2015-06-22

俺は絶歌を読まない

それが結論。このあとに続く文章はその理由の説明なんだが、

その前に俺の作品論について語らせてくれ。

まず俺の作品論の結論は、作品作品の中で語れ、というものだ。

作者の情報不要なばかりか、もはや有害情報だとさえ考えている。


本当に面白い作品というものは、

作者についての情報が一切ない状態でも面白いはずだし、

作品本来そうあるべきだと思うんだ。

作者の情報作品を堪能した後のアクセントしかない。

作品メインディッシュであり、作者の情報はデザートだ。

デザートは最後に食べるべきだ。

まずは事前情報ゼロ作品を鑑賞する。

で、面白ければ作者は誰なのか調べる。

で、作者についてますます興味が湧いたら、

作者がどういった人物でどんな思想があってどんなことをしているのか、などを調べる。

これが正しい作品の鑑賞姿勢であると俺は強く思うよ。

JKローリング自分の素性を隠して書いた本が全然売れなかったのに、

素性晒した瞬間に爆売れしたことがあったじゃん。

作品名は忘れちゃったけど。

そういうのをみると、ああ、ねえな。って思う。

みんな本の内容なんてどうでもいいんだと。

JKローリングが書いた、それだけが重要なんだなと。

作者のプロフィール作品を鑑賞する上で一切必要ないはずだし、

必要であってはならない。

その点で増田は作者の情報が常に不詳だから作品論のあるべき形だと言えるね。


さて、そこで話を戻すが、絶歌を読まない理由

お分かりの通り、作者の素性が読む前からにわかっているからだ。

推理小説を読む前から表紙に犯人はヤスだと書いているようなもんだ。

その本が面白いかどうかではなく、どこに殺人に至った思想があったのか、そのパズルピース探しに必死になってしまうことが読む前からわかってしまっているからだ。

それは作品の正しい鑑賞姿勢では、ない。

あれを購入しているやつらは、

あれが一体どんな本なのかなんて心底どうでもいいと思っていて、

異常者が異常であるという理由カケラ作品から拾い集めたいだけなんだ。

仮にあれを殺人鬼でもなんでもないごく普通の俺が書いたとして、お前ら買う?

買わないだろ?じゃあそれはその程度の面白さってことだ。


俺は職業柄、あの本についての質問がここ最近よくくる。

あの本は読んだのか?読んでないのか?どう思うか?どんな考えを持っているのか、と。

はっきり言おう。どうでもいい。心底、どうでもいい。

あの本に一切興味はないし、興味を持つつもりもない。

いいか、作家っていうのはな、

殺さずして人殺しが書けるし、死なずして死人が書けるもんなんだよ。な?

その人がリアルで人を殺したかどうかは別に重要ではなく、

その本が、面白いかどうかが重要なんだ。

その点でいうと、あれは俺的によくなかったので手をつけないんだ。

サラリーマンが書いた、主婦が書いた、作家が書いた、素人が書いた、老人が書いた、子供が書いた、日本人が書いた、外国人が書いた、金持ちが書いた、貧乏が書いた、警察が書いた、殺人鬼が書いた。

どうでもいい。誰でもいい。

面白ければ、それでいい。


殺人鬼がどういった思考をしているのか気になるからという理由で売れてるとのことだが、俺はそういった不純な理由が嫌いだ。

人殺しなんてたまたまタイミングと状況の関係で人を実際に殺しただけであって、その他は通常の人間と一緒だろうが。

作者の情報作品には何ら影響を及ばさない。及ぼしてはいけない。

普段彼がムカデを食ってるとでも?

痰壷に入っていた白濁して塩味のする痰のかかったご飯をとろろかけご飯と称して人に食わせるととでも?

違うだろ。

まあ、アレを購入する人たちはそういう答えは求めてないんだろうけどな。

異常者は常に異常である

その答えだけを求めて買っているんだろうけどな。


サイコパス心理学流行るのもそういった理由だ。

サイコパスの異常な考え方を知ることで、

自分はそれとは違う考え方を持っていることを知る=異常ではないという安心感が得られる。

あるいは、同じような考え方を持っていることで危険香りに心躍る。

本気で自分サイコパスだと考えている人など一人もおらず、みな、サイコパスの異常な考え方は娯楽の一つであるとだけ、考えている。

彼らにとって異常者はピエロなんだ。自分達とは違う存在なんだ。

メイクを落として日常生活にごく普通に存在していて欲しくないんだ。

常に、いつ見ても、同じ時に、同じ場所で、同じように、異常であり続けて欲しいんだ。

から殺人鬼自分はごく普通人間「です」と言っても誰も理解してくれない。

ごく普通人間「でした」と言って初めて理解される。

普通人間ではない、ということを理解される。

みんな殺人鬼がどんな本を書いたかなんてどうでもよくて、

殺人鬼が書いた、ということが重要なんだ。


俺はそれが不純だから読まないという結論に至った。

既に毒されてしまたから。

読まなくても、読んだ人と同じ感想になってしまうから

ああ、これは殺人鬼が書いた本だな、って感想

読んでも読む前と同じ感想になっていることがわかっているなら、

実際に読んでも実質読んでないのと一緒じゃん。

出口への道筋がご丁寧にも蛍光ペンで塗られている迷路なんてやって何が楽しいの、ってことだよ。おわかり?

社会的価値や娯楽的な価値があったとしても、文学的価値は、ない。

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