はてなキーワード: セクシャルマイノリティとは
トラバどうも。
先天的にマイノリティになる性質を有するか、後天的にマイノリティになるかという話は、本筋ではないです。
本論の始点はどこかというと、
ここです。
セクシャルマイノリティも「現実世界で他人に受け入れて貰えずに居場所を求めて「そのコミュニティ」に流れてきた人だと思うから。」という認識です。
ここから、社会的な認知をどう勝ち取るかという話を議論しました。
だから、由来は関係なく、マイノリティが社会認知を得るという点については、同じであるといえるわけです。
もちろん、社会認知なんて必要ないという立ち位置も認められます。
その場合は、同好の志のみでひっそりと楽しむべきでしょう。
言いたいのは、こういうことです。
名もない、マイノリティは受け入れるとかそういうレベルですらありません。
まずは、名前をつけるところからはじめるべきです。
つまり、基本的には、セクシャルマイノリティの問題と全く同じ図式なわけだよね?
これは無理。ゲイもレズビアンも大人同士の合意の関係。それは自由なんだよ。
トラバありがとう。
そのとおりだと思う。
性的趣向は、かなり多様性がある問題。
これは歴史的に変わらない。
だから、趣味的に内輪だけでクラブ・サークル的に楽しまれてきたもの。
それが、大量に流通する媒体にのってしまい、ネットという社会的リスクをなくして同好が集まれる場所が出来たのが勘違いの原因。
大衆にも認められるのではと思う人が出てきた。
しかし、もともと性癖は多様な物であるが故に、現実的にはキモオタはセクシャルマイノリティのように団結できない。
よって、大衆に認められることはありえない。
ゆえに、「キモオタ」的性癖は陰で楽しむ以外にないものであるというのが結論だ。
もしも、「キモオタ」が団結出来ることがあるとすれば、自分とは異なる性癖も含めた性的妄想の自由、つまり「表現の自由」を守ろうとした時のみだ。
それ以外では、団結できることはないだろう。
トラバありがとう。
ん。ずらしてんじゃなくて、全体的に飛ばしてんだと自分では思ってる。
つまり、「幼女がらめえ言ってる漫画」を買ってもキモいと後ろ指指されない世の中ではない現状があるわけでしょ?
その現状を変えたいと思ってネットでちまちま発信してるわけでしょ?
つまり、基本的には、セクシャルマイノリティの問題と全く同じ図式なわけだよね?
つまり、「ゲイ」、「レズビアン」を認めろと同じように「キモオタ」を認めろって話。
言いたいのは、セクシャルマイノリティのように、ある意味、血を流してはじめて、社会的な認知っていうのは変わっていくわけ。
ネットでちまちま議論するしかないような「キモオタ」が社会的な認知を変革できないのは、当然なの。
もし、ほんとうに自分のトライブである「キモオタ」を認めてもらいたいんなら、実名顔見せでリアルな社会に出てこいとしかいいようがない。
何故、この手の問題でカミングアウトが重要になるのか考えた方がいい。
ロリが社会的に有意義であるということを自分の人生かけて訴えていくしかないわけ。
なんで、大衆が匿名でネットでしか発言しないような「キモオタ」を認知する必要があるわけ。
そんな必要は、微塵もないだろう。
調子に乗るなっていうのは、至極当然な意見だろう。
その表現を消費するという、特定の嗜好を持ったセクシャルマイノリティの権利が、誰の権利と衝突しているの?
僕は、いわゆるセクシャルマイノリティだ。
セクシャルマイノリティっていうと、「同性愛? 両性愛?」って言われそうだけど、ネットで調べて見ると、ほんとはもっと人によってタイプも程度もバラバラで、いわばグラデーションのようになってるらしい (いわゆる「普通」の人でも、100%混じりっけなしで異性愛!! っていうのは、逆に少ないんだそうだ)。
僕の場合、生物学的には男。精神的にも男。でも好きになるのは男性も女性もで(どういうわけか、好きな男性のタイプと好きな女性のタイプにはあんまり関係がない)、ただし男性を好きな気持ちの方が強い。そんな感じ。
いろいろ考えた結果、カミングアウトはしないことにした(だからここに書くのがある意味初カミングアウトだ)。たぶんバレるから、こっそり同性と付き合うこともしない(としか思ってなかったはずなのに、異性とも付き合うことなく童貞のまま今に至るが)。だけど、好きなタイプの人がいれば好きになっちゃう。それは止められない。そんな感じ。
普段できるだけ人に迷惑がかからないといいなと思って過ごしてるけど、やっぱりかかっちゃってるよなぁと思うことが2つあるので、ここで書かせてほしい。
一つ目は、好きなタイプの男性を目で追っちゃうこと。例えば友人であったり、後輩であったり、コンビニのレジであったり、すれ違った人であったり。ちょっとした服装とか細かい仕草とかで「わー、この人いいなぁ」とか思っちゃうことがあって、その度につい見てしまう。女性の仕草に置き換えて考えてみてもらえば、「普通」の男性にもある程度わかってもらえるんじゃないかと思うけど、僕の場合の問題はその対象が同性だということだ。正直言うと、「いいなぁ」と思った人を、用もないのにじっと見てしまうこともある。たぶん周囲の人にはバレてるんだろうな。興奮すると顔に出る方だし。で、そういうことすると気持ち悪いだろうなというのもわかってる。僕にも「こういうタイプの人に色目使われたりしたら気持ち悪いと感じる」っていうのはあるので。わかってるんだけど、見ないようにしてるんだけど、つい見てしまっている。悪意はないんです。できるだけ見ないように努力もしています。でも気持ち悪いよね。本当にごめんなさい。
二つ目は、セクシャルマイノリティの「先輩」にあたる人たちに対して。セクシャルマイノリティっていうのは、その名の通り少数派なわけで、特に生理に関わる部分の話なわけで、多数派である「普通」の人たちから見たら、どうしたって「よくわからない。気持ち悪い」というのが最初に出てきちゃうのは仕方がない。その上で、現在のように「セクシャルマイノリティっていうのは黙殺したり排斥したりすればすむようなものじゃなくて、社会の中に確かに存在しているんだ。それなのに一方的に差別や偏見を受けるのはおかしいんだ」という主張が認められるようになってきたのは、「世間がどうだろうが、自分たちはセクシャルマイノリティであることを公言してやってくぜ!」ということをやった人たちだったり、そもそもセクシャルマイノリティって何なのかということを真剣に考えた人たちがいたからだ。僕が特に悩んでいた頃に、ネットでそういう人たちが発信している情報に触れられてどれだけありがたかったことか。でも、僕が今やっているように、カミングアウトもせず、セクシャルマイノリティの中で好きになれる人を探すこともせず、みたいなのは、極論すれば彼らに対する裏切りのようなものだ。戦ってる人から恩恵だけ受けておいて自分は安全地帯、みたいな。本当にごめんなさい。
あと、こんな文章目にしたくもなかったという人にも、ごめんなさい。どうしても一度言葉にしたかったのです。
26歳 一般会社員 既婚(子無し)
そんな俺が、答えるよ。
1.オネエマンズみたいなオネェは多分ゲイでもめずらしいタイプなんだけど
俺も実際にLGBTの人々と出会うまではオネェ=ゲイだと思ってた。
でもオネェっていうのは性指向とは違うんだな、というのが今の理解。
オネェだけど女の子と付き合うっていう人も結構いるからね。
それに体オトコで心オンナの人がオトコを好きになるのは、ゲイじゃないと思ってる。
ゲイってのはあくまで心オトコがオトコを好きってことであって、入れ物はあんまり関係ないのでは。
2.ゲイの人権問題を言うのなら、性的倒錯の面でロリコンとかも一緒ではないか?
これは明快に違うよね。
違法かどうか、宗教的にどうか、は全く関係なくって、全然違う。同じにしちゃいけないよ。
ゲイっつーかLGBTっていうのは性的倒錯じゃないんだよね、ホントは。
さっきも言ったけど、入れ物とココロと好きな性の組み合わせによる呼称にしか過ぎないと思うんだ。
一方、ロリコンは完全に性的倒錯。社会的に受け入れられない性嗜好なんだよね。
ただ、これも過剰なロリコン狩りは逆に悲劇を誘発すると思っていて、それはまた別の話。
教育のあり方とか、社会の仕組みとか、その辺から語りたいからね。
3.腐女子の方々はいったいなにがしたいのか……。
腐女子的なコンテンツってあんまり見たことないから、この憤りは共有できないんだけどさ。
まあ、勝手にやらしときなよ、ああいう輩はさ。
彼女らも自分が「腐」った人種であることを自認しているんだろうし、何を言ってもロリヲタと一緒で暖簾に腕押しさ。
あと、あなたは性衝動はオトコに近いって言ってるけど、「オトコと同じ」という認識でいいと思うよ。
だって、心オトコなんだから。
4.実際カミングアウトして引くひとはどれくらいいる?
引くっていうか、結局はLGBTに対する偏見が、カミングアウトされた人間の恐怖を誘引してると思う。
つまり、何もわからない中でLGBTは良くないことだと社会的には抑圧されてて、一方ではメディアがLGBTを奇異なコンテンツとして生産しているわけだよね。
だから、「引く」一方でミョーに「好奇心を持つ」人もいると思っていて、それはどっちもどっちだよね。
5.人生経験上で結構ゲイがいたせいか(襲われたり、付き合えたり)
結構、潜在的ゲイ(もしくはバイ)はいると思うよ。
ただ、それも前項で言った通り社会的に抑圧されるなかで、各々の感覚として死んでるんだと思う。
余談だが、一つここで俺的なまとめを示したい。
LGBTに偏見を持つ人に、受け入れなくても理解はして欲しいことがある。
1.カラダ オトコ × ココロ オトコ × ラブ オトコ =ゲイ
2.カラダ オトコ × ココロ オトコ × ラブ オンナ =ストレートのオトコ
3.カラダ オトコ × ココロ オンナ × ラブ オトコ =性同一性障害 オカマと言われることもある
4.カラダ オトコ × ココロ オンナ × ラブ オンナ =性同一性障害 ある意味ビアン
5.カラダ オンナ × ココロ オトコ × ラブ オトコ =性同一性障害 ある意味ゲイ
6.カラダ オンナ × ココロ オトコ × ラブ オンナ =性同一性障害 オナベと言われることもある
7.カラダ オンナ × ココロ オンナ × ラブ オトコ =ストレートのオンナ
8.カラダ オンナ × ココロ オンナ × ラブ オンナ =ビアン
あくまでカラダ×ココロ×ラブの組み合わせで呼称が変わるだけ。
「セクシャルマイノリティ」と言われるが、こうして分類すると実はストレートが2例でそれ以外が6例。
つまり、ストレートかどうかなんて大した問題じゃないんだ。
1番と5番の恋愛は、一見すると「社会的には」普通な男女のカップルなんだけど、実は内面的には同性愛だったりするわけだよね。
性に普通なんてないよ、きっと。
あるのは純然たる違いだけだ。
そうか?
男性性の押し付けが嫌だった男にとっては、今の世の中は生きやすくなってきたと思うが。
昔は、男は結婚して一家の大黒柱として働いて家族食わせてナンボ。それができない男は甲斐性なしだの一人前じゃないだの言われてたが、今じゃ主夫になる道もあるし独身を通す道もある。
昔は、男たるもの甘いものを食うのは恥みたいなところがあったが、今じゃ男がスイーツ好きを公言したって恥でもなんでもない。場合によっては好印象だったりするくらいだ。
酒に関してもそうで、昔は酒を飲めなきゃ男じゃないという空気があったが、今は酒を強要するのは良くないという空気に変わってきて、下戸にとっては生きやすい世の中だよ。
あと、性の押し付けが薄まってきた世の中っていうのは、セクシャルマイノリティにとっても生きやすくなってきた世の中っていうことだよね。
もっとも、現代日本の先の見えない社会に閉塞感や行き辛さを感じるということはあるかもしれんが、これについては男も女も一緒だからなぁ。
今みたいな価値観の世の中で生き辛い男ってのは、自分のアイデンティティを男性性だけに頼っている男なんじゃないのかね。
会社や性が自信を提供してくれる世の中じゃなくなったから、自分個人単位で自信を持てない人間には辛い世の中かもね。
現代において、自分個人単位で自信を持てない男は、「自分に自信を提供してくれる素晴らしい集団」を求めて迷走しているように見える。
まず触れておく。blacksorceryは言葉の使い方がまだ分かっていないらしい。
増田でも絡まれたので、マイノリティ=少数の者と思う人は、以下の文章に出てくるマイノリティは、弱者とか被差別側、被抑圧者にでも読み替えて欲しい。
昨日の記事に、女性はマイノリティって書いたのは失敗だったと後悔している。
元々、エロゲー愛好者はセクシャルマイノリティ、女性がエロゲーへ抗議するのはマイノリティへの差別だって人がちょこちょこいた。
で、こういう世界でマイノリティっていうなら女性だよと書いたことがある。
そのときのマイノリティは別に間違いでは無かったと思っているけど、これにも異論をもらった。
けど、今回独立させて書くときに、マイノリティって書くのは自分でもちょっと違和感があるし、誤解招きそうとも思ったんだけど、ここで書かずにいると前に異論出した人が喜びそうなのが癪に障って、いいや、マイノリティって書いておこう。と。
けど、やっぱりわかりやすくするべきだった。 (http://d.hatena.ne.jp/blacksorcery/20090524)
何度もいうが、「マイノリティ」は基本的に「少数(派)」のことだ。だから、とくだん数の多寡に重点をおかないのなら使わないほうがよいだろう。なぜか。重点となるものに関した用語(例えば被抑圧者、とか)を使うほうが自然だし、それについて語るときに問題点などがはっきりするからだ。これはくどいほど説明したし、辞書での定義ではこう、wikipediaの記述ではこう…と示しもした。「女性はマイノリティではない」という女性たちの声も示した。だが、blacksorceryはあくまでそれに抵抗しつつ、しかしちっとも「"なぜ"マイノリティは『少数派』の意味ではないのか」を語ろうとしない。そもそも、http://anond.hatelabo.jp/20090518024234で私が書いているのは
だ。別に、「マイノリティかつ女」などあり得ない、という話でもないし、だから女は守られるべきではない、という話でもないし、だから女は文句を言うな、といった話でもない(「人の間違った論を引かずに自分の意見を言え」「気分ではなく論理を結論にせよ、話し合いや権利の意味を考えて」というようなことは書いたが)。そしてもしこれが気に入らないのなら、「なんのことだ」という問いには「~が~だから、~ということだ」と論拠(むろん、マイノリティが基本的に少数派とかいう意味を持つ、という論拠と同レベル以上には説得力のあるもの)をもって語ればいいのである。ただそれだけのことをblacksorceryは語らない(ほかのブックマークコメント者もまるで語らないが。何の根拠も示さず、だが揶揄だけはできるようだから始末におえない)。また、マイノリティをどう遇するか、レイプゲームをどうするか、表現の自由をどうするか、について私が何ひとつ言っていないのに、blacksorceryは
だから君らはマイノリティ。 (http://b.hatena.ne.jp/entry/http://anond.hatelabo.jp/20090518024234)
だの
元々君の友達が自分たちは少人数で被害者みたいな科白を書いてたから (http://b.hatena.ne.jp/entry/http://anond.hatelabo.jp/20090518225205)
だのと勝手な定義付けをする。彼には自分と意見を異にする者がみな「仲間」であるように見えるのか? 女性という「マイノリティ(???)」にも「その嗜好を満たす商品」が提供されている事実を認識できず、
などと書く。彼には事実ではなく自分のイメージだけが見えているのか?
さて、そろそろ本題に移ろう。本題とは有村悠のことだ。先にあげたhttp://b.hatena.ne.jp/entry/http://anond.hatelabo.jp/20090518024234で、彼はいの一番に現れてこう書いている。
y_arim anonymous, gender, society, あたまがわるい マジョリティ・マイノリティが単純に数の多寡で決まるとでも思っているのかね? たとえば少数民族が多数民族を統治する国家の社会構造について考えてみな。 2009/05/18
当初、私はこれをあまり大したことと捉えなかった。ほんの少しだけ彼の文章を読んでいた私は、彼が馬鹿だとは思っていなかったからである。私はこう思ったのだ、「ははあ、何か勘違いをしているのだな」と。ゆえに、続くhttp://anond.hatelabo.jp/20090518225205では皮肉半分、憂慮半分の文章で返しておいた。しかし有村悠は一向に反応しない。まあべつにいいけど―と思いかけたそのとき、そのエントリはあげられた。http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20090521/1242967919である。ちゃんと読ませれば小学生でも分かる内容だが、こんなもの「昔のオタク史にはそんな事実はなかったじゃないか、出してみろよ」と言うamamakoが「事実はもちろんある」と反論を食らっただけの話なのである(細かくはhttp://anond.hatelabo.jp/20090523030043を見てもらおう)。引用されたNaokiTakahashi氏の言も、あくまでamamakoの「昔のオタク史」説に対するリアクションに過ぎない。amamakoこそは昔のオタク史を「知ったこと」だと思っており(ただし、知ったつもりなだけ)、NaokiTakahashi氏たちこそがその「(嘘まみれの)抑圧」に対して反発しているのだ。なのに有村悠には一連のやり取りがまるで逆かのように見えているらしい。私は困惑した。有村にはこんな簡単な状況が見えていないのか? なぜ?
それでも私はまだ疑っていたのだ。彼はそんなに馬鹿ではない、ないはずだ、と。だがまたしても、そんなときにエントリはあがる。"「○○は人間の本能《だから正しい》」というありがちな論法"(http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20090525/1243251389)だ。彼はjoe11111氏のつけたブックマークコメントを引いてこう書く。
子供を産み育てることは人間の本能。本能に(義務とか趣味とか)理由などない。そもそも発端はタバコと子育てを同じ次元で見た駄文でしょ?あんなの最初読んだ時にコメントする価値すらないと思うのが普通
というコメントの前半についてなのですが、これが赤木智弘氏の主張(個人が自らの幸福を追求するために子供を産み育てる行為=子育ては趣味といってよい)への反発であることを踏まえると、
という部分には「本能《だから正しい》」という価値判断が含まれているように読み取れます。「本能《だから当然》」でもいいのですが。
しかし、《》の部分は実は偏見なのですね。本能であるということ自体は、本来いかなる価値も帯びないのです。そこに《だから正しい》《だから当然》という価値を「勝手に」与えているのは、実はjoe11111さんである――となるのです。
なぜ? 確かに「子供を産み育てることは人間の本能。本能に(義務とか趣味とか)理由などない」という文章は分かりにくい。率直に言えば、私にもはっきりした意図がまるで分からない。が、これはそのまま読めば(「子育ては趣味」という論への反発としても)「子育ては本能だから、義務だからやるとか趣味だからやるとかいう理由などない」としか読みようはないだろう。そこに「正しい」とか「正しくない」とか言う価値判断は必ずしも入ってこないのだ。「当然かどうか」についてはなおのことである。善人が善事をなすのは当然、悪人が悪事をなすのもまた当然。「当然」に価値判断などありはしない。この価値判断は、有村も書くようにただ「含まれているように読み取れ」るだけであり、それさえもさしたる根拠はなく、「有村が」自身の解釈においてそのような意味を「与えている」というのに過ぎないのである。にもかかわらず、有村は書く。
そこに《だから正しい》《だから当然》という価値を「勝手に」与えているのは、実はjoe11111さんである――となるのです。
そこに、joe11111さんの主張と同じように《だから正しい》《だから当然》、あるいは《だからやむを得ない》という価値判断を含ませると、戦争や暴力行為のようなものでも正当化できてしまいます。
正確に読み取ることなどできなそうな「joe11111さんの主張」をなぜ有村は読み取れるのか。さらに続く
joe11111さんは、子供を産み育てることは理由などないほどに当然の行為だとおっしゃりたいのだと思いますが、それは結局倫理的・道徳的に好ましいという意味です。
については失笑するほかない。兎のつがいがさかって子育てし始めたらどうか。それは理由もないほど当然の行為だろうが、それも倫理的・道徳的に好ましいのだろうか。
いや、根拠の薄い憶測解釈も、結果的に当たっているのならそれはそれでいい。しかし、その解釈は当たってなどいなかった。有村の解釈が披露される以前に、joe11111氏はコメントの補足をしている。
ご指摘に関しては、まさに仰る通り「論点のすり替え」です。「だから正しい」がどれにかかっているのかはハッキリしませんが、「子育ては義務議論」にかかっているのであれば私はどちらの味方でもありません。どちらかを正しいと主張したいがために持ち出した論点のすり替えではありません。
私が言いたかったのは
人間が子供を産み育てることに誰にでも共通する普遍的な真理などあるはずがない
↓
発端の記事
(http://news.livedoor.com/trackback/4109939?tc=cf328439421c63bb4f2056d5d3d1a1fd)
はそれを「趣味」と決め付けた
↓
joe11111氏はどちらが正しいかなど主張しておらず、「論点のすり替え」も(話を正邪や好悪などにすり替えているのでない以上)「自然に訴える論証」でもなんでもない。つまり、有村の論は全く・完全に誤読であった。有村解釈の部分は実は偏見で、《だから正しい》《だから当然》という価値を「勝手に」与えていたのは、まさしく有村悠であったのである――さあ、有村はどうしたか。
追記
この記事をタラタラと書いている間に、joe11111氏のブログのほうでお返事をいただいていた。
こちらを更新したあとでトラックバックに気づいた次第、申し訳ありません。(http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20090525/1243251389)
y_arim 2009/05/25 20:45
わあ、すみません。この記事がアップされたことに気づかず、ぼくのブックマークコメントの内容を改めて書き直したブログ記事を上げてトラックバックを打ってしまいました。ご笑覧いただければ幸いです。
とりあえず、joe11111さんの意図は了解いたしました。(http://d.hatena.ne.jp/joe11111/20090525/1243242720)
これだけ。これだけである。誤読で「偏見」だの「自然に訴える論証」だの「誤謬」だの「戦争や暴力行為のようなものでも正当化できてしまいます」だの…散々に難じておいて訂正もない。無礼について謝罪のようなものもない(「申し訳ありません」「すみません」は単にエントリアップのタイミングについての話である)。
泡沫フリーライターめ、なぜこんな文章を書いて恥ずかしくないのだ。事実ではなく自分のイメージだけが見えているのか? 有村には事実に基づいてものを論じるという資質そのものが欠けているのではないだろうか。なにがモノカキだ、なにがライターだ? おまえはblacksorceryと違ってそれを自称しているのではないのか。矜持の差は、覚悟の差はないのか。
元増田です。
「自分はこの人に会うために生きてきた」と思える体験は人生を幸せにします。
その体験を恋愛と呼ぶかどうかは人によると思うけど、
それはあまりにも幻想に過ぎると思う。
少なくとも、その考え方には確実に「互いに存在を認め合い、共に生きる相手」に出会えない人に対する徹底的な疎外があると思う。
「互いに存在を認め合い、共に生きる相手」に出会えない人の人生は無価値で無目的だということになる。
わたしが感じる、恋愛・結婚しないことの惨めさは、そういう個人の人生に対して一方的に値札をつける社会的圧力が原因だろうと思う。
貧困や格差、セクシャルマイノリティやフェミニズムでの女性の客体化や、民族問題で在日の疎外が問題になるのに、
なぜ、こっちは問題にならないんだろうか?
こっちの方が堂々とまかり通ってる由々しき疎外問題なんじゃないのか?
http://anond.hatelabo.jp/20090514063711からの続き。
新しく来た記事↓が、前回に引き続き色々とアレなので突っ込み。
http://d.hatena.ne.jp/usukeimada/20090515/1242394132
前回は「腐女子は、セクシャルマイノリティと自分たちとを同列扱いしている!」と叩いておいて、今回は自分が同列に語ってるし、前回は「なぜそんなものを、遺伝子のように本質的なものとして背負い込む!?」と言いながら、今回は「おそらくそれらは自分で決めたものではないだろう。いつの間にか、そうなっていたものだ。」と言ったり、もう訳分かんないね。
なんかもう、「セクシャルマイノリティに対して理解ある俺」に酔ってんじゃないのかねこの人。
よくいる、自分の中の差別感情を覆い隠すために「私は差別されてる人の味方よ♪」アピールするタイプなんじゃないの。
こいつにとっては、自分の心の底に抱えているセクマイに対する攻撃性の転化先と、自分が差別と戦う英雄でありたいがための悪役として、オタク・腐女子がちょうど良かったわけだ。
前回腐女子に対して言ってた「「自分は腐女子である」という言明を金輪際を止めればいいのだ。」って、本当はセクマイに対して言いたかったことなんじゃないの?w
案の定今回はそんな内容だし。
もっとも、「消費したもので私は作られる」という後期資本主義社会に位置づけられる今を生きる俺たちが、記号としての消費物からの「名付けの呪縛」から逃れることはできない。逃れることはできないが、それでもなお、その呪縛から自由であろうとする「余地」は残されているはずなのだ。それをなに、自ら積極的に背負い込んで腐女子を語り、腐女子であらざる言説を駆逐しようとするのだろう。
だから、そんなのもの最初から存在しないんだって…。
俺が批判したいのは、こういう背負い込まなくてもいい言説(レッテルといってもよい)をわざわざ背負い込み、なおかつ自虐的に語りさも自分が「虐げられる者」であるかのように振る舞うというその身振りこそが、現代的なナルシシズムの充足形態になっていることであり、そしてそのことを彼ら自身があまりにも無自覚だ、ということだ。
言説を背負い込んでいるのは腐女子じゃありませんから。それお前ですから。
お前が腐女子に言説を背負い込ませ、レッテルを張り、呪縛しようとしている張本人ですから。
それで自由になれとかどういうことなの…? まず相手の自由を奪ってから、「おじさんが自由にしてあげよう(キリッ」ってことなの…?
よっぽど迷える子羊を救う英雄になりたいんですねwww英雄になるためには子羊が必要ですもんねwww
身近に子羊がいなかったら、ヤギを子羊に見立ててしまいましょうってかwwwヤギ超迷惑www
だから、今回あのような発作的、挑発的と思われかねない文章を書いたことは、そういう「好きなもの」を素直に表明できる人たちに対する、嫉妬心や劣等感のあらわれだと指摘されれば、それは否定しようないことなのである、というのは最後に書いておく。
だったら、なんで自分の抱えている劣等感を他人に当てはめるの?
「自分が『好きなもの』を素直に表明できないから、他人の足を引っ張って、表明できなくさせてやりたいです><」ってことですね。
全然自由じゃねーよwwww
そんな偶然的に決まったアイデンティティを、性だからといって自己の中核に据えるよりも、もっと大事なことだってあるのではないか。
それは、何か好きなものについて語る後ろめたさというか、語るということはおそらくいつかうちなる説明しようのない衝動に突き当たってしまうからで、そのことは僕自身にだって土台説明しようがないのだ。
どうやら自分の性質について何かしらコンプレックスがおありのようですから、「もっと大事なことだってある」と思って、偶然的な性質に向き合うことから逃げたいってことですかね?
まあ自身について個人的にそう思ってるだけなら自由だけど、それを他人に当てはめて押し付けないでくださいね^^
自分の性質について、逃げずに向き合うことのほうがずっと大事な場合もありますから。
どうもこの人には、自分の抱えている問題や感情を他人に押し付ける癖がありそうだな。
この人の脳内では、腐女子やオタクやセクマイに向かって話しかけてるつもりなんだろうけど、それただの鏡ですから。
鏡に映った自分に対して、独り言言ってるだけですから。
他人に対して言っているつもりの指摘や提案も、全部自分に言っていることですから。
これからは、他人に対して何か言いたくなったら、その前に「もしかしてこれ俺のことなんじゃね?」って考えてみたほうがいいと思うよ。
理論っていうのは、自分の抱えている問題や感情を見つめ、それを体系付けて説明し理解するために使うには良いけど、自分の抱えている問題や感情から、目をそらして誤魔化して言い訳して正当化するために使うと、自分も周りも痛い目にあうから。
フーコーだのディスクールだのやる前に、もっと自分の感情を自覚する努力をしてみたら?
あなたが言及した人の大部分は、あなたよりずっと自分自身を客観的に見ることができる。あなたとは違うんです(キリッ
大体ね、カミングアウトっていうのは、それをする本人の判断でやることじゃないの?
カミングアウトすることで本人が自由になれるんだったらすればいいし、自由になれないんならしなきゃいいだけの話でしょ。
そんなもん、抱えてる問題と状況によって本人の感じ方と周囲の環境が違うんだから、カミングアウトについて赤の他人がしろだのするなだの押し付けるもんじゃないでしょ。
他人に余計なお世話焼く前に、自分のことをなんとかしろよ。
マッチョ=感情的、エリートとか言ってるけど感情的で語彙の足りない連中ってのは
最底辺なイメージのが強いし、感情的マッチョに寄ってくる女も分相応な頭が足りてないようなのしか見ないぞ正直…
ていうか体育会系とDQN=マッチョ=エリートになっちゃう三段オチだと体育会系はともかく後者…。
まぁモテが全てってわけじゃないけど、適度に情緒的である男は結構好印象なんじゃないかと。
あとは相手の性別関係なく気遣い出来るのも前提条件だなーと思う。
正直暫く貼りついてるあれは今まで見てきた中で一番近いのは「男尊女卑(あるいはヘテロ否定/ゲイ至上主義)ゲイ」か「非モテ」に近いように思う。
(男尊女卑するゲイに例えたのはセクシャルマイノリティ差別ではなくて。)
或いはメンナクやらレオンやらを真に受けちゃう純真な人にしか見えないっていうか…。
それで自分の分が悪くなると火病を起こしてうやむやにするから自称マッチョは生きるの楽だよね。
あと誇り高いマッチョだ卑小なウィンプだって定義はマッチョ側の言い分なわけだから
マッチョにウィンプ扱いされてる層にとってはウィンプウィンプ言われてもあんま痛くない気がするんだけど。
ああまた馬鹿の一つ覚えだよ、くらい。
http://q.hatena.ne.jp/1204458517
ただタバコの煙と一緒で他人に纏わりついてくるものだから同性異性関係なしにウザいと思われるだろうけど。
あと「インテリ」って悪口になりにくい言葉だから言っても無駄だよなぁ。
インテリ=罵倒だと思い込んでるようだし自己満足なんだろうけど。
まず元増田の理解が足りてないというか、元増田が偏見持ちだっただけじゃないか?
ただ自分と違う存在に対して構えてしまう気持ちは解らなくもない。
セクシャルマイノリティなんて双方が変に構えてなければ
所謂「普通の人」と変わらないお付き合いが出来るものだと思うけどね。
そういう自然に友達づきあい出来る人もいる反面、こちらに不愉快な思いをさせてきたのもいた。
本来女中心コミュニティに入り込んではゲイであることを強調し、
ゲイであることがさも特別で尊いことだといいたげな勘違いを振りまき
それをたしなめられれば極一部の例を挙げ反論し、
ぐちぐちネチネチしめっこい嫌がらせをしてくる所謂「女の腐ったような」人物だった。
(その相手の所為で「女の腐ったようなゲイ」が大嫌いだ。)
(ゲイでなくても「女の腐ったような男」や「ジェンダーフリー論者」なんかは不愉快極まりないが。)
でも、最終的には男でも女でもきちんと自分の分を弁えて行動できる人だったら
あなたたちの行為は悪質です。
それが事実上罪であるという点で、セクシャルマイノリティーや障害者を差別して興奮している人間と同じです。
あなたたちは言います。
「性で人を差別するのは異常だ!」
「私たちには男女平等を守る義務がある。」
たしかにそうかもしれません。
ですが、あなたは自信を持って「特定の思想を見下すことが目的ではなく、行為だけが批判の対象だ」と言えますか?
そんなに自分に自信がありますか?
あなたは大丈夫かもしれません。
ですが、「みんなで力を合わせて性差別を撲滅するのだ」と誓い合った
あなたの仲間も絶対に「思想自体を差別していない」と言いきれますか?
そんなに他人の理性も信じられますか?
仲間が増えることに不安を感じませんか?
あなたたちは言います。
「実際に事件が起きてからでは遅いでしょう」
「私たちは内心の自由を侵そうとは思っていません」
本当ですか?
私には、あなたたちは自分の意思で特定の「思考」を
蔑むことから優越感を得ているように思えます。
それが性的なものであれなんであれ、思想とは本当に「矯正」すべきものなのでしょうか?
萌芽まで含めて徹底的に矯正すべき?
そんな主張が本当に可能かどうか、想像して少し考えてみて欲しいです。
(追記)
思想を見下して何が悪いんだ?
これでパロディになっているとでも思っているなら、ひどい勘違いだ。
セクシャルマイノリティであるかどうかと、悪であるかどうかは関係ない。
元エントリは、ロリコンが法的に「悪」とされていることへの嗜好だと述べているのに対し、このパロディもどきは、ロリコン以外のセクシャルマイノリティとロリコンを同列に扱っている。
LGBの皆さんへ
あなたたちの性的嗜好は悪です。
ロリコンと同じセクシャルマイノリティーです。
それが罪であるという点で、レイプや放火や殺人で性的に興奮する人間と同じです。
あなたたちは言います。
「YES!同性、NO!タッチ」
たしかにそうかもしれません。
ですが、あなたは自信を持って「NO!タッチ」と言えますか?
そんなに自分の理性を信じられますか?
あなたは大丈夫かもしれません。
ですが、「僕たちは1人じゃない」とお互いに慰めあった
あなたの仲間も絶対に「NO!タッチ」と言いきれますか?
そんなに他人の理性も信じられますか?
仲間が増えることに不安を感じませんか?
あなたたちは言います。
「生まれ持った性癖に僕自身苦しんでいる」
本当ですか?
楽しみながら大事に育んでいるように思えます。
絶対に矯正できない?
そもそも矯正する必要がない?
「YES!ファイヤー、NO!着火」
http://anond.hatelabo.jp/20090206115129
(追記)
パロディーとは批判行為である。たとえば、対象を模すことで対象の非現実性をあからさまにしたりそれを批判したりする効果を狙う。
「パロディとは他の文化的生産物や活動に対する、相対的な反論の引喩となる模倣作品を生産する、あらゆる文化的活動である(サイモン・デンティス)」
あなたたちの行為は悪質です。
それが事実上罪であるという点で、セクシャルマイノリティーや障害者を差別して興奮している人間と同じです。
あなたたちは言います。
「私たちは子供を守る義務がある。」
たしかにそうかもしれません。
ですが、あなたは自信を持って「特定の思想を見下すことが目的ではなく、行為だけが批判の対象だ」と言えますか?
そんなに自分に自信がありますか?
あなたは大丈夫かもしれません。
ですが、「みんなで力を合わせて児童ポルノを撲滅するのだ」と誓い合った
あなたの仲間も絶対に「思想自体を差別していない」と言いきれますか?
そんなに他人の理性も信じられますか?
仲間が増えることに不安を感じませんか?
あなたたちは言います。
「実際に事件が起きてからでは遅いでしょう」
「私たちは内心の自由を侵そうとは思っていません」
本当ですか?
私には、あなたたちは自分の意思で特定の「思考」を
蔑むことから優越感を得ているように思えます。
それが性的なものであれなんであれ、思想とは本当に「矯正」すべきものなのでしょうか?
萌芽まで含めて徹底的に矯正すべき?
「源氏物語(出会い時、若紫10歳。「妻」とするのは4年後)」も「神曲(出会い時、ベアトリーチェ9歳と言われる。『永遠の処女』イコン)」も?
そんな主張が本当に可能かどうか、想像して少し考えてみて欲しいです。
http://anond.hatelabo.jp/20090206115129
(追記)
パロディーとは批判行為である。たとえば、対象を模すことで対象の非現実性をあからさまにしたりそれを批判したりする効果を狙う。
「パロディとは他の文化的生産物や活動に対する、相対的な反論の引喩となる模倣作品を生産する、あらゆる文化的活動である(サイモン・デンティス)」
ロリコンの皆さんへ
あなたたちの性的嗜好は悪です。
ゲイやレズビアンなどのセクシャルマイノリティーとは違います。
それが罪であるという点で、レイプや放火や殺人で性的に興奮する人間と同じです。
あなたたちは言います。
たしかにそうかもしれません。
ですが、あなたは自信を持って「NO!タッチ」と言えますか?
そんなに自分の理性を信じられますか?
あなたは大丈夫かもしれません。
ですが、「僕たちは1人じゃない」とお互いに慰めあった
あなたの仲間も絶対に「NO!タッチ」と言いきれますか?
そんなに他人の理性も信じられますか?
仲間が増えることに不安を感じませんか?
あなたたちは言います。
「生まれ持った性癖に僕自身苦しんでいる」
本当ですか?
楽しみながら大事に育んでいるように思えます。
絶対に矯正できない?
そもそも矯正する必要がない?
「YES!ファイヤー、NO!着火」
http://anond.hatelabo.jp/20090103111359 のつづき
たとえば体育の授業があって・・・
女子更衣室が使えない、 着替えられない、しょうがないからどっか校舎のすみに走っていって、トイレで着替える
で、その女子トイレも実は使いたくない
じゃあ荷物どこにおくか・・・
今度は女子ロッカーが使えない
んで、体育にいく・・
ま、ひどいときは着替えないですね 着替えないで体育にいく・・・
必修だから授業とんなきゃいけない
で、そうすると、体育の授業が剣道で。。。
なんか男子は黒いどうぎで女子は赤いどうぎなんですよ
で、自分しょうがないから女子の赤いどうぎをきて・・・
そういう生活を送っていると
友達になんてカミングアウトしたらいいのかも分からない
だってつらいんだっていっちゃっても、次の週になればまたそのどうぎを着なきゃいけないし
そんな状態の中で本当に自分の気持ちをその人が理解できたら
そんな状態で一緒に剣道やってられる場合じゃないんですよ
何だろう・・・
まともに考えたらおかしいんだけど
おかしすぎる状態にいると言いづらいんですよ
何なんだろうなと思うんですけど・・・
何だろう・・・
普通に色々会話をしていくとか、、、そういうことがすごくやりづらくなるんじゃないかなと思っていて
んん・・なんか、先入観で色々決め付けられている気がして
それをどうやっていったら、じゃあ会話してくれるのかなと思ってるんですけど
で、、えっと、、、
そうだ、で、えっと最後に・・・
ん・・・
まぁ何があったらいいかなと思うんですけど
まぁ高校のときにすごい悩んでいた時期に、好きな子に聞いたことがあるんです
あの・・
「体がおかしいのかな・・
頭がおかしいのかな・・・
一致してないのがおかしいのかな・・・
何がおかしんだろう?」
って聞いたら、聞いて、そのときもよくわかんなくって
で、今気づいたのが
あ、別に何もおかしくないんだけど
その人が苦しんでるんならそれがおかしんだなと
で、苦しませているのが何かっつったら
別にその人が自分のことをどう思ってるとか、その人自身が何かっていうことじゃなくって
なんだ、状況でそんなのがんがん変わるんじゃんってことに気がついたんですね
だから・・なんか、
全然男に生まれればよかったとかどっちかになれればよかったとかって思ってなくって
ただ、なんか・・・
すごい・・・ちゃんと向き合って、色んな人が話し合えるような場所ってのがすごいほしいって思ってます。
なんかドラえもんの道具がもし一つあれば、
なんか性別が変えられる道具があるんですけど ドラえもんで。その「あべこんべ」って言うんですけど
あべこんべはいらないから
男子だけとか女子だけとかに分かれるんじゃなくって
なんか
そういう枠組みで分かれるんじゃなくって
なんだろう・・・
もっとそういうのとっぱらって自由に話せるような机が一つあればいいなって思ってます。
-----
当シリーズここまで。おわり。
http://anond.hatelabo.jp/20090102145517 のつづき
それまで女子高だと
女子高って案外性別で分かれることはなくって
変な女子ともうちょっと変な女子と・・て女子の中でいろんなじょしがいるけど
男女でスパンて分かれることはなかったけど
大学にいくと
男の子グループと女の子グループにあからさまにパッと分かれてしまって
それが自分にとってはすごい、なんか暴力的な風景におもえてしまって
たとえばご飯食べにいくときでも
男のこは男の子たちだけで集まっちゃうし
で、なんか混ざってる・・
話題についていけないしとかで
で
一人でご飯とか食べるようになってしまって
そんななか色々からかわれたりして
で、、もうぶちきれてしまってですね
その・・
全然口が聞けなくなってしまった
てのがあって、今こんなにベラベラしゃべってるんですけど・・
そう・・
学食にいって
「あ カレーMサイズください」っていって
カレー食べて、
それしか一日で話さないみたいな
そんな状態になってしまって
で
これは何なんだろうっとかおもってるときに
あ、じゃあ自分の近くにもセクシャルマイノリティーの人がいるのかもしれないと思って
色々でかけてみて
あ いろんな人がいるんだなてのをみてくなかで
まぁ、少しずつしゃべれるようになったんですけど
今までそれで思ったのは・・・
何かになんなきゃいけないんだっていう情報があまりに多すぎるんじゃないかなってことで
それは自分が小さいころに女の子になりなさいっていうのもすごいあったし
じゃあ女の子じゃないなら
たとえば自分がともだちに
自分が女じゃないんだっていったら今度は男にされそうになるんですね
で
それとかもそのせいにされる
自分が女じゃないから女が好きなんだっていわれる
でもそうじゃなくって・・・
だって同性愛者の人だっているんだし
そこは違うよねって言いたいんだけど・・・・
でも・・
もういちいちいちいち話さないと相手に伝わらない
で
なんでこんなに何かにさせたがるんだろうって思います
自分も
なんか・・・・・・・トランスジェンダーとかいうと
なんか自分自身になるとか何かになるとか
そんな言われ方をすることが多い気がするけど
自分は別に何かになりたかったわけじゃないし
何かになりたいってなろうと思ってした結果じゃないし
結局何かにさせられたくなかったんだけど
なんか
自分がその状態でいると
すごい・・色々摩擦が大きいんだなぁと感じてきたっていうのが
生きづらさですね・・・
で、
思ったのが、じゃあ男になればいいのか?って思ったんですね。
で、
まぁそれまでもま、体はいやだったけど すごいもっと嫌になってしまって
何だろう
胸があるのが許せない
朝おきて夜ねるまで許せない
とか
電車の窓もみえないし
何かまち歩いててそのへんの窓、ガラスに自分の姿がうつるのも許せないし
頭の中から自分がスカートをはいていることを消したいんだけど消せないし
学校いきたいし
ていうんで
すごいストレスフルな状態になってしまって
その状態から抜け出すには
でも情報が・・・
何かにならなきゃいけない
何か、何だろう
自分がこのままでいていんだっていう情報があまり入ってこなくって
じゃ なんか筋トレとかしたほうがいいのかなとか
何だろう
たしかに体とかは嫌だったんだけど そのときに
でもそれ
何だろう
自分のからだを否定しなきゃいけないんだ?
何かをとんなきゃいけないのかなとおもったんですね
男か女かになんなきゃいけないし
自分の心が男なら
他のぶぶん・・
それを尊重しなくちゃいけないのかなとかとおもって
それはそれですごい苦しかったんですね
で
大学とか入って
それまではすごい自分のまわりには友達とかいっぱいいて
で
クラスの中のすごい・・・わっかの中心みたいなところもあったんですけど
大学にはいって
自分のふるまいが男っぽいってことで
すごい入った当初笑われたりからかわれたりしたんですね
大多数の人間が「気持ち悪いと感じるから異常性向」だと決め付けるのは、
正しくセクシャルマイノリティに対する差別そのものだろ。