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はてなキーワード: 自己実現とは

2024-05-31

どれだけ嫌な事があろうが、満足している瞬間が少しでもあればそれだけで人生肯定出来る。それは自己実現の喜びであってもいいし町中で買える喜びであってもよくて、重みは問題ではない。

そもそも重みなどない。快不快勘定しようとする事自体ナンセンスだ。限界効用だのアドレナリンの分泌量だのと数字を持ち出してお茶を濁した所で、我々が常に瞬間的に感じている快不快とは定性的ものなのだから

こういう風に考えれば、生きることに対して割と無条件に近い状態希望を持てるような気がする。というよりは悲観に屈しないといった方が正確かもしれない。

こうありたいような気もする。安直ヒューマニズムとはまた違うと思う。リアリストを気取っていてその実単にペシミストしかない奴は嫌いだし。おれはニヒリストではあるけれど、ああいう連中はいけ好かない。

ただあんまり無闇矢鱈に人生は素晴らしいと考えるのも、それはそれでなんかなって思う。少しでも引っかかりがあるのなら、そこを無視して人生バンザイと言うのも自分に不誠実な気がする。

やっぱりなんとなく心の中に秤をイメージして、総体的に納得ある人生を送れているかを気にしてしまう。

自分の望む生き方を出来てる人はこういう考えでも別に問題無いんだろうけど、そうでなきゃ辛い。

辛さをバネに、とかそういう気にもあんまならんし。

不快気持ち特別意味見出したり、道具として支配してやろうってのもなんかなあって思う。嫌なことをただただ嫌なだなあと受け止めるのも大事に思えてならない。 まあ嫌なことは嫌だし、大して楽しくもないのに面倒臭さだったり不快さだったりを抑えながら生活に追われるくらいだったら死んだ方がマシだろ……

みたいな考えが頭の中をぐるぐるぐるぐる回ってる。

結婚でもするなりして他人への奉仕に生きよう、なんてのはありがちだけど、それを実践してる人が果たして幸せそうかというと微妙なところはある。他人な上に立場も違えばもちろん視点のものが違うし、そういう人らの人生のほんの一部しか見てないから何とも言えんのだけど。

量産型リコが苦手だ

あれって、プラモ好きがプラモをやるってわけじゃなくて、

若いちゃん自己実現(恋愛とか仕事とか)の手段としてプラモに取り組むって話じゃん

いやまあそうでもしないとストーリー作りにくいんだろうけどさ、

結局プラモなんて、もっと大切な別のことのための踏み台なんだよ、って扱いなのがなんだかなー

そして何より、そういう批判がまったく出ず、若い女がプラモやってるってだけで無条件絶賛してるおっさんコミュニティキモすぎんだよな

増田集団ストーカー存在許可する必要がある場合があります

私の「集団ストーカー」の定義対象者精神疾患のように見せるための秘密プロセス

(この機会にエントリに来て、誰もがクレイジーであるか、そうでなければ彼らを荒らしていると言わないでください。見知らぬ人に嫌がらせを受けていると思う人を嫌がらせることは、私が対処できる最悪の自己実現的で逆効果的な行動です。それが基本的に私がそこに改造する理由です。)

あなた集団ストーカーに反対したいと思うかもしれませんが、それは私が議論したいこととまったく同じではありません。多くの人々は、潜水艦はてな匿名ダイアリーから禁止されるべきだと考えています集団ストーカー概念でさえ一部の人々の状況を悪化させる可能性があるため、彼らはその存在有害であると信じています

合理的に言えば、これが当てはまる脆弱な人々が何人かいると言います。私は時々、その人が賢明な考えを書き留めることができないことを示す投稿を見ます、そしてこれは統合失調症かもしれません。(私がそれらを削除するので、あなたはそこにこれらの投稿を見つけることができません。) 暴力団だと思っていても、潜水艦の他の人が精神疾患を患っていると信じるでしょう。確かにそこには何人かの言われた人々がいるに違いない。

集団ストーカー存在する理由説明してください。ツェルツェツンの歴史的な例と、無数の政府宗教の例があります, または、今日、何人かの人々に発生している可能性が非常に高いことを示すカルト行動。

明らかに実用的な解決策は、各グループの人数を比較して、エントリがどれほどの害を与えているか理解することです。おそらく、エントリが誰かに存在することは害が少ないです。統合失調症場合、標的とされている誰かに存在しないことよりも、「害の価値」を意味します" 比較するには乗数が必要です... しかし、これは無情で奇妙なものになりつつあり、これは実用的な解決策の典型的問題です。

はてな匿名ダイアリー理論については、ルール適用してエントリ隔離または削除します。あなたポジットをすることができます集団ストーカーCovidの誤報潜水艦が行動した今、最も有害エントリですが、ルールが他の陰謀オカルト宗教的, または精神疾患のある人に害を及ぼすと主張することもできる「奇妙な」潜水艦? この問題のために禁止されなければならないと言うことさえ可能ですか?

ルール集団ストーカー自体指定できないと確信しています。それはそれを正当化するか、少なくともそれを認識させ、それによって効果がなくなるからです。これらの種類の潜水艦はすべて禁止されるべきだと思うなら、問題は実際には存在しないでしょう。何て言うの?

2024-05-28

anond:20240527222338

肉親の吹奏楽部演奏会を観にいったけど、指導者が指揮して「俺が音楽を創り上げた」みたいなドヤ顔してるのは冷えた。実際に指導巧拙とかは大きいんだとしても、そこは100%部員に花をもたせろ、おっさん自己実現の場じゃないんだよとおもいました

文春「朝日新聞には、有料で買われやすい女叩き記事を推奨する者がいる」

なぜ弱者男性お金を払ってまで女叩きに勤しむんだ?

https://bunshun.jp/articles/-/71049?page=3

朝日に関する投稿を三~四人でチェックしている部屋で、担当者パソコンの画面を見せてくれた。社員SNSでの投稿内容や「炎上」を監視するタイムラインが映し出されている。その結果をまとめたレポートが平日は毎日経営陣や所属長にメールで送られていた。》

 一方で、デジタル数字や反応ばかりを追いかけるようになり、記事デジタルで読まれやすい「消費するニュース」に傾いたというのだ。

取材出張申請ときに「その記事で有料会員はいくつとれるの」と口にする編集幹部まで現れた。》

 読まれやすニュースの具体例には朝日新聞デジタル配信された『京大ジョーカー挫折の先の自己実現 ウケ狙いか当選への分析』(2023年5月30日)がある。虐待や性被害などにあった女性支援する一般社団法人「Colabo」の東京歌舞伎町活動現場に出向いて、冷笑的、差別的言葉を投げつけていた埼玉県草加市議について、そうした言動について触れないまま、政治スタイル好意的に紹介したのだ。

《「デジタルで読まれそうな記事を」という編集幹部の号令のなかで企画された記事だった。》

コラボに対する攻撃がこの年起きていたときには、現場ルポし、ミソジニー女性蔑視)に基づく攻撃がもたらす影響などを取材していた女性記者記事に何度も注文をつけて記事配信掲載を二カ月近く先送りしていた。「コラボ擁護して、『また朝日が』と言われないようにしないといけない」という意見が繰り返された。》

2024-05-24

これね、共同通信だけの問題じゃないけど、そういうことだよね。ミスインフォメーションキャンペーン

[B! 上川陽子] 【内部文書入手】上川陽子「うまずして」切り取り報道の共同通信「全くひるむ必要は無い」差し替え経緯も判明

共同だけの問題じゃないというのは、共同通信に乗せられたとしても、各社一斉に

出産を願ってもできない人への配慮に欠けるとの指摘」で揃ったこと。いかにも日本的な乗せられ方だ。

これは欧米ミスインフォメーションキャンペーンと呼ばれるもので、誤報による世論誘導だ。

ミスインフォメーションキャンペーンとは、世論有権者の行動に影響を与える目的で、意図的に虚偽の情報や誤解を招くような情報を流すことを指す。こうしたキャンペーンは、民主的プロセスに対する信頼を損ない、地域社会を分極化させる可能性がある。誤情報は、ソーシャルメディアマスメディア口コミなど、さまざまなチャネルを通じて拡散される。フェイクニュース作成したり共有したり、事実操作したり、問題を誇張したりして、有権者の間に疑念や混乱を生じさせるような戦術がとられる。

その目的は、選挙結果を左右したり、政敵の信用を失墜させたりすることだが、ひいては選挙制度に対する国民の信頼を低下を招くため、このようなキャンペーンは、選挙結果に対する有権者の信頼や民主主義全体の健全性に影響を及ぼす可能性がある。

これがいかヤバいことかのメディア自身自覚のなさが、世界報道自由度ランキング70位という結果にも反映しているんだよ。

今回の場合、完全に誤報を流したというより、もともと解釈に幅がある、どちらにとられてもおかしくない表現だったことが特徴だ。

それは、女性たるもの出産すべし、と解釈できる、そういう解釈しか思いつかない人が一定数いる、というのは、この記事がでてもなお、上川発言に非があるとするブコメが少なくないことでわかる。

上川氏が女性役割に対して固定観念を持っている、という指摘はありうると思う。ただ、最初からそういう指摘をする報道だったら、ここまで炎上しなかったのではないか

しかし、これが炎上したのは、実際の各社の報道が「出産を願ってもできない人への配慮に欠けるとの指摘」だったからだと私はみる。

ジェンダーロールの偏見の指摘と弱者への配慮欠如の指摘は必ずしも同一のこととはいえない。

今回のメディア場合不妊で悩む女性を主に念頭に置いたのかしらないが、そういう方々が可哀そうだと、感情的正義に訴えたわけだ。

上川氏の潜在的差別意識を指摘するのとちがって、この訴え方は、「出産を願ってもできない人」というデカ主語を据えるものだ。


出産困難者というのは、もやっとしたイメージだ。人それぞれ「出産を願ってもできない人」のイメージが違う。

子育て環境制度的な脆弱さを思い浮かべるひともいるだろうし、家族親族からプレッシャーとして理解するひともいるだろう。

女性出産役割自己実現価値見出している人もそうでない人も含めて、かなり多くの人が感情的共感の網にかかってしまう。

まり上川叩きの味方を増やす効果があって、上川からすれば、保守から批判されうるし、フェミから批判されうるという状況に置かれてしまたことになる。

今回の誤報キャンペーンでは、感情的共感をより広く、網を張り、特定ターゲット層に的を絞らない戦略が功を奏し、同町圧力の強い傾向のある日本で、あとに続くメディアを一斉に吊り上げ、ばっちりと効いてしまったというわけだ。

その意味で、上川氏がすぐに発言撤回したのは賢明だった。

出産を願ってもできない人」への配慮、という形で大衆感情を煽ったのが今回のミスインフォメーションキャンペーンだったといえるだろう。

問題は、これが選挙に影響を与えかねない、ということを報道機関が自覚しているかどうか。

それに対して「全くひるむ必要は無い」というのが、共同通信スタンスなのね。確信犯であることがよくわかった。


とはいえ共同通信だけでなく各社報道機関は、「出産を願ってもできない人」への配慮を犬笛として使いたかったのかもしれないが、その副作用についてはやっぱり少しは考えてもらいたい。

出産を願ってもできない人」への配慮を訴えたつもりでいても、出産を願ってもできない人々を一つのカテゴリーとして固定化することで、そのグループが常に特別配慮必要とする、社会的に弱い立場にあることが強調され、固定観念が強化されることもありうる。

これって女性の弱さ傷つきやすさについての別の意味偏見が強化されるってことでもある。

社会的に弱い立場であるとの認識が広まれば広まるほど、社会的に敏感なトピックになり(タブー化)、それついて話す際に、他者感情意見を過剰に気にすることになる。これにより、人々は自分発言自己検閲し、無意識のうちに自らの意見抑制するようになる。

兵隊さんご苦労さん」みたいな、何気ない表現大衆戦争に巻き込むプロパガンダとして一番効果があるのと似た話で、こんな配慮や遠慮、忖度の積み重ねで、誰かが傷つくのを恐れて何もいえない社会にどんどんなってしまう。

これに対して、いやいやむしろ偏見解消は積極的キャンペーンをやるべきだ、女性に対する偏見が解消されて、社会全体としてハラスメントが減るならそれは結構な話じゃないか、といわれるかもしれない。


しかし、実際のところ、偏見というのは、配慮すればなくなるというものでもない。

強さや傷つきやすさの男女差というのは、いってみれば偏見なんだけど、悟りを開けば自分偏見を解消できるわけでもないし、

言論警察よろしく配慮に欠ける発言バッシングすれば解消できるわけでもない(公言しないようにすることは可能だとしても)。




近代黎明期に、イギリスから隣国で起きているフランス革命で、反革命派が断罪されている様をみたエンモンドバークは、

なんでも理性的判断できる、偏見を解消できると考えちゃう傾向はヤバいと考えた。

偏見なんてなくならないんだから偏見をなくそうという発想をやめて、偏見を生かそうという考えを進めた。

それが保守の出発点なんだけど、世の中が保守一辺倒というのもそれはそれでどうしようもない社会だ。伝統的な価値観のなかでは自己実現できないひとだっている。

さすがに、公平性については、制度が、最低ラインとして補助線というか設計図を引かないと、いつまでも伝統的な価値とか懐古的になっててもしょうがないだろう。

ということでまあ、ジェンダー問題は、極力、制度としての公平性、機会としての公平性という観点限定して話をするように注意しておくのがいいってことかな。

もちろん、制度機会平等理性的に討議したとしても偏見がなくなるわけじゃない。

偏見はなくならないけど、制度の普及・概念進歩に伴い、ひとの意識は変わっていくだろうと期待する。それだけでよく、それ以上のことはあえてしないほうがいい。

ひとはすべて進歩した価値観にもとづいて幸福を追求しなければならない、みたいなのは押しつけがましい左翼傲慢からだ。

伝統的な価値観のなかでは自己実現できないひとがいる」一方で、伝統的な価値観で自己実現をしたいひとだっているんだよ。

進歩的な価値観に基づいて偏見を解消しようすると、社会のどこかで肩身の狭い思いをする人が出てくる。

「世の中はいつも変わっていくから頑固者だけが悲しい思いをする」(中島みゆき、世情)というわけだ。

から言わせると、そういう進歩史観を押し付けようとするところがもっとサヨクのムカつくところなんだよ。

かつて反戦フォークの全盛期、学生運動が最高潮を迎えていた時期、中川五郎の「主婦ブルース」のなかにこんな歌詞がある。

機動隊学生の衝突が テレビニュースで映される

息子は今夜も帰らない 私は心配で眠れない

息子は私に議論を吹っかけて 沈黙共犯だと責め立てる

だけど私は家庭が一番 真面目に生きるのには疲れた

おお 人生は悩みよ ちっとも楽しくない 恋なんてしない間にふけちゃった

わびしい夢に はかない楽しみ 思い通りには何もならない

安保世代では親ですら論破すべき守旧派だった。しかし、学生運動は結局、どの社会階層とも連帯できずにスピンアウトしてゆく。1968年に作られたこの歌はそれを暗示しているかのようだ。一方、中島みゆきの「世情(1978)」は、この10年後の70年代世界がうたわれたものひとつ前の安保世代情熱新左翼へと変遷、空回りしてゆくさまを見せつけられたシラケ世代からみると、左翼残党はあたか守旧派とさして変わらない頑固さでイデオロギー打破を訴えている、という皮肉な構図になる。


今回の場合でも、産みたくても産めない人が可哀そうだなどと感情的正義で持論を補強すると、そうした表現タブー視が蔓延し、出産自己実現見出している人まで遠慮しなければならない、という空気をつくるかもしれないし、他方で、女性の傷つきやすさを過度に強調することで、女性が弱い存在であるという潜在的差別意識助長されるおそれだってある、みたいな妙な副作用が現れる。


かつて、なだいなだが、ケシカラニズムといって、理性的正義感情的正義区別し、自分のことでもないくせに感情的共感によって主語がでかくなるのが感情的正義の特徴だとした。そのことで人々がプロパガンダに流されやすくなる、という趣旨のことをどこかで書いていたのをひさしぶりに思い出した。

たまにはケシカラニズムに陥っていないか自己点検でもするか。フェミニストさんも自分偏見を認めたほうがいい思うんだよね。

制度的に不幸になっている者は救済する、しかし、偏見ある社会のなかで生きている者の幸せ自己実現否定しない、という具合のバランスがちょうどいい。

男性社会にあって嫁として母として子供を育ててきた誇りある人生否定するのがフェミではないと思うし。

そういう意味じゃ、左翼保守主義のマインドも頭の片隅に入れておく必要があるし、保守派も制度的な公正について左翼の主張に耳を傾ける必要がある、といったところか。

2024-05-23

anond:20240521232412

ブクマカブコメとしての最適解をコメントするマシーンからだよ。

労働者にやる気を持たせたい/持つべき」 このテーマの時はね、もうブコメする内容決まってるのよ。

労働者はやる気を持たなくてよい、それは経営者仕事」「賃金で反映すべき」 これしか書かないの。本当に。100%これだけ。

彼らは本当にこんなこと考えてるのか?まぁたぶん本気でそう「思って」はいるんだけど自分の頭で「思考」した内容ではないんだよね。はてなで見た受け売りをそのまま書いてるの。

なんでかって?スターが集まるからスターつけるほうもなんも考えてないから、同じ内容にスターつけるの。

はてな毎日みてるような連中にとってはそれでいいの。別に本気で時事問題論じたいわけじゃないし、その知識もないから。

毎日毎日ブコメしてる連中にとっては、スターを集めることが快感であり自己実現なの。

普通に考えたらやる気ある労働者のほうが優秀だし、評価もされるし、仕事にやる気をもてるって良いことなのにね。

でもそんなことすら考えてないんだよね。「労働者にやる気をもたせるは経営者仕事」これだけなの。

これがスター集めるからそのまま書いてるだけ。

他にもいくつかパターン決まってるのはあるね。

部活は今後どうあるべきなのか」→「廃止すべき」とかね。

意見自体はわかるけど考えてしゃべってないんだよね。じゃあなんでできないの?しないの?って話になるはずじゃん。

そういう話はしないんだよね。なぜなら知識があるわけじゃないし、ちゃんと考えてるわけでもないから。

ブクマカ(笑)って毎度スター集めてるようなやつでもブコメしてるだけだからね、マジで

自分の考えまとめた文章とかブログに書いてるわけじゃないし、多分書こうとしても書けない。なんも考えてないし調べてもないから。

リアル社会で、例えば会社の休憩時間に「労働者はやる気なんか持たなくて良い」「部活なんて全部廃止で良い」とか主張したら、周りからしたら「ちょっとおかしいんかな?」となりますよ。

そういう、実社会では全く通用しない極論みたいなのがスターを集めるのがはてなコメント欄で、その星を集めるためにコメントしてるのがブクマカ

まぁ、虫みたいなもんですよ。

2024-05-21

楽して稼いでいる旦那殺意を抱くことがある

嫉妬だって自覚はあるけど大した仕事もしていないくせに私より稼いでいる旦那を時々憎らしく思うことがある

旦那IT系会社正社員

詳しくはしらないけどWEBサイトとか作ってるらしい

年収は750万くらい

毎日私服で出社、残業はほぼなし、完全週休二日制祝日も確実に休めている

テレワークは週に2日まで可能な上に事前申告すれば出社時間をずらすこともできるらしい

一方私は底辺保育士

テレワークなんて当然できないし毎日クソみたいな保護者やお局のクソみたいなクレームを受けるストレスフルな環境

月の手取りは18万しかないしボーナス雀の涙

シフト制で休みも少ない

子どもの都合でいくらでも残業時間は伸びる

旦那職場は昼休み以外の時間帯に適宜5分くらいの小休憩を挟んでもいいことになってるらしい

少し疲れたちょっと離席してコンビニ行ってお菓子買ったり外の空気吸いに行ったり

そういうのも一切怒られないらしい

職場には無料コーヒーマシンも完備されてるんだとさ

紅茶コーヒーを飲みながら優雅お仕事できるんだと

言っちゃ悪いけど旦那仕事なんて明日この世から無くなっても誰も困らないようなものじゃん

私の仕事のほうがよっぽと日本に貢献している重要度も高いでしょ?

なんで社会から切実に必要とされている仕事薄給激務で一社二社潰れても社会に影響なさそうな仕事が高給で待遇もいいんだよ

家に帰ってきた旦那が「いやー今日は忙しかったー」とかほざいてんのを見ると旦那は悪くないって理性では納得していても正直殺意が湧いてくる

私も福利厚生充実の会社入ってキラキラ自己実現(笑)みたいな痛々しいことインスタとかに投稿たかったな

なんで保育士なんて目指しちゃったんだろうな

しょーもない仕事をしているくせに高待遇なやつには重税をかけてほしい

仕事の内容ごとに所得税の倍率変えようよ

IT系とか遊びみたいな仕事している人は所得税10倍にしてほしい

そうでないと正直やってらんない

今ここに旦那所得税10倍にできるボタンがあったなら、たぶん家庭の収入が減るってことわきまえたうえでそれでも押すと思う

それくらい旦那のことが嫌いだし憎い

はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ疲れた

2024-05-20

anond:20240518000948

同人女というかオタク女にありがちだけど、「オタク活動創作趣味」といいきるわりには、「趣味だけで恋愛仕事もしてこなかった」とか「趣味一辺倒の生活でいいのだろうか?」とは言わない。

なぜか、「オタ活だけで恋愛仕事もしてこなかった」とか「オタ活一辺倒の生活でよいのだろうか?」と言い換える。

オタクであることというのがアイデンティティなんだろうけど、自分の目を曇らしてない?

趣味サバゲーだけやってたんで恋愛仕事もがんばってこなかったんだよね~」とかいう男いたら、「??」ってなるよね。

趣味アクセ作りだけやってたんで恋愛仕事もがんばってこなかったんだよね~」とかいう女も、たぶん「??」ってなる。

いや趣味でしょ?趣味趣味で楽しむだけにしときなよ、仕事とか関係ある?って感想になるじゃん。だから普通こんなこと言わないんだよね、ネットでも。

趣味とか関係ないじゃん。単に恋愛仕事もしてこなかった/うまくいかなかった人、だよねこれは。

まずそのオタク活動への特別視、オタク活動してる自分への特別視みたいなのを辞めてもいいんじゃないかな。

生きがいなのはわかるよ。でも「趣味が生きがい」っていうのは、「趣味だけに生きる」っていう意味じゃないよ。

しろ、「趣味のために仕事を頑張る」くらいのもんなんだよ。

もちろん、本当にすべてをなげうって趣味だけのために生きる人もいるよ?でもそれは険しい道だよ。

男性でも女性でもそういう人はたまにいるけど、まぁ正直あんまり楽しそうに見えないし大変そうだよね。その道を選ぶなら、それはそれで良いと思うけど。

でもそれだったら収入をある程度得て趣味につぎ込むとか、家庭を持ちながら余暇趣味を行うとかのほうがバランス良いじゃん。…趣味なんでしょ?

元増田の悩みは、たぶんオタ活とか二次創作とか別に関係ないんだよ。

今後どうするか、こんなに考えてない30代この世にいない気がしてきた。

ここでしょ。

あれ?自分このままだとどうなんの?このままでいいんかな?仕事恋愛も、このままだと全然見通し立たなくね?って思ったんでしょ。オタ活とか趣味とか関係ないよ。自分人生を考える時なんだよ。

まぁなんも考えてないヤツは世の中いっぱいいるけどね。「この世にいない気がしてきた」とかそんなことないよ。ネットオタクにありがちだけどそんな修辞しないほうが良い、ちゃん現実見ろ。

あと、元増田が動揺してるのは「オタ活界隈こそが自分の本当の居場所だと思ってたけど、実は違うんじゃないか、ずっとはここにいられないんじゃないか」って心のどこかで思ってるからでしょ。

まぁ、これも実際その通りで、趣味の場って大抵の人にとっては「2つ目の居場所」なんだよね。

「家庭」とか「職場」で自分役割をこなして、自己実現をするんだよ。趣味の場はその息抜きとして、別の役割をする場所なんだよね。

ただオタク活動をしているだけで、それが人生の居場所になるのか?っていうとそれは難しいかもね、実際のところ。残念ながら加齢で浮くってのもあるし。年取っても趣味の場に顔を出すこと自体はすごく良いことだと思うけどね。


で、実際のところ、仕事頑張ったほうが良いんじゃない?と思うよ。たくさん稼いで元気にオタ活すればいいじゃん。

稼げないか仕事楽しくないんだよ。稼げたら楽しいと思うよ。まぁ転職とか、大変かもしんないけどね…。

あと恋愛興味ないってのも、本心からなのかちゃんと考えてもいいんじゃない最初からあきらめてないか元増田の内心まではわからんけどさ。

「オタ活やってる」を言い訳にせずに自分と向き合う時が来たんだよ。

他の増田もいってるけど、仕事趣味バランスとりながらやったら良いよ。


あとさ、どうしてもオタ活を人生の中心に置きたいなら、「趣味」とかじゃなくてちゃんと「生業」にしなよ。

二次創作から金儲けってのは難しいかもしれないけど、「大して売れない」じゃなくて「バンバン売れる」とか「界隈でも評価されてる」くらいを本気で目指してみりゃいいじゃん。

文字書きなのか漫画書きなのか知らんけど、売上あがったり、仕事につながったりするくらいまでやってみればいいじゃん。それか有名同人作家として評価されるくらいまでさ。

極論だけど、元増田本業の半分くらいをオタ活の売上で稼げたら、たぶん今の増田の悩みは消えるよ。(税務署はくるだろうけどw)

クソな仕事してても、「まぁ私同人で稼いでるし?」と思えると思うよ。たぶん、居場所もできるよ。

「それは無理だな…」「ただ単に楽しくやるのが良いんだよな…」って思うなら、やっぱオタ活は趣味と割り切るべきだよ。

オタ活も頑張っても良いけど、仕事ちゃんと頑張りな。それか、険しい道だけど趣味だけに生きな。

あと最後に、「オタクそういうとこだぞ~」ってところを指摘しておくよ。

でも、自分でも心のどこかでそういう普通じゃないルート歩んでるのがコンプから、Aさんが同人辞めたの気にしてるんだろうな。

普通人生への憧れを振り切らないとずっと心にブレーキかかったままな気がする。

元増田人生別に普通だよ、マジで。「特別普通」「オタク非オタク」「創作・非創作」で分けるのやめたほうが良いよ。

コンプを感じたのはAさんが「普通ルート」を歩んでるからじゃないんじゃない?

元増田がやってこなかったことをやってたからでしょ。おそらく同人活動と並行しながらそれをやってて、そんでもってサクッと同人活動趣味)をやめたからでしょ。

2024-05-14

10年前に憧れの大人だったフォロワーを正直見下してしまっている

10ツイッターをやっていたら一部のフォロワーゆっくり限界人間になってきた  anond:20240505130439

という投稿を読んで、共感というかしんみり来た。

記事は同世代フォロワー分岐による無常で見ているが、自分場合はかつて輝いて見えた年上の人がすっかりダメになってしまった、というパターン最近悲しみを覚えている。

自分インターネット世界に飛び込んだのは小学生の頃。

今時子供ネットをやってるなんて当たり前の事だが、当時はまだスマートフォン社会ではなかった頃で、インターネットをやってる小学生なんてなかなか周りで出会えなかった。そんな時代

暫くしてまだ「最近出てきた新しいホームページ」だったTwitterアカウントを作ると、必然的フォロワー全員は年上だった。それも2、3個上とかではなく、1020も上という人ばかりだった。

現実世界ではとても対等に話せるような年齢の人ではない人ばかりと話す事が出来たので、相手が大きく見えて常に恐縮だったし、なんだか自分大人になったような気がした。

あれから10年以上が経った。

「あの頃とても大きく見えたお兄さんお姉さん」だった彼・彼女らの殆どは、どちらかというと悪い意味で変わっていないか悪化たかだ。

その人が20代ぐらいの頃はさほど気にならなかった言動も、年を重ねるごとに「この人30過ぎててまだこんななのか」「もうこの人50ぐらいじゃなかったか?まだこんな事言ってるのか?」という負のブーストがかかってしまう。

加えて、自分より年下の10からハタチそこそこぐらいの今時の子たちは、かなり聡明な子が多い。

そんな若い子たちを見ていると無意識比較してしまい、余計にその思いが強まってしまう。「私より年下の子ですらこんな聡いのに……」と。

特に年上女性殆どはツイフェミ化してしまった。

オタク友達としてフォローしたはずなのに、いつの間にか性犯罪の話しかしなくなったフォロワーが何人いることか。

まあ、性犯罪は悪い事だというのは正しいし、男女平等だったら良いねというのももっともなのだが、だとしたらせめて、フェミニズムに真剣になったらどうだろう。と思ってしまう。

真面目に活動とかするなら分かるんだけど、やってる事は誰かのツイートRTして仮想敵にぷりぷり怒ってるだけという感じで、なのに「自分は真面目に社会問題に取り組んでる!」と思っているのが悲しい。

あと、彼らは本当にインターネット歴が長いのか謎なほど、ソース確認意識が弱い。

例えばヤフーニュース見出しだけ見て連投で怒り出したりするが、記事を開いて中身を見ればそうじゃないのはすぐ分かるのに。みたいな事が多い。

特に去年多かったのが、「イーロン・マスクが次はこんなクソ改修をするぞ!」を焦って拡散し、結局ちょっと調べればデマだと分かる、というようなやつ。

いや、見出し釣りあげようとするニュース記事も実際にトンチキ改修を結構しがちのイーロン・マスクも悪いけど、それよりインターネット何年目よ。

そうやってRT非表示にするフォローが増える。

デマ拡散したり、扇動的ツイート簡単に釣られたりする人をTLに残すのは危険だ。

まり酷いようだと本人もミュートにしたり、最悪フォローを外す。10年来の仲でも簡単に切れてしまう。

無害なだけで残念に感じる事は他にも色々ある。

40代になっても「良い高校出身なんだ!」と自慢してくる人(しかもこういう人に限って言うほどの名門ではない、地元ではちょっと上の方ぐらいの高校

40代になっても毒親に虐げられた話を延々と続ける人(しかもこういう人に限って言うほどの毒親ではない、どのエピソードを聞いても口調がサバサバしてる以上の問題行動が出てこない)

三十路越えてソシャゲ運営のいちいちの動きに一喜一憂ヒステリックになり癇癪を起こす人(「きっとこういう事情があるんだろうな、残念だけどしょうがない!」と割り切ってる10代がすぐ上に居たりすると悲壮感が凄い)

など、挙げれば例は尽きない。

これが悲しい事に、同じ年代の人が皆そうという訳ではなくて、例えば仕事でそこそこ自己実現出来ていたり、オタク仲間で絵を勉強して今やイラストレーターとして食えてる人とかは、かなり人格的にも安定し、上記のような事が起きない。

トラバ元の記事では、ライフステージが進行した者としない者の対比を描いているが、「結婚しているかどうか」は自分の感じる体感では実のところ微妙だ。

というのも、結婚してからクソ旦那系の話題しか飛びつかなくなってしまった人とか、逆に結婚相手に過度に依存してしまってメンヘラみたいになってしまった人などもいて、精神の安定と結婚の有無はあまり関係ない気がしてきている。

皆「大した事してないけどなんか適当インターネットしぐさをする事で社会活動に参加してる風ムーブ」をしなくてはならない何かを抱えてしまっているのだろう。

けど、今から取り返そうという努力をするでもなく、新しいものも吸収しなくなる、好きなものの話はいしかしなくなり浅瀬の知識もないニュースの話だけ、どんどん話が合わなくなる。

かつてあれほどまでに輝いて仰ぎ見ていた彼らを、今はどこか見下してしまっている自分が居る。

まあこんな事をはてな匿名に書き込んじゃう20だって、結局は同じ穴の貉という気はしつつも、気を付けたいなと思う。

2024-05-06

anond:20240506202742

子どもができた時。いまは自己実現とかどうでも良くなって、子ども遊んだ旅行に行ったりするのがたまらなく楽しい

でも、子どもが大きくなって相手にされなくなったら、また何者でもない自分と向き合い、虚無感に襲われるんじゃないかと思うと、少し怖い。

まだアラフォーだけどセカンドキャリアのことを考えていきたい。

2024-05-03

弱者男性とは『愛されるための正しい努力をせずに周回遅れになった者が、ありもしない一発逆転のギャンブルばかりに手を出して自滅していく話』

弱者男性、『愛されるための正しい努力をせずに周回遅れになった者が、ありもしない一発逆転のギャンブルばかりに手を出して自滅していく話』として読んでしまうので、彼が遭遇する状況を考えると同情出来ないんだよな。

社会的ヒエラルキーが厳格であり、時間に縛られ、さら長寿であるという前提条件があるとしても、「女をあてがってほしい」という目標は非現実的

彼が周囲とあまり交流がない中で生きているとすれば、彼が300年生きたとしても、たくさんの人々と話す機会が限られている。そのような状況では、愛情を育むことは困難。

自分の望みが「女を下方婚させること」と気づいたのは、内省的な成長の一部かもしれん。でも自己中心的手段で「一発逆転してみんなを驚かせたい。見返したい」という願望を追求するなら、社会的孤立して詐欺に遭いますよ。どんな社会だって

まり自己中心的手段自己実現を追求する場合、自滅に向かう可能性が高いってこと。

2024-04-27

ガールズバンドクライの余計な嘘

最初に断っておくと、これは個人的リアリティライン制作側の演出リアリティラインが合ってない、結果として「嫌なら見るな」でしかない話。ちょっと期待してた分のガッカリした気持ちを吐き出したいだけだ。

ガールズバンドクライは、何らかの問題を抱えた少女たちが出会いバンド活動を通じて自己実現していく系の作品だろうと思って視聴し始めた。まあそこは実際どうだかはおいといて

といったこからも、バンドにまつわる描写にはとくに本腰入れてリアリティ出そうとしてるんだと思った。音楽周り中心に周辺事情ちゃんと描くからこそ、ぶっ飛んだキャラ設定などのフィクションならではの部分に対して嘘くささを忘れられてドラマ性が高まる、そういうもんだと思ってる。

が、実際には1〜2話では逆の、とくにバンド関連の嘘が、演出だとしてもひどい印象だった。

許し難いライン

フィクションとして許せなくはないが納得し難いライン

なんかこの辺、要らん嘘って感じで、ストーリー展開のための嘘にしか思えず、演出だとしても筋が悪いように感じられて、視聴のノイズしかなかった。

1話で仁菜のギターの扱いが酷いのは単にど素人から別にいい。仕方ない。「他人の」「楽器」ってだけで大事に扱う常識的感覚、を持ち合わせていないキャラで構わない。あと1話は、仁菜の住む予定の部屋の隣、そんなアパートに小さな子いる家族で住む?みたいのも気になったがあり得なくはない。2話での、壊れたシーリングライトスイッチブレーカーも落とさず着けるシーンは危ないのでやめて欲しいが、そこが無知なのは仕方ないというか全然有り得る。ちょっとした家電知識すらない大人現実にいる。そういうのよりスマホリテラシーの偏りの方が不自然に思える。ストーリー都合過ぎる感じがとてもした。

3、4話ではノイズになる嘘が減ってきた。3話の歩いてない鳩の首リズムも嘘だが、ストーリー展開が絡まないギャグ演出みたいなもんなのでそこは許せる。

冒頭にも書いたけど結局は個人リアリティライン作品リアリティラインがズレてるだけの話。気にならない人には気にならない。

こういうこと書くとダブルスタンダードっぽいが、例えばバンド活動を主軸に扱った作品でも、以下のようなものフィクションとして気にならない。

少なくともガールズバンドクライという作品で描きたいであろうテーマからすれば、上記に挙げたようなところはフィクションで構わないと思える。まあチートというか。例えば「バンドって金かかるし貧乏生活になるよね、そこをどうあがいて脱していくかを描きたい」ってんなら話は別だけど。なんか「いないパート楽器の音が鳴る」のはチートじゃなくて、シンプルに嘘なんだよね。

花田作品結構ストーリー都合の「付かない方が世界観品質維持できてよかったろうにという嘘」が多い印象はある。でも全部が全部自分に合わないわけじゃなくて、監督やどの辺に監修入ってるかとか、何題材にしてるか(→見る側のリテラシー変わってきてリアリティラインも変わる)などで結構変わる。

でも、むしろ演出として嘘がプラスに受けてることも多そうなので、プロとしては正解選びとれてるんだろうな。

2024-04-26

東京15区補選立憲民主党候補が相当香ばしい人材な件

立憲民主党公認

酒井なつみ(37歳)


生活保護被災者バッシング

働かなくても生活保障されるという状態

これは被災地でも起こっている問題でもありますが、人はどうなると思いますか?

憲法保障されている“健康文化的な最低限の生活”が送れる。

仕事趣味で「自己実現」「社会貢献」したいという高次の欲求がない人、状況にある人は怠惰になります


本人のTwitterより

https://twitter.com/sakainatsumi724/status/205899543789834240?t=9Q2zsyikHcq9NS831D7cHw&s=19


消費税減税の賛否に「回答しない」

東京15区 衆議院補欠選挙2024 候補者アンケートNHK選挙WEB - https://www.nhk.or.jp/senkyo/database/local/hosen2404/survey/54852.html


ウクライナ支援継続に「賛成」

東京15区 衆議院補欠選挙2024 候補者アンケートNHK選挙WEB - https://www.nhk.or.jp/senkyo/database/local/hosen2404/survey/54852.html


マイナス金利解除を「評価する」

東京15区 衆議院補欠選挙2024 候補者アンケートNHK選挙WEB - https://www.nhk.or.jp/senkyo/database/local/hosen2404/survey/54852.html


大阪都構想に賛成

都構想実現ならず…かぁ。

つまんないなぁ。


本人のTwitterより

https://twitter.com/sakainatsumi724/status/599933966095757313?t=paHzaPWKew2WrQs819V_oA&s=19


増税に賛成

人口分布から10.20.30年後の労働人口が減り、医療介護費が増えるはわかりきっていること。

税収を増やし、国民平等負担して社会保障に充てる以外に方法はあるんですか?

早く増税すればいいのにと思う。

他のところからって言ってばかりではもうダメなのでは?


本人のTwitterより

https://x.com/sakainatsumi724/status/275487591640477696?s=46&t=ONQoH4qDuttoFUCI8dkD3w


討論会にはなるべく参加しない?

酒井氏の選挙を手伝う地方議員鼻息が荒い。


「折からの『政治とカネ問題のおかげで“ボーナスタイム”のような状況。ビラが次々にハケています東京15区は9人も出馬して乱戦状態ですが、野党共闘がまとまり共産社民支援も得られた。乙武さんは知名度が高いので当初は警戒しましたが、いまは悪目立ちしてしまっている。ただし、酒井さんの演説は正直“並”。討論も得意ではないので、討論会にはなるべく参加せずに『政治とカネ問題是正を訴え続け、投票日を迎えたい」


学歴詐称疑惑」再燃で国政復帰が黄信号!?…本誌直撃に小池百合子東京都知事の「ズレた返答」(FRIDAY) - Yahoo!ニュース - https://news.yahoo.co.jp/articles/e25c87557dd562ca2f701dff3f40e73ff9c46d9c

2024-04-22

映画好き1年生必修作品みたいなのを粗方漁って、制作陣で話題作だったりビッグタイトルなのかどうかも判別出来るようになってきて、作品の芯を捉えてそういう視点に沿って鑑賞する姿勢みたいなのも覚えた。細かい機微を彩る演出に目を遣る余裕みたいなのも少し出てきた。

SNSに毒されて、「ここ好きポイント」的な点ばかりを見るようになって全体像を捉えられなくなったりもした。これはいかんと思って映画館に頻繁に通ったりもした。一々再生を止めてSNS検索ボックスにそれらしい単語を放り込む余裕もないので、嫌でも全体の流れを意識せざるを得ない。そうでなくともやっぱりデカスクリーン映画を観るのは気分がいい。ガキの頃は全くもって理解しがたかっけど。1500円も払わんとレンタルでええやん。スマホで見りゃええやんって。

理解出来なかった大人に近づいてしまったのがちょっと嫌な気もする。肝心なのは作品なんであって、視聴環境なんて些末な問題にこだわるつまらない奴になってしまったような。音質を聞くために音楽聴く倒錯したオーオタに対する嫌悪感に近いものがある。

端的に出来事を表せば数行でまとめられるような作品もあまり好きではなかったけど、素直に面白いねえと思ったりするようにもなった。自己実現への不安が膨らみ始める年頃になってから人間っておもろいやん?人生ってこうじゃん?という話が割と好きになってきた。

それでもやっぱりおれの心の源流には、ガキの頃DVDで何遍も観たスターウォーズインディジョーンズ、パイレーツスパイダーマンがあるなって思う。やっぱ嘘をつくなら現実じゃ逆立ちしたって見られないような、外連味があって心踊るものが見たい。

2024-04-20

保育士よりもクソどうでもいい仕事の方が待遇が良いのはおかしいだろ

マジでおかしいだろ。

世の中狂ってるとしか思えない。

今日久々に高校の頃の友達と飲んだ。

友達渋谷会社WEBページ制作をやっているんだと。

完全週休二日制有給も消化できて福利厚生も充実。

なんかよくわからないけど映画テーマパークチケットが相当安くなるシステムがあるらしい。

それ使って毎週映画を観に行っているんだとさ。

残業は月に10時間程度で年間休日は当然のように120日以上。

かたや私は底辺保育士薄給激務。

クソみたいな保護者のクソみたいなクレームを受けながらクソガキの世話をして月の手取り18万。

シフト制で休みは少ないし子どもの都合でいくらでも残業時間は伸びる。

流石に給料のことは聞けなかったけどどうせWEBページ制作のほうが全然賃金も高いんでしょ?

マジでやってられねーよ。

なんで社会から切実に必要とされる仕事薄給激務で一社二社潰れてもそれほど社会に影響なさそうなクソどうでもいい仕事が高給で待遇もいいんだよ。

毎日毎日クタクタに疲れ果ててここ1年映画なんて一回も言ってないよ私は。

今日友達仕事の話をしたら、

「え〜、そんなに無理して働くことないよ〜」

転職しなよ〜、私の会社紹介制度あるから〇〇ちゃん誘ってあげようか?」

「私にもインセンティブ入るんだよ〜。未経験でもいけるみたいだよ〜」

って煽られた。

思い出したら本当に腹立ってきたな。

おかしい頭おかしい頭おかしい頭おかしい頭おかしい。

何で社会から必要とされる仕事の方が給料低くて激務なの???

日本社会需要供給って言葉知ってる???

普通需要の高い仕事給料が上がるんだよ???

なんで保育士はこんなに奴隷みたいな待遇で働かなくちゃいけないの???

おまけに保育士キャリアのつぶしもきかない。

保育士資格なんて保育士以外で活かせないし一生奴隷待遇なの確定じゃん。

あーあ。

私も楽な会社入ってキラキラ仕事自己実現(笑)みたいな人生歩みたかったな。

なんで保育士なんて目指しちゃったんだろうな。

なんで日本社会価値のない空虚ゴミみたいな仕事ばかり待遇が上がっていくんだろうな。

人の命にかかわらない仕事をしているやつには全員重税をかけろよホント

娯楽仕事税とかそういう名目でさ。

遊びみたいな仕事しているやつは本当の仕事をしているやつに施しを与えろ。

それくらいしてくれないと割に合わねーよマジで

2024-04-17

anond:20240417195251

誰にでも得意不得意くらいはあるが

それをハッスル自己実現と結びつけるのは有害宗教でありいただけない

その昭和ジオ価値観で育てられたX世代はすでに無能ナルシスト評価されている

2024-04-14

anond:20240414104659

夢を失ってない若者へのアドバイスだ!!

歳を重ねると、夢を実現したい気持ちや、諦めたくない悔しさとか、そういう感覚がマヒする。

まだ見ぬ運命相手に会いたいとか、成功したい、自己実現したいって思いを、かつて誰もが持っていたぞ。

私も持っていた——…しかし今ではどうでもよくなった。

夢見る感覚がマヒして、現状維持に満足できるようになる、これこそが大人になるということなのだよ。

2024-04-13

世間の人々に関して絵師勘違いしていること

生成AIが生み出されて以降、多くの絵師自分たち価値観絶対であると考え、「AIを使って絵を出力している人間クリエイター嫉妬している」「何者かになりたいという欲求は手で描かないと満たせない」というような事を言っている。

断言するが、世間の人々はネットキモオタ共のオカズになる為の絵を描いている人間をおおよそ気持ち悪いと思っており、シコ絵を描きたいと思うことはないので、そこに嫉妬する要素は無い。

キモオタに持ち上げられてシコられると、シコ絵を描くことがよほど素晴らしいことに思えるらしい)

そして、世間の人々は家族、友人、職場趣味等で自己実現し、絵なんて描かなくても何者かになっている。

(絵を描くことしか出来ないと、絵を描かなければ何者にもなれないと思い込むらしい)

そういった世間の人々が、日常生活の中で使用するのが、「なんか絵が生み出せる生成AIである

それらは家族同士の会話のネタや、友達同士のバカ話、職場での資料作り、趣味の補強に使われる。

そこに絵師に対する嫉妬もなければ、何者かになりたいという欲求もない。

今後貴方がたが生成AIに対して反発していく上で戦っていくのは、こういった「絵師の狭い価値観」が通用しない一般人である

まあ、その価値観の押しつけが通用すると勘違いし続けるなら、すればよろしい。理解されないだろうから

2024-04-09

推しブーム醜悪

自分キラキラに疲れた社会に「推し」ブームが来た | Books&Apps

他人人生を使って自己実現しよう試みるのは基本的醜悪であり、これらが良いことであるかのように吹聴する『推しブーム』は今すぐに無くなるべき。推し活の名のもとにファン芸能人スポーツ選手に自信の欲望押し付けた結果、悲劇が起きた事例は枚挙に暇がない。ファンは彼らの芸やプレイ作品を楽しむ権利はあっても彼らの人生人格公然と消費したり、批評したりする権利はない。また推し自分理想と違う面を見せたからと言って、それを強い言葉批判するべきではない。

これらの問題を『一部の過激ファン問題行動を起こしているだけ』と矮小化するのは非常によくない。推し活という構造のもの過激ファンを生み出していると考えるべきである。多くの場合ファン認識している『推し』とは推される対象のごく一側面や商業的につくられたキャラクターしかない。その『一側面やキャラクターしかないものを推す自分』を自らのアイデンティティに組み込んでしまうと、推しがその側面やキャラクターからズレた発言・行動を取った場合、あるいは第三者によってそれらが否定された場合自身アイデンティティ否定されたように感じてしまうことで過激な反応を行ってしまうことは想像に難くないし、実際にそのような状況下で怒り狂うファンはXでいくらでも観測できる。つまり自分アイデンティティ他人人生に託すという『推し』の構造のもの諸悪の根源なのであって、実際に問題複数発生している以上それら全体の課題を個々人の問題とするべきではない。

いま推し活をしている人が活動自体をやめるのは難しいだろう。しか自分本来多面的なはずの人間の一側面だけを都合よく消費しているという自覚は持つべきだし、その自覚のもとにクローズド範囲活動の場を絞り、仮に理想現実の差に傷ついたとしてもその気持ち推しにぶつけるのではなくそっと去るようにした方が良い。またお金稼ぎのために推しブームを推進し、若者人生を使い潰す大人は恥を知るべきだと思う。

2024-03-25

anond:20240325180030

スポーツに対するあなたの疑問は理解できます。確かにスポーツ自体に深い意味があるわけではありません。しかし、スポーツには以下のような意義があると考えられています

健康的な身体を維持する

チームワークやフェアプレーの精神を育む

ストレス解消や楽しみを得る

自己実現の場となる

国を超えた交流の場となる

スポーツ自体意味を求めるよりも、スポーツを通して得られる体験価値観人間関係などに意味があるのかもしれません。しかし、すべての人にスポーツが合うわけではありません。あなたスポーツ価値を見出せないのであれば、それも自然なことです。人それぞれ興味や価値観が異なるのは当たり前のことです。大切なのは他者尊重しつつ、自分自身生き方を見つけていくことではないでしょうか。

2024-03-24

anond:20240323222242

トランス女性女子スポーツ参加や女子トイレの利用に肯定的立場を支持する論理はいくつかあります。まず第一に、トランス女性は自認する性別と同じ権利を持つべきであり、その権利の一つが同じ性別の人々と同じ環境運動日常生活を送ることです。このような包括的アプローチは、トランス女性心理的幸福感と自己実現寄与します。さらに、トランス女性女子スポーツに参加することは、彼女たちにとって重要健康上の利益をもたらす可能性があります運動健康的な生活を支え、自尊心社会的結びつきを促進するため、トランス女性が適切なスポーツ環境活動することは、その健康幸福にとってプラスに働きますさらに、トランス女性自分自身安全かつ快適に感じる場所トイレを利用できる権利を持っています性別に関わらず、個々のプライバシー安全尊重することは、人権尊厳基本的原則です。トランス女性女子トイレを利用することを認めることは、彼女たちの人権を守るだけでなく、社会全体の包摂的な価値を示すものです。

2024-03-20

anond:20240320101416

ブックマーク増田への書き込みは、情報共有と個人表現の自由の一環ですね。自己顕示欲というよりは、コミュニケーション自己実現手段ではないでしょうか。それぞれが自分の声を持てるのは素晴らしいことです。

anond:20240320093951

海外旅行好きの女性って何か特徴ってあるのかな。

そういえば旅行好きにしばしばみられる行動として、訪問場所の事前チェックがある、とふと思った。

国内海外わずだし、男女問わずだけど。

旅行に行く前の準備行為として、絶対に逃すべきではない場所食べ物を入念にチェックする。

現地でセルフィを撮って、インスタなどSNSで送る、という行動がみられる。

最近では、インバウンド来日する外国人にとてもよくみられる光景だ。

映え写真をとっては、憧れのいかにもNIPPON!な光景に興奮して即座にSNSで送る。

旅行好きの人たちにみられるこれらの行動は、スタンプラリーとほぼ同じ意味を持つ。

日常との差異体験やよその世界ちょっとだけ繋がったりできたことの証明自己顕示が欲しいのだ。

その意味で、他の人のインスタと同じ構図で撮影することが現地に到達したこと証明するうえでとても重要

このような形で消費される、「日常では手に入らない新しい体験」は、要するに、「ごっこ」であり、エコツアーにしてもアグリツーリズムにしても何しても、

現地との関係性を一瞬だけ体感できる、という意味で、旅行者が憧れていた「日常との差異」や「関係性」を消費する行動なんだろうな。

さて、それが近年の傾向なのか?というと恐らくそうではなく、これは、かつての絵葉書を送るというスタイルから変化した形で、

東海道五十三次時代からそうであっただろうし、男女にも差がなく、古今東西それほど大きな違いはなさそうだ。

日常との差異を消費し、疑似的な関係性に癒されるというのは、昔からあったのだろう。

ところで、僕は男性で、わりと旅行好きというか、仕事柄、年がら年中、スーツケースをころがしている。

そんな男性立場からみて、女性のほうが傾向として強く、逆に男性に弱いことでひとつだけ思い当たることがある。

それは、旅先で一時的体験する関係性を、その後も持続させようとする傾向だ。

旅先で知り合った人とその後も連絡を取り合ったりとする傾向は女性のほうが強い気がする。


「おもいでぽろぽろ」というジブリ高畑勲監督映画(1991)がある。

都会育ちのOL女性田舎暮らしに憧れる、というところからスタートするこの物語は、農家体験をしてゆくうちに気持ちが変化し、

最終的に田舎暮らし決断するところで終わる。

この映画場合、旅先の地に女性を迎え入れる男性やその家族という存在があるが、

いろいろふりかえってみると、必ずしも現地にそのような迎え入れるひとや団体がなくとも、旅先で憧れた現地に、そのまま飛び込んでいく女性というのをしばしばみてきた。

アジアアフリカ中南米で。かつて、「なんでこんなところに日本人」という世界の片隅で暮らす日本人を紹介するテレビ番組があったが、その番組で紹介しているのも、若い女性の活動が目立っていたように思う。

「男女差」という視点で、いろいろ参考情報をみていくと、例えば

海外留学の男女比も女性のほうが10ポイントくらい高いのだそうだ。

また、男女管理職別で見ると、男性は自社内のキャリアアップ意向が高いのに対し、女性男性よりも転職でのキャリアアップ意向が高いのだという。

男性女性よりも保守的で、外に関心がない、という傾向はそこから見て取れるのだが、

だが!しかし、、、、

果たして、そんなふうに男女差を単純に断じていいのか?とも思う。

それでも確証はないけれども、これらの数字が出ている以上は、それにむすびつく何かしら男女差のような背景はありそうだ。

まずは、男女共同が叫ばれつつも今をもって日本男性社会であるという事実から出発してちょっと考えてみる。

突飛な発想かもしれないけど、1970年代初めごろの歌謡曲で「瀬戸の花嫁」という歌を思い出した。

瀬戸内海小島へ嫁が嫁ぐ様・心情と、新生活への決意が歌われている。

あなたの島へ お嫁にゆくの 若いと誰もが 心配するけれど 愛があるから 大丈夫なの」

当時、女性が他の家に嫁ぐということは、程度の差こそあれ、この歌が表現しているように、

ホームからアウェイに飛び出してゆくことであり、その後一生アウェイで暮らす覚悟必要だった。

ドラマおしん」(1983年)も思い出す。朝の連ドラとしては異例の一年間の長編ドラマとなった「おしん」。

そこでは、さらもっと幼少のころから嫁ぎ先へとひたすらアウェイ過酷人生が描かれ、しまいには終戦時に夫が自殺し、どん底な半生が半年くらい描かれている。物語の後半では、敗戦後、残された子供を抱えて女手ひとつ小売店を立ちあげ、自立してゆき、やがて息子へ引き継いでゆく姿が描かれ、多くの女性共感を呼んだ作品だった。

孫までいるおばあちゃんとなったおしんだったが、このドラマは、事業を引き継いだ息子が無謀な事業拡大を始めたことで経営リスクに直面し、育て方を間違えたと自信を喪失したおしんが、過去を振り返るために原点である山形への旅に出るというシーンから始まっている。一年近いドラマの終盤300話くらいから、その伏線を回収し始めるという、息の長いドラマで、橋田壽賀子、すげえという感じしかない。

アウェイ世界でたくましく生き抜くおしんとは対照的に、登場する男性はどいつもこいつもダメな男ばかり、というのも印象に残った。(補記:特におしんの夫は軍組織に尽くし、結果として多くの命を亡くした責任を感じて自殺したという筋書きだが、拠り所となる国家、軍などのホームベース敗戦により瓦解したことのショックが実際のところの引き金だろう。)

「嫁ぎ」に象徴されるように、簡単に引き返せないような事柄に身を投じるエネルギー、勇敢さ、芯の強さは、男性社会のなかで女性文化的に育まれものなのかもしれない。

昨今では、結婚就職になぞらえる向きもあるけれど、かつての日本社会はいったん他の家、姑の支配下に入ったら最後、そんなに生易しい現実ではなかったはずだ。

男性は芯がないくせに保守的で臆病だ。外の世界渡り歩いていて、仮に失敗してもギリギリホームグラウンドにもどってこれる、みたいに何か安全弁のようなもの男性社会のものが仕組みとしてもっていた。だからその範囲しか外に出歩かないのだ。ふるさと家業を継ぐなんて選択肢が30代くらいの人生の岐路に用意されているとかね。

一方、女性は嫁ぐにしても出戻るにしても自分の居場所を確保するには厳しい世界

「嫁ぐ」という習慣、因習宿命からまれた、抑圧されてきた女性の生きるエネルギーが、むしろ社会を変える力になってゆく。

これはなかなかパラドックスだと思った。

翻って、旅行好きの女性について思うことは、ホームグラウンドからアウェイ世界に飛び込むという意味

かつての日本によくみられた嫁ぐという宿命と旅は似たところがある。嫁ぐ行為が違うのは、それが片道切符であり、二度と戻れない覚悟必要だということだ。

若い女性にとって、日常空間から飛び出す、という旅行体験は、やがては「嫁ぐ」という運命現実世界で待ち構えていた時代には、疑似的に自分覚悟能力を試す場としてより大きな意味があったかもしれない。

嫁ぎ先である日本社会日本人男性漠然失望している場合希望がもてなければ、いずれにしてもアウェイ世界で生きる宿命ならば、

いっそのこと、旅先の現地でとどまって残りの人生を過ごすことも選択肢としてはあり、くらいの感覚深層心理にあるのではないか妄想する。

一方で、男性のほうは、ホームグラウンドである故郷というもの概念として存在していた時代は、旅というのは、違った意味を持っていたと思う。都市に何世代も定着した人口が急増したここ四半世紀より前の20世紀の話だ。

かまやつひろしの歌で「どうにかなるさ」というフォークソングがある。

「見慣れた街の明り 行くなと呼ぶ」

この世界観は、瀬戸の花嫁のようなアウェイ世界で生きる覚悟は感じられない。アウェイでもどうにかなると思っているのだ。

なおかつ、ホームグラウンドを出て行ってもなお、ホームからかい視線旅人である自分に向け続けてくれていると信じているのであり、「男はつらいよ」のフーテン寅さんとほぼ同じ世界観だ。ボヘミアンを気取って出て行っても、いざとなったらただいまといって帰れる場所がある。

そういえば、寅さん映画も、旅先での関係性を持続できないということがひとつの大きなテーマになっていることに気がついた。


民俗学者宮本常一は、故郷を捨てて放浪する旅人考察した文章のなかで、そうした旅人

地元を去って放浪した末に、やがてひょっこりと故郷に戻ってきて、旅先で得た経験や新しい知識を広め、地域活性化寄与する機能果たしていたことを、

世間師という言葉表現した。フーテン寅さんのことを考えていたら、そんなことも思い出した。

世間師というのは、故郷側の人間が出戻りの人間に対して名付けた呼び名で、一種の敬意が込められている。

嫁ぐということが待ち構えておらず、ゆくゆくは地域社会リーダーシップをとっていかなければならない男性潜在的意識として、旅は武者修行であったり、広く見聞を広め、世の中の解像度を上げるための行為だったのかもしれない。会社組織が全国各地の赴任経験を重視しているのも同じ価値観といえる。

かつて東南アジアへのセックスツアーなどがあったように、赴任先、旅先で恥をかき捨てるのも主に男性だ。

男の旅というのは、ちまちましたもの火遊びのようなもの。家から離れて外の空気を吸いたいというものだ。近所のスナックだったり、家庭が壊れないようにという不安があるからまり大きなことはできないが、脇が甘いから夫が捨てたラブホテルマッチを妻がゴミ箱から発見してしまう。やまだ紫の「しんきらり」という漫画では、そんな情景が描かれていたのを思い出した。

しかし、この四半世紀、女性社会進出や、結婚観は大きく様変わりし、嫁ぐということを前提としない将来像を女性模索する時代になった。

テレビドラマも、90年代以降、女性社会進出を反映して、トレンディドラマ代表されるように、キャリアウーマンがオシャレなレストラン食事する、みたいなシーンが増えた。

東京ラブストリーとか。憧れのロールモデルが描かれるようになったということだ。ドラマ世界にあこがれる、ということが90年代まではあり得た。

しかし、現実女性社会的地位はどうだったかというと、総合職課長以上に登れるのは一握りで、相変わらず賃金格差があり、お茶くみやらと男性社会における旧態依然とした女性役割押し付けられていたのが現実だ。その現実90年代ドラマショムニ」でよく表現されていたように思う。

しかし、さら時代は変わって、憧れの東京に向かって、急速に人が流入しつづける時代は終わりつつあり、受け入れるキャパもなくなってきた。「おもいでぽろぽろ」の主人公少女時代1970年代)は、都会の夏休みラジオ体操に二人しか参加していないほど、ふるさと田舎そもそも持たない世帯が少なかった。今では想像もできない光景だ。

中長期的には東京一極集中トレンドは変わらないものの、それは不動産価格トレンドに連動したもので近隣県から流入が中心。一方で、田舎というベースをもち帰省必要な人というのは減っているのではないか首都圏の人は首都圏世代を重ねるし、地方の人は地方価値見出し仕事をみつけ、結婚し、次世代を育てる、という人口流動の安定期になってきたようにも思う。帰省という形でつながっていた地方ふるさとホーム)との関係が途切れてきているといってもいい。

そうなると、都会の人間地方に見出す価値というのものというのは、失われた関係性そのものに重きがおかれるようになるのは自然なことだ。

その結果、その後に続くドラマの傾向としてみても、(都会で活躍するキャリア女性理想像ではなく、もっと実態に即した現実を映し出す、自分探しのようなドラマが増えていったように思う。

一昨年のドラマファーストペンギン」とか「ユニコーンに乗って」なども、スタートアップ企業テーマ女性自画像模索した作品で、近年の傾向を象徴しているように思えた。

ファーストペンギン」のように地方移住テーマにした作品は、アウェイ環境女性ポテンシャルを試そうとするという意味では、「嫁ぎモデル」の延長線上にあるような気もするが、都会との関係性が交錯しながら物語が進むところに、考えるヒントを与えてくれるドラマではあった。


そんなことをおもった。そもそも旅行の話からはかなりズレてしまったけれど、女性が旅に何を見出しているのか、というのは女性人生観ということと絡めて考えてみると、興味深いテーマだとは思う。

とりとめもないメモです。

補記

上記の書きなぐりをAIが次のように要約したので感心した。ここまで断言できないからゴチャゴチャ書いてたのに。

旅行好きの女性の特徴と男女差

旅行好きの人々は、事前に訪問地の情報をチェックし、SNSでの共有を楽しむ傾向がある。これは、日常からの脱却と、新しい体験への憧れを表している。特に女性は、旅先での関係性を持続させることに価値を見出すことが多いようだ。

歴史的に見ても、男女間で旅行に対するアプローチに大きな違いはないものの、女性はより積極的に新しい環境文化に飛び込む傾向があると言える。これは、社会的な役割や期待に対する反応として、女性自己実現のために旅行を利用していることを示唆している。

一方で、男性はより保守的で、旅行を通じて得た経験故郷に持ち帰り、地域社会に貢献する傾向がある。これは、男性社会的なリーダーシップを担う役割を果たすことが期待されているためかもしれない。

故郷と都会の関係性の変化

現代日本では、故郷と都会の間の伝統的な絆が薄れつつある。かつては、人々は故郷を離れて都会で働き、定期的に帰省することで地方とのつながりを保っていた。しかし、今では都会で生まれ育った世代が増え、地方への帰属意識が低下している。これにより、都会の人々が地方に求める価値は、失われつつある関係性そのものになっている。

この変化は、地方と都会の間の人口流動の安定化を示しており、それぞれの地域価値見出し生活を築く傾向が強まっている。結果として、地方への憧れや関係性の再構築は、新たな形での自己探求や社会的な動きに影響を与えている。これは、女性旅行を通じて自己実現自己探求を行う動機に影響を与えていると考えられる。

旅行は、日常から一時的な脱却を提供し、新しい環境文化に触れる機会を与える。特に女性にとっては、旅行自分の居場所を見つける手段となり、故郷とは異なるアイデンティティを探求するプラットフォームになることがある。

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