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2021-10-01

vtuberによってDQNネーム市民権を得るのか

vtuberyoutubeに限らず様々な媒体タレントとして出演するようになり、今や批判の有無は別にどこに現れても不思議ではない状態になっている。

そんなvtuber架空キャラクターでありその名前は奇をてらったものであったり一目で専門分野が分かるものであったり、あるいは「かわいい」を突き詰めたものであったりと、その命名リアルアイドルタレント的ではなくどちらかと言えばオタクカルチャー的なキャラクター命名の流れのうちに思える。

まあつまり日常に浮くのである

変な漢字苗字+既存単語か変な響きのひらがなorカタカナ名前を見るとあ、またvtuberかなと思ってしまう。

https://www.hololive.tv/member

私はvtuberにぜんぜん詳しくないので深入りしないが、彼らがyoutubeを飛び出すとそこはひとつ人格というか成人のタレントとほぼ同じように振舞うわけですな。(魂が~とかはよく分からないし生身のタレントも素全開なわけではないから振る舞いに差はないと思う)

まり今までの大人事務所なら付けないような芸名の人たちがタレントとして様々な場所で見かけるようになった。

今の私の人間への命名感では「きもちわるい」と感じてしまう。もうしょうがない。

たとえば哲子の部屋で「今日ゲストドラえもんさんです~」とかなってもああなんか特番宣伝CGを使った変わったことをするんだな的な特殊フォーマットとしてみることができるが、

今日ゲスト白銀ノエルさんです~」なんてなっても白銀ノエルvtuberという成人タレントから通常の哲子の部屋回と変わらないわけで、哲子が白銀ノエル連呼したり苦労話を聞きだしたりしていたら視聴に堪えないと思う。

vtuber命名センス芸人の、なんだろうな「もう中学生」とか「鉄拳」とか「ザコシショウ」、そんな流れのyoutuberの「ヒカキン」とかアーティストの「きゃりーぱみゅぱみゅ」とは違う現実に居たらおかしい痛ネームDQNネームなわけで。(田中おっさんとか当然ある例外も多少存じてます)

正直昔はテレビ初音ミク文字を見るだけでもじもじしていた。それにようやく慣れて市民権を得たある意味魂が入ってないクリーンバーチャルアイドルとして受け入れることができてきた。

しかし今後はテレビも「見る」しゲーム食事もするいち人格の人たちが「はあと」や「ちょこ」や「オウガ」さんとして知覚することが多くなるのだろう(vtuberに詳しくないので参考にホロライブメンバー表だけ見て適当に挙げてるが個々人や所属に他意はない)。

どうすればいいか?どうするもなにもない。受け入れて慣れるしかないのだ。vtuber無罪である

このネーミングセンスは生きている人間に、あるいは芸名につけてもおかしくないものだと自分に言い聞かせるしかない。苦痛を受けないために。

そうすると畢竟、今まで痛い名前と思ってきたアリスちゃんやらぶちゃんやぴかちゅうくんも笑えなくなるのだ。何も不思議を感じなくなるはずだ。


一般人名前を笑ってはならぬ。自分でつけたわけではないのだから。今まで私のDQNネームへの嘲笑現代社会でそれをつけるにいたった両親へ向けられていた。それがなくなることは善いことなのだろうか。少なくともDQNネームをつけられた本人はいいだろし、命名への変な同調圧力がなくなるのもまったくよろしい。が、何かを見落としてしまう気もするのだ。

いやしかし、人の名前から何かを見出すこと。これは人の箸の持ち方をもってその人の人格や両親の教育に難癖をつけるに近しいものかもしれない。よくないことかもしれない。


vtuberによってDQNネーム市民権を得て、生身の人間名前をなんとも思わない日が来るかもしれない。

表現に対して規制より自由・許容を求める自分はそれを良しとしている。

オタクカルチャーな何かが大々的に大衆に周知されることを恥じる古の自分はそれを恥じている。

思慮が足りない人物の行動をエンタメとして消費しているゲス自分はそれを寂しがっている。

未来はどうなるか分からない。

しかし、今しばらく、今しばらくは現実に見かけるDQNネームに対して、youtubeなどの配信環境外で見かけるvtuber名前に対して、気持ち悪さと羞恥をもって接することになるだろう。そしてその頻度は緩やかに上がっていくのである

 
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