http://anond.hatelabo.jp/20130619231753
モテるとかモテないとかではない。ただ無価値であり無碍に扱われることだ。
他人に価値がないのは誰だって同じだろう、ようはSEXしたいんでしょw、よく飛び交う言葉だが、まあそのとおりで、子供の頃の話だよ。
大人になればどうでもいいさ、社会的な我々は誰だって平等であり、自分の価値をアピールしなければ他人に関わることすら出来ないのだから。
強制的に半日、30~40の人詰めの箱のなかに閉じ込められて、共同生活を強いられる。社交辞令も保身も知らないために残酷で、動物のように群れを作る子供な。
居ただろ。何かにつけてキモいと言うやつ。
子供の遊びで、イジリだったのかもしれないけども。
黴菌扱い。触らないで、菌が付くからw
申し訳ない、存在して。
給食配らないで、触らないで、なんでそんな酷いことするの?
誰だってやっただろう。私だってやったと思う。清廉潔癖ないじめられっ子なんていないんだ。
確かに笑わなかった人もいたが、黴菌はクラスか学年に1人くらいなので、消毒される側から見れば誤差なのだ。
思春期。
だいたいルールがわかってくる。私のような人間は、人格の自由度が低いのだ。
気持ち悪い、存在が不快、デフォルトではそのように扱われている。
自然な成り行きとして、一等低く無碍に扱われる。
仕方ない。これはそういうことになっているのだから。別に差別でも偏見でもない。
従って私は、妖怪人間だった。
外形的な気持ち悪さから来る性的価値の低さという、社会性におけるディスアドバンテージを抱えているので、埋め合わせなければならなかった。
思春期同年代が構成する市民社会からの排斥を受けないために、彼らに要請された私を演ずる演技。
今で言うリア充、一段下げて一般的な未成年が、同年代の中で取る態度。
人並みに感情を表に出したり、遊んだり、色気づいたり、あるいは恋愛について話したり。
残念ながら、私の行うそのような態度は、思春期同年代にとって異物であり、共感の外である。
思春期とは性的な時期であり、それを通じて社会性を育む性徴期。
思春期の社会的な関わりにおいて性は重要であり、だからこそ保健体育は古くよりあり、最近では日本社会でもセクマイ概念などが教育に取り入られ始めているわけだが、しかしながら、セクハラ概念が示す事実は、自身の性的身分を超えた性的な態度は嫌がらせである。
運動会のフォークダンス、遠足の二人組、給食当番、席替え、班作り。
社会性も、性愛観念も未熟な時期に、同級生が露骨に示したその態度。
それは社会の要請であり、学童期よりも幾らか高度化した義務教育課程で学ぶ、ひとつの実習だった。
必要なのは、性的に老いること。オッサン臭いというか、ババアというか。
老人ではない。老賢とは別物だ。
完全に枯れているわけでもなく、しかし肉体は老いており、故に独特の醜さを発露する。
気持ち悪い性欲の象徴としての中年。
自らの不快さを理解しているからこそ、弁えを知り、抑制されて、節度を保った憐れな中年。
私は老いてはいなかったが、印象的に気持ち悪かった。
それに思春期らしい子供の欲求を捨てきれず、また賢さもなかったので、老人にはなれなかった。
明るく溌剌と多感な周囲について、人並みに感心はあり、またそう有りたくもあったが、表に出してはいかんのだ。
私には分相応な態度、人格が決められている。
私がどのような人間なら、理解しうる人間としてシンパシーが得られるか。
声に出す者も居たし、出さないものも居た。
やがてどうでも良くなる。
人間関係という蜘蛛の網に絡み取られて、私に向けられた他人の視線が、あるべき態度を規定する。
必要に応じて演じた態度が、人格として身についていき、成人する頃には私という人間性が確立される。
根底に身についたのは諦念であり、どうでもよさだ。
しかしながら、それでも時々思うのは、性的価値が人並みにあるものが羨ましい。
凡夫であり、賢くもない、一般的成人である私は、人生を冷徹に見つめる達観も得られなかった。
もちろんSEXに興味はあった。
だが、それより今は思うのは、子供の頃に子供らしく過ごしたかった。
思春期の頃に平均的な思春期らしく自分の日常を過ごせれば、もう少し、何か違ったかもしれない。
いや、私は平均的なのだろう。
私が送ってきた人生こそが、実にありふれた性的無価値者の日常だった。
幼児期から始まる社会での私の立ち位置が、私の内面を擦り減らし、予定された枠組みに相応しい人間性を形成したのだ。
あの頃諦念に師事しなければ、もう少し何かが違ったのかもしれない。
現実が過ぎ去り記憶になると、もっとうまく立ち回れたのにと後悔することがあるにはあるが、まあ、それよりも、私は随分頑張ったと思う。
はっきり言って、重苦しかった。
あの頃の私にはそうする他なかった。
これこそ単なる諦念なのかもしれないが、常に近くにあったが決して得られなかった同年代の日常は、私にとって眩しかったが、あれこそ他人の物であり、これが私の人生だった。
内面と演技のアンバランスの抑圧にフラストレーションを沸き起こしていた精神も、加齢によって安寧となってきた。
何かをこじらせているわけではない。
こじらせ系とは似て非なる、直道だった。