はてなキーワード: 最適化問題とは
国立大理系修士という、たぶん国内就活戦線において最強のカテゴリのひとつに属していて、なおかつ結構いろんなプログラミング言語も書けるという技術的強みもあるし、算数は遅いけど論理的思考はそこそこで、たぶんそんなにコミュ障でもない。スペックはそんな感じなんだけど、就職活動ってモノにはじめから懐疑的(むしろ否定的)で、教授から誘われていたということもあり、本気で博士への進学も視野に入れていたが、とりあえず社会経験と思って就活やってみた。
説明会に顔出したとか、内定出ても行く気はないけどとりあえず面接受けてみるとか除くと3社だけ受けて、結果、2社から内々定をもらった。3社とも同じ業界の大手だ。自分がそれなりに求められる人材であるという自信はあったし、ぶっちゃけ全部落とされてもドクター進むだけだしくらいの気持ちだったので、就活自体はかなり気楽にやった。面接官とちょっとした口論もした。その会社のプロダクトに対して、「あれ、なんなんすか?」的な。自分も今時の常識のない若者なんだって知った。
就活を始めるにあたって、地元のそれなりにレベルの高い私学の友達と話をした。俺が「就活で自分着飾って、ウソついて、それで内定取ってゴール! って何考えてるの? 内定ってスタートだろ? 会社入ってから何するかって話だろ?」みたいなことを言うと、猛烈なブーイングにあった。それなりの大学に通ってても、やっぱり就活(というか内定を手に入れること)は大学生活におけるゴールで、最終目標で、つまり、高校生にとっての大学受験と全く同じなんだなって思った。
でも、やっぱりそれはおかしい。就活は企業と学生のマッチング問題であり、企業の発展と学生の希望(こんな仕事したいとか、地元に残りたいとか、なんでもいい)の両方を目的関数とする最適化問題のはずだ。フォーカスすべきは、内定の後であるはずだ。
だから就活に関して、(1) ES、面接、他あらゆる機会においてウソをつかない、(2) 企業と学生の立場は対等であると考える、っていうルールを自分に課した。個々がそうやって動くことが目的関数を最大化するために必要だと考えたから、他の人はあんまりやってないけど、なんとなく社会の流れみたいなものに反抗してみた。上で書いた面接官との口論も、実はこのルールによるものだ。
で、今まさに就活をしている学生とか、これから就活をしなきゃいけない学生とかにこれをオススメするわけでは、全くない。ぶっちゃけ、こんなルールがなければ2/3じゃなくて3/3内定貰えたかもしれない(もちろん、かもしれない論で言うと0/3だったかもしれない)。
でも、なんていうか、就活に全力投球して、自分を上から下まで就活用にカスタマイズして、本来あるはずの自分らしさみたいなものを全部消し去って、内定を引き出すことを絶対的な目標に掲げて大学生活を送るのは、すごく不毛だと思う。学生の化けの皮を引っぺがすために3回も4回も面接をするのも不毛だと思う。
こんなことを言っていると、また地元のそこそこ大学の友達に「それは選ばれる自信があるやつの話だろ」ってブーイングされると思う。確かに、俺にはなにも着飾らなくてもお先真っ暗って感じにはならない自信があったし、だからそんな気楽に就活できたんだろって言われると、反論は難しい。落とされた1/3の企業に関して、「企業が欲しがっている人間性に自分がマッチしなかったって事だから、それが面接でちゃんと分かってお互い幸せだね」って本気で思ってるのも、3/3が落とされてたら違ってたのかもしれない。
でもやっぱり、俺は正論を言っていると思う。概念的にはこちらが圧倒的に正しい。
それで、あんまり正論を吐くと友達に嫌われるけど、やっぱりちゃんと言いたいから増田に落としといた。
なんでちゃんと言いたいかというと、もしかしたら一部の就活生はこういう正論に気付かずに就活をしてるんじゃないかって思ったから。企業受けのいい人間になることが当たり前だと思ってて、こういう正論を知りもしないで、その上で内定=ゴールのマラソンを走ってるんじゃないかと思ったから。
そういうマラソンを走るのなら、こういう正論をきれい事だと切り捨てている自覚を持つべきだ。同じマラソンを走るにしても、きれい事を否定している自覚があるのなら、それは立派な正義だと思う。そういう正義を持つべきだ。
で、結局俺自身はその2/3の片方に就職することにした。熱心に誘っていただいた先生には申し訳ないけど、たぶん俺は就職するべきなんだと思ったから。なんでそうするべきと思ったかは、それぞれの想像にお任せしたい。
その、登る山を決めるにはどうしたらいいのだろうか?
説明できるような決め方があれば皆がやってるだろう。
俺は特に考えもせず興味を持つことをやってたらいつの間にか登ってたパターンなんで、幸運なのかもしれない。ただある程度登ったおかげで、「登ってみないとわからないことがある(というより、登ってみないとわからないことの方が多い)」ということに気づいた。
だから俺から言えるのは、本当に全く決められないなら、適当に仮決めしてとりあえず登ってみることだ。仮なんだから、サイコロ振ったっていいし、それじゃあんまりだと思うなら誰かロールモデルになりそうな人を見つけて、あの人の近くに行きたい、とか適当に理由を作れば良い。もしかすると数年無駄にするかもしれないが、その数年で学べるものは、多分麓で迷っているだけで得られるものよりずっと大きい。
効率最大化、なんて考えからすると数年無駄になんて出来ないと思うかもしれないが、最適化問題というのは境界条件が決まった中で答えを出すもので、分からない条件があれば答えはもともと出ないし、条件が変化すれば答えも変化する。最初から最適な道があるなんていうのは幻想。