「事務所」とだけ表現しておく。どんな時代の、どんな「事務所」なのかは想像にお任せする。
やはりそういう「事務所」にはそういう相談が舞い込んでくる。「うちの息子はどうしようもない破落戸(ごろつき)で、親としてもさじを投げざるをえない。」とか何とか。
これを引き受けると、まずは当人を朝一番に「事務所」に呼び出す(というか親が送り届けてくる)。そして何をやらせるのかというと、何もやらせないのである。
「事務所」の隅に椅子を用意し、「そこに座っていろ」とだけ言いつけ、一日中放置する。まあ、トイレくらいは自由に行かせるらしいが。「事務所」の「職員」は全員が当人を完全に無視する。もし当人が椅子から立ち上がって何かをしようとしたら、持ち前の気迫で「座っていろ」と言いつける。そして日が暮れる頃に「帰っていいぞ」と言い、五千円札だか一万円札だかが入った封筒を渡す。「日当」である。
これを何日も何日も続けるそうだ。
すると、ほとんどの若者は一週間と経たずに「雑用でも何でもいいから手伝わせてくれ」と懇願するようになってくるそうだ。しかしそれでも当分は聞き入れてはもらえない。最低でも二週間、長い場合は一ヶ月以上も「放置」を続けるらしい。そうやって十分にフラストレーションをため込ませてから、「じゃあ、これをやってみろ」と簡単な雑用をやらせ始める。最初は掃除やお茶くみ程度。次第に電話の応対などもやらせてステップアップしていく。簡単な仕事なのでしくじるはずもないのだが、そこで初めて「事務所」の「職員」達は笑顔で大げさに当人を褒め称えるのだそうだ。仕事ぶりによっては、「事務所」の偉い人が飲みに連れて行ったりしてやるらしい。
当時の現場を知る人曰く、「事務所」のほとんどの者がそうやってここで育てられて来たという。多分この界隈の他の「事務所」も似たような感じだろうとも。
その「事務所」の場合、ある程度仕事が出来るようになったのを見極めて、「事務所」に勤めるか娑婆(親元)に戻るかを決めさせるそうだが、ほとんどが前者を選ぶらしい。
某経済誌の、若者の離職率云々の記事を眺めながら「どうして娑婆の会社でもこの方式採用をしないんだろうなあ」と、その人は時々つぶやいている。