はてなキーワード: 世論とは
このニュースのコメント欄を見ていると、つくづく発達障害者には人権がないんだなと思う。
9歳の子供がよりによって実の母親から殺されそうになるだなんて、さぞかし辛いし痛ましい事件なのに
殺されかけた男の子の心配はそっちのけで母親に同情的なコメントばかりが集まっている。
ただでさえ親の子殺しに甘い世論に発達障害への差別が合わさって、母親擁護一辺倒のコメント欄が本当にグロテスクだと思う。
発達障害だったら殺されても仕方がないのか?それもよりによって母親に?
子供を産む時点で我が子に障害があるかもしれない事なんて当然予測出来たと思うのに、産んだ後で被害者面する親の多さが信じられない。
仮に子供が発達障害だという言及がなければ、おそらくは母親を責める声もちょっとはあったんだろうな
そのくらい、今の世の中において発達障害者は、殺されても仕方がない存在として扱われている
それと「父親はどうした」というコメントも多いが、実際に犯行に及んだのはあくまで母親なのに、どうして真っ先に「父親はどうした」が出て来てしまうのか。死別の可能性を一切考えていないのも不思議だ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/ccc6a51c1ee7e21d0c3447a79ddfe7ec2f3e8332
一連の安保理決議は、北朝鮮に対し次の3点を義務付けています。
(1) 弾道ミサイル技術を使用した発射、核実験又はその他の挑発をこれ以上行わないこと。
(3)全ての核兵器、核計画、その他のいかなる大量破壊兵器及び弾道ミサイル計画も完全な、検証可能な、かつ、不可逆な方法で放棄すること。
北朝鮮に対する安保理決議は上記の通りで、人工衛星と称しても「弾道ミサイル技術を使用した発射」には違いがないのだから、日本としてはそれを批判し、警戒するのは当然のことだと思うんだけど、実際の所、北朝鮮がミサイルを打つ度に、日本政府への悪感情が高まり、日本の軍拡を許してはならないと言う世論が高まるんだよね。
ただそこに疑問を持つと、侵略戦争主義者、歴史修正主義者、差別主義者、自民の犬、壺カルト信者等とボロカスに言われるんだけどさ。
ホーリーランドってリアル寄りの喧嘩マンガあったんだけど覚えてる?
イザワと対立していたヤンキー高校、世田谷商業のアタマのキャラ
それがヨシイ
イザワは作中時間ではクールなキャラだけど、作品の前の時間では悪そうな奴とともかく喧嘩しまくるヤバいやつだった
そこでぶいぶい言わせてるだけなら良いとして、ヨシイ率いる世田谷商業(セタショー)は触らないようにしていた
しかし主人公とセタショーが揉めた時に割って入り、ヨシイとセタショーのメンツを潰したのでヨシイはつけ狙い始める
ヨシイやイザワ、主人公が過ごす下北沢のヤンキーたちは、タイマンで強いと偉い
群れてボコるのは最後の手段であって、タイマンで勝てないと格好つけられない
イザワが街で好き勝手できてるのは、タイマン至上主義が蔓延る街だからであり、イザワをタイマンで倒してメンツを潰したい
ヨシイがセタショーのアタマになったころから一応の付き合いがあるやつ
関係ないけど、喧嘩でならした剣道って試合じゃ弱そうだなって思った
・タカが勝ったあと、ボコボコにして報復されないように心と体を折る
・勝ったタカがセタショー内でイキらないように釘を刺す(無理なら多少恥をかいても集団で潰す)
の4つが大事になってくる
セタショーの頭でも世論は気になるようで、ヨシイはまず世論の理解を得ようとする
イザワは強いけど、セタショー全員を相手どって勝てるほど強いわけではない
でもやっぱめちゃくちゃ強いので、囲んでボコるのもかなりリスクがある
セタショーの下っ端ヤンキーたちもそのリスクを理解してて、下っ端がそのリスクに怯えてるのをヨシイはよく知ってる
ヨシイはビビらないように叱責はするが、下っ端がビビらなくてもイキれるように心を砕いてる
そこでヨシイはまずタカをぶつけてイザワを潰す事を周囲に伝えて、その反応を見る
タカに負けたイザワを殴るなら、報復の心配はあっても、その場は安全にイザワをリンチにかけられる
ヨシイは反タカ勢力に決定事項であることを伝え、反タカ勢力がタカとぶつかるまで待つ
反タカ勢力もヨシイが怖いので、タカを直接襲撃し、タカはこれを返り討ちにする
タカはこれにより実力とヨシイの人選の正しさを証明し、イザワとのタイマンでもタカが勝てる期待感を持たせる
タカを襲撃したヤンキーたちもメンツを潰された形になるので、大人しくヨシイの方針に従うしかなくなる
素直にタカにタイマン張らせて負けたら困るので、イザワに不利な条件をなるべく揃える
セタショー全体でイザワと彼の仲間に圧力かけてイザワを孤立させ、セタショーに呼び出し、直前で怪我をさせる
イザワのバイト先にいる時間を把握し、イザワの友達を脅してタイマン場所を指定して呼び出す
バイト先からタイマン場所までの経路でヨシイは待ち伏せを画策する
散々圧力をかけられて冷静さを欠いたイザワは、まっすぐ指定された場所に向かい、途中の待ち伏せを受けて負傷する
負傷したままタイマンの舞台へ立ち、万全のタカとタイマンを張ることになる
セタショーが手を焼いていたイザワを、タカがたおしたとなるとタカの地位が上がりすぎて扱いにくくなる
ある程度狙ったとは言え、タカ嫌いによる暴発も起きた
しかしイザワを倒すほどの実力者なので「タカをボコるから集まれ」ではセタショー下っ端は怖がってしまう可能性がある
これで他校のヤンキーも含めて呼び出す
他校がどれだけ集まっても構わない
イザワに手下は殆どいないので、体を張ってイザワを守るヤンキーはほぼいない
イベントとしてヤンキーをかき集めれば、セタショーの出席率はより上がる
ヨシイが直接命令すればあとが怖くて従うから、ともかく会場にセタショーヤンキーを呼び寄せるのが大事
タイマンが済むと気の乗らないセタショーヤンキーたちにハッパをかけて、集団でイザワとその一派をボコるようにけしかける
ここまでお膳立てしたタイマンも、空気が変われば前座扱いしてリンチに持ち込み、セタショーと自分の地位を最大限まもる選択をする
切り替えが早い
ヨシイは校内での地位を守るために、校内の空気や力関係を非常に正確に把握し、その上でヤンキーたちを脅して宥めて動員をかける
ヨシイは敵対しているイザワの友達にも分断工作を仕掛けたりと、搦手も手を抜かずに行う
校内にも他校にも自分が絶対的地位にいるかのように見せ掛けるが、それは全くの虚構で、常日頃から行う地道な努力によって守っていた
…なんて絶対に考えるなよ!なんたって「テロは許されない」だからな!
日本が30年以上も貧乏続きなのは政治家やマスコミや世論を操っている緊縮増税カルトの財務官僚が原因で、
もしも増税クソメガネ(※特定のry)をブチ殺しても、次の総理大臣が「増税○○」になるだけだけど、
だからといってブチ殺す対象を財務官僚(※特定のry)に変更しようなんて考えるなよ!
そもそも財務官僚(※特定のry)は政治家みたいに護衛のSPベタ付きじゃないからブチ殺すハードルは一気に下がるけど、
それでも絶対にブチ殺そうなんて考えるなよ!
事務次官級の財務官僚(※特定のry)にパイプ銃やパイプ爆弾をブチ込んで物言わぬクソ袋にしてやろうなんて、絶対に考えるなよ!
存命中の事務次官経験者の自宅を特定して、宅配業者を装ってお宅訪問して一家皆殺しにしようなんて、絶対に考えるなよ!
登庁中の財務官僚(※特定のry)の群れにトラックで特攻したりガソリンをばら撒いてダース単位でブチ殺そうなんて、絶対に考えるなよ!
【免責事項】
コロナワクチン不信からHPV、はしか、インフルと言った枯れた技術のワクチンにも不信が広がってるし、そのうちワクチン全体を避ける世論が作られていくんだろうな。そうして発生した、健常人にとってはちょっと重い風邪を引いた程度で症状が済む流行病で、俺みたいなガチの病人は死ぬんだろうな。やだやだ。でもそれが世界の選択だから仕方ないね…。
これね、共同通信だけの問題じゃないけど、そういうことだよね。ミスインフォメーション・キャンペーン。
[B! 上川陽子] 【内部文書入手】上川陽子「うまずして」切り取り報道の共同通信「全くひるむ必要は無い」差し替え経緯も判明
共同だけの問題じゃないというのは、共同通信に乗せられたとしても、各社一斉に
「出産を願ってもできない人への配慮に欠けるとの指摘」で揃ったこと。いかにも日本的な乗せられ方だ。
これは欧米でミスインフォメーション・キャンペーンと呼ばれるもので、誤報による世論誘導だ。
ミスインフォメーション・キャンペーンとは、世論や有権者の行動に影響を与える目的で、意図的に虚偽の情報や誤解を招くような情報を流すことを指す。こうしたキャンペーンは、民主的プロセスに対する信頼を損ない、地域社会を分極化させる可能性がある。誤情報は、ソーシャルメディア、マスメディア、口コミなど、さまざまなチャネルを通じて拡散される。フェイクニュースを作成したり共有したり、事実を操作したり、問題を誇張したりして、有権者の間に疑念や混乱を生じさせるような戦術がとられる。
その目的は、選挙結果を左右したり、政敵の信用を失墜させたりすることだが、ひいては選挙制度に対する国民の信頼を低下を招くため、このようなキャンペーンは、選挙結果に対する有権者の信頼や民主主義全体の健全性に影響を及ぼす可能性がある。
これがいかにヤバいことかのメディア自身の自覚のなさが、世界報道自由度ランキング70位という結果にも反映しているんだよ。
今回の場合、完全に誤報を流したというより、もともと解釈に幅がある、どちらにとられてもおかしくない表現だったことが特徴だ。
それは、女性たるもの出産すべし、と解釈できる、そういう解釈しか思いつかない人が一定数いる、というのは、この記事がでてもなお、上川発言に非があるとするブコメが少なくないことでわかる。
上川氏が女性の役割に対して固定観念を持っている、という指摘はありうると思う。ただ、最初からそういう指摘をする報道だったら、ここまで炎上しなかったのではないか。
しかし、これが炎上したのは、実際の各社の報道が「出産を願ってもできない人への配慮に欠けるとの指摘」だったからだと私はみる。
ジェンダーロールの偏見の指摘と弱者への配慮欠如の指摘は必ずしも同一のこととはいえない。
今回のメディアの場合、不妊で悩む女性を主に念頭に置いたのかしらないが、そういう方々が可哀そうだと、感情的な正義に訴えたわけだ。
上川氏の潜在的な差別意識を指摘するのとちがって、この訴え方は、「出産を願ってもできない人」というデカ主語を据えるものだ。
出産困難者というのは、もやっとしたイメージだ。人それぞれ「出産を願ってもできない人」のイメージが違う。
子育て環境の制度的な脆弱さを思い浮かべるひともいるだろうし、家族親族からのプレッシャーとして理解するひともいるだろう。
女性の出産の役割に自己実現の価値を見出している人もそうでない人も含めて、かなり多くの人が感情的共感の網にかかってしまう。
つまり、上川叩きの味方を増やす効果があって、上川氏からすれば、保守からも批判されうるし、フェミからも批判されうるという状況に置かれてしまったことになる。
今回の誤報キャンペーンでは、感情的共感をより広く、網を張り、特定のターゲット層に的を絞らない戦略が功を奏し、同町圧力の強い傾向のある日本で、あとに続くメディアを一斉に吊り上げ、ばっちりと効いてしまったというわけだ。
「出産を願ってもできない人」への配慮、という形で大衆の感情を煽ったのが今回のミスインフォメーションキャンペーンだったといえるだろう。
問題は、これが選挙に影響を与えかねない、ということを報道機関が自覚しているかどうか。
それに対して「全くひるむ必要は無い」というのが、共同通信のスタンスなのね。確信犯であることがよくわかった。
とはいえ、共同通信だけでなく各社報道機関は、「出産を願ってもできない人」への配慮を犬笛として使いたかったのかもしれないが、その副作用についてはやっぱり少しは考えてもらいたい。
「出産を願ってもできない人」への配慮を訴えたつもりでいても、出産を願ってもできない人々を一つのカテゴリーとして固定化することで、そのグループが常に特別な配慮を必要とする、社会的に弱い立場にあることが強調され、固定観念が強化されることもありうる。
これって女性の弱さ傷つきやすさについての別の意味の偏見が強化されるってことでもある。
社会的に弱い立場であるとの認識が広まれば広まるほど、社会的に敏感なトピックになり(タブー化)、それついて話す際に、他者の感情や意見を過剰に気にすることになる。これにより、人々は自分の発言を自己検閲し、無意識のうちに自らの意見を抑制するようになる。
「兵隊さんご苦労さん」みたいな、何気ない表現が大衆を戦争に巻き込むプロパガンダとして一番効果があるのと似た話で、こんな配慮や遠慮、忖度の積み重ねで、誰かが傷つくのを恐れて何もいえない社会にどんどんなってしまう。
これに対して、いやいやむしろ、偏見解消は積極的にキャンペーンをやるべきだ、女性に対する偏見が解消されて、社会全体としてハラスメントが減るならそれは結構な話じゃないか、といわれるかもしれない。
しかし、実際のところ、偏見というのは、配慮すればなくなるというものでもない。
強さや傷つきやすさの男女差というのは、いってみれば偏見なんだけど、悟りを開けば自分の偏見を解消できるわけでもないし、
言論警察よろしく配慮に欠ける発言をバッシングすれば解消できるわけでもない(公言しないようにすることは可能だとしても)。
近代の黎明期に、イギリスから隣国で起きているフランス革命で、反革命派が断罪されている様をみたエンモンドバークは、
なんでも理性的に判断できる、偏見を解消できると考えちゃう傾向はヤバいと考えた。
偏見なんてなくならないんだから偏見をなくそうという発想をやめて、偏見を生かそうという考えを進めた。
それが保守の出発点なんだけど、世の中が保守一辺倒というのもそれはそれでどうしようもない社会だ。伝統的な価値観のなかでは自己実現できないひとだっている。
さすがに、公平性については、制度が、最低ラインとして補助線というか設計図を引かないと、いつまでも伝統的な価値とか懐古的になっててもしょうがないだろう。
ということでまあ、ジェンダー問題は、極力、制度としての公平性、機会としての公平性という観点に限定して話をするように注意しておくのがいいってことかな。
もちろん、制度機会平等を理性的に討議したとしても偏見がなくなるわけじゃない。
偏見はなくならないけど、制度の普及・概念の進歩に伴い、ひとの意識は変わっていくだろうと期待する。それだけでよく、それ以上のことはあえてしないほうがいい。
ひとはすべて進歩した価値観にもとづいて幸福を追求しなければならない、みたいなのは押しつけがましい左翼の傲慢だからだ。
「伝統的な価値観のなかでは自己実現できないひとがいる」一方で、伝統的な価値観で自己実現をしたいひとだっているんだよ。
進歩的な価値観に基づいて偏見を解消しようすると、社会のどこかで肩身の狭い思いをする人が出てくる。
「世の中はいつも変わっていくから頑固者だけが悲しい思いをする」(中島みゆき、世情)というわけだ。
私から言わせると、そういう進歩史観を押し付けようとするところがもっともサヨクのムカつくところなんだよ。
かつて反戦フォークの全盛期、学生運動が最高潮を迎えていた時期、中川五郎の「主婦のブルース」のなかにこんな歌詞がある。
息子は今夜も帰らない 私は心配で眠れない
だけど私は家庭が一番 真面目に生きるのには疲れたわ
おお 人生は悩みよ ちっとも楽しくない 恋なんてしない間にふけちゃった
わびしい夢に はかない楽しみ 思い通りには何もならない
安保世代では親ですら論破すべき守旧派だった。しかし、学生運動は結局、どの社会階層とも連帯できずにスピンアウトしてゆく。1968年に作られたこの歌はそれを暗示しているかのようだ。一方、中島みゆきの「世情(1978)」は、この10年後の70年代の世界がうたわれたもの。ひとつ前の安保世代の情熱が新左翼へと変遷、空回りしてゆくさまを見せつけられたシラケ世代からみると、左翼残党はあたかも守旧派とさして変わらない頑固さでイデオロギー打破を訴えている、という皮肉な構図になる。
今回の場合でも、産みたくても産めない人が可哀そうだなどと感情的正義で持論を補強すると、そうした表現のタブー視が蔓延し、出産に自己実現を見出している人まで遠慮しなければならない、という空気をつくるかもしれないし、他方で、女性の傷つきやすさを過度に強調することで、女性が弱い存在であるという潜在的な差別意識が助長されるおそれだってある、みたいな妙な副作用が現れる。
かつて、なだいなだが、ケシカラニズムといって、理性的な正義と感情的な正義を区別し、自分のことでもないくせに感情的な共感によって主語がでかくなるのが感情的な正義の特徴だとした。そのことで人々がプロパガンダに流されやすくなる、という趣旨のことをどこかで書いていたのをひさしぶりに思い出した。
たまにはケシカラニズムに陥っていないか自己点検でもするか。フェミニストさんも自分の偏見を認めたほうがいい思うんだよね。
制度的に不幸になっている者は救済する、しかし、偏見ある社会のなかで生きている者の幸せや自己実現は否定しない、という具合のバランスがちょうどいい。
男性社会にあって嫁として母として子供を育ててきた誇りある人生を否定するのがフェミではないと思うし。
そういう意味じゃ、左翼は保守主義のマインドも頭の片隅に入れておく必要があるし、保守派も制度的な公正について左翼の主張に耳を傾ける必要がある、といったところか。
この件に関して、切り抜きだ!印象操作だ!ってネトウヨ共が沸き立ってるけど、日本のマスコミが伝統的に恣意的な切り抜きで世論を操作しようとするなんてのは政治家なら誰でも知った上で対策を取っておくべき初等教育のレベルであって、自党の不祥事で支持率が落ちて有権者から厳しい視線を向けられている時に、いかようにでも切り抜ける発言をしてしまうのは本人とその任命者に政治家としての最低限の能力のないことの証拠にしかならないだろ。
ましてや共同親権の成立で結婚・出産・育児が女ばかりが不利になるネガティブな行為として認識されている今、選挙を出産に例えるのは反感を煽るだけだろ。もはや立憲共産から金貰って自民ネガキャンしているとすら思える。
人は窮地に立たされると、自分で自分をコントロールできなくなり得たい結果とは真逆の結果となるケースがしばしばある。
子供を見ているとまさにそのような行動をとることがある。
おもちゃで遊びたいがために奇声を上げたり、ご飯で遊び始めたりするが親はそれを宥めるために早く食べてから遊びなさいと伝える。
その言葉を聞くとおもちゃで遊べないものだと思い行動が悪化する。
この場合子供はおもちゃで遊びたい、親は早くご飯を食べさせたいという両者の対決が生まれる。
子供をコントロールするためには、体罰や無理をさせることが必要という世論を唱える人もいる。
おれはその発想にも一定の理解がある。
親側も同じようなものだ。
早くご飯を食べさせて食器を洗いたいという願望があるからこそ、怒って子供に食事を強要させる。
返ってそれが行動の悪化を招いているのではあるのだが。
怒っている当の本人は知る由もないだろう。
人間が人間たらしめるのは理性や知性や【美学】、ポリシーなのではないかと思っている。
その数が少ければ少ないほど、自分の欲望に忠実になるしかないはず。
そして、感情に支配される人生を不本意な方向に歩むしかなくなるのではないか。
おれは仕事や育児、日常生活、食事、色々な場面に【美学】を持つようにしている。
そして、自分自身がその美学に反していたとしても受け入れるようにしている。
【美学】にこだわりすぎると、設定していた【美学】が自身に悪影響を及ぼすこともあるからだ。
しょせん【美学】は生きやすくするためのツールなのであってツールに支配されてはいけないと考える。
〜すべき、確定、マスト
という言葉は苦手だ。
次回は【克服】について記載したいと思う。
刑法175条による逮捕がまた発生してしまいました。
刑法175条は被害者が誰も居ない、規制根拠もない、時代遅れの法律です。
一刻も早くこの悪法をなくすためにも、廃止署名へのご協力をよろしくお願いいたします。 https://t.co/y14YqaAOEk— STOP!刑法175条 (@stopcc175) May 14, 2024
公益通報した和歌山市職員が自殺 処分受けた職員と同フロアに配置(https://nordot.app/1163040077475562418)では市役所への批判一色だ、当然だと思う。
◯これは徹底的に叩かなアカンよ。さもなくば正直者は馬鹿を見る事例として引用され続ける。不正は見たが通報しませんでした、報復人事で自殺まで追い込まれても社会は助けてくれないからと言われれば誰も反論出来ない
◯すぐに思い出すのが赤木俊夫さん。もう、こんなことが起きてはならないのに。職場にこの職員を守る人がいなかったのか。そういう人になれるよう、私たち一人ひとりの強さが求められる。
などなど、これらのブコメは本件の背景を理解していないと思われる。大っぴらに報じられていないのでそれは当然だ。
ただ、本件について市役所を叩いても全く解決しないどころかかえって悪化する可能性が極めて高いと思われるので、その解説と感想を残しておく。
確認できたのはしんぶん赤旗、わかやま新報、示現舎のみで、現在webで確認できる限りでは、大手マスコミからの報道は皆無だったようだ。
https://jcp-wakayama.com/2020/02/18/
和歌山市は2月18日、旧同和子ども会への支援交付金を不適正使用したとして市職員15人の処分を発表。同市公共事業をめぐり旧同和地区連合自治会長が昨年、詐欺事件で逮捕・起訴されたことに続き、同市の同和行政をめぐる不正が再び明らかになりました。
さすが部落解放同盟と対立を続けてきた共産党だ。しっかり同和行政に問題があることまで触れた記事になっている。
https://www.wakayamashimpo.co.jp/2020/02/20200220_92245.html
和歌山市は18日、子ども会活動を支援する交付金約1000万円の不適正使用と、市内の2児童館で実態のない人権教室などに講師謝金計約930万円が支払われていたことが発覚したとして、市民環境局のセンター長(57)を停職6カ月とするなど、職員15人(いずれも男性)を処分した。
(略)
同館職員が18年8月に公益通報したことで発覚し、市が調査していた。
(略)
同子ども会の副会長を務める市民環境局の副課長(56)は、センター長の不適正使用を知りながら支出に合意していたとして、減給10分の1、1カ月の処分を受け、同交付金を担当する青少年課の当時の課長2人は訓告となった。
関西出身者なら「人権教室」、「環境局」でピンとくるかもしれない。
https://jigensha.info/2020/02/19/wakayama-dowa/
議会においても追及してきたのは共産党和歌山市議団のみだから完全にブラックボックス化してしまった。
ところが子ども会補助金を情報公開した矢先にこんな事態が起きた。18日、和歌山市は市内2か所の児童館で総額約1900万円の不正支出があったと発表。市民環境局環境部センター長、同局市民部副課長ら15人の職員が処分された。同日の共同通信によるとセンター長は子ども会の事務局長を務めていた2013~2017年、児童館職員に架空の領収書などを渡し、市の交付金1017万円を目的外に流用していた。子ども会の活動に使用したように装い、指導者養成の活動費などに充てていたという。
(略)
この児童館、あるいは不公平な子ども会事業もその受け皿的な団体と言えるのが先述した「和歌山市子ども会連絡協議会」だ。
差別発言(とされるもの)をきっかけに行政が食い込まれてきたことがわかる。
◯市の上層部も不正を半ば知っていた人は多いのではないだろうか。ただ、これを不正と断じてしまうと誇張抜きに自身と家族の命が危ないので見て見ぬふりをせざるを得なかったと想像できる。
◯公益通報をした職員についても、「あいつなんとかせん(イジメないと)とわかってるやろーな」などと圧力のあったことは想像に難くない。
◯本件の場合、公益通報者を保護できなかったからと関係者を処分した場合、それら職員は完全な板挟み状態で動きが取れなくなる。
◯逆に団体側はまさに自分の実力を誇示した形になる(役所の幹部を処分させることができたというのは実績で、今後の交渉材料になる「言うこと聞かなきゃ処分/更迭されるぞ」)
◯オマエの妄想だろと言われてしまうかもし根拠も何も無いが、過去の各種の事件から職員が恐怖を感じるのは理解できるし、関西の方なら感覚的にも共感できるのでは。(https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E9%83%A8%E8%90%BD%E8%A7%A3%E6%94%BE%E5%90%8C%E7%9B%9F、https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%A2%BA%E8%AA%8D%E3%83%BB%E7%B3%BE%E5%BC%BEなど。もちろん記載されているのはごく一部。立憲民主党の辻元清美議員と懇意な関西生コンも関係が深い(例 https://www.kannama.com/news/news2017/2017.06.16/2017.06.15.html))
◯京都でも同様の問題があり、一貫して同和利権・部落解放同盟を批判してきたのが日本共産党。だから、特に高齢者層での共産支持が根強い。(同和行政がほぼ終焉した世代の若年層では共産党支持は低い)
◯また、大阪でも同様の問題があり、完全にでは無いが批判し、是正したのが維新の会。当然に支持は高い。京都における過去の共産党が、大阪における現在の維新と被る。
◯示現舎記事のとおり、相手方の差別(不適切)発言を針小棒大に騒いで行政に侵食していくやり方は差別利権の得意技。最近は同和以外、特に女性問題などでも見られる(女性団体が騒いで行政が介入してこなくなった、など、女性団体側の証言あり)。
◯共産党やその関係者はこういったやり方を批判していた(「同和利権の真相」シリーズなど)はずなのに、女性問題などでこのやり方を踏襲してるのが悲しい限り。
◯もちろん差別発言など騒ぎに乗じて行政叩きする割に利権を報じないマスコミも同罪だ。
◯解決策としては、行政によるこういった特別扱いの一掃と、世論・マスコミの後押しだ。そのためには「あの団体は可哀想だから助けてあげなきゃ」などの論調を排し、杓子定規の対応が必須だ。(交渉次第でカネが引き出せるとなったらいくらでも付け込まれる)
◯示現舎は差別的だとはてブではやたらと評判が悪いがこういったことを追ってくれるのが事実上示現舎くらいしかないのが現状だ。
民主党政権時代、松本龍氏(復興大臣・防災大臣)による「書いたらもうその社は終わり」などとの発言について、主にリベラルと思われる方々による「言論により辞任させた案件で報道の自由が実現されたもの」という評価が目立っているので、事実関係を整理した上で感想を残しておく。
東日本大震災後、4ヶ月ほど経って、復興担当大臣と防災担当大臣を兼務していた松本氏は被災地である岩手県・宮城県に赴き、両知事と面会した。その時の主な発言は以下の通り。
◯(自身が面会場所に到着したときに村井知事がまだ到着していなかったことについて)先に来るのが筋だよな。お迎えするのがね。
◯(村井知事が面会場所に後から入ってきたことについて)今、あとから入って来たけどお客さんが来るときは、自分が入ってからお客さんを呼べ。いいか、長幼の序がわかってる自衛隊ならそんなことやるぞ。わかった? しっかりやれよ。
両知事に発言に対する発言ともに問題視されたが、特に言論統制という意味では村井知事に対する「書いたらもうその社は終わり」という発言が問題だろう。
前提として、面会場所には地元メディアだけでなく全国紙などなども詰めかけており、地元メディア以外にも既知であった。
なお、「書いたらもう終わりだから」発言について、以後「当該発言」という、
◯地元テレビ局である東北放送は、当該発言まで含めて、「波紋を呼びそうです」と問題視して放映した。
◯松本氏の問題発言について、当該発言はカットして報道した。(確認できただけでNHK・テレビ朝日系・TBS系・フジテレビ系・朝日新聞・毎日新聞など)
◯特に毎日新聞は、「オフレコです」まで報じたにもかかわらず、当該発言は報じなかった。
◯読売新聞はWEB版において、22時台に、復興大臣の発言集として当該発言があった事実のみ報道し、特段問題視はしなかった。
◯村井知事は定例会見において、東北放送の報道による当該発言について、「冗談で言ったのだろう」とコメントしたが、この村井知事の発言を報じた全国マスコミは産経新聞のみ(夕刻、WEB版にて)であった。なお、産経新聞も村井知事の発言を報じたのみで特段の問題視はしなかった。
7/3に報じられた東北放送の当該発言のニュースがYouTubeで100万回の再生を記録するなど一斉に拡散され、当然批判的な論調であった。
不明である。良く人口に膾炙されるものとして以下の通りであろうか。なお、いずれにしても根拠はない。
そもそも報じられており、それをきっかけに辞任まで追い込んでおり、問題視されるものではない。(参考 https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2362888)
当該発言の当日、東北放送以外のマスコミも面会に同席しており、知っていたにも関わらず即日又は翌日に報じなかった。
東北放送の報道が広まり報道せざるを得なくなってからの後追いではないか。
異常なまでに特落ちを恐れるマスコミの普段の様子からすると異様ですらある
東北放送は問題視している。大手マスコミすべて東北放送よりも報道の自由を重視していないというのならともかく、日頃報道の自由を錦の御旗のように掲げる大手マスコミが揃いも揃って報道の自由を軽視しているとは考え難い。
まさか大手マスコミの中の人が揃いも揃って報道の自由なんてどうでもいいと考えているわけではあるまい。それはマスコミの方々に失礼だ。
松本龍氏は、義兄が指定暴力団工藤会の総裁である野村悟氏(殺人罪で無期懲役刑)であり、また本人も部落解放同盟の要職を歴任してきた者であることから、報復を恐れて報じなかったのではないか
※部落解放同盟による圧力についてはウィキペディア関係記事(https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%A2%BA%E8%AA%8D%E3%83%BB%E7%B3%BE%E5%BC%BE)を参照
特段の反論はない。
東北放送の報道が拡散され、世論が批判的になった(隠しておく必要がなくなった)後に大手マスコミによる報道が始まったのも傍証と言える。
工藤会は北九州市を地盤とする暴力団であり、また、部落解放同盟による事件も概ね関東以西、多くは関西以西で起こっていることから、東北放送には気兼ねする必要がなかった(または松本龍氏の発言にこめられた意図を完全には理解できなかった)。
そもそも東北では村落や集落の意味で「部落」という言葉が使われているくらいだし、納得感がある。
東北放送の意図は定かではないが、東北放送がなければ、松本龍氏による言論封殺は成功した可能性が高い。
憲法学(報道の自由)や社会学(メディア論)の格好の研究対象と思われるが、何故か研究はなされていないようだ。
大手マスコミはこれを報じなかったばかりか、擁護記事も目立った。いくつか例示しておく。
◯困難な状況に置かれている「後輩」を厳しい口調で激励するつもりだったのかもしれない(7/5東京新聞)
◯(当該発言に触れなかった上で、)防災担当相として震災の政府対応を担ってきた強い自負が、被災県の知事や国会に対する不満につながったとみられる(7/4毎日新聞)
以下の通り、ブコメでは「でも自民党や安倍政権よりマシだし」とのコメントも目立った。
◯松本龍については敬称を付ける気も起きないくらい擁護の余地がない。が、自民党の麻生、森、安倍あたりはこれと同レベルの発言が山ほどあるので、この一点だけで民主党政権がダメというのは党派性がすぎる
ただ、「同レベルの発言が山ほどある」とのことだが、マスコミに対して「この事件を報じたら終わり」などとの発言は探せなかったのでいくつか例示いただきたい。
また、あったとしてこのように大手マスコミから報道されず、また擁護されたかも合わせて例示いただきたい。
(ブコメ)
7/4の22時に報じたって書いたね。
その時点で7/3の東北放送報道がYouTubeで再生されまくって、更に村井知事もその件で質問を受けてたから、まさに隠す必要がなくなってからの後追いってのの傍証なんだが・・・全然読めてないのな