2010-11-16

数学なら3×5でも5×3でも一緒!(キリッ

(※ 追記しました。)

なわけありません。元ネタ

http://alfalfalfa.com/archives/1374811.html

で、

http://togetter.com/li/68853

http://kidsnote.com/2010/11/15/35or53/

とかで議論されている。この問題は

  • 初等教育で掛け算をどう教えるべきか
  • 3×5と5×3の違いそのものついて

の話が混じりあい、おかしな事になっている。

だがそんな中で、「これは数学では全く同じものだから、くだらない、国語の問題だ」とか言って思考放棄してる連中が多すぎて反吐が出そう。おまえら、どうやって掛け算計算しているんだ?3×5=5×3は、定理より導かれる帰結なんであって3×5と5×3が同じ意味なわけがない。

ここでは、「高等教育を習った人向け」に、数学的に5×3と3×5を区別するべきことを説明する。

前提:数式は言葉である

suzusuke氏も算数科学習指導要領解説から引用していることであるが、数式とは思考過程を表現する言葉(ツール)である。

Aさんがりんごを1個、Bさんがりんごを3個、Cさんがりんごを2個持っていました。合計は?

これに対して、

4+2=6、よって6個

と書いたら、だれにも伝わらない。4って数字がどっから来たのかわからないからだ。

いくら「1+3=4なのは数学的に等価だ!」といっても、それはお前の頭の中であって別の話である。

6であるということを証明するには合計を計算するにはすべてを足せばOKという共通認識を持った上で

1+3+2=4+2=6

と示さなければいけないのである。無論、バックグラウンドで了解が取れるなら

1+3+2=6

といきなり書くことは何ら問題がない。大事なのは「1+3+2」と「1+3+2=6」は言葉として意味が違う、ということだ。どう考えたか、をできるだけハッキリした形で表現できるツールが、数式なのである。

掛け算とは何か

お前らは「3×5も5×3も同じじゃないか」とか言うかもしれない。じゃあ聞きたい、「その同じと言ってる3×5とはなんなのか」を。まさか九九を信用して「3×5=15」のことだ、とは言わないだろう。

ここで、「定義」の必要性が出てくるのだ。掛け算はあまりに普遍的すぎて、そこを忘れやすい。そこで我々は×という記号を

3×5 = 3+3+3+3+3

のような略記である、と「定義」するのである。

ここで、お前らは英語圏では

3×5 = 5+5+5

定義しているぞ、バカが。と言うかもしれない。そのとおりである。それで一向にかまわない。だが大事なのは「数学は可能な限り簡潔な定義でなくてはならない」ということだ。つまり、

3×5 = 3+3+3+3+3 または 3×5 = 5+5+5

なんて自由度を与える定義はあってはならないのだ。そもそも、計算してみないとほんとに等しいかわからない3+3+3+3+3 と 5+5+5 のどっちでもいいよ、ていうのはwell-definedにならない危険性さえある。とにかく、定義は一つで済むなら一つにするべきなのである。

あくまで定義の仕方が2通りある、ということだ。定義の仕方自体に絶対性はない。そして、日本では前者のほうがしっくりくるから、とりあえず前者で定義している。定義なんだから、ローカルルール小学生限定もない。そこを履き違えてはいけない。

ちなみにそんなこと数学で習ったことない、という奴もいるだろうが、当たり前である。高等数学では上記のような略記であるとは定義しない。それは0とか負の数とか、小数とかが入ってくると上記の定義では不足するからである。だが、はじめは自然数だけの世界で議論するなら上の定義が一番素直なのである。

例の文章題に対する正答例と誤答例

では、上記の定義を教えた、という文脈で数学的に「5皿でそれぞれ3つのりんごが乗っている、りんごは合計で?」の解答を考えよう。

その1

15個。

誤答。これは回答になってない。文章中に15という数が書いていないので、どこから15が出現したかわからない。

その2

3+3+3+3+3 = 15、よって15個

正答。3個のものを5皿あるんだから足し合わせるのは自然。式変形は当たり前なので省略したのであろう、当然

3+3+3+3+3 = 6+3+3+3 = ...

としてもOK。

その3

6+3+3+3+3 = 15、よって15個

誤答。たしかに3+3=6だが、それを計算したかどうかが伝わらない。数学的に等価だ、なんて理由にならない。

その4

5+5+5 = 15、よって15個

誤答。文章中に「5個」という言葉が出てない以上、はじめの式の5は「5個」と解釈できない。だから足しあわせた結果はりんごの数を表現しない。

その5

同じ数ずつ乗っているなら1個ずつ配っていくことで数えられる。一周で配れる量は5個で、3こずつ配るから三周する。よって

5+5+5 = 15、よって15個

正答。数式中に現れる5をリンゴの数だと説明しているからである。

その6

3×5 = 15、よって15個

正答。我々の定義に従えば、その2の略記でしかない。

その7

5×3 = 15、よって15個

誤答。我々の定義に従えば、その4の略記でしかない。すると同じ理由で間違い。

3×5と5×3は数学的に等価だ、なんてもう言わないよな?それを認めるとその3でさえ正しい。

そんなわけで

数式とは「定義」という共通認識のうえで言葉を話すものであって、別の記述をしたら「偶然正しい」のか「根拠があって正しい」のかわからんのである。

結論は

  • 自然数限定では)3×5は二通り定義できて、日本では3+3+3+3+3とするのが普通
  • 数式はどう考えたかの言葉(意思表明)であって、等しければいいわけじゃない
  • よって5×3は3×5とは区別される

数の概念整数一般に拡張させると、掛け算の定義は上記では不十分で、分配結合則など環の性質にその本質があることに気がつき、そこに定義を移すことになるがまた別の話。そこまで行くと公理とは何か、整数とはなにかを考え直す必要が出てくる。そこで可換性自体は代数構造には不要であることにも気づくはずだ。

大事なのは定義を尊重する姿勢と、定義そのものに着目する(そして、定義そのものを疑う)姿勢を合わせ持つこと。ローカルルールだ、とか押し付けだ、とか言っているやつらが、実は一番思考停止してる。

まぁ小学生にここまで考えさせるのは、正直厳しいが上記正答例、誤答例を示してみるくらいはいいんじゃないか、と思う。

追記

トラバが付きまくってるwみんな好きだね。

論理的でゴメンナサイ、これでも理系です。

言いたいことが伝わらなくて、もどかしい。

ここまできて、根拠が「それが普通」だからてお前・・・。

今度はそれが普通であるという根拠を主張しなきゃイカんでしょ。

普通」には根拠はないだろう。「慣習」と言い換えてもいい。だから、この定義を疑うことが大事。ただ、一番最初に習う定義として、これを使うことが多いということである。

結局元増田が書いてたくそ長い文章は

「それが普通だから正しい、それ以外は間違い」に集約される、と。

バカみたいだな。

普通だから」ではなく、今の文脈では「3×5 = 3+3+3+3+3 を定義として採用するから」である。まずは定義を信用し、それ以外は知らないものとして扱わなければ数学じゃない。

m×0=0

m×(n+1)= m×n+m

まー俺なんぞが独力で導入できるような概念じゃないけど

それで定義すると、m × n = m + m + ... + m (n times) = n + n + ... + n (m times) = n × m が定理になるんだろう。

ようするに、どれが定義かって話じゃん。

だからこんなにも美しい定義存在するのになんでわざわざ便所のゴミみたいな定義を新しく考える必要があんのよ、って話。

そう、上記の「普通」は普通じゃないだろと気がついたときに定義に変更が加わる。そしてこちらの定義のほうが美しい。だから「これが掛け算の定義だ、そしてこれを定義にすればこの定理は明らかだ」という「文脈」では、5×3と書いても3×5と書いてもいい。

文脈についても議論がされているようだが、文脈こそ数式を語る上で重要なものだ。何を定義にするのかというのも文脈だし、どの定理を認めるかも文脈だからだ。

たぶん、5×3も3×5も同じ物と主張する人は可換性を自明としている。それこそが文脈である。しかし数学で何が文脈なのかは、状況によるし、今回は掛け算を定義したばかりなのだから可換性を自明とするのはおかしい。

「1皿につきりんご3個」と表現した時点でそれは3個/皿という比率しか現していない。3個+3個+3個+3個+3個=15個と言いたいらしいが、前処理を済ませない限りその3につけるべき単位は個ではなく個/皿でしかない。3(個/皿)+3(個/皿)+…、おいおい、比率って足せるのかよ?

単位の話をすると少し難しくなる、というか物理がわかんないのでそこを正確に語れない。だが、あなたの主張を通すと 3+3+3+3+3=15 は間違いだ、ということにならないか?これを否定されるとどうしようも無い。

まぁなんつーか、もっと皆語るといいと思うよ。教育不毛とかはどうでもいいし、小学生が理解できなくていいから。

  • ま、どうでもいいことだな。同じだし。 数理的思考が苦手な子にはそうやって丸めこんどけばよかろう、という程度。

  • (自然数限定では)3×5は二通り定義できて、日本では3+3+3+3+3とするのが普通 ここまできて、根拠が「それが普通」だからてお前・・・。 今度はそれが普通であるという根拠を主張し...

    • 今度はそれが普通であるという根拠を主張しなきゃイカんでしょ。 「今度はそれが普通であるという根拠を主張しなきゃ」いけない根拠を主張しないといけないんじゃなイカ?

      • えっ?そうなのかな。 でも、それが普通だから普通じゃないものは断固×だっていう主張で皆さんは納得できるのかな。

        • つまりこういうことか。 http://anond.hatelabo.jp/20101116131409 結局元増田が書いてたくそ長い文章は 「それが普通だから正しい、それ以外は間違い」に集約される、と。 バカみたいだな。

          • 横だけど、全くその通り。 ほんとセンス無いよね。センス無いからこそああいう主張をしちゃうんだと思うけど。

          • バカみたい、と感じるほうがおかしいだろ。 論理においてアプリオリな前提というものは確実に存在するし、それを「バカみたい」と切り捨ててはどんな議論もできないぞ。

    • 今度はそれが普通であるという根拠を主張しなきゃイカんでしょ。 横だが、これは根拠云々の問題ではない。 君がこの「普通」に納得するかどうかだけの話だ。 君が普通だと納得で...

  • wikipediaとかで調べてきたのか、論旨と関係ないところでむりやり環とか何とか言ってるけど、この人は文系だろうなあ。

  • 「1皿につきりんご3個」と表現した時点で比率しか現していない。 http://anond.hatelabo.jp/20101116123705

  • >3×5と5×3が同じ意味なわけがない って言うけど、 数式ってのは抽象化されたものなんだから、意味をどう考えるかは文脈に囚われるし、むしろその文脈のほうを明確に示すのが数式自...

    • だからその文脈を 3×5 = 3+3+3+3+3 にしようって言うのが元増田の意図じゃないのか?

      • なんで美しい抽象概念を文脈なんて怪しげなもんでゲロまみれにしなきゃなんないのよ

        • 文系(の中の馬鹿な奴)にとっては文脈が全てで抽象概念なんつー高尚なもんは理解できないからね

          • バカなやつ、と但し書きをしてもその主張はおかしい。 人間は程度の差はあれ思考をかならず抽象化させる。 それが適切な抽象ではないから勝手な飛躍が起こったりする。 お前みたい...

        • それはお前の文脈がゲロまみれだからだ。 じゃあ 3×5 をお前はどう定義するんだ?

          • m×0=0 m×(n+1)= m×n+m

          • 整数同士の掛け算は「複数回足す」でよいだろう。 有理数同士の掛け算は既約分数の分子同士、分母同士を掛けるとできる。(その妥当性は簡単に検証できる) 無理数同士の掛け算は既...

          • それで定義すると、m × n = m + m + ... + m (n times) = n + n + ... + n (m times) = n × m が定理になるんだろう。 ようするに、どれが定義かって話じゃん。

            • だからこんなにも美しい定義が存在するのになんでわざわざ便所のゴミみたいな定義を新しく考える必要があんのよ、って話。

      • もしそうなら、その“意図”を明確にしなけりゃ意思疎通もできない。 なぜなら数式というのは、そういうあらゆる意図を削いだ単なる道具なのだから。 数式自体の解釈をどう好都合に...

  • 英語圏では 3×5 = 5+5+5 と定義している この嘘っぱちどこから出てきたんだろうなぁ。 3×5は"three times five"であると同時に"three multiplied by five"であって、 まさしく3×5 = 3+3+3+3+3 または 3...

  • こういう議論で「皿のほうが先に来たほうが自然だよね()」とか「可換()」とか「本質()」とか言ってる奴なんなの? 自然なんてのはおめーの主観で、小2の教育に可換だ非可換...

  • 単位の話をすると少し難しくなる、というか物理がわかんないのでそこを正確に語れない。 その程度の物理もわかんないのにここまで偉そうに語れる神経が理解できない。 いや、無知...

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