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はてなキーワード: 日教組とは

2008-02-04

ネット右翼が好む話題キーワード

ネット右翼が好む話題キーワードメモ書き。サイト運営しててこれらのキーワードが出たら炎上しやすいので要注意。事前にNGワード指定するのもよい。

韓国 朝鮮 在日 反日 帰化 三国人 中国 慰安婦 南京 大虐殺 靖国 参拝 英霊 天皇 皇室 日教組 火病

2008-02-03

http://anond.hatelabo.jp/20080203142240

契約の段階では日教組と分って契約してたはず。

どちらかというと日教組を甘く見ていて実態を知って青くなったという感じ。

http://anond.hatelabo.jp/20080203152351

ん。いやよく判らんけどもさ、一方的な契約破棄でしかもそれが裁判所からは認められないという判決がでたのであれば従うべきでは?

日教組がなんだかわからんけど、もし自分のところでやられるのがいやなのであれば契約破棄をする以上、別の場所を提供するとかそういう代替はとらなきゃだめだよね。

裁判所の命令にも従わないって、これじゃ契約社会としても法治社会としてもスジがとおらない。

ま、会場が使えないからという理由で集会をやめちゃったその組織へたれすぎるけどな。

あと川原や原っぱで集会ってできるの??

なんか警察に届け出る必要がありそうだし、なかなか許可はでなそうだ。

日教組グランドプリンスホテル新高輪

http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20080202-OYT1T00729.htm

http://www.asahi.com/paper/editorial20080202.html

http://www.hokkaido-np.co.jp/news/editorial/74044.html

(1)

ホテルは宿泊客を満足させることが最大の使命。騒音を垂れ流すやつらが周りを取り囲んだりしたら商売あがったりだ。だから今回の判断は妥当。そいつらが右翼かどうかってことはまったく本質的ではない。

これを集会の自由だとか表現の自由と結びつけるのは完全にこじつけ。論点の誘導も甚だしい。だいたいこういう自由を保障する主体として想定されてるのは私企業なの? 国家でしょ?

本当に集会開きたかったら公の施設を使えばいいし、私企業でも金積めばやらせてくれるところはいくらでもあるはずだし、なんなら河原や原っぱでやればいい。

(2)

司法判断に従うべきなんて主張は誰にでもできる。そんな陳腐な論理を展開するなんて仮にも一流を自負する新聞社説として恥ずかしいと思わないのか?そもそも法律司法の判断だって相対的なもの。それらが間違ってることだってあるし、今回の場合、ホテルにとっては法に従うことよりもその使命を全うすることの方が重かったんだ。こんな思考停止したやつらが論客気どってんじゃないよ。

新聞社がどういう思想してるとか右とか左とかよく分かんないから勢いだけで書いた。

http://anond.hatelabo.jp/20080203132541

> 日教組についての認識が足りない点は企業としての危機管理意識が低いという評価をされても已む無し。

どういう意味か量りかねる部分はあるけど、今回の使用にあたっては日教組側が日教組であることを隠して申し込んだから、後日になってゴタゴタになってる。初めから日教組側が日教組だと堂々と申し込んでいれば、最初から回避したでしょうに。

そしてまた、じゃぁ申し込み者とその裏事情を詮索調査してから申し込みを受け付けろよとかいいだすと、それはそれでプライバシーうんぬんと騒ぐ人がいるだろうし、それ以前に現実的に無理な話。

http://anond.hatelabo.jp/20080203132205

遵法という点ではどうかという点で批判されてるんだよね。

日教組についての認識が足りない点は企業としての危機管理意識が低いという評価をされても已む無し。

プリンスホテル

あちこちで非難されてるけど、民間企業経営判断としては至極妥当だよね(具体的にホテル日教組間でどんなやり取りがあったのか分からないから、報道で見たままの印象でしかないけれど)……?

契約しちゃった時点で自ら貧乏くじを引いたようなもんだからどうしようもないけど、契約解除による悪印象とホテルの周囲を右翼団体と警察車両に囲まれることによる悪印象を比較して、前者後者だという判断は特に不合理じゃない(報道司法がどう出るかという要素が賭けになるけど、何といっても前者の理由でホテルを非難するのはどうせホテルに泊まることもないだろう第三者であるのに対して、後者現実ホテルを利用する顧客に影響するのだから)。公共施設と違って客が来なけりゃ潰れるんだから、そのあたりは特に切実なはず。

大企業の公共性が――みたいな意見も理解はできるけど、鉄道や電力と違って生活基盤でもなんでもない一企業にそんな公益性を求めても仕方ないんじゃないかな。私企業のこういう行動で社会規範を左右されるほど国民はバカじゃないよ。

とまれ、契約解除の話が出た時点でどっちも意地を張らずに全力で妥協案(代替施設の斡旋とか、運営方法の変更とか)を探っていたらこれほど話はこじれなかったんじゃないかと思うけれど。

http://anond.hatelabo.jp/20080201235230

この日教組ホテルでの集会中止のネタ2ch界隈からものすごい腐臭がするなぁ・・・

これ見ると本当にネット右翼っているんだなと実感。

2008-02-01

プリンスホテル日教組

はてブなんかを見ると日教組はとりあえず置いといて高裁決定を無視したプリンスホテルの方を問題にしてる向きがあるけど、2chスレをみるとプリンス側を賞賛するような意見ばかり。

2008-01-29

裁判リテラシー講座第四回 控訴? 上告?(2)>

第一回 第二回 第三回 第四回 第五回

コンセプトは、ニュースなんかで裁判の話が出たときに、そのことをきちんと理解して、

その内容を適切に評価する能力の涵養、です。

今回は前回の続き、上告からです。

上告

さて、控訴してもダメだった場合、最高裁に上告する道が開けています。

誤った判決から当事者を救済するのが上告審というわけです。ビバ三審制度

と言いたいところなんですが、上告審への道は非常に狭き門なのです。

第一審、控訴審事実審と呼ばれ、事実認定をすることが出来るのですが(前回参照)、

上告審法律審と呼ばれ、法律論しか問題としえないのです!

ここ、超がつくほど大事です。あまりご存じないかと思われます。

要するに、基本的に最高裁は、法の解釈適用を誤った、とかしか判断しないのです。

事実認定は控訴審のものに尽きるので、そんな売買していない、とか

事件当日の夜俺はそこへは行ってない、なんていう主張は封じられることになります(例外はあります)。

なぜかというと、上告された事件全てに証拠調べ、とかやってられないからです。

なので、事実誤認の主張とかは基本的に全て門前払いです。

上告理由も、憲法違反の主張に限られるなど、厳しく制限されています。

もちろん、これではあんまりなので、重要法律問題を含むものについては、

上告受理という制度を設けてこれを救済する手段を設けています。。

なので、最高裁で闘いたい、と言う場合には、違憲だという主張を無理やり構成するか、

この上告受理をしてもらうお願い(上告受理申立て)をするしかありません。

下手な鉄砲ではないですが、両方やることが多いみたいです。

なお、民事の上告の場合は、控訴までに払った印紙のうえに、さらに2倍の印紙代を上積みする必要があります!

もちろん、敗訴すれば訴訟費用は全部水の泡です。

こういう酷に見える条件も、アホくさい事件を回されるのをおそれるためです。仕方ない。

代理人にそそのかされて、記念受験的にする上告もあるそうですから。

こういったリスクを考えて、上告するかしないかは慎重に行う必要があります。

話を簡単にするために無視しましたが、高裁上告審となる場合や、

第一審から上告審にいきなり飛ぶ跳躍上告(刑事)・飛越上告(民事)なんていう制度もあります。

これらの場合はいろいろと性質が異なりますが、レアなケースなので省略しました。

上告審の審理

先に述べたとおり、上告審法律審であって、しかも上告理由が厳しく制限されています。

したがって、その審理は民事刑事を問わず、上告理由について法律上問題がないかという点にのみ行われます。

審理といっても、基本的に口頭弁論(代理人や弁護人が立ち会ってやるやりとり)は開かれません。

裁判官たちが、専門の調査官の報告を元に、ああでもないこうでもないと判決を書きます。

ただ、判決を変える場合には口頭弁論を開く必要があります。

よく、最高裁口頭弁論を開いたから判決が変わる可能性が高いというのはこれです。

もちろん、変える場合に開くのが必要なだけで、開いたからといって必ず変わるとは限りません。

上告審の判断

上告審判決については、控訴審とほぼ同様と思っていただいていいです。

細かい手続の違いは面倒なので省略します。

ひとことで言えば、民事でも、明白に理由がない場合を決定で棄却出来ることとしていて、

上告自体をあっさりと門前払いしやすくなっています。

上告審での破棄差し戻しは、控訴審差し戻すこともあれば、第一審にまで差し戻すこともあります。

前回述べたとおり、差戻判決には拘束力があるので、差し戻された下級審裁判所はこれに従って裁判しなければなりません。

再審

さて、上告審でもダメだった場合や、第一審や控訴審で上訴を断念すると判決は確定します。

それでもマズい事態に対応するために再審制度というものがあります。

よく死刑判決を受けた人がやっていますが、これは三審制度の例外をなすものです。

なにも刑事だけに限らず、民事でも再審制度は完備されています。

上告よりもさらに厳しい条件の下に、当事者の申立てにより認められます。

抗告

判決に対しては、控訴上告となりますが、決定や命令については別のルートが用意されています。

それが抗告制度です。

判決の審級に対応して、決定が出された場合の異議申し立てが抗告、それに対する不服が再抗告

さらなる最高裁への不服申し立てが特別抗告(上告に近い)・許可抗告(上告受理申立てに近い)となります。

細かい話が多いのでこれくらいにしておきます。

ところで、上記に上げた再審については、地裁段階で決定により判断されるので、抗告で争うことになります。

再審の事件を見てみると、おそらく特別抗告却下された、なんていうニュースになっているかと思いますよ。

※追記

日教組と品プリの事件で、東京高裁抗告棄却していましたね。

あれは、民事保全法上の仮処分の決定に対する不服なので抗告となります。

民事保全法も余裕があれば解説したいのですが、簡単に言うと、

後々の訴訟のために権利を保全しておく時に使います。

今回は、契約を解除するのを、仮に無効にしておいて当日ホテルを使わせてもらい、

その後改めて裁判契約の解除の無効を争うというために行ったものです。

今日ポイント

最高裁事実認定をせず、法律判断しかしない。

上告するのは狭き門なので、上告と上告申立てという手段が用意されている。

判決を変更するには口頭弁論を開く必要がある。

確定しても再審で戦える。

決定には抗告で上訴出来る。

2008-01-27

ああ、そうなんだ

そうなのか。ごめんなさい。

http://anond.hatelabo.jp/20080127075402

全教組系で「協議会」を名乗ってる所が多いので勘違いしたよ。確かにT木の人かも知らんね。

でもまあ元記事に書いたように、今時、組織率の高いところで行政と真剣に対決姿勢の組合なんて無い、つーかあったらとうに潰れてる。だから過激な方々はどっちかつーと組合を見限ってる感じ。別に自民系の組合だけでなくそれは日教組も全教も一緒っすよ。

2008-01-26

http://anond.hatelabo.jp/20080126014812

ひとつだけ指摘だけど、「教職員協議会」つーのは要するに「全日http://www.ntfj.net/tanidantai/」系団体だよね。共産党系の。

別にそれがいかんというわけじゃないけど、全日教(共産党系)と日教組(旧社会党系)は互いに相手を批判し合ってるけど、元は一組織でかつどちらも今は行政との対話が基本路線だから方向性も手法も全然変わらんよ。で、あとは何が違うかつーと、ぶっちゃけ解放運動へのスタンスが違う。これは親母体の見解の問題だから、まあ仕方ない。アンタだって、クラスに5人も6人も同和地区出身者の子がいたり、校区の半分が旧同和地区になってる学校に勤務したら、また色々と考えることもあるだろうさ。

まあ、でもそれはそれとして組合運動自体は大事だよ。負けずに頑張ってください。そんな私はスチャラカ日教組組合員です(今のところ)。では。

教委主催講演会に行ったら、講師が「つくる会」だった件。

 

前書き

ほぼ記事タイトル通りの出来事があったので思わず匿名ダイアリー

(厳密には、八木氏はかつてはつくる会会長だったが、今はつくる会とは無関係

 

書くの初めてなので、読み難ければ申し訳ない。

 

先に書いておきますと、私は公立校勤務です。

で、私が勤務する地域では、「新しい歴史教科書をつくる会」の歴史教科書を採択しています。

 

この教育講演会教職員一斉研修会)は、教委が主催したもので、基本的に地区内の全職員(学校事務職員も含む)が参加しました。

 

講師は八木秀次氏(日本教育再生機構理事長)。

 

恥ずかしながら、誰だか知らなかったんですが。

 

忍び寄る何か

開会前、もらったレジュメを読んでいると、最初に出てきたトピック

“「不当な支配」の主体の転換”

という内容。

 

教育基本法の、

教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである(旧第十条)」

という規定が、

教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり、教育行政は、国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力の下、公正かつ適正に行われなければならない(改正第十六条)」

と改められたことによって、服してはならない「不当な支配」の主体が、

 

before:政府の圧力

after:日教組などの職員団体

 

と変化しており、政府首脳部からもそのような見解に立った発言が相次いでいる……という鋭い指摘。

 

私としては、

「なるほどそうか……。これは大変だな」

と思ったわけなのですが、その先を読んだら

「……なんか違う?」

 

なにしろ、いざ講演が始まったら、この

政府=正当な支配」

「職員組合=不当な支配」

という立場を全面的に賞賛する論調でして。

 

日教組に参加してる職員が1%切ってる本地区でそんなこと言われてもな……。

(うちの地元には、「教職協議会」という、日教組とは別の組織があり、これが97%の組織率を誇っています。

方針としては、行政との対話路線。

私もそっちに入っています。

まあ、日教組の勧誘姿勢もアレだし。

新採の時、勧誘パンフが送られてきて。

ガリ版刷りの楽しげなパンフレットだったんですが、封筒に

「教え子を戦場に送るな!」

って書いてある。

言いたいことはわかるがちょっと引いた。)

 

内容は、なんというか、ツッコミどころ満載だったんですが、まず特に違和感を感じた点。

 

滅びこそ我が喜び。死にゆく者こそ美しい。 byゾーマ(DQ3)

講演の中で、エルトゥルル号の遭難とか、有名な“美談”がいくつも紹介されるわけですが、その中に真岡郵便電信局事件の話も出てきました。

 

第二次大戦末期、樺太ソ連軍が攻め寄せてきた時、最後まで電話交換所に残った女性達が、青酸カリを飲んで自決した事件です。

事件名とか知らなくても、

「みなさん、これが最後です。さようなら……さようなら……」

とかいう台詞は聞いたことある人は多いのでは。

 

で、八木氏は、自決した9人の女性電話交換手のことを、

日本人公共心の高さ、責任に殉じる態度が現れたもの」

とか褒め称えるわけです。

 

……ところで、これは教育講演会なんですが。

このエピソードを教育にどう生かせと?

 

彼女たちの行動こそ、日本人の鑑、責任に殉じる素晴らしい態度である。

お前達も、もし同じような状況に置かれたら……」

 

置かれたら?

 

自分の子どもになんと教えて欲しいかは、人によるかも知れませんが。

 

私としては、子どもたちには

「なんとしても生き残れ。命を大事にしろ」

……って、教えるべきなんじゃないかと思ったり。

 

ちなみに、八木氏は全然触れなかったことですけど、その時当直だった女性交換手は、全部で12人いたんです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E5%B2%A1%E9%83%B5%E4%BE%BF%E9%9B%BB%E4%BF%A1%E5%B1%80%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 

で、死ななかった3人は、最初は押し入れとかに隠れててですね。

そのままソ連統治下で職員として再雇用され、日本にも無事に帰ってくるんですけど。

 

彼女ら3人は、「責任に殉じ」て死ななかった駄目な日本人なんでしょうかね?

 

少なくとも、八木氏の言う

ソ連軍は、刑務所から出てきたゴロツキみたいなのを最前線の兵士として送り込むわけですよ。だから、女性は陵辱されたり恐ろしい目に遭わされるわけです」

……というのは、この場合は事実に即してないと思います。

 

……まあ、ソ連軍がひどかったのはわりとかなり事実だと思うんですけど。

 

また、沖縄集団自決の件について、八木氏は、

沖縄というのは、長らく琉球王国という日本とは違う国で、その後は島津の統治下になり、近代化されたのが他の地域よりも遅れた土地なんです。

だからこそ、日本人的であろう、という責任感が逆に強くなって、それでああいう事件が起きたのではないかと思います」

 

という、目の覚めるような主張を展開します。

 

なんで目が覚めるかというと、すごいアクロバットだから。論理の。

危険なのでよい子はまねしないでください。

 

もし沖縄県民があの場にいたらかなり血圧が上がったんじゃないか、と思うんですが、あれはたぶん、戦わずして論敵を脳溢血で葬ろうという高度な戦術なんだと思います。

危険なのでよい子はまねしないでください。

 

ていうか、「集団自決」と「責任感」がどうつながるのかそもそも良くわからんのですが。

なんか、とにかく死ね責任感がある、みたいな話で、日本文化の奥深さを感じました。

 

「命どぅ宝」のお婆さんは、やっぱり駄目な日本人なんじゃろうかね。

近代化が遅れた地域だからな。

 

あとまあ全般に言いたいことは山ほどあるんですが、重箱の隅つつきは後回しにします。

 

本当の戦いはこれからだ!(打ち切り

とにかく、こういう歴史観のリビジョン促すような講演会に、公務として参加させられるのが、本地区の実態なわけですね。

開会が14:00でしたから、どの学校も特別日課で対応したと思います。

本校でも、当日は授業を午前中で切り上げて参加したわけですよ。

 

もちろん、講演聞いてる間にも給料が出てます。勤務時間内ですから。

なんという教育予算の有効活用

 

内容に疑問を感じたのは何も私だけではなくて、翌日の職員室では批判大会

 

「○○中学校社会先生も、あれはひどいと言っていた」

「○○小の先生に聞いたら、あれは有名な右翼だと」

「終わった後、あの先生と偉い人達とで飲み会があったらしいから、八木先生は急いでいたわけじゃないらしい。なのに質疑応答の時間を設けなかったのは、意図的なものに違いない」

 

……ええーっとですね。

つまり、「つくる会」の教科書採用した地域の学校だからといって、教員が唯々諾々と「つくる会史観に染まるわけではない、ということですよ。

 

このことは、左右どちらの論者にも覚えておいて欲しい、と思います。

我々はロボットではない。

 

いや、染めることを目的にした講演会だったんでしょうけどね。

 

本地区では、教育長はじめ偉い人が「つくる会」の支持者です。

その一存で採択が決まったようなもので。

 

しかし、「つくる会教科書を採択した、というだけで、かなり外部からの批判にもさらされてるし、学校現場にも不満があるのが実態です。

なので、教育委員会の方針に疑問を持っている教員を「啓蒙」しよう、というのが、この講演会趣旨だったんだと思います。

 

しかし、今どき、中学生ならネットくらい使いますよ?

真岡郵便局には女性交換手が12人いた」

くらいのこと、10分もかけずにわかっちゃうわけですよ。

 

授業で、“公共心ある日本人”の美談を得々と語って聞かせたら、生徒から史実に基づいたツッコミが入る可能性くらい容易に予想されるじゃないですか?

そういう意味では、都合のいいことだけ書いた教科書というのは、発行する側は気分がいいかもしれないけど、現場人間にとっては迷惑そのものなわけですよ。

 

……ああ、そうか、授業で質問の時間を設けなきゃいいわけですね。

さすが日本教育再生機構理事長

率先垂範を地で行っておられる。

 

で、その他、「作る会」教科書を使ってると高校受験に対応できないとかいう現場の苦悩をよそに、首長とか教育長とか、講演会場の最前列に座っていてですね。

で、講演会が終わった時なんか、立ち上がって喝采してるわけです。

 

スタンディングオベーションかよ偉い人。

 

とりあえず絶望した。

現場がなんとかしないとならん。

 

重箱の隅つつき。

以下、こまごまとしたこと。

 

*紀元は2600年。

八木氏は、聴衆に「日本の建国はいつか?」と問うて、「それは西暦600から700年前後である」とします。

 

なぜなら、「日本」という国号が成立し、「公」の意識誕生したのがその時代だからだ、というのです。

ちなみに、ここで言う「公の意識」とは、天皇を中心とした中央集権体制の確立のことを指します。

天皇独裁者ではなく、「国家の公的統治を究極において体現すべき地位」だというのですね。

 

……飛鳥時代象徴天皇制だったのか。

 

八木氏は、「皇室ニッチ産業」だ、という、寛仁親王言葉引用します。

政府行政の足りないところを補う。それが、皇室の果たす役割なんです」

 

確かに、障害者スキーへの支援とか、結構なことですね。

 

「このような皇室の在り方は、古代からずっとそうだったわけです」

いや……そうなの?

 

革命史観

八木氏は、他の教科書にある

平安時代貴族は贅沢な生活をしていた一方、庶民は貧しく、奴婢は売買の対象だった」

……とかいう記述を「闘争的だ」と評します。

 

これらが、マルクス階級闘争史観子どもたちを導くものだ、というのです。

 

君の教科書もまっ赤っか! これはレッドベアーの陰謀だ! 愛國戦隊を呼べ!

 

……別に教科書記述は、富裕層の打倒とかを呼びかけるものじゃないし、そもそも平安朝だって、階級闘争によって打倒されたわけじゃないんですが。

なんでマルクス

明治維新を含めて、日本には「階級闘争」とか「市民革命」とかいうものはないんじゃないですかね。古い見解でしょうか?

 

明治維新は、公のために働くことを自己の使命と考えていた武士たちによって実現した改革だった」(「新しい歴史教科書」。レジュメの孫引き)

うわ新しい見解だ。色んな意味で。

 

そんなに昔から日本人の自覚とか公共の意識とかがあったなら、もう少し早く戦国時代が終わりそうなものですが。

武田信玄「こうして同じ日本人同士が争っていても仕方がないじゃないか!」

上杉謙信「そうだとも! 天皇陛下の元にはせ参じ、一つの国を作ろう!」

……みたいに。

 

八木氏によると、現在学校教育では、歴史教育で闘争的姿勢を学び、公民教育で具体的な闘争目標を与えられている、というのです。

 

その闘争目標とは、電通経団連の打倒……ではなく。

「公民教科書には、夫婦別姓など、まだ法的に定められてもいないトピックが取り上げられている」

とかいうのが「闘争目標の提示」だと。

 

……ずいぶんせこいマルクス主義ですね。

 

歴史に学べ。歴史は繰り返す。

仮に、八木氏の言うとおり、飛鳥時代平安時代がそんなに素晴らしい時代だったとしたら、逆に言って、日本社会は1400年の長きにわたって大して進歩していないことになるんですが、それでいいんでしょうか。

 

奴婢の話とかって、私は

「私たちの社会は、昔より良くなっているのです」

って趣旨の話だと理解していたんですが。

人類歴史進歩と改良の歴史なのです。私たちも、もっともっと素晴らしい世の中を作っていきましょう。明日が今日より良い日であるように」

的な。

 

八木氏に言わせるとこれも「闘争的」なのかも知れませんが。

 

私としては、貴族平民に大きな差があったとか、事実なんだから仕方ないんじゃないか、と思うんですがどうでしょう。

八木氏も、それが「事実ではない」とは言わなかったし)

 

都合の悪い歴史事実は教えない、という態度の方が、むしろ我が国を危機に追いやる気がします。

それこそ、遺伝学におけるソビエトルイセンコ学説みたいに、学問イデオロギーに従わせようとした挙げ句、研究開発で西側に後れを取るような。

 

まあ、「歴史科学ではない」が、「つくる会」の立場なんだそうですが。

 

でも、望ましい思想を注入するために、歴史事実の方を改変する、っていうのは、それこそ共産国十八番なんじゃ。

ソ連生まれのくせに白頭山で生まれたと称する誰かさんとか。

 

日本の伝統を尊重しよう。祖先精神を大切にしよう。

基本的に「公共の意識」だけで日本の歴史・文化を語ろう、というのは、無理だと思うんです。

「恥の意識」とか「武士道」とかと同様、一言で語りきれるほど、日本人精神というのは浅薄なものじゃないんじゃないでしょうか。

 

そもそも、「公共の意識」が飛鳥時代から日本にあった、という主張自体いかがなものか。

確かに「公」という漢字自体は大昔からありますが、古文に出てくる、「公家」とかいうときの「公」と、「public」の訳語としての「公」を同一視するのは誤りだと思うんですが。

八木氏は、「公共」の意識が近代になって成立した、というのは誤りで、日本人日本人としての自覚はずっと以前から存在した、と言うんですが、それは逆に言って、国民国家建設のために尽力した明治の人々を愚弄するものではないでしょうか。

 

ちなみに八木氏は、中教審が、縄文時代記述を重視するよう議論しているのに不満を表明しています。

縄文時代は公共の意識が発生していない」=「日本ではない」

から、というわけですが、これは循環論法ではないですかね。

 

日本あけぼの」って言えば、普通縄文時代を指しますし。

逆に、明治憲法現行憲法の発布、あるいは江戸幕府なり鎌倉幕府なりを「日本」の成立、と見なす立場だってあり得るわけで。

 

縄文人だって一生懸命に生きていたのだし、彼らが苦労して稲作技術を会得していったからこそ、現代の日本があるわけで。

縄文人は日本人じゃない」という言いぐさは、縄文人に失礼だと思いますが。

 

八木氏は、チェスタトンの「伝統とは選挙権時間的拡大」「死者には墓石投票してもらわねばならない」なんかを引用して、伝統の大切さ、先祖の意思を尊ぶべきことを訴えるわけですが、縄文人は先祖じゃないらしいです。

……天孫降臨

 

ちなみに、八木氏が引用した中には、相田みつをの「自分の番 いのちバトン」とかまで含まれるんですが、相田さんってそういう主義の人だったのか。

走者がバトン渡す前に死んだらリレーにならなくね?

 

ところで、八木氏は「死者の民主主義」(チェスタトン)がお気に入りのようですが、私はむしろ、「地球は子孫からの預かり物」(ケニアのことわざ)の方が好きです。

死んだ世代の意思よりも、次の世代の幸せの方が重要だ、と、私は信じます(これでも学校関係者のはしくれですから)。

 

……ケニアのことわざの割に「地球」とか、かなり超訳の気配ですが。

 

*美しい日本語を守ろう。

八木氏、「屋久島の灯台守り」という、これまた美談を紹介してくれたんですが。

 

「顔は土気色」を「どきいろ」ってあんた。

一瞬、弥生式か縄文式か悩んじゃったじゃないですか。

 

自分で持ち込んだ資料が正しく読めないって、早稲田大学法学部卒が泣くぞ。

 

日本の文化がどうとか言う前に、八木氏はまず日本語くらいちゃんと読めるようにすべきだと思います。

 

返信欄

なんかあれこれコメントをもらってるようなのでここへ部分的に返信。

 

教育委員会主催講演会とかに行って何かを得たことがあるの?

ありますよ。

まあ、教育関係者の講演、というのは、聞いてすぐに教室で使える内容が多い一方、似たような話も多い……というか、教育界の通念を上手にまとめただけの、刺激に乏しい講演も多い、とは思います。

……ちょっと今回は刺激的すぎましたが。

 

>その場でぶつけてくれたら面白かったのに。

まあ、チキンなので。

 

偉い人が「つくる会」支持者で、しかも同席してるわけですから。

そこでこれだけのことを言ってしまうと、後々どんな処遇を受けることか。

 

それはもう、陵辱されたり恐ろしい目に遭わされるわけです。(流言)

 

それに、ここに書いた内容は、これでも推敲した内容です。

これをとっさに思いつける程度には賢くありたいのですが。

 

っていうか、偉そうなことを書いておいて恥ずかしいのですが、「女性交換手が12人いた」ということもその時は知らず、家に帰って調べてわかった次第。

 

でも、何か質問はしてやろう、とは思っていて、講演の間中必死で考えていたのも事実

古代以来、皇室ニッチ産業としての役割を果たしてきた、とのお話でしたが、私、不勉強でそういったことを存じませんでした。

そこで、例えば平安時代朝廷が、そういった役割を果たしていた、という実例を2・3ご教示願えるとありがたいのですが……」

くらいのことを聞いてみよう、と思っていたのですが、本文で書いたとおり、質疑応答の時間がなかったので不発に終わりました。

 

>自分のはてなダイアリーで書いたら?

少しでも匿名性の高いところで、と思ったのです。

何か使い方として問題がありましたら申し訳ない。

(ていうか、そもそもこの内容自体トラックバックで返すべきなのかも知れませんが、匿名ダイアリーに慣れてないので、返信があちこちにばらけるのが落ち着かないのです。なんでコメント欄がないんだろう)

 

こんなにブックマークをもらうとは思ってなかったのでちょっと動揺しています。

偉い人にばれたらどうしよう。

 

>「教職協議会」つーのは要するに「全日http://www.ntfj.net/tanidantai/」系団体だよね。共産党系の。

右寄りではないかも知れませんが共産党系とも思ってなかったのですが。「美しい日本人」がどうとかこうとか。どうなんでしょうか。

会員でありながら組織背後関係とかは知らないのです、申し訳ないです。(でもたぶんみんなそう)

 

>教師という連中が本当に馬鹿ばっかりでイデオロギーの固まりだということが良くわかった。

ククク、その通り。だが、気付くのが遅すぎたようダな……(ロシア訛り)

今や日本教育は、我がレッドベアーの(不当な)支配下にあル!

あと10年もすれば、この国はコミンテルンの軍門に降るだろウ……!(遅すぎる)

 

馬鹿冗談はさておき。

大学になるまで歴史教えるのやめちゃえば?自分で判断して学ぶまで教師の馬鹿どもから余計なノイズを入れないで欲しい

難しいところですね。

 

おっしゃるとおり、批判精神の薄い子どもに、イデオロギー教育をするのは禁忌だと思います。

 

その一方で、基本的な歴史知識は、全国民が持っているべき教養だとも思うのです。

そして、大学専門教育の場であるべきで、そういうことに時間を費やすべきではないと考えます。

だから、結局は義務教育に基礎的な歴史教育を盛り込まざるを得ないのではないかと。

 

その内容としては、重要歴史事実を教えるにとどめ、それをどう解釈するか、という思想的側面は、個々人に任されるべきだと思います。

 

……もっとも、「歴史事実」というのは現実にはほとんど無限存在するわけで、その中から何を「重要」として採り上げるかに、思想的問題が絡んで来ざるを得ないのも事実ですが。

エルトゥールル号を採り上げて奴婢は省くのか、その逆をやるのか。

 

でも、できる限り中立であろうとする姿勢は必要だと思います。

2007-12-18

どうもあなた方の話を聞いてるとキモチワルイんですが・・・

http://anond.hatelabo.jp/20071218105423

「こういう」男とか「そういう」カスって、なにについて語ってらっしゃる?

女性をモノ扱いする、人間を外見・若さでのみ判断する、「そういう人たち」という意味でしょうか?

つまりあなた方の共通認識では「ヒトはモノではない、外観とか若さとかの属性だけでヒトの価値を測る人間はカスだ」ってことなんでしょうかね?

どこかの日教組っぽいテーノー左翼が考えるような空論で、とってもキモチワルイですね。

ヒトもモノもあんまり大きな違いはありません。人は平等ではなく、ボクにとって役に立つヒトもいれば害となるヒトもいます。ボクにとって女の人たちは、話し相手として、生活のパートナーとしては犬ほどにも価値がないので、見て美しいかセックスをして気持ちいいか、そういったことが主な価値判断の基準となります。

となれば当然、見る対象としてもセックスの対象としても価値のないヒトのメスは、せいぜい臓器移植の提供者ぐらいしか活用しようのない資源、ということになりますね。

これってカスの考え方なんですか?

2007-11-10

http://anond.hatelabo.jp/20071110234604

詰め込み教育やってたころはさびざんするようなシャチクいなかったのかよ。むしろワーカホリックとか外国に散々たたかれてたと思うが。

何でもかんでも財界のせいにするのはよくない。授業時間削減は教員にも週休二日導入するためにやったようなもんなんだし。日教組社会党も賛成してた。

2007-11-05

カユクなるようなこと言うな!

http://anond.hatelabo.jp/20071105161234

まあ、しかし紋切り型のセリフオンパレードですな。

どっかの新聞人生相談に回答している日教組出身の市会議員(ウラでは愛人28歳が一人)みたいな感じ。

それとも小学校6年生のホームルームで「愛」について話合った時に、頭でっかちで友達のいない女子生徒が吐く正論を聞いてるみたい。

あぁヤダヤダ。

2007-10-14

http://anond.hatelabo.jp/20071014064104

自分の中学ではイジメとかカツアゲとかハブりとか村八分とか教師虐待とか日教組とかモンスターアレンツとかはあったよ。クラス内でで授業を聞いてノートとってるのが自分だけのときもよくあったし日教組系の教員からいわゆる自虐史観教育も受けたし不登校クラスに数人はいた。

学級崩壊なんて都市伝説だろ?w

俺の通ってた学校は呆れるほどとにかく平和だった。

何かと問題ありがちな初期ゆとり世代にあって、

イジメとか自殺とかカツアゲとか

非モテとかハブりとか村八分とか

教師虐待とか日教組とか共産党とか

モンスターアレン(笑)とか

その他諸々の不吉な単語やらとは全く無縁だったように思う。

漫画では90パーいじめられそうな雰囲気をかもし出してる

(声がこもってる。なんか不潔。目が暗い)キャラなヤツも

ふつーにみんなと談笑してたし

様々な奇行を経て(主に厨二病)、

変人で通ってた俺がメシの時間に一人で弁当食ってると

うざったらしいくらいに連中、机くっつけてくるし。

先生もまぁタマにキレることあったけど

時には冗談をまじえつつ、

時には自分の武勇伝を通して人生とは何かを語るとみせかけて

その実やっぱり自分の武勇伝を語りつつ、

平々凡々な面白みの無い授業をするふつーのセンセだったし

みんなもそんな授業をとりあえずは

真面目に受けてる風に取り繕うふつーの生徒たちだった。

もちろん、たまにお茶目がすぎることもあったけれど。

先輩後輩関係も至ってふつー。

表面上は敬語を使いつつもおちょくったり、おちょくられたり。

他校の友人の話で世の中には「下克上」なるものがあるというのを知ったときは大層驚いた。

そりゃまぁ、万引きで呼び出されるワルも一人二人いたさ。

でも、そいつらだって人をイジメたり、傷つけたりするような奴らじゃなかったし

万引き発覚しても一日二日たてばまたみんなとフツーに馬鹿やってた。

ああ、一クラスに一人は不登校な子もいたな。

だが、俺らには関係ない子だったし、

理由なんて気にする必要ないだろ?

だって、俺の学校平和だったんだしな。

俺の周りはふつーに平穏だったんだしな。

そうだろ?それで良かったんだ。

何を俺は今更不安になってんだ?

2007-09-24

期待外れ

ブサヨワンパターン歴史捏造乙。

分かんナイのは日教組左翼教師の偏向授業を鵜呑みにしてるからダヨ~。


みたいな反応がアルカナ♡♥? と思ったのに。

2007-08-21

http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1018261.html/

久々に増田に書いてみる。空気は読んでない。ていうか増田読んでない。

再軍備反対、戦争反対九条死守だった。

だった、というのは正確じゃないかも。今も生理的にそう感じてる部分はあるし、程度問題もある。いわゆる「悪しき日教組洗脳教育の影響」ってやつ? 母親小学校教師だからしょがない。

まぁ自分語りはいいや。

でさ、不思議だったわけ。ネットに本格的にコミットしはじめた2002年ごろ。ちょっと見回すとみんな再軍備派。気分だの「真実の暴露」だのに酔ってレイシズムに嵌ってる有象無象の雑魚はどうでもいいとして、尊敬できる知性の持ち主であってもけっこうそうだった。切込隊長とかな(失笑した人は年代に注意)。

「なんでいい大人がこんなコト言えるんだろう」「死ぬのが怖くないんだろうか」「殺すのが怖くないんだろうか」って。思った。

違うんだ。最近やっと分かった。

「いい大人」になっちゃったから言うんだ。

赤木智弘の言うこともわかるんだよ。よくある「違う時代に生まれていたら」ってやつ。ヒロイックファンタジー志向の妥協策。でもいまオレは27。常識的に考えて、27歳会社員は、戦場で死なないし殺すことにならない。さらに、現状で総力戦の気配は毛ほどもないのだから、事態がもし順調に推移したとしても殴り合いが始まるのは数年先だ。よほど戦況が悪化しても、オレの前線配属はあり得ない。残念ながら!

っていうのに最近気づいた。

つまり上の世代が言う「(もちろん戦争も視野に入れた)自衛隊正論」は、要するに元万年補欠野球部員だったオッサンが地元甲子園球児に向けるまなざしに似てるんじゃねぇのかなぁ。あるいは「時かけ」なり「耳すま」なりを観て、賛否いずれにしろ過剰な反応を示すオッサンに。その欲望の三角形に、見事に当事者たる世代が嵌っちゃう、という図。もちろん自分の死と殺傷を度外視していいから、現実的(!)な判断ができるようになったッてーのもあるんだろう。

なんだろう。うぜーなぁ。

2007-07-11

一般化ゲームは終わらない

彼女がこんなことをした。これだから女は」

彼氏にこんなことを言われた。これだから男は」

「こんなオタがいた。これだからオタは」

「こんなオッサンがいた。これだから団塊は」

「パックの刺身がまずかった。これだから刺身は」

先生がこんなことをした。これだから日教組は」

「こんな奥さんがいた。これだから主婦は」

「こんな店員がいた。これだから店員は」

「こんなスレがあった。これだから2ちゃんねらは」

アマゾンにこんな対応をされた。これだからネットショップは」

なんで皆さんそんなに極端なんだぜ?

これだから増田は……おっとっと

2007-05-19

なんとかリテラシーってのが身につかないまま。

日教組の両親に育てられ、中学になると家でとってた朝日新聞を読むようになる。

高校に入学するとともに2ちゃんを始めてネトウヨ予備軍となる。

大学サークルで出会った在日の子に惚れて付き合うようになる。

最近、自分の思想に何の筋も通ってないのが悩み。

誰の意見にも流されやすく、

ニュー速意見同調していっちょ前にマスコミや特定の団体を批判したかと思えば、

はてなでそれに反対する意見を聞いて「お、それは真っ当な意見だ」とか思ってみたり。

結局、自分にはソースを読んで自分の考えを持つということができていない。

どうやったら確固たる自分の筋を通せるのか?

現在理系大学院生24歳。こんなんで大人になれるの?激しく不安。

2007-04-16

広島人権教育について…広島県福山市民の僕が経験した事を踏まえて

むしろ僕個人の愚痴なわけだけれども、まずはこの記事を読んでから。

http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/956179.html

広島県が「人権教育」で知られるなんて知らなかったものだから、広島県福山市在住の高校三年生の僕は上記の内容をより詳しく読みたくて、櫻井よしこ氏の「日本の危機」を購入したんですよ。

人権教育の柱は、”差別・選別をしない”です。結果として先生はいつも生徒と同じ目の高さにいなければいけない。ですから、普通にあるような授業の始め方”起立、礼”さえもありません。”はい、静かにして” ”席について”と何となく始まり”ここまで”と何となく終わるんです。

 朝礼でも”前へならえ” ”気をつけ” ”休め”は軍国主義だとしてやりません。うちの子は”回れ右”もできないんです」

僕が小学五??六年生の頃だから、五・六年前になるのかな。僕の通っていた小学校では、「起立、礼」の廃止はありませんでした。

ただ、特筆すべきは給食のとき。

小学校給食では、日直やら当番やらが「いただきます」の音頭を取るのはどこの小学校でもあることだと思うのですが……

僕の学年、いや、学級ではその「いただきます」の合掌を担任が意図的にやめなさいと言うのです。

先生の言い分は、宗教的に「いただきます」で手を合わせることが出来ない人だっているでしょう?と、いうもの。

他にも何か言っていたような気がするけど、思い出せない。

では、どうやって食事開始の音頭をとるのか。

1.日直が教卓の前に立ち、教室を見回す。

2.「(配られるべき給食は)みんなありますか?」と問う。

3.皆に給食がいきわたっている事を確認する。

4.「では食べてください」と言う。

僕の学級ではこれが日常だったのです。

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公立学校学力低下で、県内外の私学や国立大学付属校への進学を志望する親や子供も多いのです。ところが人権教育絶対の教師は、これが気に入らない。先生は”なぜ私学か” ”なぜ県外か”と苛めるのです。

 私の娘も、六年生の時、クラスで一人だけ私学を志望し、先生だけでなく、クラス会や児童からも責められ、一週間食事もできない程になりました」

そういえば僕の担任教諭も飛びぬけた子が嫌いだったなーと思う。

井の中の蛙だけれども、僕は小学生の頃、学習塾に通いクラスの中で一、二を争う成績を修めていたんです。

それでもって県下では最高レベル中学校広島大学附属福山中学への進学を志していました。

小学五・六年生と言えば、反抗したいお年頃。

僕も例外ならず、他の生徒とつるんで教師に迷惑をかけていたわけです。

で、僕の担任教諭は、「僕」が教師に迷惑をかける理由を、「僕が国立大附属を志望しているから、塾通いでストレスが溜まるから」と言い切ったのです。

その当時の僕でもさすがにおかしいと思いました。

他にも私学や国立大附属を志していたクラスメイトはいましたが、僕だけに矛先を向けたのです。

その事が理由かどうかは知りませんが、僕が給食を残そうとすると、担任教諭はそれを阻止し、「食べるまで離さない」と言い、昼休憩の間僕をずっとイスに縛りつけたり(残している生徒は他にもいたが)、放課後僕だけを教室に残し、「どうしてこんなことをするの?(どうして私達に迷惑をかけるの?)」と被害者面で聞いてきたり。

結局、国立大附属には合格できませんでしたけどね。

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そういえば、僕が小学六年生の頃の日本首相森喜朗でしたっけ。

森元首相があの有名な「神の国」発言をして間もない頃。

音楽室に六年生だけを集めて、六年生の担任教師二人とプラスアルファの教師が、僕らにこんな質問を投げかけた。

「一番大切なものって何だと思う?」

さぁ、みなさんも一緒に考えて見てください。

「森首相?」

クラスの誰かが言った、しかし答えはNO。

天皇?」

日教組YESというわけがない。

…教師達の提示した答えは「自分自身」。

その当時アホだった僕は「なるほどー」と思ったりした。

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これはどこの地域でもあることだろうけど、学校行事・式典で国家を歌わない。

小学校卒業間近となったある日、教師達は口々に「歌いたくないなら歌うな」と言ったり、「私達(教師)は歌う事を強制されている」と被害者ぶった口調で言ったり。

卒業式では、「国家斉唱します」→「起立してください」→「国家斉唱」という流れだったから、歌おうという人は立たねばならなかった。

歌うために起立した人には当然冷たい視線が送られたわけですけども。

それ以前に、「歌いたくなければ立たなくていい」と教師に言われていたので、立つ生徒は皆無に等しかったのを覚えています。

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長々と書いてきたわけですが、他県の教育現場はどうなのでしょうか。

案外広島県と変わらなかったりして。

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