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2023-09-13

ジャニーズ事務所東山ソーセージ事件告発木山将吾あの人は今

 イギリスBBCの例の放送から半年が経ち、ジャニーズ事務所は瓦解しつつある。夏前の雰囲気では「噂では聞いた」「当人は故人」「証拠がない」「ごめんなさい」で寸志を渡して逃げ切りそうな空気だったが、再発防止特別チームの予想以上の報告書で潮目が変わった。

 国体護持の立場から、新社長東山紀之となったが、相変わらず「噂では聞いた」としかわず、社名は変わらず、株主も変わらず、方向性も見えず、期限も示さずではまともな商取引しづらいのは正直なところ。

 そして、東山社長が今から40年近く前に、当時のジャニーズJrに『俺のソーセージを食え』と言い放ったことが話題となった。2005年の『SMAPへ―そして、すべてのジャニーズタレントへ』という本の一節をネットニュースが取り上げ、それが拡散した形なる。

 ところで、この本を書いたのは元ジャニーズJr.の木山将吾である。現役時点は山崎正人と名乗っていた。ただ、木山は、18年前にジャニーズ喜多川からの性被害について赤裸々な著作を書いていたにもかかわらず、この半年間のムーブメントでは特にコメントらしいものを発していない。彼はどこへ行ったのだろうか。

 と、ずーっと謎に思っていたのだけど、実は、木山滋賀県に住んでいることが判明した。

滋賀県草津市ホームページ GINLALA音楽ユニット

https://www.city.kusatsu.shiga.jp/citysales/ouen/boosters/list/ginrara.html

 この写真の右側が、GIN山崎ぎんこと、山崎正人、すなわち木山将吾だ。

 山崎1970年まれで、15歳~18歳まで山崎正人名義でジャニーズ事務所所属光GENJI候補メンバーだったが、性被害を受けて退所していく。1988年北公次(フォーリーブス)の『光GENJIへ』などのジャニー喜多川暴露本出版された後、山崎1989年山崎銀名義でアイドルグループ「新・光GENJI」に参加し、それが「SHADOW」となる。SHADOWは、アンチジャニーズ標榜していた地下アイドルグループで、北公次印税を注ぎ込み運営し、後に被害者の会代表となる平本淳也らも参加していた。ただ、きっかけが不純だったからか、すぐに解散している。

 山崎京都などで活動を単発的にしていたが、2005年木山名義で『SMAPへ―そして、すべてのジャニーズタレントへ』(鹿砦社)を刊行した。週刊文春報道があり、2004年最高裁ジャニー犯罪が確定した翌年になる。

 当時、鹿砦社は、ジャニーズ本を多数出していた。ただ、その多くがタレントの住所暴露本でさすがに褒められたものではなかった。社長は同年別件で逮捕されている。2007年には同じ内容でタイトルを変えて「KAT-TUNへ - 赤西仁がやめた本当の理由」と再編集本を出したあたり、同社に胡散臭さがあるのは否めない。週刊文春もこの時期は報道を控えていたこともあり、1988年北公次ときほど話題にはならなかった。

 その後、木山こと山崎ぎんは滋賀県草津市移住し、2010年から滋賀ローカルタレントとして活躍している。GINLALAとして地元女性タレントコンビを組み、地元コミュニティーFM「えふえむ草津」の出演、イベントコンサートの司会などをしている。滋賀県BBCには出演したこともある。

 増田も以前に滋賀県に住んでいたことがあるんで、彼の顔は何度か見かけたことがある。平和堂の催しや、町内会夏祭りの司会などもしていたからだ。名前はうっすらと記憶しているが、その顔や姿、声、話している内容は特に記憶がない。無名セミプロタレントの一人だと思っていた。

 本人は、別に過去を隠しているわけではないようだ。えふえむ草津パーソナリティー紹介では

https://fm785.jp/%e7%95%aa%e7%b5%84%e8%a1%a8/%e3%83%91%e3%83%bc%e3%82%bd%e3%83%8a%e3%83%aa%e3%83%86%e3%82%a3/

とある。ご本人としては「SHADOW」は黒歴史ではない模様だ。

 ただ、イギリスBBC以降のムーブメントがあるにもかかわらず、木山将吾こと山崎ぎんは、何も発言はしていない。2005年の本はかなり赤裸々にジャニー喜多川の加害を表現していたが、それを改めて言及するのは精神的にかなりしんどいものになるのだろう。コロナ禍で大変だったタレント業もようやく回復しつつある。それを台無ししかねない。山崎はGINLALAgooブログに登場するが、作成相方LALA氏が担当しているようなので、ジャニー喜多川問題への言及はない。

https://blog.goo.ne.jp/ginlala785kusatsu

 思えば、ジャニー喜多川暴露本先鞭をつけた北公次にしても、再婚してワイドショーに登場した1994年以降、ジャニーズ事務所への言及を避けている。1999年10月から始まった「週刊文春」のジャニーズ事務所の連載。第1回目は、同じフォーリーブス青山孝史だった。読者としては、続いて北公次も登場するだろうと思ったが、最後まで何も発言しなかった。後の裁判にも参加していない。

 北としても、芸能界復帰への思惑がある中、言わずが花、という考え方があるのは理解できる。村西とおるらに煽られ暴露本を書いたものの莫大な印税はあっという間に消えた。反ジャニーズの連中が必ずしも自分の味方ではないというのも悟ったのだろう。

 2002年、北は青山おりも政夫江木俊夫らとフォーリーブス再結成している。当時、メリー喜多川は「北と青山ジャニーズ事務所の敷居を跨がせない」と激怒していたという。暴露本に参加したからだ。でも、フォーリーブス名前を使うことができたのは、事務所フォーリーブス4名で何かの手打ちをしたのではと指摘されている。タレント活動するなら、もう反ジャニーズ言及しないと腹を決めたのだろう。北は2012年に若くして亡くなっている。

 おりもは今年5月インタビューで「コーちゃんは、亡くなる直前まで『ジャニーさんに謝りに行きたい』と言っていました」と指摘したうえで、「僕も含めて被害に遭ってない人たちも多くいるわけで、ジャニーズOBや現役を変な目で見ないでほしいです」とジャニーズ事務所擁護発言をし、一部のファン喝采を浴びた。おりもは解散後も長くジャニーズの世話になってきたし、北公次発言を打ち消したい気持ちはあったのだろう。死人に口なしだ。

 今年の母の日である5月14日、山崎地元草津市ホールで「ファミリーコンサート」の司会をする一方、ジュリー藤島東京で「知らなかったでは決してすまされない話だと思っておりますが、知りませんでした。」と述べ、批判を浴びた。

 木山将吾こと山崎ぎんは、遠く琵琶湖ほとりで、この半年ムーブメントをどう見ているのだろうか。本日水曜日は13時から「えふえむ草津」のレギュラー番組「GINLALA 午後は大銀醸」が生放送であるクルマで移動するタイミングなので一度聞いてみよう。

 

 
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