「竹簡」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 竹簡とは

2023-05-22

ツイッターみたいなロングスクロール様式ってなんか古代竹簡とか巻物を見ているような不便さを感じる

アプリでいくつか検索するとホームまでバックしないといけないし洞窟探検のようだ

この話題で何万人がツイートしてるとか、リアルタイムグラフが見られるほうが絶対面白い

2022-01-08

anond:20220107185925

門松の松と竹からの推測

・松は花粉症原因の一つ

・竹を神聖視する中国日本向け竹製品を作らない

・竹槍を模しており危険敗戦も思わせる

竹取物語家具屋姫が女系でも男系でもなく議論を呼びかねない

松竹寅さん渥美清がもう没してしまった

門松家康から信玄への呪い起源で、自民には武田系甘利がいる

JOC竹田五輪疑惑

竹簡は古いが門松は言うほど古くないので大丈夫です

2021-10-24

anond:20211024122828

木簡竹簡のことを、簡牘(カントク)とも言うんや

監督が書いたんやな

2021-08-21

なろうのオールドスクール中世冒険者ギルド作品羊皮紙知らない率……

昔なじみの冒険者から地図マッピングとかしちゃうぜ~~~。

普通に出てくるのが「よくわかんねー厚紙」っていうね。

「これはパピのルスをジャブのジャブしたペーのパーです」とか言ってくる作品ならまあいいんだけど「これは紙です。紙は誰でも作れるのでチート主人公とは無関係のどうでもいいやつです」で終わらせるのな。

おいおい……つうか本がメインの作品ですら「これは竹簡進化させて木から作った『紙』ってやつです」で終わらせたりする。

んで漫画版とかファンイラストとか単行本表紙見るとカバン羊皮紙ぶっ刺さってんだよ。

は?

お前らもしかしてその茶色くて妙に分厚いのマジでパピのルスから作ったペーのパーだと思ってんの?

いやまあ確かにあるよそういうの。

でも丸まり方や質感が明らかに羊皮紙のそれなんですけど?

そもそも羊皮紙って分かる?

皮に文字を書く文化とか表面をナイフゴリゴリする文化とか分かる?

スキル地図職人みたいの出てくるのにその地図作成ゲームマッピングと同じ仕組みならもう最初からステータス画面みたいにデジタルIRっぽい奴でいいじゃん。

マジでさ、その羊皮紙しか思えないけどそうじゃないと言い張ってるその「紙」はどういう材質のなになの?

2017-06-30

https://anond.hatelabo.jp/20170629234043

出典『老子道徳経

(中略)

馬王堆帛書では「大器免成」であり大器に完成はないという意味だった。本来前後の句とともに「道」は無形無限のものであるということを表していた。

大器晩成 - ウィクショナリー日本語版

馬王堆帛書ってなんじゃらほい。

馬王堆帛書

1973年12月、馬王堆三号漢墓から出土した帛書(はくしょ)で、12万余字に及ぶ厖大な量である。帛とは絹のことで、紙が普及するまでは竹簡木簡などの他に絹が使用されていたことを証明している。絹は保存が困難で伝来するものは稀であり、重大な発見となった。内容は、天文星占に関するもの医学に関するもの、陰陽五行に関するものなどで、これらは前漢・文帝の12年(紀元前168年)の遺物とみられている。これに書かれた文字は、「篆書から隷書に至る過渡的な段階にあるもの。」といわれているが、「篆隷中間書というはっきりしないものではなく、正しく整形した一書体に定着した新書である。」との見解もある。

馬王堆帛書とは - ウィキペディア小見出し辞書 Weblio辞書

まり馬王堆帛書老子道徳経いちばん古いの?

出土資料としては、郭店一号楚墓から出土した残簡(郭店楚簡)が最古である。それに次ぐものとして馬王堆漢墓から出土した2種類の帛書(『老子帛書』甲・乙)がある。

老子道徳経 - Wikipedia

じゃあ最古である郭店楚簡では大器晩成はどうなってるの。

郭店楚簡『老子』は、「大器晩成」(第四十一)を「大器免成」(大いなる器は完成することがない)に作る旨が述べてあり、これは腰巻にも紹介してあるから、本書の「売り」の一つなのかもしれないが、蜂屋前掲書によれば、帛書乙本が「免成」であって(帛書甲本は缺字)、楚簡は「曼城」となっているという(p.199)。もっとも、「曼」は「無」に通じ、「城」は「成」の通假字とのことだから、「免成」と「曼城」とは同義なのであろう。

http://d.hatena.ne.jp/higonosuke/20140412

どっちにしろ完成はしないわけだ。

「『大器晩成』の句はとくに有名であるふつう、『大人物の完成には時間がかかる』として、不遇な人を励ましたりするのに使われるが、それは『老子』の真意ではない。『晩成』ということばは、文字どおりには『できあがるのがおそい』であるが、前後の句との関係で考えると、むしろいつまでも完成しない、その未完のありかたにこそ、大器としての特色があるということであろう。できあがってしまうと形が定まり、形が定まれ用途も限られる。それでは大器でなかろう。」

金谷治老子』(講談社学術文庫1997年)136-137頁

http://cgi.shinkyaku.com/p.cgi?130317a/40

総合すると、晩成だろうが免成だろうが「大器は完成しない」が真意だが、もちろん老子は「完成しないかダメだ」と言っているのではなく、「完成しないからこそ大人物なんだよ」という意味合いになるのだろう。

そもそも、該当部分ってまるごと「故建言有之」だから「昔からこう言われてるよね」という引用にすぎなくて、老子自分自身言葉で語っている(いやそもそも老子存在自体が怪しいけど)のは「上士聞道 勤而行之 中士聞道 若存若亡 下士聞道 大笑之 不笑不足以爲道」、つまり(追記:自分なりの解釈を書いていたけどやっぱり難しいので削除するね)みたいな話で、それの例示なんだから「大器にはこれと決まった形がないんだから完成することもない」といったところなんだろうね。

 
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