが安かったわけではなく、ポルトガル喜望峰周りの交易も短期間しか続かなかった。(223p)

 定量的には複数の歴史家の推計を引き合いに、アジア諸国の生産性の高さにも言及する。曰く「アジアは1750年において、依然として世界人口の66%未満であったが、世界生産の80%を生産していた。つまりアジア欧州アフリカアメリカよりも生産性が高かったことが示唆される」(p305)

 科学技術についても、近世以降は西欧アジアを優越していたという”常識”を西欧中心主義の誤謬だと批判する。例えば、当時の「ハイテク産業」でもあった造船業中国の船は、ヨーロッパよりずっと数が多く、かつ大規模で、長期り輸送が可能な代物だった(342p)。印刷業も、中国世界のどこよりも早く木版印刷を開始し、1500年代の早くには5色刷りの技術存在し、日本朝鮮技術を輸出していた。

 そうにもかかわらず、「世界経済の中心国が16世紀はポルトガルで17世紀にオランダに移り18世紀にイギリスに映った」などという、まるでヨーロッパ人によって一貫して支配されていたかのような馬鹿な議論(ウォーラーステインの「近代世界システム論」])がまかり通っている。しかし「1688年に、アジア間の交易ボリュームは、いつかのインドの港からだけでも、すべてのヨーロッパ交易を合算した交易よりも10倍も大きかったのである」(p320)

 であるならば、なぜ近代以降の世界経済をの主役はアジアではなくヨーロッパだったのか。この点についてフランクは6章で100ページにわたる議論を展開しているが、正直ピンとこなかった。その骨子は「アジア景気循環的な衰退期がたまたま西欧の勃興期と重なった」というもの。まさかここで「コンドラチェフの波」を引き合いに出すとは思わなかった。これはひどい

その他、素人目に見て反射的に気になったのは4つ。

1.「一人当たり生産性近代までアジア西欧だった」という記述について。これの反証となるようなデータは俺でもすぐ見つかる(例えばアンガス・マディソンの推計「The World Economy」)。むしろ地域間の一人当たり生産性は、まだ優劣に決着がついていないとするのがおそらく妥当なところではないか。

2.貿易収支の考察について。1400~1800年までの2章の部分、「中国はどの国に対しても貿易黒字だった。その背景には圧倒的な輸出競争力があった」と著者は言い切っているが、ここもまた留保が必要だろう。中国貿易保護策の影響はどうだったのか。そもそも、中国がそれだけ例外的な貿易黒字を確保していたのならば、中国マクロ的な貯蓄率はかなり高かったといえるだろうが、その辺は、当時の中国史の中で言及はされているのだろうか。

3.フランクはまた「アメリカ豊富な銀資源搾取してアジア世界交易に割り込んだだけ。ヨーロッパ人自体に富の増大をもたらすようなものは何もなかった」と強調する。これも逆差別の感がある。資源や強力な輸出産業はなくてもヨーロッパ人は知恵を絞って自分のところに富を惹き寄せた、という解釈もできる。「ビジネスの仕組み」を考案した彼らの力については、それ自体十分競争優位になっている気がするがどうだろうか。

4・「オリエント地域にあるヨーロッパの支配地域インドにあるイギリスの所領など)を考慮にいれても2章の結果はロバストか。

5. では、近代以前のヨーロッパにおいて、オリエントに(経済力軍事力、知識等で)負けているという認識はどれほどあったのか。NOならばそれはなぜ?YESならば、彼らはその状況をどういった風に克服しようとしたのだろうか。


http://twitter.com/zaway/status/17259932271

2009-07-08

馬英九政権が強引にすすめるETFC(一中市場)、旅行業界はやくも暗雲

それでも国民党主席となって馬・胡錦涛会談で「ノーベル平和賞」目論む

台湾国民党主席にどうしても復帰したい馬英九台湾総統)は、いまの呉伯雄を五輪委員長祭り上げ、第三次国共合作の一方の主人公をどうしても演じたいらしい。

国家主席同士では北京台湾国家と認めていない以上無理だが、国民党共産党のトップ同士が話し合い、実際上の外交をなす、という中国史特有の手法を用いるわけだ。

馬英九はどうしても国民党主席に返り咲き、胡錦涛と党首同士の会談を行う。暫定の条約か何かを結び、金大中が見事に獲得したように、それでノーベル平和賞を獲得しようかと狙っているのでは? と書いたのである。

ところが7日発売の香港誌『開放』七月号(271号)が、まったく同じ分析をしている。『馬が党主席を狙うのはノーベル平和賞狙い』と。

ところが「一中市場」を急ぐ馬政権に暗雲が広がった。

中国資本が400もの分野に進出するが、台湾国防産業などは禁止区域。法的手続きが不備な支店開設や資格のない業者の暗躍など、予測された通り

予測を大きくはずれたのは大陸からの旅行客である。

台湾飛行場を八つ開放し、大陸から一般の観光客も待った。一日三千人が“とらぬ狸”だったが、過去一年間平均で一日二千人。当初の予測は年間45万人、現在32万人。観光客ひとりが台湾に落とすカネも見積もった予定額より遙かに小さく、「両岸旅客去多来少格差楡十倍」(『自由時報』、09年7月3日付け)。

台湾から大陸へ業務、観光で赴くのは346万人、大陸から来た人32万人。十倍以上の格差が開いた上、観光客がおとすカネたるや、予測の三割強という。

がっかりする業界、元からやめとけと言ってきた野党、こんな筈じゃないと焦る与党

2007-11-28

自分には荷が重すぎる状況に陥った時の思考術

自己流だけど。ライフハック(笑)みたいなもんだと思ってくれ。

1、思考形態を八つに区分する。
因果連続、均衡、価値、真偽、超越、城塞、差異

八つをそれぞれ「都市」のようなものだと捉える。それぞれの「都市」が興亡を繰り返し、勢力を競い合っているイメージ世界史の年表地図みたいなものを思い浮かべて欲しい。自分の場合は一日単位で大体中近代ヨーロッパの100年分ほど勢力図が変わる感じ。別に西欧史でなくても古代中国史でも何かの漫画のとかでもいい。八つの都市の勢力図がなるべく流動的に変化するよう自分の意思でコントロールする。

2、コントロール不能な情緒の渦(=「夜」)を七つに区分する。
悲哀、愉楽、憤怒、恐怖、思索、空虚、浮遊

「夜」は自分の意思ではコントロールできない。その時の出来事や、悩みごと、社会情勢なんかに応じて否応なくどれかの「夜」がやってくる。自分には荷が重すぎる状況に陥った時は特に激しい情緒の渦が襲ってくることが多い。そういう「夜」に飲まれてしまうと、精神バランスや体調を崩したり、躁鬱が激しくなって冷静な判断ができなくなったりしてしまう。

3、激しい情緒の渦に襲われた時は、思考形態の勢力図に従って対処する。

例えば上司との軋轢からどうしようもない「悲哀」の感情に襲われたとする。

その時、都市勢力図で「差異」が強かったとすると、

  • 軋轢の原因となった行動に対する認識の差異
  • 問題以前以後での上司への心情の差異
  • 上司と自分の性格、経験、考え方の差異

等々を考える。

もし都市勢力図で「真偽」が強かったとすると

  • 自分がこのような負の感情を抱くのは正当か否か
  • 上司の自分に対する行動は正当か否か

なんかを考える。

この思考方法の利点は二つ。

1、自分には荷が重すぎる状況を順列組み合わせの中に落とし込むことで、考えが煮詰まることを防ぎ、視野の片寄りを防ぐ。

2、コントロール不可能な「情緒の渦」を、パターン化された「思考形態」と組み合わせることでコントロール可能な領域に引きずり込む。

ようするに考え方をあえて限定することで、問題に対処する範囲を狭めるのだ。こうすることでオーバーフローを防ぎ、問題を自分の意志でコントロールできているのだという意識を持つようにする。

参考までに彼女にふられた自分の、ここ三日間の精神状態がどう推移したかを書いておく。
一日目。都市の主要勢力は「均衡」、夜は「空虚」
  • 彼女に別れを宣言される。
  • それまでの関係は?
    • 一年も二人の間で冷戦状態が続いていた。
      • その状態のまま二人の関係は均衡していた。
      • 別れに踏み切れなかったのは、自分たちの関係を支えてくれた周囲の人達のおかげだ。
        • 彼らの為に、幾度も関係の修復を試みたが結局なにも変わらなかった。
  • 結婚せずにずるずると今の状態を続けるのは彼女のためにもよくない、とわかっていながら決断を引き延ばしたのは、ひとえに自分に責任がある。
  • 彼女は自分に釣り合っていたか?
    • 彼女が自分に不釣りいなほど素晴らしい女性だったのは間違いない。
    • 彼女が自分のような男に愛想を尽かすのも世の理だろうか。
      • だからと言ってあんな裏切りが許されるものなのか?
二日目。都市の主要勢力は「因果」、夜は「恐怖」
  • 別れることになった直接の原因は、彼女浮気
    • だが彼女にそうさせた原因は自分のふがいなさにある。
  • これから先自分は彼女以上の人と出会うことができるのだろうか?
    • 誰かと出会い、恋をして、デートに誘い、告白し、認めてもらう……
      • そういった一連のプロセスを再度踏むことを想像すると気が遠くなる。
      • 万が一それに成功したとしても、食事の好み休日の過ごし方、家にいる時のルール等再びお互いの機微を喧嘩を交えながら摺り合わせる作業が必要になる。
    • そしてきっと様々な場面で新しい彼女を別れた彼女と比較してしまうだろう。
  • そもそも自分のふがいなさを修正しない限り、また同じ結果が繰り返されることになるだろうことは明々白々だ。
  • コンビニに行く途中発狂した自分は広場で大勢の民衆を虐殺した。
    • 世に言うカルマーの大虐殺である。

三日目。主要都市勢力は「城塞」、夜は「浮遊」
  • カルマーの大虐殺の裏に「城塞」都市の支援があったことから「因果都市は「城塞」都市に対し宣戦布告を行い、以後全地上を巻き込んだ百年に及ぶ都市戦争が始まる。
  • 戦火が全都市を巻き込むほどに拡大した理由は、この地を覆う新教派と旧教派の深刻な宗教的対立である。
    • 二つの宗教観の対立は都市間を超えて広く敷衍していたが、その本質は代替の効かない貴重なエネルギー資源である聖石の採取権と政治的利用の是非を巡ってのものであった。
  • それぞれの都市は複雑な同盟の絆を編み上げ合従連衡をくりかえしていった。
  • 聖石の俗性利用に比較的寛大だった新教派に首長自らがいち早く改宗した「城塞」都市が、その勢力を増していく。
    • 聖石の軍事転用によって広大な領土と採取権を手にした「城塞」都市は、安定した聖石の採取と独自の精錬方法で、圧倒的な軍事力科学力を手に入れる。
      • その科学力は都市一個を丸々空中に浮遊させるほどだったという。
  • ここにおいて初めて全都市の征服がなり、「城塞」統一王国誕生する。
  • 以後王家貴族は空中に浮かべた都市の上で治世を行い、全地上をその恐怖の力で支配した。


http://neo.g.hatena.ne.jp/llpp/20071202#p1

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん