はてなキーワード: 登山とは
今、悩んでいることがある。
それは旅行バックのこと。
登山に際して果たしてどのようなバッグがいいのか?という、一見どうでもよさげな悩みだ。
だが、忘れてはいけないポイントが一つある。
それはあくまで「登山は数日の工程すべてで行われるわけではない」という点。恐らく「街中を散策する」日もある。
そして日々宿が変わる為、「バックを持って散策したり移動したりする」という注釈事項。
お土産も買うだろうし。お土産を持った状態で動く事もあるだろう。
勿論旅行先から荷物を送る元も子もない手も有るが、行き先が隣の県なので料金考えると持ち帰りたい。
というわけで鞄に二つ候補を絞ってみた。
ザック(背中部分が通気のよくなっている加工のあるもの。ショルダー型)
完全に登山向け。
キャリーカート(カート+ショルダー+ボストンの3way機能付)
⇒例)http://www.arukikata.co.jp/shop/list/11000400.html
どっちがいいか教えてくれ!増田のみんな!!
*再来週に行く
*二泊三日
*登山道は舗装されている箇所もあり
*街散策もする。商店街等舗装されたところ
*お土産は鞄にしまってしまいたい
3年生になったということで、就活をそろそろ始めようと思う。
のだが、分かってはいたことだが、『会社の求める新社員像』てのが輝きすぎてて、ビビる。
モラトリアムが終わろうとしている。
そろそろ就活始めないとな。
なるほど、エントリーシート書かなきゃならんのね。
まず所属とか色々書いて、その次は、
志望動機な。あるある。全然あるよ。
で、自己PRな。ないない。全然ね~~~~~~~~~~~~~よ。
――――――――――――――――――――――――――――――
とある割とマジメなボランティア団体に所属していて、
アルバイトは1年の秋から接客業一本でやっている。
高校のときは短期の語学留学をしたりもして、TOEICは900点ある。
落ち着いていて協調性があるとはよく言われるが、自分の意見もはっきり主張するし、
それなりに自分から行動して色々やっているつもりである。
「自己PRってどういうこと書けばいいんすか」
と聞くと、
「自分の持ち味を過去のエピソードを通してアピールすることね。
色々やってるんだから、その中で自分が何を得たか、
何を克服してどうレベルアップしたか書けばいーのよ。
具体的なエピソードを通して、自分の行動によってどういう結果が得られたか書くといいわね。」
などと教えてもらえる。
そりゃ人並みに色々やってきて、それなりに色々得てきたという自負はある。
しかし、それって、人並み程度でしかないわけである。
人様に御開陳して、PRできるような自己かというと疑問なのだ。
そこらの大学生がちゃんと何かに打ち込んでんのよ。
でも、それから客観的に認められるようなオンリーワンを得てる奴より、
エントリーシート流し読まれて、そこで落とされても仕方ないような実績しか、
ないような奴のほうが圧倒的に多数なわけ。俺みたいに。
――――――――――――――――――――――――――――――
君にあう企業がきっとあるはず!」
なんていう台詞もよく目にするが、ほんとうは、
要るやつはどこででも要るし、要らないやつはどこ行っても要らんのではないか。
人の意見も聞けるけど、チームをまとめるリーダーシップがある。
熱意と高い目標を持っていて、地道な行動力もある。みたいな、理想像。
だいたいそんなリーダーリーダーしたやつばっか採ってどうする気なんだ。
山か。山でも登る気なのか。船で。船頭多くして。
でもよく考えたら船で山登れるってスゲーよな。
そっか。山登りたいのか。
でも、船で山登ろうぜ!!って言い出して、みんなを実行に導いたりはできないけど、
みんながリーダーに反発しまくってるときに、
リーダーがんばってるよな、大丈夫?飲みにいかね?って言えたり、
みんなのガス抜きしてあげたりできる俺、要りませんか?
あ、雑役夫係は足りてる、と。
出直してきます。
長々とありがとうございました。
自分の足で登山するのと、ヘリコプターで上がるのが同じって言う人は
山頂に登るのは山頂の風景を見るためだけではないって事に気が付かない人が多いんだよね。
確かに、山頂の風景が見たいだけなら、ヘリコプターで昇った方が早いし効率的。
自分の足で登った事を、自分なり他人なりに自慢したいという経験や思い出が欲しいなら、自分の足で登るしかない。
もう、価値観と得たい物の差だからどうにもならないなぁと増田を読んで思った。
知識も同じで、より幅広い範囲で応用したければ、原理から深く学ぶしかないし。
とりあえず、派生知識だから結果だけ手っ取り早く知りたいなら結果だけ知っても問題ないし計算機に計算させて問題ない。
ニーズがそもそも違う。と言うことを理解して、適材適所するしかない。
コピペ問題も同じで、とりあえず、やっつけ仕事ならコピペで十分。ただし、信頼性やオリジナリティは犠牲になることも多い。
逆に、オリジナリティや継続的な信頼を得ようと重うと、どうしても、深く掘り下げるしかない。
何がその作品・商売に必要か?要求されている品質はどこか?という事でしかないと思う。
コピペは結局、どこかで、コピペとわかってしまう。しかし、たとえ、有名大学のレポートでも大半がコピペってのと同じで、日本はコピペ大国。
だからこそ、許容されるし、だからこそ、深いベースに基づいたオリジナリティには高い価値が付く。
そういう前提で、コピペで手軽に行くか(信頼方向でハイリスク)か基礎からやるか(時間方向でハイリスク)はやる人間の選択でしかない
とか感想文を書いてみる。
http://jp.reuters.com/article/oddlyEnoughNews/idJPJAPAN-36389020090209
どうやらスイスのある地方では、ドイツ人観光客の裸登山が人気になっていて、問題になっているらしい。
ちょっと調べてみたが、よくあるドイツ人は変態だとかいうことではなくて、人間は裸でいることが自然だと主張する、ヌーディストと呼ばれる人たちの仕業らしい。
そこでふと思った。日本にはこういう人たちあんまりいないよね。なんでなんだろう。
これはおそらく、日本の露天風呂の文化が原因なんじゃないかと思う。露天風呂というのは大抵、周りに囲いがあるか、人の来ないような僻地にあるかのどちらかで、他人に迷惑をかけることなく、堂々と素っ裸で自然を満喫することができる。
というわけで、日本人にヌーディストが少ないのは、誰もが「屋外で堂々と全裸になりたい」という欲求を、適度に満たすことができるからなんじゃないだろうか。
天然ナチュラルガールに話題でGreeで評判うなぎ上りのマタギガール。
登山屋とかに行くと売ってる厚めの靴下はくと良いよ。
目が粗いヤツじゃなくて、みっしり詰まってるようなヤツ。
気にならなくなるから。
比較的大きめの山屋に行って
「今年は春山登山ではやりそうなシャツ2枚、ズボン、ベルト、ジャケットを揃えたいのですけれどもよろしくお願いします。
今は腹がダボダボですが、腹筋するのでちょっときつめでも頑張ります」
と店員に伝えるとOK
そうすると全部で5万くらいで薦めてくるので、そのつもりでGO
ブサメンが着ても違和感がないナチュラルなパターンが多く、腕周りがいい。
いかにも着心地の良い脱オタ服をたくさん売っていても結局低機能素材しか使ってない。
店員もそう言う素材に関する知識皆無
おまえ、ゴアテックスのオシャレなジャケット丸井にあるとおもッてんの?
俺は何度も新素材とか言われて騙された
おまえ山なめんなよ
とりあえず、山屋が終了するとリュックや靴の低機能さに目眩がして、新しいモノが欲しくなる
そう思えたら脱オタは第一歩踏み出せたのでOK
翌月に買った服でフル装備して靴とズボンを買いに行けばよい。
そん時に山用の厚手の靴下を履いて、リュックは家に置いておくと良い
その翌月にはYシャツ、Tシャツを追加すれば
休日に着るものは全部揃うだろう
ここまで来れば、ちょっとしたものをユニクロで補完できるようになるのでだいぶ楽になる
色々全部足すと10万くらいになると思うが
どうせ5年は着るんだろうからどーんと構えてくれ
2年前に別れた彼女とここのところよく会う機会がある。
だいたい2ヶ月に1回ぐらい。
まあ共通の友人も何人かいるし、全く会わないほうが不自然なんだが。
なんだろう、付き合ってた時よりもずっとカワイイ。
しかも会うたび会うたび、俺のどストライクな格好をしてきやがる。
そりゃー4年も付き合ってたから俺の好みは熟知してるだろうが
そんなことする必要あるか?
胸がでかくてウエストが細いからすげー見栄えがするんだ。
じゃあズボンはけってんだよ。そういうちょっとぬけてる所も可愛くてたまらない。
しかもメガネだ。化粧もちょっとしてた。
付き合ってた頃はほとんどしなかったのに。
いや、もともと顔は良かったんだ。木村カエラに似てるとよく言われてたし
街を歩いててスカウトされた事も何度かあった。
本人はキャッチだと思い込んで「東京ってやっぱ怖いねー」とか言ってたがなw。
話してりゃやっぱり楽しいし、うきうきする。
っていうか、今初対面で会ったら100%惚れる自信がある。
でも本人は俺とよりを戻す気なんて全くないらしい。
今は彼氏がいないと言ってたけど毎日の事をすごく楽しそうに話す。
電話もばんばんかかってくる。入った店で俺の知らない友達と偶然はちあわせたりもする。
俺なんかぜんぜん過去の人だ。
なのに会う時に俺が始めてプレゼントしたイヤリングとかマフラーとかをしきて
やっぱり似合ってるね、というと嬉しそうに「ありがとう」と言う。
なんでわざわざ俺があげたものしてくるんだよ。
それで楽しい時間をすごして別れて家に帰ってきた後決まって一人で鬱になる。
今もそう。なんなんだよもう。
あなたはチョコレートの何が好きなのか。カカオ成分か。ならカカオ86%とかのチョコを心の底から「旨い」と思うのか。そうでないならあなたは「乳脂肪と砂糖が好き」なだけではないのか。カカオはその(カフェインなどの)薬理作用によって体が欲しているだけで、ミルクと砂糖で苦みをごまかさないとおよそ食べられない代物ではないのか。チョコレートについて好意的に紹介する記事でも、チョコレートは「食べ物以上、薬以下」という向精神作用があることを認めている(
http://journal.mycom.co.jp/column/lifehack/019/)。また、場合によってその中毒性は非常に危険でもある。甘い口溶けに誑かされるのは危険ではないか。
あなたはチョコレートの何を知っているのか。あなたの食べているカカオは、ガーナやアルジェリア、コートジボアールなどの大規模カカオ農場で人身売買によって働かされている児童奴隷によって生産されているかもしれない。そしてあなたが支払ったカカオの代金は、彼らの生活の向上ではなく紛争地の兵器や弾薬のための資金になり、アフリカの人々を更に傷つけているかもしれない。日本で食べられているカカオの80%はガーナ産。フェアトレードと謳われていても油断はならない。(参考:「チョコレートの真実」英治出版 (2007/8/27) )
あなたは食品としてのチョコレートを理解しているか。チョコレートに含まれるテオブロミンは、人以外の大抵の動物にとって代謝できない毒物であることを知っているか。またカロリーにおいても、板チョコレート1枚(70g)のカロリー約400kcalは、どんぶり飯一杯分、ポテトチップなら一袋分に匹敵することを知っているか。それだけのカロリー量を消費するのに、最短でもたとえば40分から50分も水泳しなければならないことを理解しているか。(http://www.kenkoukagaku.jp/calc_asp/chocolate/kekka.asp?ans=yes)軍用レーションや登山者が非常食として携帯する理由はその濃密なカロリーにあることを理解しているか。それがもたらす未来に気づかず、軽い気持ちで「チョコレートが好き」などと言ってしまって良いのか。
クッキーを食べるのもチョコレートを食べるのも良いし、決めきれずたけのこの里に手を出してしまうのも避けられないかもしれない。だが、何を選ぶにしても大切なのは、あなたがその対象をどのくらい知っているかということではないだろうか。何も知らずお菓子を食べ散らかしたら必ずあとでヒドイ目に遭うのだから。
http://anond.hatelabo.jp/20090119081207
※比喩に全力でマジレス。
http://anond.hatelabo.jp/20081208211208
の、元増田です。思いのほか反響あったなぁ。8ブクマ&5トラバで?って言われそうだけどさ
5人目の増田
http://anond.hatelabo.jp/20081210184744
が、ちょうど鬱になった時に色んな人から受けたアドバイスや、ネットとか鬱関連の書籍とかで得た知識なんかとかぶる部分が多くあったので、追記じゃなくて新たにざざっと書いてみる次第です。
あなた自身、自分と違うユニークな人に触れて新しい刺激を得ることを好んでいるから、ユニークさそれ自体に価値があると感じているんじゃないかな。
YESYES!!
ところが世の中には自分と違う経験や考え方に触れることを好まない人が結構いて、そういう人と接する時にぎくしゃくしちゃう、ってことかなと思ったんだ。
ハハハこやつめ、見てきたような事を言いやがる。その通りです。
コレがねー。本当に不思議だったのよ最初。今まで、人との出会いとは新たな世界へのパスポートだと思ってた。
登山が趣味な友人ができて、山が綺麗な日に登山に連れてってもらった。
釣りが趣味の友人と、釣り道具一式貸してもらって楽しく夜釣りをした。
新しい友達ができたら、一見さんお断りな場所と言うか、何の知識もなくぶっつけで楽しもうと思ったら失敗しやすい遊びを低リスクで最大限に楽しめるワケですよ。登山だったら登る時期やコース間違えたら、実際行くまで楽しめるかわからんし。演劇もテキトーに選んだら風俗で指命しない並にリスキーだろうし、釣りなんか遊びで釣り竿買うワケにもいかんし夜釣りにどんな道具いるかとか想像もつかんし餌の付け方教わらないと始められやしねぇ。
だから、積極的に色んな特技を持った人と交流する事が大好きだったし、誰もがそうやって自分の世界を広げてるんだろうなって思ってた
そこに欠けている資質を補えるDさんがきたとき、問題が解決できる。このように、その場に足りない何かを提供することがユニークさの価値なんだ。
ここで増田が言おうとしている事とは別解釈と言うかズレた視点でこの文を抜き出したんだけど、自分は問題解決能力やアイディア力に優れているって自負があった。
何かの議論や話し合いの時、脳内で様々な可能性をだーーーっと考慮して、いきなり結論を出しちゃう自分に自信を持ってた。
でも、最初に出した結論が結局採択されるのに、いきなり自分の解答が認められずに2時間ぐらい会議があるって事があったり、最終的に最初に出した自分のアイディアが採用されるんなら無駄な会議の時間をこれといった問題点がない自分のアイディアをみんなでさらによくしたらいいのに・・・って思ったりしてた。
それも間違いなんだな。まず、同じレベルから徐々にスタートしなきゃいけないと言うか、自分の中で問題解決の為のプランを作って、それに自分で色んな場合を想定したパッチをあてまくって満足がいくものにしてから出してた。
そうじゃなくて、パッチを当てる前のプランをまず提示すべきだったんだろう。そして、みんなでパッチを当てる作業をする事で、考えてる事の共有をすべきだったんだろうなぁって。
大学では自分の意見にすぐパッチをあててくれるような人が多くて、中高の頃よくあった上記のような事はいつの間にか忘れてたけど、社会に出たらまた中高の頃みたいな空気が戻ってきた感じ
足りないものを提供すると言うか、○○がしたいなって話題にジャストな知識や人材をチョイスする事はできるけど
『普通の人達』は悩みや理想に対する解答が欲しいんじゃなくて、ただ話を聞いてほしくて、「そうだね、わかるよ」「そうだね、俺もだよ」って言ってほしい人が多いんだなって思った
いくらでも提供できるんだ。楽しい事がしたいとか、自分の趣味の発表の場が欲しいとか、クラブに行ってみたいとか美味い飯屋に行きたいとか面白いゲームやってみたいとか。俺自身でムリでも、それができる人の輪がある
でも、本当に欲しいのは普通の範囲から出ないもの、自分が知らない何かじゃなくて、自分が知ってる範疇でお互いが知ってるものを「あの飯屋は美味しかった」「あの有名ゲームは面白いよね」と言いあいたいたいんだろう。
結局
自家製酒の話題を出して引かれたなら、その理由はあなたの出した知識がユニークだったからではなく、その話題がその場に「必要とされていなかった」だけかもしれない。
コレなんだな。その場に必要な情報を取り違えてたワケだ
ただ、そうとわかれば俺も何をすればいいかわかる
相手を中心に考えて、話題の中心に立って気分がよくなっている相手の気を悪くしないよう、うんうんすごいねーノリで聞いてりゃいいんだ
傾聴ってやつだな。あいづちはうって、相手の気を悪くしないように話を引き出して、アドバイスや話題の発展とか切り出さず、相手に話させるテクニック。心理学専攻してる友人に教えてもらった
でも俺傾聴されるの嫌いなんだ。話題振ったら相手からも同じぐらい話題や、今まで知らなかった知識が欲しい
それでも傾聴を試みてみると、意外なほど相手はこちらに悪印象を持たない。この事でまた一つ一般人に対する理解が深まったと思う
共感してほしいんだ
話飛ぶけどさ
俺は自分で自分をKYって思ってるんだけど、どうやら『普通の人達』ってのはテレパシーを使って会話をしてるようで、言葉を使わずに満足いく会話をしているらしい
大学の頃は、お互いがお互いに今日まで知らなかった知識を会話で与えあってたから、知らない事のぶつけあい、魔球のキャッチボールでは空気の読み方なんて学びようがなかったんだな。空気とやらのテレパシーから伝わる情報ってのに片方が知らない情報ってのは含まれてないんだもの
空気とやらの正体が何なのか、何故、ちゃんと定義づけをせずに空気なんていう文字通り曖昧な言葉で濁すのかってのが、AnonymousDiaryを読み込む中でかなりわかってきた。自分の仲間であると、多数派であるという確認行為でもあるんだな
まーた話それるんだけど、『普通の人達』を観察してて疑問に思ったのがもう1コ
彼らは自分を物語の主役だとは絶対に思わないんだな。それがビックリ
って言うかドラマとか小説とか漫画とかあんま読まないんじゃないんだろうか。もし読んでたら、同じ職場の人の陰口で笑いあったり、誰かの失敗を見て楽しそうにしてたり、
いいこちゃんぶりたいとかそういうのじゃなくてさ、人の悪い面ばっか見てんだなって
俺や仲間はどっちかと言えば、仲間の悪口より良い所を伝え合って、それで関係を広げていったと思う。だって、誰かの悪口言う奴がいたらその悪口を言ってたって事実が言いふらされてのけものにされるかもしんないじゃん
でも、普通の人達にそれは無い。誰かが誰かの悪口を言ってたって事だけは何故かタブーみたいなんだ
結果的にフロア内の誰もが陰口叩かれてた事に戦慄したね。同時に、誰もが俺の陰口を影でたたいてるんだって思って陰鬱になったりした
って言うか、俺が嫌われ者なら嫌われ者に聞こえる所で本人に知れたらヤバいような事言うかね?本人の耳に入るかもしれないとか、そういう事怖がっちゃう俺は親友レベルの人か匿名相手にしか悪口とか言えませんよ
自分が少数派である以上、多数派である彼らが正しいんだろう。でも、何かがおかしいと思うの
(もちろん、「相手のために何が出来るだろうか」を考え抜いた末に「自分はこの人に対して何も出来ないなあ」とか「何もしたくないなあ」という結論に達したなら、その場から抜け出すことをおすすめする。その状態でそこにいるのは自分にとっても相手にとっても不幸だから。)
こんなデタラメな文章を相手の事を考えずに書いておきながらアレだけど
今までの自分ってのは常に相手の為にできる最善手は何だろうか!!!って勢いだった
それが相手が嫌がる事とか、想像もしてなかったって意味じゃ全然ダメなんだけど、それでも自分が持ちうるすべてを駆使して、相手の望みを叶えようとしてた
召還獣とか、ランプの魔神でありたいと思ってたんだ。自分を使ってほしい、自分の人脈もなんもかんも、友の為ならさらけ出そうと思ってたしそうしてた
他には『借り』とか『貸し』とかに異様に執着してたと思う。借りは返すものだと思ってたから、借りを作ったと思ったら相手の為に全力になった
でも、相手の為にできる事はそんなおおげさな事じゃなくて、『相手が望む事』ってのを空気とやらを読んで全部聞いてやればいい。生きた壁になるのが一番賢く、雄弁は銀・沈黙は金。きっとこの言葉は雄弁な人が生み出した言葉なんだと思う
ぶっちゃけ、相手の為に何もしたくないって気分だけど、簡単に退職はしない。だって、ここで全ての失敗をしてケーススタディをしたら、次に就職する先で失敗する事はないだろう
普通の人達から学ぶ事はまだまだたくさんある。それに、仕事では無表情で淡々と仕事をこなして、素の自分とは真逆な自分を演じてると、反動で私生活に色々とヤンチャがしたくなる
二面性こそ自分の本文だなとつくづく思うから、しばらくはこの生活も悪くないって考えてはいる
自分がいる事で、自分を嫌っている人を不幸にさせている事はわかっている。一昔前はそんな事を思っただけでストレスで、他人に嫌な思いをさせてるって考えただけで何度も自己突っ込みしたモンだけど、今じゃなんだか平気だ
一昔前は怒鳴られたり、陰口を聴覚過敏で耳に入れたりしたらすごい落ち込んでたけど、今は全然大丈夫だ
面の皮の厚さまで鬱から手に入れる事ができた
・・・なんか本当に散文だなぁ
http://anond.hatelabo.jp/20081207162752
自分がした失敗を次の世代にさせたくないからこそなんだろうなって思ってます。
だから、自分の事を少しでもアスペルガーだの発達障害かな?とか思った人は
http://www7.ocn.ne.jp/~k-goto/
でも読んで、試しにアスペ関連の知識でも収集してみたらいいと思うの
それは発達障害者向けの文章かもしれないけれど、そこから学べる事は少なくないハズだと思うんです。
リア充から非コミュになってみて初めてわかる事ってのがいっぱいあった
『普通の人達』ってのを知る事で、本当に多くの事を学べた。小説や漫画で普通の人が一切出てこない作品がたまにあるけど、そういう作者は普通の人達に背中を向けて生きてきた人なのかもしれない
むしろ、そういう創作をする人の大半がナードで、ナードだからこそ『普通の人達』が、サイレントマジョリティってのが場を支配する世界が好きじゃなくて、自分の理想の世界観を作ってきたのかもしれないとか思えるようになった
普通でいる事の何が楽しいかって、多数派でいる事が楽しいんだろうな
自分も自分のコミュニティで多数派であった時期はとても楽しかった
ネットではふたば☆ちゃんねるなんかで完璧に住人の1人として楽しく色んな事をして遊べてる
多数派である事が、人生を楽しく過ごすコツで、自分が多数派でいれる場所さえ見つけたら、人生は楽しいんだなってわかった
最後に最大の言い訳だけどさー
大学時代に色々成功させて、チームのリーダーとかやって、新聞とか地方紙とかの取材受けたり、自分が立ち上げた企画が後輩達に受け継がれて立派に予算出て大学のメインの企画として祭り上げられたり色々したら勘違いすんなって方がムリだって!お調子者の俺には!
最後に好きなメロディで〆
こりゃまたマッタクどういうワケだ
世の中なんか間違いだらけだ
あの頃だったらなんとかなった
あーこーりゃ、シャクだった??♪
「自己責任云々の前に正しい知識を共有するべき - 狐の王国」(http://d.hatena.ne.jp/KoshianX/20081201/1228092446)を読んでもっともだと思う部分もあるのだけど、対象を変えてもそう思えるだろうかと考えた。
たとえば痴漢冤罪なんかはどうだろうとか。この場合でも冤罪の被害者に法的な落ち度は無くて、悪いのは犯人だ。
正直それはどーよ、って思うんだよな。別に自己責任だなんて思わないし犯人はがっつり捕まえてぎっちりしめあげとけとか思うんだけど、被害者に非が無いとまでは俺には言えない。
という風に思えるだろうかということ。他には美人局などもあるか。
デモに参加したら警察につかまったとか、ただ歩いていたら職務質問されたとかはどうだろう。
もう少し違う方面でいくと、はてなブックマークがリニューアルしたことによって旧ブックマークのヘッダーなどの設定が消えてしまったことなんかも「正しい知識」でなんとかすべきなのかとか。ダイアリーのデータが全て消える可能性だって無いとはいえない。
危険な街、危険な時間帯、危険なシチュエーションというのはあるはずだし、それらはもっと広く研究して「正しい知識」を得るべきだ。従来はなんとなく倫理感や常識という形で共有されて来たものだが、実際迷信化してるものも多いだろう。こういう犯罪防止策を政治問題のように扱ってはいけない。
とにかく危険を避ける力を身に付けることを否定しないで欲しい。必要なのは、正しい装備と計画をもって登山に望むことだ。それで遭難した人が責められることは無いのだから。
精神論だったり、「才能」や「努力する才能」だよ、という言葉で片づけるのは簡単だけど、それでは何もプラスがないし、つまらない。ここはもう少し細かく考えてみよう。
すなわち、君はなぜ「できない」「もう無理」と思ったんだい?
一つには環境要因があるだろう。お金、時間、周囲との人間関係…。これらはすぐに改善するのはなかなか難しそうだ。
だけどもう一つ、「何をすればいいのか分からず途方に暮れた」「あんなこと、今の自分には難しすぎる」…努力しなきゃと思っていても、一体どこでどう努力すればいいのか分からない。そういう理由なら、それは何とかなるかもしれない。
まず最初に知っておいて欲しいことがある。人間は1歩先の足場にしか届かない。
これを教育の専門用語で「発達の最近接領域」という。最近接領域とは「自分一人でできる」以上「誰かの助けがないとできない」未満の領域のこと。
その人の学習段階(レディネス)にあわせて、ちょうどぴったりの「発達の最近接領域」範囲内に次の足場を用意する。実はこれこそが教育の正体だ。
「発達の最近接領域」となる範囲の幅は広い人もいれば狭い人もいる。歩幅と同じで個人差があるのだ。体調にも左右される。一足飛びで上達しているように見える人は、この幅が広いに過ぎない。その人も自分の歩幅で一歩ずつ発達段階をのぼっている点ではあなたと同じだ。
歩幅の違いはあるいは才能といえるのかもしれない。しかし裏を返せばスピードの違いこそあれど、歩ききることさえできれば、ほとんどの人が目標に到達すること自体は不可能ではないのだ。
むしろ注意したいのは、自分の最近接領域内に足場を設定できないと発達できないという点。発達できないと疲れだけがたまる。自分の歩幅を的確につかむことが最重要だ。それが最後まで疲れずに歩くことにも繋がる。
さて、これを踏まえた上で、どこに努力の力点を置くか、である。ポイントは2つある。
登山でいうならどの頂上に向かうか。当然といえば当然だが、目的地が分からなければルートが割り出せない。適当に動いたのでは遭難してしまう。マクロな視点、俯瞰的な視点で最終目標さえ捉えていれば、そこに至るまでのルートはわりと自由が利く。自分の行けそうなルートを選ぶことができる。
目的地が遠すぎる…と思ったら、もうすこし近めに設定しても良い。目標は途中で変えても良いからだ。
次、努力ポイント2つ目。「次の一歩」を見つける。ここ重要ですよ、テストに出ます。
学校教育では教師がきみの歩幅に合わせた足場を用意してくれる。趣味や仕事ではそれができる人に師事するか、自分で足場を見つける必要がある。目標が達成できるか否かは最近接領域内にうまく足場を設定できるかどうかが肝だ。
自分より少しだけ上手い人を探して、マネをする。というのも良い手立てだ。
ポイントは自分に学習状況にあわせて、こまめに足場を設定すること。最近接領域は刻一刻と変化する。繰り返しになるが、歩ききれば目標には到達できる。だからこそ自分に適切な足場を設定すること、途中で疲れはてないように注意することが最重要だ。
「何をどうすれば上達できるか分かんないよ!」となってしまったときは足場が遠すぎる可能性が高い。もっと「一歩」を小さくしたり、より基礎部分に戻ればいい。
逆に、もうこのレベルは簡単にできるようになったな、と思ったら少し(ほんの少し!)レベルを上げる。
普段の運用は2つ目「次の一歩」に注力すればいい。1つ目「最終目的地」はそうコロコロとは変わらないからね。逆に「次の一歩」は毎回ていねいに確かめる必要がある。そうして時々ルートがずれてないか、最終目的地を確認すればいい。
もしも、1つ目「最終目的地」が変わったら、そのとき自分の位置と新しい目的地から、次のルートを割り出しなおそう。
さて、歩ききるため(または歩ききらせるため)に重要なことがもう一つある。
評価だ。
どのタイミングで評価をするかについて、多くの場合、大目標に到達したときが頭に浮かぶだろう。学校ならテストだったり、仕事なら一つこなしたとき。趣味なら発表会とかかもしれない。
だが、それだけではない。実は「次の一歩」で動いたときに評価をするのだ。
一歩がうまく行った時は、全力で褒めていい。そして、そのまま行けばいい。
うまく行かなかった時は、「次の一歩」の足場の見直しをする。
ポイントは、評価とは点数付けに意味があるのではなく、むしろ最近接領域の状態を見極め、次の足場の設定へのフィードバックを行うことこそが真骨頂という点だ。
これは先ほどの、こまめに足場を設定する、という話に繋がる。こまめな設定には、こまめな評価が必要だ。
しかも、こまめに褒めればモチベーションも維持しやすいという特典付き。完璧な作戦だ。
おま…だから、いきなり全部やろうとすんなとあれほど…
はい復習ー。むりぽと思ったときは?…そうだね、「一歩」をもっと小さめに設定するのがコツだったね。
「できない」「もう無理」「やっぱ才能ないわ自分」って思ったときほど、設定を見直せー。
それでも「出来る」なんて思えない?
大丈夫、みんな義務教育はしっかりこなしただろ?国語も算数も苦手なりにも一応は出来るようになっただろ?
…出来てるじゃん。あれと本質は同じだ。だから、できるよ。慣れは必要だけどな。
ま、なんにせよ時間は必要だから、この10000時間ってのを一つのめやすに長期計画立てると良いかもしれんね。
あと、へこたれそうになってる人には、周囲の励ましがよく効きます。特効薬です。
無理とか言ってる人も、おだてれば木に登ります。だからみんな俺に優しくしてくれメソッド発動。
追記:このエントリ、ほとんど元増田の言い換えだったり、ちょっと元増田の文脈からずれてしまったりしてるのが申し訳ないが、誰かのお役に立てれば幸い。
あとちょっとタイトル変えた。