2010-03-06

去年の今頃かその少し前は、一日目を開けるか閉じるかの動作以外何もできなかった。起き上がることすらできなくて寝た切りの状態。三月はいったくらいから徐々に動けるようになったけれど、活動限界は二時間程度で、それでも初めての一人暮らしに向けてない気力を振り絞って引越しをして、そして四月から新社会人になった。

動けなくなった原因はいろいろあって、大学家族貧困やいくらでも理由は思いつく。幸いなことに卒業して大学から解放され、一人暮らしになって家族から解放され、働くようになって貧困から解放されたら一気に症状がましになった。それでもいまだに赤面症だし、うまくしゃべることができない。対人恐怖症も治ってないし、めまい貧血偏頭痛の発作も健在だ。そういえば生理不順も相変わらずだし、この3カ月くらいは来ていないような気がする。よくなったのは慢性の胃腸炎がでなくなったことくらいだ。回復傾向にはあるのは確かなのだけれども、無理はしないようにいつも注意深く自分の体調に気を配っている。

一昨年、まず最初に言葉がしゃべれなくなって、しゃべろうとしても意味のわからない言語が口から飛び出し、人の話を聞いてもさっぱり理解できず、しまいには日本語であることすら分からなくなり、それでもなんとかわかっているふりをして文字で理解していたもののだんだんその文字すら読み書きできなくなり、今見返すと当時の日記は支離滅裂なことこの上ない。料理をすればなれている料理ですらことごとく味付けを失敗し、ご飯が炊けなくなり、なにもおいしいと思わなくなり食べる気力すらなくなり、そうやって暗く深いところへ少しずつ滑り落ちて言って最後に動けなくなった。動けなくなる前は信号がわからなくなって赤信号なのに渡ろうとしたり、ホームの境目がわからなくなって、線路に落ちそうになったり(傍から見たら落ちようとしているように見えたと思う)危険なことこの上なかったので、動けなくなったのはむしろ良かったのだと今になると思う。

原因となったうちの家族は本当に糞ばかりの家族で、家に帰ったら自分の持ち物のほとんどが処分されていたり、郵便物の封が勝手に開けられていたり、数限りない罵倒と金銭の搾取労働力としての搾取精神病に対するお決まりのあれで相当しんどかったし、未だに怒っているので連絡をとることすら最低限しかしていないが、大学関係に関してはややこちらが勝手被害妄想を抱いている部分があるので不義理を通して申し訳ないとは思っている。それでもあの時は本当にしんどかったし、リクルーターで言ってくれと言われても吐きそうになるほど精神的に不安定になるのだ。あの先生は確かに良い先生で面倒見も良かったけれど、その代わりできの悪い学生に対しては容赦がなかったしあの罵詈雑言はやはりひどいし、そもそも女はバカだという前提が彼の頭の中に巣くっていたからそれだけでもしんどさは倍増された。辛かったのだ。もう二度と思いだしたくない帰りたくない。だからあの場所に行きたくない会社はそのことを知らないから、仕事が忙しいから納期が近いから無理だと何度断っても何度も一緒に来てくれと頼みに来てついに部長にすら行ってやってくれと言われてしまったらもう断りようがない。確かに内定が出た時まだ私はおかしくなる前だった。まだ正常な判断ができる状態で、だから今の会社に不満はないし、毎日楽しいし、周りの人もいい人たちだと思うし、会社としてもまだまともな時の私を見て内定を出したのだからきっと大学関係に対して一度もあいさつに行かない自分に、最近の若いのは不義理で困るくらいにしか考えていないのだろう。うちの大学からの学生が欲しいためにつながりを保っておきたいという気持ちもわからないでもない。でも、行きたくない。怖い。あのころにまたふとした瞬間にもどってしまうのではないかという妄想が頭から離れなくて怖い。行きたくない。死んでしまう。

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