はてなキーワード: 再生とは
出産しない限り人間は再生産されようがないし人間が再生産されないならば当然に人間文化も再生産されない
さて東京を考えるとクソアホみたいに人がいる割に全く子供が生まれず激烈に少子化してるから東京でその「再生産」は行われない
それでも東京から人が居なくならないのは、地方が産んだ子供を東京に集めているうえ、その後、子供を産ませずに人生を終えさせる(その間労働させて上前を撥ねる)からであり、
大きな視野で考えると人類を「再生産」せずにむしろ集約・殺害していく緩やかなアウシュビッツとさえいえる
人類が再生産されずに集約殺害されていく土地では、当然に人間文化が再生産されることもない
ユーザー層が入れ替わったのでしょうね
昔のはてなーと現在の対立煽りしているはてなーは別の人種なのでしょう
[B! 教育] どうやって子どもに「文化資本」をプリインストールしていけばよいだろう? | Books&Apps
文化資本とは、語彙力や言葉遣い、学力や教養や美的センスといった、個人的リソースのことを指す。
文化資本は直接的にはお金にならないかもしれないが、地位や人間関係へのアクセスを左右し、巡り巡って経済資本をも左右するという点において、やはり資本である。
この手の話に熱心に参加していたのは子供を持つ親や教育関係者ですね
トピ主さんやしんざきさん、まつもとさん辺りも文化資本関連で何か書かれていそうな気がしますが探すのが面倒になったのでここでやめます
なぜ文化資本という単語が《東京すごいポルノ》に使われるようになったのかよくわかりませんが
本来の意味では住んでいる場所よりも親の方が重要ですし、問題視しているのは貧困の再生産です
納得できるかな。「文化資本が豊富なのは良いこと」とした上で「格差の再生産に否定する」ではダブスタになってしまう。少なくともブコメにはこの論調がいたから、疑いがあるにはあるな。
なるほど、ありがとう、参考になる
ちなみに「東京は文化資本が豊富というのはおかしい」ではなく「 「東京は文化資本が豊富」という人は文化資本の意味を理解していない疑いがある」だった場合は納得する?
(一応そういう意味で書いたつもりなんだけど、例えば再生産という条件に付いて考えて無さそうだったり、文化資本の意味を理解しているなら、「東京は文化資本が豊富」を良い事と捉えている人は格差の再生産の容認になることを理解出来る筈なのに、その気配が無いので、等々)
擬似相関については納得するが、金持ちか東京かのどちらが本質的かはどちらでもよい。
どちらが本質的かを判別するには、もっと詳細を調べる必要がある。
「東京は文化資本が豊富」と評価するのも、前提条件に「東京は文化資本が豊富というのはおかしい」があり、「再生産が文化資本の本質」と仮定した上で、大学進学率を持ち出し評価したにすぎない感想かなぁ
それって要するに資産や社会的地位、権力の再生産につなげられなかったケースの事でしょ?
勿論そういうものの価値を否定はしないし、むしろ文化の目的ってそういうものの方だと言いたい気持ちもある(資産等の再生産の方が邪道)けど
「東京は文化資本が豊富」」と「金持ちは文化資本が豊富」のどちらが本質的か、や
「東京は文化資本が豊富」」は( 「金持ちは文化資本が豊富」などの別の相関を介した)疑似相関に過ぎないのではないか、については社会学を学んでいる身としてどうなるんだろう?
大学進学率等の例だと、学歴が学歴を再生産するという分かり易いシナリオに比べて「東京」を敢えて持ち出す理由が希薄だし、疑似相関の否定にはなっていないよね?
そうね
しかも、文化的建築物(歴史的建造物など)・サービス(美術館や図書館など)については、それを再生産につなげられなければ文化資本とは呼べなくなるという点も微妙
結局そういう施設があっても、それを文化資本にできるのは多くの場合、土地や金など生活的地盤、習慣、人脈、職業など、世帯内の文化資本を持ってる人なので、
社会学を学んでいる身として、考えさせられる内容だった。
文化資本→ハビトゥス→ハビトゥスによってもたらされる諸社会的行動の評価→文化資本の形成
が再生産の流れになる。この定義で一番明確なのが、大学進学率だろうか。
京都・東京・兵庫と上位3県があり、佐賀・鹿児島・沖縄と下位3県がある(参照 http://www.gakutama.jp/local_metro/rank.html)
この増田本人では無いので尻馬に乗る感じで申し訳ないけど、ブコメとか見てると未だに理解があやしい人が多い気がする
まず元増田の内容を自分なりにまとめると、「文化資本」に該当するかどうかを計る条件として
の2つの条件が少なくともあり、はてなで言われている「文化資本」の多くはこれに該当しない(そのため、はてなの人達は「文化資本」の意味を理解せずに使っている疑いがある)
特に②についてはそもそも資本とは自己増殖するもので、文化「資本」というからには再生産の要素を含まないと変というのはその通りなんじゃないかなと思う
でその上で、なんだけど
いや美術館が無ければ美術館に行く文化も作れないので「文化を享受できる環境・子に文化を享受させる親の文化」は文化資本なんだが。みんな美術館(物理的な資本)の話じゃなくて美術館に行ける東京の話してるだろ。
例えばこの反応って、①の説明にはなってるけど、②の説明にはなって無くない?何が再生産されているの?
個人的には、文化「資本」を名乗るうえで②の方が重要な気がするので、そっちが片手落ちになっては意味が無いんじゃない?と思ってしまう
上は一例だけど、元増田への反論で②の再生産の部分まで言及できている人が少ないように見える
で、更に、そもそも「東京は文化資本が豊富」と言っている人は、どういう再生産を想定しているんだろう?
ただの資本の場合、単純に金持ちは投資等で更に資本を再生産できる、というよくある話で、これは分かりやすい
対して文化資本は、例えば親が教育の重要性をきちんと理解し、そのおかげで子は十分な教育を経て資産や社会的地位、権力を得られるようになり、それらが再生産される、といったシナリオになる
ただ、「東京は文化資本が豊富」と言ったり、その例が美術館(へのアクセス)だったりする場合、具体的にどういう継承から資産や社会的地位、権力の再生産に結び付く話をしているんだ?
例えば、近くに美術館があってよく通った場合、しかしそれが自身の給料や社会的地位や権力に特に結び付かない事はよくあるし、その場合②を満たさないので「文化資本」とは呼べないよね?
例えば美術に精通する事で上流階級の人とコネが生まれて立身出世の役に立つ、とかだと「文化資本」と呼べると思うけど、現代日本でそういう機会がそもそもある人は(東京内に限っても)何%だろう?
当然、その%が低ければ東京全体でならした時の美術館の「文化資本」寄与率は低くなって、他の寄与から比べると誤差以下になってしまう
という感じで多くの場合②を満たせない割合の多いと思うんだけど、どうだろうか?
具体的にどういう継承・再生産のシナリオで考えているんだろうか?
また、再生産という観点で見た時、そもそも「東京」で括る意味って何?とも思う
例えば「金持ちは文化資本が豊富」ではダメなんだろうか?こちらなら上流階級の振る舞いや教育の重要性の理解等々、再生産に関わる文化資本が豊富なのは頷ける
これに比べて「東京」だと、金持ちでない人も居るし、そういう人が美術館に通っても再生産に繋がらない事が多い
というのも、そもそも機会やノウハウなど、「美術」という文化的素養を資産や社会的地位、権力の再生産につなげるための回路こそ、資産家の親から子へ継承される貴重なものであり、ある意味それこそが「文化資本」だからだ
よって、「東京」という雑多なフレーミングは文化資本を持たないノイズの人達(言い方は悪いけど・・・)を多く含み本質的ではないのに対し、
「金持ち」というフレーミングは再生産に結び付く「文化資本」と本質的につながっているので、より適切なんじゃない?と思えるし、その上で「東京」で括る意味is何?と思えてしまう
「東京は金持ちが多いから、結局文化資本とも相関がある」という人も居るかも知れないけど、それってわざわざ要らない項を噛まして、分かりにくい疑似相関を作ってるだけじゃね?
地方でも金持ちなら教育もするだろうし振る舞いも継承したりコネも引き継いだりするだろうという事で、文化資本と言えるものが多そうだし
結局、文化的ななにかを資産や社会的地位、権力の再生産へとつなげられるかどうかって、住んでる場所より資産や社会的地位、権力に依存するんじゃないかなー、と思うし、それによる寄与と比べると「東京」要因の寄与って誤差に呑まれそうじゃね?と思う
もう一つ大きな、そして根本的な疑問として、元増田の言うように「文化資本」というものが資産や社会的地位、権力の再生産、つまりは格差の再生産を前提とするものだとして、
それが「東京に豊富だ」と言われる事は、その人達にとって嬉しいのか?というのがある
美術なり音楽なりの素養が格差の再生産となるという事は、それなりに差別的な論理が社会のなかに残存しているという事だけど、
そのおかげで得をしている格差の再生産の加担者or受益者と指さされているようなものなので、それ嬉しいか?胸張るような事なのか?と思う
なので、軽々しく「東京は文化資本が豊富」という人は、「文化資本」が前提とする資産や社会的地位、権力の再生産についてよく分かっておらず、つまり「文化資本」の意味をよく分からずに使っているのでは?と思えてくる
ある意味「東京には文化資本による格差の再生産を肯定or容認するような差別的な風潮が残存している」という事でもあるので、本当に意味を理解して使ってる?と疑問
学校法人順正学園九州医療科学大学という組織はもっとも糞な大学である。 気持ち悪くて仕方がない。理由は次のとおりである。学校法人順正学園として発足した当時、
延岡市長は、令和3年に亡くなった首藤正治の前の市長か、首藤正治に交代するギリギリの時代であり、延岡市内の高校生の間では、糞Fランク大学であるし、入試要項パンフレットは
配布されていたが、誰も読んでいなかった。平成14年を過ぎると、同法人は、吉野町にある、遊園地として有名になり、現在のような犯罪性の高いガキではなくて、当時延岡市に住んでいた
明るいガキがキャンパスライフを送るところとして有名化した。平成18年以降になると、同キャンパスで恋愛至上主義が流行し、こうすけがそれに嫉妬して、顔面陳列祭ですか、といったような
書き込みをしていた時代もあったが、同法人は、その後しばらくも、レジャーランドとして有名であった。しかし、平成24年以降の安倍政権になってから、地方再生、地方創生を掲示し、多くの
実力のある研究者が都会からこの大学に流れ込み、現在では、実力のある科学大学として、完全になりすましており、かつてのような超絶アフォのレジャーランドであるという触れ込みは、現在の
・「文化資本の定義を都市や地域に援用」とか言ってるやつ、文化資本て社会階層の再生産を説明するロジックで生まれた言葉らしいから、「都民=殿上人、地方民=下層民!」的な東京の選民思想を前提に生きてるってことになると思うんだが、大丈夫そ?
資本は多ければ多いほど再生産の規模も大きくなるけど、美術館に倍行っても再生産される文化はほぼ変わらないので、量を語ってどうこうするものじゃなさそうな気がする。
なぜわざわざ「資本」って言葉が使われてるかといえば文化教養のような形のない物も貨幣や財のような富と同じく
社会的地位や経済的利益を生む元手となることに注目してるからで「社会的地位や経済的利益の再生産に寄与する」ことが一番重要なポイントなんだよ
美術館や博物館なんて「庶民にも文化の片鱗に触れさせてやろう」って施設でとてもじゃないが資本なんて言えるもんじゃないんだよな
阪神の岡田監督が「親が有力なタニマチだったから子供のころから阪神の選手が家に来て野球教えてくれた」とかそういうのが文化資本だよね
いや、おれも知らん。
文化資本(英語: cultural capital、フランス語: le capital culturel)とは、社会学における学術用語(概念)の一つであり、金銭によるもの以外の、学歴や文化的素養といった個人的資産を指す。フランスの社会学者ピエール・ブルデューによって提唱されて以来、現在に至るまで幅広い支持を受けている。社会階層間の流動性を高める上では、単なる経済支援よりも重視しなければならない場合もある。
wikipedia(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E5%8C%96%E8%B3%87%E6%9C%AC)
フランスの社会学者ピエール・ブルデュー,P.(Pierre Bourdieu, P.)とジャン=クロード・パスロン,J-C.(Jean-Claude Passeron, J-C.)が考案した概念で,人間の知識技能を資本として捉えたゲーリー・ベッカー,G.S.(Gary S. Becker, G.S.)の人的資本概念を文化領域に拡張し,貨幣や財の経済的側面のみならず,教育や文化の面において財が相続・生産・蓄積・投資される過程を説明する。文化資本は言葉遣いや立居振る舞いなどの身体化された様態,書物・絵画などの文化財所有による客体化された様態,学歴・資格によって制度化された様態からなり,それらを教育や就職など,経済的には「市場」となりうる「場=界(champ)」に投資することで,再生産戦略を可能にする物質的・象徴的な利益を引き出す。それは幼少期の家庭から相続継承され,学校教育を通じて中立的な能力証明へと変換され,社会的な地位や権力の再生産に結びつく。この概念によって,一見利害関係なく実践される文化慣習行動を,貨幣経済より広範な「象徴交換の経済」に取り込んで分析することが目指される。
コトバンク(https://kotobank.jp/word/%E6%96%87%E5%8C%96%E8%B3%87%E6%9C%AC-377212)
小難しいがようするに、
という前提があって、
・金だけでなく、文化的素養や学歴、スキルなどの見えない資産も子に受け継いでいるんだ!
ということなんだな。
で、その受け継ぐ過程で使われる個人的資産(=投資のもとになるもの=資本)を文化資本というらしい。
てことは、美術館それ自体は文化資本ではないやんけ!(個人資産じゃないから)
おいおい、「文化資本」という言葉もまた、はてなーたちの反知性主義によって意味が捻じ曲げられているじゃないか。
「なんか語感がかっこいいから、意味はよくわからんけど使ってみました」じゃねーんだよ。
美術館そのものではなく、「親が美術館によく行く習慣がある」とか、そういう「家のなか」の話なんだよ、文化資本てのは。
しかも資産や社会的地位の再生産に結びついていることが前提なのであって
庶民が「お、、おれはモネの展覧会とかよく行くし?」とか「いやー、声優の舞台挨拶が家から近くていいっすわ!」とかホクホクしてるのは文化資本じゃないんだよ。単なるエンタメ消費だそれは。アホか。
「親父が社長やってたんで、起業は自分にとって自然な選択肢でしたね」ってやつだよ。
あれこそ文化資本だよな。
・・・と、こうやって知らない言葉の意味の確認すら行わない、知的誠実さ皆無のお前らが親からたいした文化資本を受け継いでいないのは明白。
地方民は「美術館いってまーす☆文化資本文化資本☆」とかなんとか自慢してるスノッブどもを見下していいぞ。
・適当に調べたり考えたりしてみる感じ、居住地域に美術館だとかいい学校があるだとかは社会資本の話な気がするわ
・文化資本て、「親の語彙の豊富さ」とか「親同士の会話の知的水準の高さ」とか「親が教育資格を保有していて、知的水準の高いフィードバックが日常的に得られる」とか、「社会的地位の高いオトナとの会話機会の豊富さ」とか、そういうものなんじゃねーかな
・「文化資本の定義を都市や地域に援用」とか言ってるやつ、文化資本て社会階層の再生産を説明するロジックで生まれた言葉らしいから、「都民=殿上人、地方民=下層民!」的な東京の選民思想を前提に生きてるってことになると思うんだが、大丈夫そ?
・つーか、東京のなかでも当然ながら格差や階層があるわけで、そのなかでざっくり「もとの定義は家の話だけどぉ、都市に援用すればぁ」っつってるやつは、東京の内側で生まれている格差にはどう説明をつけるんだ?東京にいるだけで文化資本の恩恵を享受できるなら、東京の内側の社会格差はその他の地域と比べて小さくないといけないはずだろう。まずはそれを示してくれ
・いい学校とか文化施設へのアクセスを高めるために東京に住む、はたしかに「その判断能力があったり意思決定をする家庭である」という意味で文化資本があるといえそう。ただ、その意思決定の内実が本当にそうなのか?というのは問いたいところではあるな。なんとなく東京で就職したとか、職場が東京だからそのまま住んでますとか、そっちが主要因なやつも多いんじゃないの?
・いくつかブコメ読んで、格差を批判する文脈でなら都市間に援用してもいい気がしてきたが・・・仮に「都市の文化資本」という概念が成り立つ場合、以下が疑問。詳しい人おしえて
1.文化資本の枠組みだけで考えると、いい学校、いい美術館などは「客体化された形態の文化資本」に分類されるはずだが、そもそもこれらは社会資本ではないか?どう整理するのか?「ハビトゥスを形成しやすい環境が東京の文化資本」と言ってるやつもいるが、わざわざ"援用"せずとも「東京は社会資本が充実してますなー」で済むんじゃないか?
2.もとの定義に照らすかぎり、文化資本=経済的な格差・階層の再生産に結びつくものなので、「他地域よりも東京を経済的・社会的に特権的地位たらしめている、東京に特異的な文化慣習行動」が「東京の文化資本」ということになる。それってなに?そんなんある?
3.ここまで考えて、いわゆる「ユダヤの商法(ほんとにあるのかしらんが)」はユダヤ人の文化資本といえそう、つまり都市という地理的な要素よりは特定の価値観を共有する集団内においてなら、文化資本という概念は家を超えて援用できそうと思ったんだけど、どうなん?
数年前からほそぼそと活動していたが、暇空茜の後追いをするようになってから5千程度の再生数が跳ねて数万再生稼ぐようになった
しかし、暇空が粘着している堀口英利という人物への誹謗中傷を一緒になってやっているうちに堀口に開示された
開示された直後に、まみりんの中の人を「兄ちゃん」と呼んで慕っている親戚女性が現れ、兄ちゃんが病気で急逝したことを報告した
「死んだのは嘘で、開示にビビって本人が削除した説」や
「死んだのは本当で、遺族が誹謗中傷チャンネルの内容をはじめて知りビビって削除した説」が流れていた
しかし、どちらでもなかった
ファンがまみりんチャンネルの動画URLを一つずつ検証した結果、「水原清晃」や「Kiyoaki Mizuhara」という権利者に著作権侵害削除されていたと判明
3ヶ月以内に著作権侵害削除を3回くらうとチャンネルは運営削除される
しかし水原清晃は「ミズハラ キヨテル」であり、削除申請に使われた「キヨアキ」とは違う
まみりんは暇空が発信した情報をコピペして可愛いVのガワを使って再発信していたので、暇空がもしその気になれば文や画像の著作権主張をして削除依頼できる相手ではある
何者かが暇空のふりをして削除依頼を通し、ミスか故意か名前の読みはキヨアキにしてしたのだろう
著作権侵害による削除依頼は、依頼者の住所電話番号などの情報も必要となる
まみりん、もしくはその遺族はキヨアキに異議申し立てを行い、拒否・無視された場合にはキヨアキの住所宛に訴訟を起こせばチャンネルを回復できる
だが、死んだふりをしているまみりんor遺族にそんな根性があるだろうか
堀口、colabo、ゆたぼん、やさぐれメタル、まみりんは多くの人を中傷して金稼ぎをしていたので犯人候補は大量にいる
キヨアキの正体が暴かれる日はくるのか
https://anond.hatelabo.jp/20240530065636
はてな民がこれ毎回完全に間違えてるのを訂正しても一向に直らないんだけどさ
今どきのはてな民はブルデューも読まないとかマウント取るつもりはないけど、ググればわかることですよね?AIに聞くのでもいいけどさ
Objectified:楽器、絵画、本など、物理的な実体があるもの。物理的な資本
Institutionalized:学歴などシステムが担保するもの。制度化された資本
Embodied:能力、センス、言葉の使い方など、ハビトゥス。身体化された資本
だが結局どれもそれが最終的に「個人」に紐づいて継承され再生産され格差を生み出しっていうところが一番の論点なわけ。
「東京」vs「地方」みたいなまとめブログのネタみたいな糞みたいな解像度の話を何回やっても意味も価値もない。
東京の世界ランクなんかよりまず気にするべきはお前の世界ランクだ。
いや本気で学術的にやれば多少は意味はあるかもしれんが、お前らが目の前のレスバに食いつくのは
自分の置かれている現状から目をそらすために使ってるに過ぎないからしょうもない。
実際に東京/地方で実際にお前やお前の子供は何にアクセス可能で何を継承して何を保有していて何の能力を身につけたい/身につけさせたいのか?
そんな話はしたくない?
私は上京組だ。地元は市内にライブハウスが2軒あるくらいの地方都市。
高校までを地元で、大学を別の地方都市で過ごし、就職で上京してきた。
私は予定がないとひたすらゴロゴロしてしまうタチなので普段はなるべく予定を詰め込んでいるのだが、その日は何もなかったので昼まで寝てご飯を食べてそのままダラダラしていたのだ。
ふと「ライブに行きたい」と思い立ち、ライブハウスのサイトを回ってみた。
東京には星の数ほどのライブハウスがあり、週末にはほぼ全てのライブハウスで何らかのライブが行われている。
何軒かのサイトを巡ると、ちょうどその日に私の好きなバンドのライブがあることを知った。
私はその場でライブの予約をし、電車に乗ってライブハウスに向かった。
ライブハウスに向かう道中、私は心から「ああ、これが東京か」と感じた。
ふと思い立った1時間後には好きなバンドのライブが見られる。常にどこかで数え切れないほどの人たちがライブをしている。
私の知っている地方都市ではそんなことはない。
ハコはせいぜい1~2軒、そこそこ名の知れたバンドでも回ってくるのは年に1回あればいいほう。それを何ヶ月も前から予約し行くものなのだ。
その気になれば毎週でも自分の好きな様々なバンドを見ることができる。というか、見ていた。
と言っても専門的な知識なんて何もなく、ターンテーブルの再生と切り替えとちょっとした調整くらいしか知らない。
知識をつけて本気でやる気もないし、集客を頑張るつもりもない。
音楽繋がりで会った友だち数人と企画して、身内を30人くらい集めて遊ぶ。そんな感じだ。
「ちょっと声をかければ数十人の趣味仲間が集まり、場を共有して楽しむことができる」
そこで一緒に遊んでいた友だちはイベント企画にハマり、ちょっとしたインディーズバンドを呼んで外部集客含め100人くらいのイベントをやるようになった。
こんなことができるんだな、と思った。
わからないなりに「綺麗だな」とか「すごいな」と思うことはある。
それよりは博物館や科学技術館みたいなところのほうが楽しいな。
どうやら私は物事の仕組みや分類みたいなもののほうが好きらしい。
あ、でも文化庁メディア芸術祭はとても楽しかった。終わっちゃったのが寂しいな。似たようなイベントってどこかでやっていたりするんだろうか。
そういう「自分は何が好きか」というのも、行ってみなければわからないみたいなところがあるよね。
なので、行ける機会がある人は知らないものにもどんどん触れてみるといいと思う。