小学校時代にいじめを経験して、中高では孤立することでそれから逃れていた自分の視点で書く。
図書館に逃げるって、すごくすごく正解かも知れない。
絵と言っても漫画絵だ。
授業中に落書きしていた教科書を生徒全員の前で先生になじられたことからいじめが始まった。
先生としても、いじめを容認することでぼくがそんな趣味をやめてくれればありがたいくらいに思っていたのだろう。
自分にしてみればそんなことは知ったことがない。
別に誰に迷惑をかけるでもなく、自分は好きなことをやっていたかったんだ。
というか、その頃は自分の衝動なんて上手にコントロールできなかった。
いじめられる全員がそうとは限らないけど、すくなくともぼくがいじめられる原因はその特異な趣味ももちろんだけど、周りの輪に馴染めなかったことにあった。
外で遊ぶくらいなら趣味に没頭したかったのだから、そっとしておいて欲しかったのだ。
彼らにしてみれば、良かれと思う誘いを断るのだから罰っせられて当然くらいに思っていたのだろう。
先生からの余計なお墨付きも手伝って、いじめは日に日にエスカレートしていくばかりだった。
輪を作ってそこに参加することが学校の常識だから、それに参加できない人間は罰を受ける。
すくなくともいじめる側の行為を正当化していた理由はここにあったと思う。
ぼくの唯一の救いは、両親共働きで夜が遅かったから、体調が悪いと嘘をついてもさほどうるさく言われなかったことだ。
その代わり布団に入ってないと疑われるので、その時間は好きな絵を書くことを我慢しなくてはならなかった。
すべり止めを滑った人間があつまるような落ちこぼれ学校だったせいか、自分が輪に入ることを拒んでいたらそのうちだれも誘うようなことはなくなっていった。
おかげで幸いいじめられるようなことにはならなかったが、親にも心配をかけず孤立が許されるという環境の存在は大きかった。
そう考えると、図書館っていうのはもともと一人で作業をするための場所だ。
空間が開けていたり、テーブルが続いていたり、うるさくしてはいけないとか最低限のルールはあれど。
コミュニティを作ることが前提である学校と違い、それぞれがそれぞれの目的をもって訪れる場所であり、そもそもコミュニティの存在が不要なのだ。
だから輪にはいらないことは罪ではないし、逆に目的を共有できる人間とは自由にコミュニティを作ることができる。
この、入らないことが罪ではないということはとても重要だ。
しかも何が素晴らしいって、そこには生涯の時間をかけても読みきれないほどの本があるんだ。
その気になれば、どんな道のプロにでもなれるほどの情報量があるんだよ。
義務教育という考えには反するかも知れないけど、これからの時代はそれこそそうした教育なんかが役に立つとは思えない時代になってきているんだ。
常識なんて普通の生活を担保するための保険みたいなものなんだから、それを全て捨てて好きなことに突き抜けて世の中に新しい価値を生み出すことだって選択肢としてあってもいいと思うんだ。
それに、共通の趣味の本から始まるコミュニティなんて、考えただけでも素晴らしいと思わない?
だから、本当に、そういう同じ問題を抱える人達と、それに理解がある大人たちとが集まって、すごく慎重にルールを作り上げていくことができたら、少なくとも悲惨ないじめだけでもなくすことができるかもしれない。
当然、子供を食い物にしようとする大人とか、すぐにお金の匂いを嗅ぎつけてくる大人とかから守らなくてはいけないから簡単なことではないと思う。
でも、図書館って、孤立と自分の好きなことに没頭することが許される類まれな空間かもしれないって思ったんだ。
これがきっかけになって、たとえ世間からは逃げ込んだ人間同士と言われても、そこで立派な知識や大切な仲間を見つけることができたらどんなに素晴らしいことだろう。
もちろん、心も体も疲れている人は何もせずに休んでほしい。
すべての図書館がそれをすぐに許しくれるわけではないかもしれないけど。
何かをするには体力も精神力も必要なのだから。どこかに隠れてでもそれを蓄えてほしい。
あのツイートってそんな事一切考えてないやん。 逃げてきたその子をどう扱うかって事は具体的に考えず、「一日いても誰も何も言わないよ」、つまりただ放置するってだけ。 大人の保...
無理に行って自殺するよりは、ってことだろ
「図書館にいても何も言わないよ(児童相談所に通報しないとは言ってない)」ってことだろ。裏を読め裏を。