2009-06-17

偏見を治す第一歩として

どうも、偏見でモノを見る癖が抜けない。

大阪出身者が、何か事件起こしたら、「やっぱ大阪のやつってこれだから」って反射的に思ってしまう、そういう癖がついてる。

いかんと思った。

でも最初から「人それぞれなんだ」と思おうとしてもなかなかうまく処理できないので、

便宜的に、偏見を治す1歩として、とりあえず、これは「いい〇〇」「悪い〇〇」だ、と分けることにした。

たとえばいかにもDQNなオッサンが大声で騒いでいるのを見ると(もうそれだけで外に出たくなったりするという弱さぶりなのだが)、そういうときは「これは悪いおっさんだ。」と思うことにする。

そうすることでオッサン全てを「ち、これだから団塊世代は」と思わぬようにする。

騒いでる大阪人を見たら「ち、これだから大阪の奴は……」と思わず「あれは、悪い大阪の人だ。」と思う。

優しい大阪人にあったら「これはたまたま特別いい人だっただけ」とか思うんじゃなく、単純に「いい〇〇だ」「悪い〇〇だ」と分けるのがコツ(コツってか、俺の中でだけだけど…)

これでも「おいおい、二分法かよ。ガキかよ」と思われるだろうけど、とりあえず、あるカテゴリに属した人が何かやらかしたら全部そうだと見る癖は、なくなってきた……と思う。

そもそもなんでそうやって、例えば女性だったら、誰か一女性やらかしたら「女は全部……」って思いたがるかっていうと、多分そうやって自分の中でケリつけて、っつーのか、まとめて、というのか、収集を一応つけることによって安心がしたいのだと思う。

分からないものをそのまま心のうちに留めておくのは案外難しいてか、キツい。人ってそのへん、すぐ自分論でもなんでもいいから使って、とにかくとりあえず納得したがるとこがあると思う。世界自分流に解釈したがるというか。多分そうしないと謎だらけ、不確定要素だらけで生き辛いんだと思う(哲学者とか、だから生き辛そうだし)。

だからどうせ心中に収めるなら、それを二つの箱にしようと思った。

将来的にはもっと細かい箱になって、そのうち一人一人の箱になればいいと思う。

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