プレイヤーが最初からwin-winを求めるのは筋違い。あくまで自分のwinを求めた結果、win-winの状況が最もプレイヤーの利益にかなうというのならそうすればいい。
それは無理だな。
相手と自分のwinを同調させようとしないものに、win-winの関係は構築できない。
仮にできたとしても、偶然の産物でしかなく持続可能なものではない。
あくまでたとえなので細かい違いを言い出したらきりがないのだが、裁判における弁護士と検事のようなものだと思ってくれればいい。
それぞれがお互いの立場で争い、裁判官が裁定する。このとき弁護士や検事が、お互いの足場も忘れて裁判官のつもりで裁定するべきではない。それは己の仕事に対して不誠実であるということでもある。
裁判官がどのように判断するかを想定せずして、有効な主張や立証ができるものなのかね。
いかに自分に有利な法律構成であっても、裁判官が認めなければ何の役にも立たない。
民事訴訟にしても、大半が和解での決着だよ。互いに譲り合って解決する。
そこでエゴを丸出しにしたら、和解での決着よりも得るものが少なくなったり、かえって失うこともある。
ほどほどのところで相手を立てることが、結局は互いにとって良い結果となるもの。
したがって、必ずしも個のみの最大化を目指すことがいいってことはない。
むしろ、調和を目指す方が、かえって結果的には最大化になる。
つまり、君が共栄を考えるのは結構だが、それをプレイヤーである国家に求めるのは間違っている、ということだ。それを求めたければ、国ではなくもっと別のところにやってもらったほうがいい。
身近なところからでも啓蒙はしてるけどな。
むしろ、調和を目指す方が、かえって結果的には最大化になる。 本当に因果のわからん奴だな。 最大化を目指すうえで、調和を求めたほうが良ければ調和を目指すべきであり、調和を...
それは無理だな。 相手と自分のwinを同調させようとしないものに、win-winの関係は構築できない。 仮にできたとしても、偶然の産物でしかなく持続可能なものではない。 ちがうよ。 ...
「相手と自分のwinを同調させようと」する動機が自分のwinの最大化にあるんだよ。 だったら、自分のwin“だけ”を“考える”ということにはならないよな。 動機でしかないんだから。
動機というよりは「目的」だけどね。