はてなキーワード: 動物園とは
10組のカポーが食事に出かけた
1人の男が割り勘を提案して、9組になった
9組のカポーがおそくまで起きていた
1人の男が童貞をこじらせて、8組になった
8組のカポーがデヴァンを旅していた
1人の男がオオアリクイに食べられ、7組になった
7組のカポーが薪を割っていた
1人の男が竹を割ったら女の子が出てくるエロゲを始めて、6組になった。
6組のカポーが蜂蜜をいたずらしていた
5組のカポーが法律に夢中になった
1人の男が「同居は二年まで」と提案して、4組になった
4組のカポーが海へ出かけた
1人の男の生首がボートに載り、3組になった
3組のカポーが動物園を歩いていた
1人の男がクマを見て「俺もプーさんwww」と言って、2組になった
2組のカポーが日向に坐った
1人の男が松崎しげるとなって、1組になった
1組のカポーが後に残された
1人の男が29歳の彼女に別れを告げた。
そして、女が1人だけ残った。
結局、馬鹿を野放しにするのがまずいんだろうか。
梅田さんはやはり、エリート主義なのかもしれないなあ、と思った。
要するに、梅田さんは馬鹿にでも分かるように説明し、馬鹿な大衆のレベルの底上げをする
ことが目的なのではなく、頭の良い人たちとレベルの高い面白い議論がしたいのだろうと思う。
彼が啓蒙したいのは、見込みのある若者たちであって、馬鹿な大衆は単なる搾取の対象で
あるのかも知れない(それが悪いとは思わないが。確かにそちらの方が面白いし、楽しいから。
しかも自分の好きなことをやるということであって言論一致である。馬鹿の相手はイライラ
するし、徒労に終わる場合が多いし。そして、そういう商売で生きていくことを彼は目指して
いるのであろう。繰り返すが、商売は慈善事業ではないし、梅田さんは聖人ではないと思うので、
馬鹿な大衆のレベルの底上げをするという(多分)不愉快な仕事の義務は発生しない)
ただ、思うのは、多少ましになっているかも知れないが、リアルワールドの日本人は
自分が馬鹿にされるのを恐れて、あるいは、恥をかくのを恐れて、気軽に発言しない人が
が相変わらず多い。相変わらず日本人は恥を恐れる感覚が強いのは確かだと思う。
(だから、英語の上達が遅いという話もあったが)
その反動が(匿名性という)ネットに出てきている部分というのは確かにあるような気がする。
そしてそれには良い面もあれば悪い面もある(セガBBSがまさに動物園だったことを思い出す)
その反動とどう向き合うか。抑圧されていた恥知らずで馬鹿な日本人の本音とどう
つきあっていくのか。結局、日本におけるオープンなサービスにおいて、そこをどう
対応するかが一番問題なような気がする。
馬鹿の相手をしたくなければ、クローズドで、仲良しセミ文化人サロンとしてやって
いけばいいのでないか(もっとも、mixiがうまくいっているかは私はよく分からないけども)
馬鹿な大衆からは巻き上げたい、でも、レベルの高い議論がしたい、という話は
虫が良すぎるような気がする。
http://anond.hatelabo.jp/20081105135432
http://d.hatena.ne.jp/dystopia/20081022/1224691024
先月受け取ったメールで知り合い、チャットで意気投合し、今月から付き合い始めた。
これまで5人くらいと付き合ったことがあるけれど、一般的な女の子と比較して
といった点が目立つ。
見た目は福田康夫を少し丸くしたようなかわいらしさがあるのだけれど、要するに中身は雄だ。
初めは戸惑いもあったが、案外こういう女の子とつきあうのは楽で楽しいと分かってきた。
いろいろ縄張り・バナナ・毛づくろいなどを試そうとするなど好奇心が強い。
群れの長の資格も持っているというのに大道芸系の資格も取ろうと勉強していて向上心の強さがある。
体毛の薄い俺を上手にグルーミングできない自分に「ウキーッ、キキキッキーー///」と恥ずかしがる。
問題はどうやって知り合うかだけれど、職場(動物園)という戦闘モードの時に誘うのではなく、ジャングルが狙い目としか。
初めの一歩が難しいだけで、後は一般的な女の子よりも付き合いは簡単かも。
だって普段雄同士でしている会話と同じでいいんだから。
http://d.hatena.ne.jp/Dr-Seton/20081017/1224232724
このエントリーのコメント欄、拝見しました。にゃあにゃあご苦労様です。
折角のシートン先生の罵倒被炎上逆ギレの至芸、更にコメント欄で花を添えて下さってありがとうございます。そうは見られるものではない、はてサの相互増強的炎上連鎖、ひとつの新境地、そこに達したにゃんね。おめでとうございますにゃ。炎上を収めようとする振りして実は灯油のスプリンクラー状態、友情は麗しいにゃりね。
もうひとつ、にゃんにゃん話体で他人を豚呼ばわりするという「無秩序動物園瞬間召還」の絶技、これまた見物を拝見できましたブー。猿さんがまだ来ていないのが残念でならにゃいウッキー。狼さんが姿を消したのがつくづく残念なんにゃ。うおーん。おろろーん。
http://anond.hatelabo.jp/20081017225836
こちらのエントリーを書いたのは必ずしもわたしではありませんが。
いま付き合ってる人のことがすごく好きだ。でも昔好きだった男のことも繰り返し思い出してしまう。思い出したってどうにかなるわけじゃない。やりなおせるわけでも、連絡がとれるわけでもない。いまの相手を蔑ろにしたいわけでも、いまの相手と別れたいわけでもない。でも、思い出してしまう。ああ、あの子は元気にしているのかな、と、いらぬ心配をしてしまう。なんでだろうね。なんで、思い出してしまうのだろう。
いま付き合ってる人のことがすごく好きだ。だけどバランスを失うほど夢中にはなれない。いま付き合ってる人のことがすごく好きだ。だけど手のかかるあの子ほど熱心になることはない。それはやっぱり、バカな子ほどかわいいと思う親心と一緒で、できの悪いあの子と、特に何の手もかからない大人のあの人とを天秤にかけて、面倒が多い方にばかり着目しているせいなんだろうか。手間をかけた分だけかわいいと思う、動物園の飼育係か、農業に従事する方の農作物に対する愛情と同じ心理状態にあるんだろうか。
自分の気持ちが分からない。だけど、あのときより少し大人になって一つだけ分かったことがある。それは、正しさがどこにも存在しないってこと。本当のこととか、正しいこととか、信頼できることとか、根拠にしてもいいことなんてどこにもないってこと。私が本当は誰を好きかなんて問いに正解はないってこと。だから私はずるい答えを用意する。「どっちも好きだよ」と、まるで不倫相手と妻の間で板挟みになる気の弱い卑怯な男みたいに。「どっちも好きだよ」どっちのことも大切だ。そう思う心の裏側に、少しも薄汚いものがないといったら嘘になる。
結局、自分のことを大切にしてくれる相手を確保しながら、自分が大切にしたい相手のことを勝手に思っているこの状況は、不誠実なのではないか。実際の行動が伴わぬだけで、不倫や浮気とそう変わらないのではないか。そういう自責の念は、ある。結局、自分がかわいいだけなんじゃないか。結局、一人になるのが嫌なだけなんじゃないか。分からない。正しいことなどどこにもないし、正しい答えというのは、自分がそれと信じただけのものでしかないのだから、答えを求めることをやめた。それでも、理由を探してしまう。なんで、思い出してしまうんだろう。
んでもそれ言っちまったら、ブログのコメ欄に匿名コメ入れることはどーなんの?ってことにならねーかな。
いや、それがブログの構造上、議論の展開が担保されるっつーのはわかるんだけど、
結局言い捨てられれば、同じなんだよな。
ほんじゃ、はてブコメを全部ブログのコメ欄に反映させましょうってなったら、それはそれで地獄だぜ?
「ほんじゃ」って何が「ほんじゃ」なのか分からんけど
はてブに書き込んでる奴がそのまんま同じ事をコメント欄で言う、しかも全員が、ってのはまず有り得んよ。
「直に反論されてまう」という事が、書き込む側に足踏みをさせるから。
ていうか、そこがはてブとコメ蘭の大きな違いっつーか。小さいようで結構でかいよ。反論されるかもってことになると、気軽に下手なことかけないし。じゃあちゃんと書くかといえば、そこまでするなら面倒だからってことで書かなくなる。ここでドッと数が減る。
言い捨てても「同じ」じゃない。その直後に管理人が反論してしまえば、その議論の流れはくっきりと残るわけで。それは結構恥ずかしいものだ。(てかだからこそ、皆ちゃんとしたことを書こうと努める。割りとそういうときの第三者の目って気になるものだよ。議論は相手を見てするんじゃなく、第三者の目を見てしろって言葉もあるくらいだから)はてブだと、たとえばはてブコメにたいしてブログ内で反論してあっても、それが「一つのページで」表現されていない。この差は意外とでかい。
要はブログ主にとってもはてブコメント側にとっても、実は意外と第三者の目が大事ってことかな。コメント欄なら第三者に見える形でブログ主が反論できるけど、はてブって第三者も気軽に見れるわりに反論はしがたいっしょ、構造的に。アドレスはってできないこともないけど、そこまでご丁寧に「アドレスはられたはてブコメ」と「ソレに対するブログ主の反論」を見てくれるような第三者ってそうはいないわけで。結果的にはてブでは言いっぱなしに等しくなるわけよ。そうすると、はてブで反論もされず偉そうにしてる側が、なんとなくそのまま偉そうに見える。リスクも背負わずそういうことをしている(まだ2chくらい離れてるといいんだがね、なまじブクマだから、変に近いってのも一因だ)奴がブログ主にとっちゃ腹がたつだろうし。反面ブクマコメント側ってのは、そういうのを「分かってて」はてブに書いてるわけ。
ある意味全てのネット上の書き物は、全て第三者を意識してるってとこあるから。そりゃそうだわな、独り言だったらネットで書く意味ねーしさ。管理人に伝えたいんだったらそれこそコメント欄あるいはメールでもいいわけだし。ブクマコメント書いてる奴も第三者の目を結構意識してる。(ブクマだから独り言って言う奴もいるだろうが実際にそうであるのは少数なのは、あの掲示板状態のブクマを見れば明らか)
で、ブログでも記事でもサイトでも、基本的には一方的な構造があると思うんだよ。
そもそもWeb上の言論なんて大半がトレーサビリティが低いわけでさ、時事ネタ1つ扱うにしても
当の本人なり、出来事とは遠く離れたことで好き勝手いってるわけだ。
最終的にはFtFまでいかないとこうした構造は抜け出しがたいと思うぞ。
そういった構造は多かれ少なかれあるけれども、その中でもはてブは飛び抜けてそういう性格を持っている、ってことだ。黒か白かじゃなくて、灰色の中でも濃い薄いがあるってこと。そこを「どうせ同じ構造だから」といって一緒くたにするのは乱暴だろう。
まだ2chくらいいっそ離れているならば、逆に「あれはヲチ板だから」ってカンジでこちらからも隔離できるわけだが(あるいみ棲み分けというか)、はてブは距離は絶妙に近いのに、コメントを書かれた側、つまりブログ主とか、そっちからは反論がしがたい、というなんだか、マジックミラーみたいな構造なんだわな。要は。他の単なるweb上の言論は、単に別の場所で好き勝手言ってるだけ、って感じだけど。なまじ「近さ」がね。強制的に、コメント述べてる対象を、「動物園の檻の中の動物」みたいにしてしまう。勝手にされた側は、そらまぁ不愉快だろう。
「遠く離れたとこで好き勝って言ってるわけだ」っていってるけど、そう、「遠い」んならいいんだよ、まだ。
先日、連れと、上野のフェルメールとデルフト派展みたいなものに行った。
特別展は平日だというのに、なかなかの混雑ぶりに驚いた。
中に入ると、OL風の二人が、絵の前で「この視線が」「へぇ」「なるほど、やっぱりドラマが」云々と鑑賞していたのを見てさらに驚いたが、こういったのは展覧会であちこちで見られたのにほとんどカルチャーショックといってよかった。
自分も連れも、普段から美術館系にはほとんど行かず、同じ上野なら二つの博物館か動物園に入り浸るが美術館に足を向けたことはない。加えて美術的な素養もほぼないに近い。今回来たのも、たまたまチケットをもらったからだった。
確かに飾られた絵画は(素人目で)きれいでうまかったけれども、じゃあ他の画家とどう違うから今も名声をその保っているのかと聞かれたら、まったく答えられなかっただろう。正直、オランダの画家ならレンブラントとフェルメールの区別がつかない自分には、フェルメールとデルフト派の区別もまったくつかない。
ほとんど作品の横についている解説を頼りに、這う這うの体で二時間かけて見終わった。
二時間もいたわけだから、まったくつまらなかったというわけではないが、時間をかけた割りに、心から楽しめたというものでもない。帰ってきて、何が、フェルメールにしろ他のデルフト派にしろ、すごかったのかはわからずじまいであった。
先のOLのように、こういったものを鑑賞する、そしてそれを楽しむ能力を持っている人間というのは、ある種尊敬に値すると思う。こういうのは、先天的にもらえるものなのか、はたまた後天的に取得できるのか、そもそも学校か何かで習ってなんとかなるものなのかどうか。
でも、今日、スゴく気になることがあったので質問させてもらう。
今日、海に行った。
2年くらい前に知り合って今も仲良くしてる女友達と
そう、2人っきりで海に行くことになったのだ。
いちお、友達程度の付き合いなんだけど、なんか、こう、最近の出会う回数とか連絡する頻度とか考えると、友達の域を超えてるような気がしてね。
で、すごく気になるんだ。
こういうのって恋愛なんじゃないかと
実は、今回が2人で行動する訳ではないんだけど、なんか最近一緒に行動するときの目的地が変わってきたんだ。
なんていうか、こう、まるでデートみたいな。
知り合った頃も、今も、オレは恋愛を意識していない。だから、2人であっても何かを感じる訳でもなく、食事したり、お茶しながらおしゃべりしたり、と。まぁ、人として普通の付き合いをしているつもりだった。ところが、最近は今回のように海だったり、高原だったり、動物園だったり、歴史的景観の保存地区とか…。いわゆるデートスポット的な場所が多くなってきたんだ。
最初は楽しいから「よし!行くぞ!!」って今日の海に行くまでノリノリだった。
だけど、これって男女2人で、しかも友達程度の関係でやることなのか?って思い出したんだ。
でも、昔はいた2人とも。
オレに彼女がいた頃、こういった遊びを良くしたものだった。
ただ一緒にいるだけでいいと思いながらも、色々なデートスポットを訪れた。
今日、一緒に行ったのは、あくまでも「友達」
でも、行き先は海岸。2人っきり。
やっぱりこれはデートになる。
社会人の2人なんで、ここで恋愛とかすると「結婚」とか意識されるだろうからなぁ。
と、考えていた。
オレは、彼女に近づくべきなのか、あくまでも友達として貫くべきなのか
頼む。みんなの意見を聞かせてくれ!!
留学先で知り合った人がいました。俗にいう魔法が使えるその年まで僕は女性とおつきあいをしたことがなくて、たぶんその先だってずっと一人でいるだろうと思っていたのに、その人とはなぜだか自然と仲良くなりました。自分が愛の言葉を言うなんても思いもしませんでした。
お散歩したのも、動物園にいったのも、お買い物にいったのも、服を選んだのも、誕生日を祝ったのも、電話でたくさん話したのも、手紙を書いたのも、写真をとったのも、料理して笑い合って食べたのも、寝坊してゴロゴロしたのも、手をつないだのも、じゃれあったのも、けんかしたのも、キスしたのも、ぬくもりを感じて眠ったのも、胸がこんなにあったかくなったのも、全部はじめてのことでした。たぶんふつうの人はとっくに経験しているだろうことを、それまでの遅れを取り戻すかのようにたった数ヶ月の間に僕は知っていきました。彼女のおかげで世界は変わりましたし、僕はやさしくなりました。だれかを愛して愛することをはじめて知りました。
彼女にはずっとおつきあしている人が国にいました。そのことは僕も知っていましたし、彼女だってちゃんと考えているだろうと思ってました。しかし、「彼のことが忘れられない。彼のことがやっぱり好きだと気づいた。」一時帰国した彼女はこういいました。そして「ごめんなさい、おつきあいできない。」と彼女は僕に一言あやまりました。
きっと魔法が使えるようになった僕の魔法に彼女はかかっていたのかな、そして魔法はあっという間にとけてしまったんだ。だってそうでもなければ全部が嘘に思えて、せっかくやさしくなった僕はまたいじわるにならなければいけなくなる。いや、全部嘘でもいい。ただ、ほんの少しの間だけだったけれど僕を愛してくれていたことは本当であってほしい。それだけで僕は残りの人生、魔法を使わずとも少しだけ幸せにすごせるかもしれないから。
さようなら。とっても楽しかったです。どうもありがとう。どうぞお元気で。
でも、見た目は自分の方が老けている感じ。
とある市民活動的な集まりに自分が参加したのが、知り合うきっかけだ。
知り合ってから、時々一緒にお茶してみたり、モロッコ料理のレストランでベリーダンスのショーを見たり、
もちろん、最初からそんなに頻繁に一緒に行動していたわけではない。
いつだっただろうか、彼女からマメに連絡が来るようになった。
そして、ある日の夕方。
デニーズで軽い夕食を一緒にする機会があったときだ。
いつものように、くだらない話題で会話を楽しんでいた。
ふと、会話が途切れた時、彼女が真剣なまなざしを僕に向けて言葉をこぼした。
「ちょっと前の話だけど、元カレと結婚して彼のもとに引っ越すつもりだったんだ。
それが、ねぇ。なんかね…」
話はここで終わってしまった。
自分もどう声をかけていいか分からない。
それから、彼女を見るたびに、どこか悲しさを背負っているように見えてしまう。
結果から言えば、行く事にしたんだけど、今もしょっぱい気分が残る。
■■■
何を思って自分を動物園に誘ったのか。
友達以上にもなっていない関係。
夜の動物園。
今日は、仕事が休みで、今は、PCにむかって他の増田たちのエントリ眺めてる。 暇なんで、自分のことについて考えてみることにした。
夜の動物園に行って、
別の日にデニーズで食事しながら女友達の過去話【元カレとの結婚話が無くなったこと】を聞いて、
実はその後、海を見に行こうとも誘われビーチへ行って、
昨日、それぞれの職場がそれほど離れていないので、ダメ元で仕事帰りに呼び出してみたら会うことができて、
で、今、その女友達からちょこちょこメールが入ってくるようになっている。
出会ったのは、今からおよそ1年前。
きっかけは、記述の通り市民団体の活動に参加したのがきっかけ。
当時は、名前を知っている程度だった。
ホントつい最近まで、会うことすらなかった。
それがどういう訳か、マメに連絡するようにる。
始まったのは、この2ヶ月くらいっていうか、今かも。
なんか、他の増田エントリみてると、自分のスペックを考えるだけで、恋愛とか結婚とかから話が遠ざかる。
でも、そろそろいい年齢だねと、周りからささやかれる。
そんな時に出会ったのがこの女友達。
これは、恋に発展する可能性があるのかどうかって考えてみてるんだけど…
正直今は、恋愛が怖いと思っている。これには訳があるんだけど。
巡り会えたのは今日。
夜の動物園に忍び込ませたのは君だぜ
熱い歌ですね。ただ、夜の動物園には入場料を払って営業時間内に入ったけどね
恋人同士でも親友同士でもない絶妙な関係の二人で行ったのです。
応援ソングだと思って心の中にこの歌を響かせておきます。
僕は、ここに日記を書いている以上、増田男だ。そんな僕がある時、最近知り合った年上女から夜の動物園に誘われた。
これが、この日記を書くきっかけになった。
で、以下のリンクが今までの日記。 ■程よく仲の良い女の子に「夜の動物園に一緒にどう?」と誘われた ■年上の女友達に誘われて夜の動物園に行ってきた【続2】 ■夜の動物園に誘ってきた年上女友達に愚痴メールを送ってみた【続3】
そんなこんなで、夜の動物園に二人で行ったんだけど、
別に恋愛モードに進展するとか、その場の「大人な関係」ができあがったとか、そういうのは全くない。
いわゆる【普通の会話】を楽しむことでお互いの素性が少し分かった程度。
「友達」という枠から大きくはずれたり、それより深い関係にはなってない。
「連絡をすれば、ある程度自由に会うことができる関係」
というのがベストかな?。まぁ、少し仲の良い友達に近づいたのでしょうか…。
今までの日記に書いているけど、この女友達は、過去につらい思いをしている。
今まで、女友達からの誘いがあって、それに僕がついていくとうパターンでした。
これまでの経緯を考えると、この誘いの数というか頻度が増えてる気がしてるんです。
で、今回、僕から、唐突に女友達に電話をして、会いにきてくれるかどうか試してみたのです。しかも、仕事が終わってから。
実は、この作戦に出た翌日は、二人とも休みなのだ。
だから、少々無理な話でも誘いに乗ってくれるんじゃないかと思ってた。
さらに期待をすれば「大人な雰囲気」にならないかなぁ〜、なんて思ったり思わなかったり(妄想)
そして、二人の職場が近い。同じ市内にあり、市営の電車かバスと徒歩で15分もあれば到着する距離。歩いていくのも無理ではないくらい。
で、女友達の仕事が終わるか終わらないかの時間帯を見計らって、電話してみた。
1回目
「ただ今電話に出ることができません・・・」
どうやら、まだ仕事が終わってないらしい。
=15分後=
2回目の電話。
「もしもし〜〜〜☆」
仕事疲れを感じさせない、明るい声が僕の耳に飛び込んできた。
以下、電話のやり取り。
僕 「あ、仕事終わった?」
女 「うん、今終わった所。何? 何かあるの〜?」
僕 「まぁね。今からって時間ある?」
女 「あるよ。もう家に帰るだけだから、暇だよ。」
僕 「それは良かった。ちょっと聞きたいことがあるから、今から少し時間もらうことできる?」
女 「いいよ。何?何? 何かいいことあるの??」
僕 「ある。それで、どうしようね。僕の仕事ももうすぐ終わりだから、こっちに来てもらうことってできる?」
女 「いいことあるなら行くよ〜。S駅近くの神社で待ってるね。バイバーイ」
即決だった。しかも、簡単に話がまとまった。
この後、待ち合わせの神社に集合し、近くの商店街をぶらぶらしながら本題に入る。
正直、僕にとっての本題は、女友達に会うことなので、以下適当にやり過ごした。
実は、内容なんてどうでも良かった。
女友達と商店街をぶらぶらしながら、気になるお店を見たり(もちろん新商品のアイデア探しと言うことで)関連商品をみたりしていた。しばらく、歩いた後に喫茶店に入って本題突入。メモ用紙に、アイデアのスケッチ等をしたり、それをもとに笑い話をしたり、ちょっとずれた話をしてみたり…
思いつきなネタだったわりには、楽しく過ごせた。
いや、これは僕と女友達の二人だったから楽しかったのだ、と言いたいが、それは妄想の世界なのでやめておく。
会話も終盤に近づいた頃、仕事疲れが出てきたのだろう。
女友達にあくびが連発(このあくびが結構かわいいことは、あえて書き添えておく)
話も程々に切り上げて、帰路に向かった。
この日、僕と女友達の距離がほんの少しだけ縮まったような気になれた(妄想)
はてなブックマーク - 夜の動物園に誘ってきた年上女友達に愚痴メールを送ってみた【続3】の問いに答えておく
■妖怪の日:水木しげるの妖怪ロードを見に行くらしい。略して「妖怪の日」のこと。
■書籍化は狙ってないと言うか、狙える気がしないです。
■ウソっぽいと感じるかもしれませんが、実話をこっそり書いてます。メール本文や電話の会話文等で個人を特定できるものや場所を特定できるものは、省いたり加筆修正してますが、内容に大きな変化は加えていません。
恋の話なのか何なのかは、現在進行中のため不明。以下、概略です。
■程よく仲の良い女の子に「夜の動物園に一緒にどう?」と誘われた
市民活動グループに参加したことにより知り合った2歳年上の女友達。 それまでは、別に友達らしい友達でもなかったのに、グループ活動を通して会う回数が増える。 すると、女友達からの連絡回数や直接会う回数が増えだす。 ある時、ファミレスで軽い食事をしていると、彼女の過去を知ることに…。結婚まで考えていた彼がいて、近いうちに彼の住む地域へ引っ越そうとしてたのに、その話が無くなってしまったというものであった。 なんで、話がつぶれたのかは分からない。僕もそれ以上は怖くて聞き出せなかった。 それから2週間くらい経ったんだろうか、その女友達から連絡がきた。 「今度の週末、暇だったら夜の動物園に行かない?」と。 そして、僕は夜の動物園に駆け出した。彼女が近づいてくるかどうかも分からないのに。
二人の距離が縮まるとかそういうのは無し。
「結局は、普通の友達かぁ」
と、夜の動物園に行った日(昨日)のことを思い起こしながら、今日1日を過ごした。
ところが、今日は僕に色々と災いが降り掛かってきた。
日本社会というか、昔の仕事人の考え方についていけないと言うか…
要するに、ものすごくイライラする一日だったのだ。
愚痴
会社で言われた。
お休み返上で働けと…。自分のために。
何なんだろうね。
今日はスゴくイライラすることが重なったので、ドーナツ食べてます。
では。
友達にメールをばらまいたとか言うのはウソ。ドーナツはホント。僕は、甘いものが好きなので。
で、しばらくドーナツをほお張りながら、ドーナツ屋の隅っこでぼーっと外の景色を眺めていた。
今日は嫌な思いをしたのだ。
しばらく、時間が過ぎただろうか。メールの受信を知らせる音が鳴る。女友達からだ。
ドーナツ
仕事お疲れ〜
ドーナツでストレス解消できるなら軽傷だね。山田さん(仮称)みたいにビール漬けじゃないからお金もかからないね。
前、約束してた水曜日。さっき思い出したんだけど、妖怪の日だった。
多分、夕方からだから、海に行くのは来週でよろしく〜。
何も心当たりが無いが、いつの間にか彼女と次ぎ会う約束をしていたようだ。しかも、海に行く約束。あれ?返信メールに悩む僕。
■■■
このメールの内容がチンプンカンプンである以上に、いつの間にかデートする約束までしたいたことに驚いている。
海に、また二人っきりで。
でも、二人の関係は、友達程度。え?
この、女友達は、僕に何を求めているんだろう。
女心が分からない。乙女心も分からない。
愚痴メールを適当に送りつけて、すっきりしようと思ったら、返信されてきたメールで悩むはめになった。
どうすればいいんだろう。彼女にもっと近づくべきなのだろうか。
抱きしめたり、手をそっと握ったりしてあげた方がいいのかなぁ。
それまでに、打つ手を考えた方がいいのだろうか。
しばらく、考えてみます。
今日久しぶりにゲーセンいったんだけど、まぁゲーセンと言うより所謂アミューズメントスペースと呼ばれるような場所だったんだけど。
なんか色んな意味でびっくりした。
あの、今のゲーセン(或いはアミュスペね)ってビデオゲームやプライズの他にメダルで遊ぶコーナーがあるじゃないですか。
で、メダルで遊ぶゲームがシューターものとか大型機を使った競馬とかビンゴとかビデオポーカーとか色々あるけど、
最近はパチンコとかパチスロをゲーセン向きに設置してあるじゃないですか。あれを親子が遊んでるの。至る所で。
そこは大きい店でパチンコ・スロコーナーもかなりの台数が設置してあるんだけど、大概若い親子連れで遊んでるの。
お父さんが回してるのを膝の上で女の子が見てるところもあるし、親子で3台くらい横並びで海物語打ってたりもするの。
もうちょっと子供が大きいと親から金だけもらって一人や兄弟で打ち出して、パトラッシュ打ちながらナントカ予告来たー!とか喜んでるの。
いや、いいんだけどさ。お前らそんな年から何覚えてるんだよとも思っちゃうんだけど、おじさんは。
いや、まあゲーセンだしなあ。メダルだし、まあいいのかなあとも思ったけど。
彼らは帰り道どんな話題するんだろう。
「お父さんの連荘凄かったね!」「はっはっは、パパはやっぱり違うだろうー」とか車の中で話しながら帰るんだろうか。
ウチはそもそも休みの日に家族でゲーセンに連れてってやろうって親じゃなかったし(そういう時は行っても動物園とかだったかな)、
その「今日は家族でゲーセン行ってみんなでパチンコでもするか」って発想がまずクラクラする。いや、別にいいんだけど。
ゲーセンなんて自分みたいな独り者の社会的不適合者の溜まり場みたいに思ってたので、
久しぶりのゲーセンがやたら華やかな家族やカップルの遊び場になっていてちょっとショックだった。
あ、そういう奴はああいう小奇麗なアミュスペじゃなくて場末のゲーセンでブツブツ言いながら縦シューでもやってろって話ですね。わかります。
でも、見た目は自分の方が老けている感じ。
とある市民活動的な集まりに自分が参加したのが、知り合うきっかけだ。
知り合ってから、時々一緒にお茶してみたり、モロッコ料理のレストランでベリーダンスのショーを見たり、
もちろん、最初からそんなに頻繁に一緒に行動していたわけではない。
いつだっただろうか、彼女からマメに連絡が来るようになった。
そして、ある日の夕方。
デニーズで軽い夕食を一緒にする機会があったときだ。
いつものように、くだらない話題で会話を楽しんでいた。
ふと、会話が途切れた時、彼女が真剣なまなざしを僕に向けて言葉をこぼした。
「ちょっと前の話だけど、元カレと結婚して彼のもとに引っ越すつもりだったんだ。
それが、ねぇ。なんかね…」
話はここで終わってしまった。
自分もどう声をかけていいか分からない。
それから、彼女を見るたびに、どこか悲しさを背負っているように見えてしまう。
結果から言えば、行く事にしたんだけど、今もしょっぱい気分が残る。
■■■
何を思って自分を動物園に誘ったのか。
友達以上にもなっていない関係。
夜の動物園。
ペマ・ギャルポ氏が「パンダはチベット固有の動物」と言っているようだが
ジャイアントパンダはかつての大チベットの領域から四川省、陝西省にかけて広く生息している動物。
ペマ・ギャルポ氏のこのような発言は民族主義者にはありがちだが
問題なのはそれを鵜呑みにしてデマを広げる人々。
どうして一度ググっておかなかったのか?
<参考>
http://panda100.jugem.jp/?eid=70
<おまけ>
>現在の海外リースパンダはほとんど成都市の成都パンダ繁殖研究基地謹製パンダで
>神戸のコウコウ&タンタンは臥龍中国パンダ保護研究センターのこれまた人工飼育パンダ。
>それ以前の贈答用パンダは
>ランラン(メス)は宝興塩井郷
>カンカン(オス)は宝興ロン東鎮??羊溝
>ホアンホアン(メス)、フェイフェイ(オス)は宝興ヤオジー郷
>残り
>リンリン(オス):( 北京動物園生まれ>ホアンホアンの子ユウユウとの交換で日本へ)
>妻のトントン死亡後、3度にわたり繁殖の為にメキシコに行ったりしたが駄目だった。
>シュアンシュアン(メス、リンリンの後妻で繁殖の為の短期リース。失敗して帰国)(メキシコ)
>チュチュ(オス。生まれてすぐ死亡)
>の三匹はホアンホアン、フェイフェイの子供で上野動物園生まれの日本産
>和歌山の現在も存命の4頭も日本産(ワシントン条約で所有者は中国)
>和歌山では都合8頭生まれていて1頭は直後に死亡で名前も付けられず
>1頭病死。2頭中国へ。で残4頭。
近くの動物園のサイが、夕方になると、どうしたわけかユッサユッサと
走り回るんだが、実にすごい迫力だよ。トリケラトプスもあんなだったろう、と思う。