2021-03-30

実家を出て母の声が怖かったと気づいた

表題通りです。

実家を出て初めて、私は母の声が恐怖の対象だったと気づいた。

2階の自室にいるときに母の声に呼ばれた気がして慌てて下に降りて「呼んだ?」と聞くと呼ばれてない時がある。でも、気づかないでいると、あるいは気のせいだと思っていると2回目には怒号が飛んでくるから怖くて無視出来ない。

母は声が大きかった。そして常に苛立っていた。

私はただ母が怖かった。

近づくと「来ないで!」と怒られるのでなるべく近づかないよう、話しかけないよう息を潜めて生きた。それでも、子供から限界もあった。私は毎日母にはしゃぐたびに怒られていた。

いっぱいいっぱいだったのだと思う。子供を育てるのは大変だってネット上でいくらでも見る。

子供自分勝手で親の気持ちなど知らず利己的で理性が無くて甘ったれで騒々しい。親はそれに苛立つのなんか当たり前なのだと教わった。1日も早く「人間に成れ」と言われていた。

またそれを補完するためなのかネット上の育児ブログなんかもよく読まされた。ブログの中でも概ねそのような内容だった。どの母親子供の未熟さに悩んでいた。生きているだけで迷惑をかける生き物なのだと思った。

虐待の記録を目の前で読み上げられ「あんたはほんと幸せね」と言われた。

本当は私も虐待を受けていたのだと気づいたのは大人になってからだった。

私は小学校の頃、母に「子供を堕していいか?」と相談された。「お金がないの。この子を産むことも出来るけど、そしたらあなた達にかかるお金がなくなっちゃう。それでも○○は兄弟が欲しい?」

私はそう問われ、何日も体調が悪かった姿や、すでに金銭的な悩みを日常的に相談してくる母のことを思い出して「兄弟はいらない」と答えた。

婦人科まで私も一緒に行った。

母は妹が先に産まれていれば私など産まなかったという。

祖母お金を借りるのに、母が行きづらくて私が行ったこともあった。

母は金銭的な悩みでよく私の前でだけ泣いていた。慰める言葉の出ない私は黙って「そう…」と言うしかない。

子が近づくことを許さない母に名前を呼ばれる時は、大体悪い出来事前兆だった。

幼少期から不眠症夢遊病、また自傷癖があった。口の中は常に血が滲んでいて頭はマダラに禿げていた。

何度も体調不良を訴えては病院で「気持ち問題ですね」と言われて、いつしか病院に連れて行ってもらえる機会は減った。

メンタルクリニックは「頭がおかしい人みたいだからやめてよ」と言われて行けなかった。成人するまで、保険証は母が携帯していた。

成人してから親に内緒病院に行きまくった。3ヶ月連続採血された。

一人暮らしを初めてから一気に不安過去の恐怖が溢れ出す。

くつろいでいて、隣人の声が聞こえると「呼ばれた」と思って焦って飛び起きるがそもそも母はここにはいない。実家を出る時も見送りも何もなかったし、興味もなかったから、私が住んでいる場所も知らないはずなのに。

過去のことを思い出す時間が増え、不眠症悪化し、メンタルクリニックで入眠剤をもらおうと思った。

そこはカウンセリングが初回で行われる医院だった。

常に思い出す過去のことを一通り聞いたあと、カウンセリング心理士は言った

「その家庭で育って、よくもっと大きな病気にならないでいてくれましたね」

私の家、おかしかったのか……と思った。

ていうかもっと大きな病気ってなんだろうと思った。

過去を振り返ると、母を、父を助けてくれる人は周りに誰も居なかった。両親も様々な虐待を受けていて、でも子供が産まれしまたか祖父母に頼らざるを得ない環境だった。

今でも私は「私の家がこうだったのは仕方なかった」と思う。そう思うしかなかった。心の壊れた父や泣き叫ぶ母を見てもっと頑張れなんて子供身分では言えないししっかりしてくれよとも言えない。

ただ怯えて隅で固まっていただけの役立たずだった私がいまさら言える不満なんてない。

何も言えないまま、助けにもならないまま、大人になって逃げ出した。

ネット毒親や、被虐待児の相談を見て、回答で言われる「自分人生を生きて」「子供を産んで優しくしてあげて。自分がして欲しかたことをしてあげれば癒しになる」「子供を産めば親の気持ちもわかる」

そして失敗した両親を私はよく知っているのだ。

色々調べて、家族は要らないなと思った。子供も欲しくない。親の気持ち理解する努力20年間ずっと続けてきたから、もうわかっている。

自分子供を持ったら同じことをすると思う。

悲しいが、私は専門職給与は多くない。

私に出来るのはせめて両親を祖父母にしないこと、もう苦しませないこと、この血筋を終わらせることだけだ。

もう何代前からこの血は虐待を受けているのだろう。親戚の話を思い出しても、虐待虐待虐待戦後世代から養子を受け入れ兄弟をたくさんもうけても、一人しか結婚しない。親戚には初老にまでなった独身者が異常に多かった。

呪われているんじゃないかとすら思う。

さて、私は血を残さず死ぬまでの自分人生を歩み始めた結果、このようにいきなりつまづいてしまい薬の世話になっている訳だが、なんとか頑張って生き抜きたいとは思っている。

だが、どうしても、一人で部屋にいると「もうどこにも帰れないのか」「私には頼れる、愛してくれる人は誰もいないのだ」と思ってしまい眠れなくなっていく。

寂しさに負けたら同じ歴史が繰り返されるとわかっているのにただ寂しい。

それだけがまだ辛い。

  • わいは毒親やクソ親戚より生きて墓を畳んで骨捨ててやるっていうのだけが生きる希望

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