「渡辺昇」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 渡辺昇とは

2023-02-10

anond:20230210010426

渡辺昇の件といい愛知っておかしおっさん投票しないと殺される法律でもあるんだろうか。

もしくはおかしい人がおかしい人を支持しあってるのか

2023-01-27

同性愛者は気持ち悪い」と愛知渡辺昇という議員が言っている件

この発言は非常にずるいなあと思う。

例えば俺は高齢独身男性マナーの悪いおっさんを見ると「うわ、気持ち悪いなあ」と思うのだけど、そんなことは口には出さない。

何故なら日本では高齢独身男性や不躾なおっさんマイノリティではなくそれなりの人口いるからだ。

一方「ゲイ気持ち悪い」というとさも伝統的価値観を重んじるような信憑性がある、なぜならゲイマイノリティからだ。

本当に気持ちの悪い大多数の人種非難されず、少数派だからって非難される高潔な人々がいることに俺は我慢ができない。

2022-08-29

[]園部秀雄

史上最高の薙刀剣士とされる女性

1870年仙台藩馬廻役・日下陽三郎の六女として生まれる。

幼名は「たりた」で、これは両親が子沢山だったため「子供はもう足りた」という意味で名付けられたという。

ちなみに彼女の下にはさらに妹がおり、「誤って産んだ」ので「あや」という名前だったとか。

16歳で見学した撃剣興行の、佐竹茂雄夫人薙刀に魅せられ、家を飛び出して直心影流薙刀術に入門する。

師匠である佐竹鑑柳斎・茂雄夫婦の撃剣会に帯同し、各地の興行に参加して、20代にして「美人剣士」の勇名を轟かせる。

入門三年目にして直心影流薙刀術印可と「秀雄」の名を授与され、「日下秀雄」と名乗るようになる。

1896年直心影流薙刀術の第十五代宗家継承する。

同年に直猶心流剣術の十一代目・園部正利と結婚して「園部秀雄」となる。

1899年の第4回武徳祭大演武会において、唯一の女性剣士として出場、

幕末の人斬り・渡辺昇と戦い、渡辺竹刀を投げ出して降参したという。

当時の渡辺は61歳ではあったが、秀雄の戦歴のなかではこの試合特に有名である

その後、渡辺の高弟である堀田捨次郎に一敗を喫したとも、生涯不敗だったとも言われる。

後年には女子学習院を始めとして多くの女学校薙刀師範を務め、

また道場修徳館」を設立して薙刀教員を育成するなど、女子教育としての薙刀術普及に大きく貢献した。

1963年、93歳で亡くなった。

2018-08-09

anond:20180809003004

無理でしょそれは。

陣営代表格の死を喜ぶのは保守リベラル関係なく、食欲や性欲と同レベル人間の根源的欲求の一つだもん。

筑紫鶴見土井三浦西部渡辺昇一の時だってそうだった。

今後もずっとそうであり続けるだろう。

 
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん