はてなキーワード: 貧血とは
ほってんとりに林先生のかっこいい一行ぶった斬りレスを見かけたので久しぶりに精神病について考えたりした。自分のことを考えるのは疲れる。
二年前の今ぐらい、毎日何かしらどこかが痛くて苦しんでいた。胃痛、腹痛、頭痛、耳鳴り、めまい、貧血、ふらつき、そして生理不順。あまりにも胃腸の調子が悪くてしょっちゅうはいたり下痢をしたりするので内科にまずかかった。とりあえず点滴されてざっと検査しても異常はなし。ストレスじゃないかと聞かれたけど本人はよくわからなかったのでとりあえず耳鳴りの件で耳鼻科を紹介されていったら、精密検査。MRIの写真見た医者はため息つきながら「健康そのものです」と残念そうに言った。ちょwwwおまwwwなんで残念そうwwwと思いつつも原因が分からないので不安もあり、とりあえず偏頭痛ですかねお薬だしますねストレスためないようにねと言われて放流。
ついでにさすがに半年周期の生理不順もやばいだろうとおもって婦人科も紹介してもらって検査したけど機能的な問題なし、ホルモンバランスも問題なし。やっぱりストレスためないようにと言われてほぼそのまま精神科へ丸投げされる。
当時、睡眠時間が10時間以上になってて、学生だったんだけどこりゃやばいとは思ってた。内定は出てたから卒業さえできればよかったけど、朝になっても目が明かないし夜になると勝手に閉じちゃう。かとおもえば目を閉じてても寝れない日もあるってんで医者に相談したら、抗うつ剤と睡眠薬出されたけど睡眠薬が効きすぎてやばいやばい。二時間起きてられない。これが3分だったらウルトラマンかレベルとか思いながら医者に相談したら抗うつ剤ふやされてきちんと飲んでたら躁転。とはいってもそこまでひどくはなくて夜通し研究するのが一週間とか続いちゃっただけなんだけど、あとで見返したら実験手順がひどいことになっててそりゃー結果出ないわなーみたいなね。あと簡単な会話ならいいんだけど、人の話がよくわからなくなっちゃって、医者に何度説明されても薬のことがよくわからなくてこりゃやばいってんでリーマスが出てくる。それでもしばらくは上がりっぱなしで、日本語が認識できなくなっちゃったりとかしてたみたいなんだけど(当時の日記からすると)、日本語は一応かけてて、でも支離滅裂。これはひどい。しかも睡眠薬は寝る前に飲めばいいから覚えてられるけど、食前とか食後とかに飲む薬って忘れるのよな。そもそも食事取ってなかったりしたからあんまり真面目に薬も飲んでなくて、今でも手元にリーマスが200錠くらいある。これはやばい。躁から鬱に移行する時に全部飲んじゃったらどーすんだ先生よ。でも大丈夫ですちょっと眠れるようになってきましたとか眠ってもないのに言っちゃうんだよなぁ。という感じだった。
いろいろあって一応診断は躁うつ病、最初にかかった時は強い抑うつ状態にあったってことらしい。驚いたことに医師には十代前半で発症したと思われますとか言われてしまって、マジで?なんで?まぁそうかというか思った。
病院では全部しゃべってないというか聞かれなかったから言わなかっただけなんだけど、ほかにもいろいろとあって、
まぁその他もろもろ。
んでこれらの症状が、特にタイヤに吸い込まれそうになるとか偏頭痛、腹痛とかあたりは確かに10代かそれより前からずっとあったんだけど、就職して独り暮らし始めた途端ほとんどきれいさっぱり消えたんですよ(男性恐怖と生理不順と醜形恐怖のぞく)!薬も飲んでないのに!本当に自分は躁うつ病だったのか?と非常に不思議でしょうがないです。単にストレスの原因が消えただけちゃうんかと。おもに母親と同居人。でもまぁ相変わらず境界性人格障害ぽいところはあるし、男性恐怖とかは増田で煽り記事書くのとかはその辺から来てると思うので、そういう意味ではいつ自殺してもおかしくないんだよなー。リーマスこんなに手元にあっていいのか。でも致死量ではないか。ならやめておこう。
実際のところどれくらい正確に診断ってできるんだろうね。自分がそうだから思うんだけど、特に人格障害が根本にあってそこに鬱とかが乗っかってきちゃう人とか、絶対正しい情報を医者に伝えてないと思うんだよね。こういえばちょっと良くなったって見せかけられるそうすればよかったですねって言ってもらえるとか思ったらいっちゃうもの。これ言ったら難しい顔されるし、本気でやばい病名をつけられるかもしれないから言わない、だけどこれくらいなら病気だって診断してくれるだろうからちょっと過大気味にいっちゃおうとか。それで躁鬱って判断されたんちゃうかなと今では思う。
最近は会社の人間関係が非常に良好なせいか人格障害の兆候が多分ほとんど出てないみたいで周りにあまり波風が立ったりしてはいない。もともと自分はあまりしゃべるのは好きじゃないし、自分自身が割とひとに迷惑掛けるタイプだとわかっているので、一人でいるのが好きだったりとかしてあまり深い付き合いをしてはいないんだけどとりあえず嫌いすぎて殺してやりたいとか思う人がいないから大丈夫なんじゃないかなー。とか。嫌いすぎて殺してやりたい人がいる時も別にその人だけを攻撃したりとかしないで全体的に一人で嫌な奴になって悪意を振りまくだけなので、一人嫌われていくだけなんだけどね。
おちはありません。スマソ。
去年の今頃かその少し前は、一日目を開けるか閉じるかの動作以外何もできなかった。起き上がることすらできなくて寝た切りの状態。三月はいったくらいから徐々に動けるようになったけれど、活動限界は二時間程度で、それでも初めての一人暮らしに向けてない気力を振り絞って引越しをして、そして四月から新社会人になった。
動けなくなった原因はいろいろあって、大学や家族や貧困やいくらでも理由は思いつく。幸いなことに卒業して大学から解放され、一人暮らしになって家族から解放され、働くようになって貧困から解放されたら一気に症状がましになった。それでもいまだに赤面症だし、うまくしゃべることができない。対人恐怖症も治ってないし、めまい貧血偏頭痛の発作も健在だ。そういえば生理不順も相変わらずだし、この3カ月くらいは来ていないような気がする。よくなったのは慢性の胃腸炎がでなくなったことくらいだ。回復傾向にはあるのは確かなのだけれども、無理はしないようにいつも注意深く自分の体調に気を配っている。
一昨年、まず最初に言葉がしゃべれなくなって、しゃべろうとしても意味のわからない言語が口から飛び出し、人の話を聞いてもさっぱり理解できず、しまいには日本語であることすら分からなくなり、それでもなんとかわかっているふりをして文字で理解していたもののだんだんその文字すら読み書きできなくなり、今見返すと当時の日記は支離滅裂なことこの上ない。料理をすればなれている料理ですらことごとく味付けを失敗し、ご飯が炊けなくなり、なにもおいしいと思わなくなり食べる気力すらなくなり、そうやって暗く深いところへ少しずつ滑り落ちて言って最後に動けなくなった。動けなくなる前は信号がわからなくなって赤信号なのに渡ろうとしたり、ホームの境目がわからなくなって、線路に落ちそうになったり(傍から見たら落ちようとしているように見えたと思う)危険なことこの上なかったので、動けなくなったのはむしろ良かったのだと今になると思う。
原因となったうちの家族は本当に糞ばかりの家族で、家に帰ったら自分の持ち物のほとんどが処分されていたり、郵便物の封が勝手に開けられていたり、数限りない罵倒と金銭の搾取と労働力としての搾取と精神病に対するお決まりのあれで相当しんどかったし、未だに怒っているので連絡をとることすら最低限しかしていないが、大学関係に関してはややこちらが勝手に被害妄想を抱いている部分があるので不義理を通して申し訳ないとは思っている。それでもあの時は本当にしんどかったし、リクルーターで言ってくれと言われても吐きそうになるほど精神的に不安定になるのだ。あの先生は確かに良い先生で面倒見も良かったけれど、その代わりできの悪い学生に対しては容赦がなかったしあの罵詈雑言はやはりひどいし、そもそも女はバカだという前提が彼の頭の中に巣くっていたからそれだけでもしんどさは倍増された。辛かったのだ。もう二度と思いだしたくない帰りたくない。だからあの場所に行きたくない。会社はそのことを知らないから、仕事が忙しいから納期が近いから無理だと何度断っても何度も一緒に来てくれと頼みに来てついに部長にすら行ってやってくれと言われてしまったらもう断りようがない。確かに内定が出た時まだ私はおかしくなる前だった。まだ正常な判断ができる状態で、だから今の会社に不満はないし、毎日楽しいし、周りの人もいい人たちだと思うし、会社としてもまだまともな時の私を見て内定を出したのだからきっと大学関係に対して一度もあいさつに行かない自分に、最近の若いのは不義理で困るくらいにしか考えていないのだろう。うちの大学からの学生が欲しいためにつながりを保っておきたいという気持ちもわからないでもない。でも、行きたくない。怖い。あのころにまたふとした瞬間にもどってしまうのではないかという妄想が頭から離れなくて怖い。行きたくない。死んでしまう。
みんな良く働けるよなー。
朝なんて気持ち悪くて起きれなくて、意識が表れてから10分くらい掛けて布団から起き上がり水を飲んで朝のシャワーを浴びて体を急激に温めないと、その日は貧血の様な症状でいきなりぶっ倒れたりしてまともに生活できない。
作業をしている時も、1時間ほどで徐々に頭がぼんやりしてきて集中力がなくなり、何も考えられなくなるから効率がかなり悪い。何時間も机に向かって考えたり調べものしてる人はよくできるなーと思う。頭の中どうなってるの?
運動していても体が段々硬直してきてだるさで耐えられなくなって、全身の筋肉のある部分をかなり強く叩かないと復活できない。
毎日こんな具合だから何もできずにボーっとしてる時間が長い。動ける人が羨ましいよホント。
http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/archives/706
ほうっておいた腫瘍がすくすくと成長して、おまけにそこから出血して貧血になり、現在手術を前提としたいろいろな検査を受けている身からすれば、
「こいつにはぜってーかかりたくないな」
もし主治医がこのブログ主だったら、強硬に主張して変えてもらう、と思う。
なんか全然違う。あまりに違いすぎてなかなか具体的に言えないが、
以前から、なぜこんなつまらない内容のブログにブクマがいっぱい付くのか不思議だったが、今は読むとまず腹が立ってしまい、血圧が上がって身体に実に良くない。いかん。
ついでにもう一つ。
http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/archives/703
検査のときなど、患者さんに靴を脱いでもらう機会は多い。靴は患者さんのもので、たいていの人はその場に脱ぐんだけれど、靴をベッドの下にしまわないと、機械をそこまで持っていけない。このときに、「靴を主治医の足でベッド下に押し込む」のと、「主治医が腰をかがめて靴を揃える」のとで、やっぱり印象が全然違ってくる
これは絶対やってほしくない。(自分の靴であるにもかかわらず)"不潔な"感じがする。私は全く気にならないが、どうしてもというなら、スリッパに履き替えさせろ(スリッパなら足で扱われてもそう気にならないんじゃないか)。
http://www.mumyouan.com/k/?U177===%90%B6%97%9D%20%94D%90P
不思議だなぁと思う。
経験上、本当に意志の力で遅らせることが出来るんですよ!!
基礎体温しっかりつけてるわけでもない
特定の相手が居なければ体調のみでであーもうすぐ生理くるなー
んー微妙に遅れてるナーとかで済ませててたのが
「好きな人とする予定」ってそれだけで過敏になってしまう。
180度転換。
あぁ、もう今来ても明日きてもおかしくないけど
あと1日待てば、会えるから!いたせるから!それまで待って!
・・・って体にいい聞かせて
んでギリギリ結局来ちゃったけど
微妙な出血。2日目だったらもっとだらだらどばどば貧血それどころじゃない、
っつーのが今まで
今回はあれ?この程度の出血で2日目?全然やれんじゃね?
という。。。。
なのでしっかりいたしましたが。
無学なのでググってもよくわかんなかったけど、
と思った。
自分も猫を飼っているので、色々と情報交換をしたりする場は見ているだけでも楽しい。
そんなコミュニティの中で、時折目にするとある内容に関して自分の中でジレンマがあって混乱しているのでここに書いてみようと思う。
とある内容とは、供血の募集についてだ。
怪我や病気で飼猫に輸血が必要になったが血が足りない、近くに住んでいる人(猫)に協力願いたいと言うのがざっくりとした内容。
その呼びかけに対し、毎回多くの人が名乗りを上げる。
うちの猫なら条件を満たしている、すぐにでも連れて行って協力をしたい、そんな提案ばかりだ。
結果それで実際に供血をした例も何件か目にした。
一見すれば、美談なのかもしれない。
自分の意志で供血をし、人の助けになるならば、それはそこで全て完結する問題だからだ。
けれど猫のケースになると話は少し違ってくるのでは無いか。
猫が己の意志で「供血するよ!まかせてよ!」と言うならばまだしも、現実的にはそんな事はあり得ない。
飼い主の一存でその猫の血を抜き、提供することになる。
キャリーに乗せて運べば多少のストレスは感じる猫もいるだろうし、針を指せばやっぱり痛い。病院自体に恐怖を覚える猫もいるかもしれない。
それに人間でも献血を行って貧血気味になったり、具合が悪くなったりする事があると聞いたことがある。
【血を抜く】と言う行為自体は人間でも猫でも基本的には同じだろうから、猫にだってそう言った症状が出るかもしれない。
そういうことをぐるぐるぐるぐる考えると、混乱してしまうのだ。
苦しんでいる猫がいて、それを見捨てるのは心苦しい。
血があれば助かるのなら、健康な猫から協力させるのも理にかなっている。
でも、そこに本猫の意志が皆無なのが納得出きないのだ。
飼猫なのだから、一切の責任は飼い主にあって、だからたとえ猫が不満に思ってもそれはしょうがない事なんだろうか。
自分は猫が好きだ。
だから自分の飼っている猫が苦しんでいたら助けたいと思う。それは間違い無い。
供血の話が出れば、やはり苦しんでいる猫を思って心が苦しくなる。
なのに、同時に前述のような事を考えている自分もいる。
自分はおかしいのだろうか。
みんな相変わらずで安心したよ。
相変わらず薬は飲んでるし体調は悪いけど、社会復帰はして仕事はバリバリやってる。だからといってリア充かっていうとそんなことはなくて、仕事しかしてない。会社の女子とかとは仕事の話はするけど、特に興味はない。若すぎるし。あ、でもちょっとだらしない体はいいな、って思うことはある。でもとくにモーションかけたりしない。しんどいし。うちに帰って眠りたい。それだけ。
あと、世界の全てを恨む、根絶やしにするために生きてきたともいえる俺のルサンチマンはだいぶ解消してきたかもしれない。本気で周りから「最近優しくなりましたね」って言われる。言われるたびにぞっとするけど、事実そうみたいだから仕方ない。
この間「何がしたいんですか」って偉い人にぼんやり聞かれたことがあって、まあ適当に答えたんだけど。俺は何がしたかったんだろうね。
人生の折り返しはもうとっくに過ぎていて、今の体調であれば2年くらいが現役の限界。そこから先は少なくとも入院生活になることは間違いないだろう、と。まだどこが悪いんだかよくわかんないんだよね。それまでは、両親に何かを残してやりたい。海外には連れて行った。ヨーロッパはちょっと難しいなあ。頑張ってみるけど、言語が通じるところじゃないと厳しい(英語はできる)。
親より先に死ぬのは、正直非常にNGだよなあ。でもなあ、延命とかされて脳幹しか生きてない的なことになりかねなくて、それって苦しいならやだなーって。ワガママ聞いてもらえないかしら。こう言うのって尊厳死っていうの?
あー、えーと募集。メンタルおよび各種疾患のチェックをやってくれて、専門の医者に状況紹介してくれる「メタ医者」を探しています。睡眠障害、躁鬱っ気(この2つは医者掛かってる)、喉と口内の炎症&鼻の炎症(約8ヶ月継続)、頻尿(薬の副作用)、目が見えない(メガネの調整不良&乱視調整不良)、耳が聞こえない(軽い難聴)、記憶不良(内容が突然飛ぶ&デジャブ)、胃腸の不良(消化不良、腹痛、リバース)、突然駅のホームで座り込む(たぶん貧血&薬の副作用)、などなど……。改めて書いてみるとぼろぼろだな。なんとなく、このままの暮らしだと余命4年くらいしら。働くのをやめたら余命半年くらいなのは知ってる。もうちょっと長く遊びたいんだけど、なんかいい方法ないかね。
http://anond.hatelabo.jp/20090921042016
元増田です。
レスくれた人どうもありがとうございます。
もっとがんばらないといけない、せめて仕事がうまくいくようになれば気が紛れるはず、と今は思っています。
ところがここ数日体調が悪いところがあり、意を決して病院に行ったところ、某性感染症に罹っていることが判明。
命にかかわるような病気ではないものの、女性の体で自然発生しないタイプであり、彼にうつされた可能性が高い。私は彼とつきあいだしてから彼としかしてないし、公衆浴場などにも行っておらず、1人暮らしだから。
私はピルを飲んでいるので、彼は基本的に私とする時は避妊しない。というか、彼が避妊をしてくれないのでピルを飲むようになった。仕事のこともあるし、どうしても今妊娠できないので。
思い当たることはないが、HIV感染の可能性すらあるのか…とふと思いついてから、恐くてしょうがない。
戴いたレスのなかに「健康そうで羨ましい」という趣旨のものがありましたが、どちらかというと体は弱い方で、もともと貧血気味なのだがここ数日精神的なストレスもあるのかずっとふらふらしている。
でも、陽性だったらどうしよう。陽性だったら1人ぼっちで、仕事もあきらめて、父や母とも別れて暮らしていかなければならないのか。
そうなったとしても、彼のいいなりだった私の自業自得だから、どうすることもできない。
精神科医に「もうしばらく来なくて大丈夫だよ」と言われるくらい丸々と回復した記念に私の拒食症について書いておく。
発病したのは2年前。もともと162センチ50キロだったのが、ストレスで53キロまで増えてしまい、慌ててダイエットを始めた。このダイエットがエスカレートしてしまい、気がついたら38キロになっていて一時入院。その後、お決まりの過食リバウンドを繰り返して、現在は52キロぐらいに安定してる。本当はあと3キロくらい痩せたいのだけれど、空腹感がものすごく強い体質になってしまい、しばらくは無理かなーとも思う。
拒食症になった原因は、一言で言えば「努力教」だった。
当時、何をやってもうまくいかなかった。大学の研究も思うように進んでいなかったし、彼氏ともぎくしゃくしていた。
こんなに一生懸命研究しているのに成果が出ない→成果が出ないのは、努力が足りないからだ、と思った。
こんなに尽くしているのに彼氏が冷たい→愛されないのは、努力が足りないからだ、と思った。
為すべき努力が残っていた時はまだ良かった。努力をしている間は、「この試練を終えたら、全ての問題は解決するはず」と思いこんで救われることが出来たから。
ところが、変に真面目だった私、真面目に努力を続けた結果、思いつく努力手段はだいたい全部試してしまった。
ダイエットを始めたのはちょうどそういうタイミングだった。他に新しく努力すべきことが見あたらなかったので、有り余るやる気をダイエットにどんどん注ぎ込み、全力で痩せまくった。もっと痩せれば、研究も恋も上手くいくはず、上手くいかないのは、痩せ方が足りないからだ、と思いこむようになった。
そして彼氏に振られた。彼氏の選んだ新しい女は超デブだった。普通なら、そこで「ああ、彼氏はデブ専だったのか」と思って諦めるだろうけど、これが病的な脳みそだと、「あの女より私のほうが痩せているのに、彼氏がそれに気づいてくれないのは、私の痩せ方が足りないからだ」と考えてしまう。今思うと支離滅裂だが、拒食症とはそういう病気なのだ。
42キロを切ったあたりで生理が止まり、座っているだけで尻が痛くなったり(尻の脂肪がないから)、走ると足の裏が痛かったり(足の裏の脂肪がないから)、夏でも寒くてセーター着てたりしていた。そんで、ある日ジョギングしていたら貧血で倒れて、そのまま入院が決まった。
ベッドの上で、ようやく悟った。
世の中には、努力ではどうにもならないことがあるんだ、と。
不幸にも私は、学校の成績はそこそこ良かったし、メイクを頑張ればモテなくもない容姿をしていた。今まで壁にぶつかったときは、より多く努力することで解決できていた。だから、自分に限界があるなんて認めたくなかったのだ。
努力しても駄目なものは駄目なのだ、と認めるのは苦しかった。だけど、一度認めてしまったらすごく楽になった。
自分の場合はたまたまダイエットだったけれど、宗教や自己啓発にハマる人も同じような理屈なんじゃないだろうか。君が不幸なのは、決して君に才能がないからではなく、単に修行が足りないからなんだよ、と言われることで彼らは救われているのだ。
だから、依存してる人を救うためには「努力しても勝ち組になれるとは限らない」ことを納得させなければならない。そして、勝ち組じゃなくても、それなりに幸せになれる、ということを。私は研究者の夢は諦めたけれど、今それなりに幸せだ。
ある病院で血液検査をしたら実はひどい栄養欠乏なのと鉄欠乏製貧血ていうのがわかった。
スレ主のような症状から膠原病と診断される人が増えてるようだが、
そういった人を見ていると、本当に膠原病の人は少ないように思う。
私のように膠原病でない場合が少なからずあるのではないかと思っている。
なぜかと言うと、膠原病の疑いが濃厚であるとされる症状と、鉄欠乏製貧血の症状は非常に似てるんだ。
だから膠原病と断定する前に、詳細な血液検査ができる専門病院で血液検査をしたほうがいいように思う。
垣根を乗り越えようとするのは健康になってからじゃないかな。
なので早計は避けて欲しいとも思う。
http://anond.hatelabo.jp/20090910043504を見てなんとなく。
自分も高齢処女で、ぼーっとしてる間に二十歳越えしたというタイプなのだが、こないだからめでたく彼氏ができた。
とすると、セックスなるものをしなくてはならない。らしい。
しかし私は処女だ。
そして痛いのが大っ嫌いだ。情けない話だが献血の針みた瞬間に貧血起こして献血やめる羽目になったことがあるくらい痛みが嫌いだし怖い。血も嫌いだ。毎月見てるだろ、という意見もあるが、あれは脳内で血ではない血ではないと自分を誤魔化してなんとかしてるくらいだ。
しかし処女切るには痛みと出血をどげんかせんといかんわけだ。
嫌だ。
絶対嫌だ。
そんなことはない、痛いのは最初だけですぐに気持ちよくなるという話もあるが冗談じゃない。人によって違いがあるだろう。そして私はタンポン突っ込んだことがあるのだがそれでも痛いというかなんつうかとんでもない違和感に悩まされてすぐやめた。もちろんビビリの私がスムースインという小指サイズのタンポンをつかってさえ奥に入れる勇気がなかったからである。で、すぐにとりだしたがこれが痛かった。
血が嫌いな奴が血まみれになりながらタンポン突っ込むなんてできるはずもなく、私は出血をどーにかしてからコトに及んだわけだが、したがって膣内は乾いている。そこに水分吸収力がめっちゃ高いタンポンが入ったわけだ。
厳寒の凍りついた鉄を舌でなめてひっついたがごとくにタンポンは私の粘膜に引っ付いた。はずすのが痛い。引っ張られていたい。涙でた。水でぬらすという方法も考えついたのだが、タンポンが膨らんだら抜くのは更に困難になる。したがって私はかさぶたをそろりそろりとはがすようにタンポンをひっぺがして、
二度とタンポンなんかつかうもんかと誓った。
たかがタンポンいれるだけでもこれだけの騒ぎだというのに、もっとでかいもん入れたらどんだけの騒ぎになるか計り知れない。考えたくない。
出産も怖い。出産時の痛みもそうだが妊娠中十ヶ月てめえの胎に異物を入れて、それを潰さず壊さずすごせるかなんて考えただけでがさつな自分には無理だ。勘弁してくれ。
寝てる間にうつぶせになったら子供がつぶれるかもしれないじゃないか。ぶつかったらなんか発達に間違いとかおこったらとか考えると絶対嫌だ。怖い怖すぎる。
とはいうものの、彼氏とつきあったからにはセックスしなきゃならないとかいう理念が世の中には蔓延している。そんな主義、婚前交渉禁止令でも出て撲滅されちまえばいいと思っている。会うたび彼氏の目が異様な輝きを発しているような気が、する。嫌になって最近それとなくさけている。
更に、婚前交渉で損するのは女だけだと思うとやる気がうせる。うせまくる。もし仮に痛みを耐え快楽に興じるようになったとしてもだ、妊娠したらどうすんだ。このご時勢、子供一人生んで育てるには偏差値だけで決めた適当な大学に入った私の人生設計よりよっぽど真面目なプランがいる。
堕胎はもっと嫌だ。前述のとおり、私はビビリで根性なしだ。堕胎なんかしようもんなら一生水子の霊にわび続けることだろう。それに手術も痛いし怖いし、自分の体の中の命が破砕されて殺されてわああああ書いてるだけで絶望に襲われてきた。
避妊すりゃいいだろうという考え方。
世の中、どんなに避妊したところで「絶対」はないそうだ。コンドームのPI(パールインデックス・つまり避妊失敗率)で3~16%、不妊手術してさえ0.5!
ごめん修道院に行く。
抱きしめられたり、手を握ったり、そういうことは嫌いじゃない。その先にあるものが嫌だ。何の確約もなく、リスクを背負うなんてごめんだ。
だいたい恋人になったからってなんでセックスしなきゃならんのだ。人の勝手じゃないか。性病妊娠その他のリスクを考えると、子供が欲しい、そして結婚したいとおもったとき結婚してセックスすりゃいいだろうが。
私は自分の体と、精神と、経済状況を考えた上で結婚するまで貞操を守るつもりでいる。まあそれまではただ漫然と時間を過ごしてただけなのだが、いざこととなったとききちんと調べて考えたら婚前交渉なんかハイリスクローリターンなことはしたくないと思っただけだ。
残念ながら、私にはシングルで子育てするだけの余力も財産もない。シングルで子育てできる環境だとしても、せめて子供が小学校にあがるまではそばにいてあげたい。
そんな私だが、一応結婚願望はある。理由は簡単だ。一人暮らししてて帰ったとき、まっくらで誰も出迎えてくれる人がいない、それが寂しかったからだ。
このままこの時間が永遠に続くなら誰かと一緒にいたいし、困ったときは助けて欲しい。その代わり、こっちも相手がこまった時には全力で助ける。そんな考え方がなんとなくある。
けれど、同意してくれる相手がいなかったら、生涯独身という考え方も視野にいれてライフプランを立てたほうがいいんだろうと思う。ついでに今の相手にはまだそこまで話していない。
母はいつも私の友人を見ると眉をひそめてあれやこれやと欠点をあげつらった。
小学生の時はいいなりだった。あの子はかわいくないから、あの子はバカだから、あの子はデブで怠けものに違いないから、あの子の親は変だから、だから付き合うなと言われて、遊びの誘いを断り続けたこともある。学校では仲良くし続けても帰り道の途中からいつも一人ぼっちだった。家に帰ってから遊ぶ相手は誰もいなかった。むしろ家に帰ってから遊びに出かけること自体が許されていなかった。
中学生くらいからそういう母の戯言は聞き流すようになって、ときどきは休みの日に遊びに行くようになった。とは言ってもお小遣いをもらっていなかった私はみんなの遊びには加われないことが多かった。プリクラもマンガの貸し借りも繁華街もゲーセンも私にとっては入ることのできない場所だった。次第に友人関係はフェードアウトしていき、部活のつながりだが残った。毎日毎日学校に行って帰るだけの日々だった。部活の練習試合に行くのすら気が重かった。母にお金をくれと頼むのがしんどかった。
金を出さないと言われたことがあるわけではない。でも、暗黙の了解で、遊びに行くのは禁止だった。休日は家にいなければならなかった。休日家にいないことは、私にとってはすなわちお金が必要だということで、そのことを母に告げるときの針のような視線が痛かった。
母は私の友人を見かけたり写真で見たりするといちいち欠点をあげつらった。まるで自分自身が責められているようでいつもつらかった。彼女たちは別に悪い人たちではなかった。未熟なりに欠点はあったにせよ、話をしていて楽しい相手だった。でも母はいつも彼女たちを気に入らなかった。私の嫌いな人たちに限ってほめちぎった。
しんどかった。話をしたくなかった。何も頼みたくなかった。私の交友関係に土足で踏み込んでくるそのやり方が気に入らなかった。
だから私はただ口をとざして、数少ない友人とだけ学校生活を過ごした。学校での生活は悪くはなかった。よくもなかった。少なくとも苦ではなかった。
休日は苦だった。家にいても外に行っても責められているような気がした。家にいればいれでなんやかんやと小言を言われたり、友達もいないのかと嘲笑われたりするのだ。かといってどこかに遊びに行けば、罪悪感がずっと心の中を支配していて楽しめなかった。実際に楽しい思いをすることもあまりなかった。お金がなかったから。そのくせ、どこかへ行くと母は必ずお土産を要求した。土産としてなにか買って帰らなければ家に入れてもらえなかった。ただちょっと近所に行くだけでも、友達の家に遊びに行くだけでも、土産を買って帰らねばならなかった。大した金額のお金を持っていない私にとって土産を買うことはとても辛いことだった。お金がないことがいつの間にか心の深く深くに根を張ってしまい、お金がないことを理由に誘いを断るようになっていった。友人たちはそうか、仕方ないよねといって特に責めなかった。誘いを断るたびに私はひどく落ち込んだが、友人たちは決して責めたりはせず、みんなで出かけた後は私にお土産をくれたりした。私はそれを返せないことをひどくすまないと思ったが、彼女たちは気にしなくていいと言ってくれた。本当に心優しい人たちだと思う。
大学に進学して、そこで私は愕然とした。お金の使い方がわからなかった。一人暮らしを同時に初めて、そこで買い物ができなかった。スーパーのどんな品物も高く思えた。すぐにお金が尽きてしまうような気がして、しばらく空腹のまま過ごした。私の中でお金は使ってはいけないもので、遊びにいってはいけないものだという固定概念がすでにできてしまっていた。もちろん遊び方もわからなかった。飲み会も初めてだった。休日にどこかに行くというのは考えられなかった。学校とバイト先の往復、友達ができても遊びの誘いを罪悪感から断っていたらすぐにフェードアウトして行ってしまった。頑張って何度か遊びに行っても、同じような金の使い方はできなかった。なくなってしまう、生きていけないという思いの方が強くてお金が出せなかった。ファミレスの食事など地獄のようだった。高い。高い。どこへ行ってもお金がかかる。どんどんお金が飛んでいく。私は恐慌状態だった。生きていける気なんてしなかった。その結論として選んだのが、部屋にできるだけひきこもり、友人を作らず、とにかくアルバイトをし続けるということだった。
通帳にはどんどんお金がたまっていった。それでも私には足りなかった。どんなに稼いでもためても、すぐになくなってしまう気がしてしょうがなかった。100円のものを買うのにすら何十分も悩んだ。自販機で缶ジュースを買うことすらできなかった。コンビニは私の敵だった。
やせ細っていく私を母は笑った。一人暮らしなんてできるわけがないと思っていた、帰ってきなさいと笑った。でも私は帰らなかった。母は怒って私の通帳を取り上げて新車を買ったが、私はただ黙々とまたアルバイトをしてお金を貯めた。歯をくいしばって泣きながら、体も壊して、でも働き続けた。いつもお金がなかった。お金を取られないように細かくいくつもの通帳に分けて管理した。徹底した管理で家計簿の一円単位まできっちりと毎日記録した。毎日お金のことしか考えていなかった。
大学時代の友人はいない。あの時をどうやって過ごしたのかも覚えていない。時々、高校時代の友達が遊びにきてご飯を食べに行くと、高いけど大丈夫?とみな聞いた。私は泣きそうだった。泣きそうでも大丈夫と答えて笑った。みんなやさしかった。私の頼む量が少なくても何も言わなかった。私が店の前でためらうと別の店にする?私あんまお金ないんだよねと先回りして気遣ってくれた。
その優しさに私は何も答えられていない。なにも返せていない。
社会人になった年は特にひどくて周囲の人と合わせてお金を使うことがひどくストレスだった。それでも我慢して使っていたら慢性の胃炎とめまいと貧血が常に襲ってくるようになった。表面上は笑って過ごしても休日は布団から起き上がれなかった。ただ、救いだったのは同期はみなお金がなかったことだ。無計画に使って、給料日前には後いくらしか残ってないとげっそりした顔で言っている同期もいた。スーツが買えないと愚痴をこぼしている同期もいた。その中でお金がないというのはそれほど苦痛ではなかった。お金がない、という状態を誰かと共有したのはその時が初めてだった。いや、正確に言うと私は今も相変わらずあまり使うたちではないので彼らよりはずっとお金があったのだが、でもあとこれだけしか使えないという感覚の共有とそれを口に出してよいことが新鮮だったし、救いだった。彼らに合わせるのは大学時代よりは苦ではないということに気づいたのはしばらくしてからだった。それからは徐々に体調も戻って、少しずつ使える額を増やしていけるようになった。同期とは今も仲良くしている。たまに飲みに行くこともある。休日にまで会うことは少ないが、でも浅くゆるくつながり続けている。
今でも時々悪夢で目覚める。所持金も口座もすっからかんになっている夢だ。そのくせ必要な出費が次から次へと押し寄せてきて途方に暮れる夢だ。いまだにあの感覚が私の中に残っているのだと知って暗澹たる思いに打ちひしがれる。あの底知れない闇の底を思い出して恐怖する。いまだに、ケチくさいなどと嫌味を言われることがある。それでも少しずつ、人より遅い成長をして、なんとかつかみ取ってきた。異常から正常な方へ、誰かの親切や優しさに導かれてやってくることができた。この感謝は誰に返せばいいのだろう。与えられたものは誰に返せばよいのだろう。どうやって返せばよいのだろう。お金で返すのは汚いだろうか。そういうことをなぜかぐるぐると考え続けている。
幼い頃の虐待によって心に闇を抱える者に接する。
さまざまな人格障害、子供では稀な統合失調症、解離性同一性障害、何時間も手を洗い続けている強迫性障害なる者もみたことがある。
その多くが15歳未満の子供だった。
その中で性教育は重要な課題であった。性的虐待を経験している子供達の多くは、
・二度とまともな性交渉ができない
・あるいは見捨てられたくないという過度の不安から、やりたくもないセックスを、
などがある。要するにまともじゃないわけだ。
普通に育ててもらっていれば、普通と変らぬ大人になったであろう被害者達。
10代の少女が妊娠したとき、関係者はそろって「人工中絶」をすすめた。
その少女は性的虐待により精神を病み10歳の頃から施設で暮らしていた。
13歳の夏、吐き気と貧血を訴え診察を受けた結果、妊娠5週であると診断された。
彼女は泣いた。父親が分からないことを泣いていたのではない。手術が怖いからでもない。
こんなに無知で幼稚で避妊もできない子供が、なんと命の大切さは理解していたらしい。
彼女が泣きながら腹部をさすっている姿を見た。
「手術」を頑なに拒否し、周りの説得も耳に入れず「産む!」の一点張りだったが、現実は彼女の希望通りになるはずはなく、
手術の日を迎えた。
もともと重度の鬱病も発症していた彼女が、より一層失望感に溢れているのは誰が見ても明らかだった。
「もう二度と、私のような子を増やしちゃいけないよね・・・。ごめん・・・・」
なにも言えない私。
「でも、この子はきっと良い子だから、いつか他のお母さんから生まれてくることになるよね?その時この子は、幸せになれるよね?」
もちろん、そう答えるのが精一杯な私。
いつだって犠牲になるのは弱いもの。だからこのように身をもって知る前に、自分で自分を守る術を学ばせないとならないはずだった。
ねぎの健康効果
ねぎは、青い葉の部分の葉ねぎと、根の部分の根深ねぎでは栄養成分の含有量に若干差があり、葉ねぎの方が太陽に当たって育つ分、栄養が豊富である。
ねぎに含まれる主な栄養成分には、カロチン・ビタミンB群・葉酸などのビタミン、カルシウム・鉄・カリウムなどのミネラルが挙げられる。
カロチンは、活性酸素の働きを抑制する作用により、ガンを予防。 また免疫力を活性化し、風邪を予防する効果がある。 ビタミンCは、肌を若々しく保つ美容作用を持ち、葉酸はビタミンB12と協調して正常な赤血球を作り、成長を促進する。
カルシウムは、骨や歯を丈夫にする重要な成分で、骨粗しょう症予防に働く。 鉄は貧血を予防し、カリウムは高血圧を防ぐ効果がある。また、ねぎ特有の辛み成分『アリシン』は、根深ねぎに多く含まれ、食欲を増し、胃のもたれを防ぐ消化促進作用や、体を温め、冷え性を防ぐ血行促進作用がある。
さらにねぎは、昔から滋養強壮・鎮咳・去痰効果もあると言われており、様々な料理の薬味や具として用いられている万能野菜である。
女子中学生(よっぽど)が痴漢にあってたみたいで、OLさんが気がついて声かけたら痴漢っぽい男(野暮ったい感じの…ステレオタイプな浪人生イメージなヤツ)がコソコソと移動していくのに気がついたのね。
で、その直後、そのOLさんが俺を睨みつけるわけ。位置・距離的にどうしたって件の女子中学生に触れたりとかって無理なのは向こうも理解できてるだろうから、多分何で助けてあげなかったんだ!?ってことで
非難の目線を送ってきたんだろうけど、そりゃ無理ってもんだ。左後ろから「大丈夫?」って声が聞こえてきたから貧血の人でも出たのか?と思って振り向いて一部始終を目撃しただけなんだもん。
生理前で思考も止まる位辛い。
体もむくんでるし貧血起こしてるし
なんか気分がそぞろそぞろして落ち着かないし、暑かったり寒かったりするし
さっきまで倒れるように寝てたけどまだ眠い。
人間としてポンコツになっているのが本当によくわかる。
しかも全ての人がそうなるわけじゃなくて、体質によるらしい。
漢方治療を医者に薦められて大分よくなってやっと常人と同じ生活レベルを保てているけれど
やっぱりこんな体質は次の世代とか残したくないなあと思う次第。
そんな中での出来事でした。変なこといってたらごめんよ。
これだけはどこかに書きとめようと起き上がってしまった。
↑増田にこんな事書くとか判断がおかしいのもこの時期の傾向です。あー、本当やめたい。女を。