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はてなキーワード: 日教組とは

2008-09-28

http://anond.hatelabo.jp/20080928182512

軽く扱われるのは本当につぶされるわけない、そんな力ないと多くの人はわかってるからじゃないの?大臣がつぶす発言したら重く受け止める人が多い社会のほうが未開と思う。

野党支持基盤日教組つぶす発言したら辞任するのに与党自民党つぶす発言すれば総理になれるような国ってどうよとは思うが。

http://anond.hatelabo.jp/20080928180631

まぁ、まったく話の筋からは離れるんだが。

大臣の発言は日教組の影響力うんぬんよりももっと大事なところがある。

自由主義をうたう一国の権力者が、特定の団体を潰すって言っちまったわけ。

ここが一番の問題。日本は結社の自由が憲法に記載されてる国家なんだぜ。

国民の自由を潰すって発言の意味は相当大きい。憲法への侵犯だぜ。

まぁ、日教組みたいなよくわからん団体は潰してしまっても構わんとは思うが

日本において大臣がいってはいけない。勝ち取った自由の意味を分かっちゃない。

まぁ、それをのんきに失言程度にのんびりしてるマスコミ世論(笑)をみるに

日本はまだ未開の地だなって思うわ。

大臣辞任の意味は自由への侵犯(笑)だぜ。

http://anond.hatelabo.jp/20080928155959

日教組の中のどこの誰が悪いのか特定してから言ってほしい。

言って欲しければいくらでも言ってやるが、この余白はそれを書くには狭すぎる。というのは冗談としても、まともな論理の通用しない組織がこの国の公教育に浸透しているというだけでそもそも大問題なんだよ。

過去にあんだけ北朝鮮を賛美して、当時の組合長なんてあの国から勲章までもらってる。日本教職員チュチェ思想研究会連絡協議会なんて組織も結成して、その会長はいずれも日教組関係者。北の将軍様拉致を認めた以後も未だに定期的に訪朝して、それに対する指摘から逃げ回ってるんだから「お前どっちの国の人間だよ?」と揶揄されても仕方ない。Googleトップページから「日教組」で検索してみ?サジェスチョン機能で「日教組 北朝鮮」が候補に挙がるくらいだ。拉致問題を取り上げた教科書を「北朝鮮を敵視している」とやり玉に挙げたこともあった。

北朝鮮絡み」の、ほんの一部だけでこれだけ「ホコリ」が出てきて、未だにそれらに対する釈明も総括もせずに、大臣のクビを飛ばせるほどの影響力を隠然と持っている組織があるわけだ。しかもその本拠地は「国家百年の大計」と呼ぶべき教育分野ときている。そういう組織に好きこのんで所属している時点で構成員は皆同罪と言われても文句は言えんだろ。

http://anond.hatelabo.jp/20080928155959

いや、全員悪いだろ

その行為に子供教育のためという意味は一切ない

単に自分の利益だの職場内での立場だの、子供犠牲にして自分が成り上がりたいだけじゃん

嫌なら入らなきゃいいだけの話で

教師であれば日教組がなんであるのか熟知しつつ入るわけだしね

日教組目の敵にされている

日教組悪魔みたいに言われているのがすごく悲しい

その中で働いている人たちはみんな悪者みたい言われる

大臣まで「癌」だとか「ぶっ壊す」なんて言っているし

それに賛同する発言も多い。

日教組の何がいけないのか

これからどうしていけばいいのか

つぶすとか消えろとか

組織中の人たちの行く末は考慮しないのか

教師だけじゃない。職員の人たちだっている。

壊せ壊せとだけ言って、壊された中の人を「自己責任」と言って

何もしない。

たとえ日教組が悪くても、中の人たちが全員悪い訳じゃない。

日教組の中のどこの誰が悪いのか特定してから言ってほしい。

中川大臣よ、その通りだ!!

日教組なんて、潰れればいいんだよ。

どうせ、学校教員の集まりなのに某党の選挙活動やってたりするんだからさ。

日教組

最初何かの宗教団体かと勘違いしたのは俺だけじゃないと信じたい

こう…「組」が「祖」に見えてだな…え、言い訳?ヽ(´Д`;)ノアゥア...

この国では大臣よりコンビニバイトのほうがずっと偉い

日教組を叩いたからだめなんじゃなくて、明確な事実でないことを事実であるかのように言ったことが問題。

日教組が良くないから潰すなりどうにかしたいと思うのなら、もっと見えないところで致命的なダメージを与えるよう工作すべき。

大臣くらい偉くなったんなら、壷で「日教組氏ね」とか書き込むよりもうちょっと効果的な工作くらいできるんじゃないの?

今回の発言は、麻生内閣、ひいては日本国政府に対する信頼を失墜させた点で、壷に「日教組氏ね」と書きちらすのより無意味でたちが悪い。

罵詈に近い放言をしても日教組が潰れるわけでもなく、自分が満足するだけ。あげく辞めさせられる。

ってか、辞めるんなら最初から言うなよとしかいいようがない。

それにしても、失言をしたからと言って数日でやめられるほどに、大臣職というものは軽いものなのだろうか。

俺のコンビニバイトだって、二週間はもったのに。

間違ったことをしたら「でもやっぱり俺正しいもん、やめろっていうならやめてやんよ」じゃなくて、「ごめんなさい、次からは同じ失敗しないように頑張ります」と誠心誠意頑張るのが社会人としての常識

強情切ってさっさと辞める大臣よりも、頑張って働いて俺に「ありがとうございました」って微笑んでくれるコンビニバイトの方がずっと偉い。

2008-09-27

http://anond.hatelabo.jp/20080927181934

大臣の言動を見ていると、特定の思想のために、数学的・社会科学認知がゆがんだものになってもお構いなしという感じで、日本の将来が不安になる。

日教組の「やり口」を見ていても、やっぱり同じ不安を感じると思うよ。彼らの北朝鮮好きは理解の範疇を超えてるし、組合活動にかこつけて政治活動紛いの事やるし。

有村なんとかというワナビー崩れの似非はてなサヨク日教組まで擁護しちゃったほんと重傷だね。こういうのが日本を駄目にした諸悪の根源だ。

2008-09-07

批判について

de

柔らかNEWS虐待冤罪東京・墨田児童相談所による拉致監禁事件?【児相被害】

ttp://yawanews.blog82.fc2.com/blog-entry-724.html

自分が巡回している個人ニュースサイトで上のタイトルを見て見ずにはいられなかった

自分も昔児童保護施設にいたからだ

しかしリンク先を見てめまいがした

問題の真偽は正確なソースがないので保留にしておくが、問題は批判の内容

児童相談所がいかに偏向思想に染まっているか、悪質な存在か声高に叫んでいるが

(相手は組織なので人格はないが)一方的な決め付けによる人格攻撃としか思えない

少なくとも自分にはそうとしか読めない

====

強制的に拉致された

これは連れて行かれた立場からすればそれが正当な理由であろうとなかろうと

その処分に納得できなければこういう認識になるのは理解できる

しかし「児童相談所拉致監禁を隙あらば狙っており、家庭崩壊を目指す思想集団である」

ここまで行くとある種の強い攻撃的な情念を感じずにはおれない

もちろん行政機関だからそういうことがないと言いたいわけではない

たとえば日教組反日というか反国家思想などはそう思っている人間も多いだろう

それは卒業式日の丸君が代問題などを通してそういう教師がいることが知られているからだ

それでさえリンク先の筆者が指摘するような内容を教師に置き換えて主張すれば

どちらをより偏向した思想の持ち主であると思われるかは想像に難くない

そういう人格攻撃さえなく問題の事件の主張を完結にまとめてさえいれば

ここまでこの批判が受け入れがたくなったりはしなかったと自分は思うのだが…

話は変わるが自分が施設にいた時の話

児童相談所と児童保護施設というのはまったく別物

児童相談所は関所みたいなもんで児童の条件ごとにそこから施設に振り分けられる

だから相談所ってのは保護されるまでしかほとんどかかわらない

まぁ東京のじゃないしすげー昔なんでリンク先を否定するわけじゃない

児童保護施設(正式名じゃないかも)にいたときは本当に毎日逃げ出したかった

そりゃそうだ

自分は虐待を受けていたわけでもないし集団生活が楽しいと思える性格でも年齢でもなかったし

環境自体も決していいと言えるような状況でもなかった

家庭環境が劣悪なとこから集められた人間体育教師体育教師なりのやり方で生活させてる

まぁ虐待で頭の骨がぼこぼこになってるような奴(相当小さいときから受けないとならない)と

族だったり家出繰り返したりで保護者が面倒見切れなくなったような奴を一緒に管理するんだから

しょうがないっちゃしょうがない

あのころはそんなこと考える余裕なんてなかったけど

虐待受けてた奴だっていつまでも弱いだけじゃなくてグレたりする奴だっているしね

なじむやつはなじむんだろうがなじめない奴はとことんなじめない

オレはなじめないほうだった

もう長いこと連絡取ったりすらしてないから今はそういう施設がどういう状況か知らない

児童が区別されるようになってなきゃ虐待で殺されたりするよりは多少マシって程度だろうとは思う

こんなこと書くと施設に入れるべきじゃないって思うかもしれないけど

そんでも虐待で殺されちまうよりマシだと思うんだ

google:news:島村恵美

この事件の長男もそうだけど虐待受けても子供は親を慕うんだよね

施設から一時帰宅とかして飯とか何も作ってもらえなくて帰ってきたらゲッソリしてんのに

そんでもすげー奴らうれしそうなんだよ 親に会えて

だからオレには多少話を聞いた程度でどっちが子供にとっていいとは言えない

でもリンク先みたいなヒステリックな批判の仕方は絶対おかしい

2008-09-05

非常事態宣言

http://www.47news.jp/CN/200809/CN2008090501000623.html

http://sankei.jp.msn.com/politics/local/080206/lcl0802062002007-n1.htm

府民「特技は非常事態宣言とありますが?」

橋下 「はい。非常事態宣言です。」

府民「非常事態宣言とは何のことですか?」

橋下 「魔法です。」

府民「え、魔法?」

橋下 「はい。魔法です。教育委員全員に大ダメージを与えます。」

府民「・・・で、その非常事態宣言は大阪教育向上に何のメリットがあるとお考えですか?」

橋下 「はい。日教組が襲って来ても守れます。」

府民「いや、大阪には襲ってくるような日教組はいません。サボっているだけです。それに日教組犯罪ですよね。」

橋下 「でも、文部科学省にも勝てますよ。」

府民「いや、勝つとかそういう問題じゃなくてですね・・・」

橋下 「教育委員全員に100以上与えるんですよ。」

府民「ふざけないでください。それに100って何ですか。だいたい・・・」

橋下 「100ヒットポイントです。HPとも書きます。ヒットポイントというのは・・・」

府民「聞いてません。帰って下さい。」

橋下 「あれあれ?怒らせていいんですか?使いますよ。非常事態宣言。」

府民「いいですよ。使って下さい。非常事態宣言とやらを。それで満足したら帰って下さい。」

橋下 「運がよかったな。今日はもうフィットネスクラブに行く時間みたいだ。」

府民「帰れよ。」

本当にこういうノリの気がするから困る。

2008-06-19

通っていた小学校のこと

80年代の終わりから90年代前半にかけての話。

私が通った公立小学校郊外の都営団地に隣接していて、同級生の半数以上は団地の子だった。都内郊外といってもいわゆるニュータウンとは違い、古くからの住民が多く住む町だ。団地意味は例えば練馬町田とはだいぶ違っていた。つまり、少し言いづらいことだけど、その近辺は地区有数のワイルドイドと見なされていた。

日光修学旅行に行ったとき、入口に大鳥居がある駐車場バスが入ろうとしたことがあった。前方で先生方が何か話し合いをはじめ、バスは入口の手前で止まった。10人ちょっとがそこで下りた。振り返って見てみると、後ろのバスでも同じことが起きていた。宗教上の理由で鳥居をくぐれない子がいるので、と先生が簡潔に説明した。その口調から毎年同じようなことが起きてるんだろうなと思った。先に下りた子と私達は駐車場の外で合流し、そのまま滞りなく観光地だかお昼だかに向かった。家に帰ってから「うちは鳥居をくぐってもだいじょうぶなの?」と母親に確認して、「今までさんざんくぐってるじゃない」と笑い飛ばされた。

先生方も個性的な人が多かった。

4年生の時、隣のクラス担任の先生の口癖は「勉強が好きじゃない子が無理する必要はない」だった。授業時間なのに校庭で騒いでる子がたくさんいるなと思って見てみると、隣のクラスの子達が半分外で遊んでいて半分教室で勉強していたということもあった。よく問題にならなかったものだと思う(なっていたのかもしれない)。50代にもうすぐ手が届くという年頃の男性で、決して声を荒らげない先生だった。当然のことながらPTAからの評判は悪く、生徒には人気があった。

6年生の時の担任の先生はやはり中年男性で、保護者から有志を募って読書会を開いていた。うろ覚えだが、灰谷健次郎村上春樹アレックスヘイリー、それに上野千鶴子などがリストアップされていたはずだ。

君が代国旗の問題がマスコミでちらほら取り上げられるようになってから数年経つ時期だった。式典では起立しない先生の方が多かった。高学年に上がると毎年8月は原爆のことばかり勉強した。ばりばりの日教組先生が集まっていたと聞いたのは卒業してしばらくしてからだったが、たぶん小学生の頃に聞いても意味が分からなかっただろうと思う。

私はその後私立の女子校を経て地味な国立大学に進み、事務職に就いた。取り立てて特筆すべきこともない平凡な進路だ。

自分が通った小学校がどちらかというと変わったところだとはっきり気づいたのは大人になってからだ。それとももしかして私が勝手にそう勘違いしているだけで、その頃はよくあることだったのかもしれない。とりあえず私としてはけっこう楽しかったです。

2008-04-06

http://anond.hatelabo.jp/20080404073011

むしろ、ツチ族受験生政府軍=日教組と考えれば、プリンスホテルマンとしての職務と全うしたと言えるだろう。

Re:Re:責任転嫁も大概にしておけ

http://anond.hatelabo.jp/20080406172307

ちなみにこの契約の話も書いたんだけど、長くなりすぎたので削除した経緯があったりする。

まず、契約というのは必ず守らなければならない、というのは間違い。我々にそんな義務はない。

もし契約というのが破棄不可能なものであるなら、契約を結ぶことは非常に難しくなる。

だって将来どうなるかなんて誰にも分からないでしょ?

典型例が航空会社ダブルブッキング。我々がチケットを買うのは契約の一種。でも航空会社は我々の席を平気で別の人間にも売る。統計的に何人かはキャンセルすることが分かっているからだ。もし計算以上に搭乗客が来てしまった場合、会社は謝り倒して別の便を用意して我慢してもらう。

これだって立派な契約の放棄。「俺は絶対にこの便に乗りたいんだ!」と全ての客が言うなら、航空会社は今よりもはるかに高い料金を要求してくるだろう。そうしないと商売が成り立たないから。

契約を守るというのは大切なこと。尊重するのは当然で、そう教育されてもいる。でもね、契約に絶対はないんだよ。

我々が契約を守るのは何故?契約を破ると失うものが多いからだ。違約金を払ったり、評判を落としたり、契約を反故にされた相手から報復を受けることだってある。「だから」契約は守らないといけないんだ。商契約は「約束は守りましょうねー」という理屈抜きのモラルの話とは訳が違う。契約を守るのには理由があるんだ。

逆に言えば、これらのコストを甘んじて受ける覚悟があるなら、我々は契約を破棄していい。そのコスト以上に得られるものがあるなら、それは極当たり前で合理的な商取引だ。世の中にどれだけ契約の中途破棄が溢れてるか考えてごらんよ。それは社会が柔軟であることの証なんだ。この柔軟さを失って得られるものと失うもののどちらが大きいか、考えたことはあるかい?

多分プリンスホテルは(結果的に)予想以上に評判を落とした。最終的にプリンスホテルにとってこの判断が合理的だったのかどうかはわからない。でもそれはプリンスホテルの問題であって、我々がどうこう言う問題じゃない(株主でない限り)。逆に、「政治理念よりも顧客を優先した」ことを評価している人だっているかもしれない(politically incorrectだから大声ではいえないだろうが)。それもまたプリンスホテルの判断。それに、判断の正しさを後付でグダグダ言ったってしょうがないでしょ?

もちろん、契約当事者である日教組は大いにホテルを非難すればいいし、今後は使わなければいい。それは当然の権利。プリンスホテルだってそんなことくらい覚悟の上だろう。でもね、それは第三者がモラルを云々する問題じゃないんだよ。我々が考えるべきことは他にある。

前のエントリーでこのことを書かなかったのは、学者の彼にそんな契約概念についての理解を要求するだけ無意味だから。

"平時にしたことを彼らが合理化できるなら、戦時においては同じふるまいを合理化することは一層容易である。"

彼はこの文章で悲憤慷慨しているつもりかもしれないけど、こっちにはほんのわずかにも響かない言葉なんだよ。わかってねーな、と思うだけ。ホテルルワンダという全く次元の違う問題を無理やりつなげて、自分の感情を正当であるかのように見せるあざとさは鼻につくけどね。それ以上に、その我田引水すら論理的に成功してないことのほうが腹が立つ。学者なら論理的にものを語れよと。

だから、ホテルマンの信条とか、そういう定義も良く分からないような便利な言葉で彼らに(日教組にとって有利な)モラル押し付けるような主張には賛成できない。それが、前回書いた「社会の問題を個人の問題に還元してしまう」行為なんだよ。昔どこかの新聞事故を起こした電車の運転手に「風の呼吸を感じるべきだった」みたいなことを書いて失笑を買っていたけど、それも同じ。医療関係者に「命を預かる聖職だから」と全力以上を要求する今の風潮も同じ。必要なのはより安全な運行システム、より有効な救急体制、それに「言論の自由に守られて他人の言論の自由を侵害する」今回のようなケースを排除する法整備だろ?

聞こえがいいだけの不合理な言葉で、個人や法人に責任転嫁する風潮はもううんざりなんだよ。

2008-04-04

責任転嫁も大概にしておけ

http://anond.hatelabo.jp/20080404073011 の続きで、内田樹教授プリンスホテル批判について。

http://blog.tatsuru.com/2008/04/03_1313.php

プリンスホテルの例にしても、靖国映画の件にしても、言論の自由が脅かされたのは事実

何故? 右翼だか国粋主義者だかが騒いで、それによって損害を蒙ることが予想されたから。

なぜヤクザまがいの連中の圧力を恐れなければならないか? 彼らが騒いでも警察が摘発できないからだ。

何故摘発できないか? 今の彼らの行動が現行法に照らして違法とはいえないから。

何故法整備をしない? 彼らの行動が政治活動として分類される(されうる)以上、その摘発には慎重を期さざるをえないからだ。

内容を聞いてれば分かる? そうは言っても警察が「政治活動」の内容を勝手に判断して差別できるわけがない。

言論の自由が脅かされたのは社会の問題だ。彼らの行動を掣肘できないのにはそれなりの訳があり、そのせいで日教組プリンスホテルも迷惑している。で、そこでなんでプリンスホテルが非難されるのかがさっぱり分からない。いつから一営利企業は自らの損害も省みず言論やら集会やらの自由のために戦わないといけなくなったんだ?誰が、どんな資格で彼らにそれを強制できる?もし法人にそんな義務があるなら、我々個人も目の前で街宣車軍歌を鳴らしていたら敢然と立ち向かわないといけないのか?

刃物を持ったバカが目の前に現れたら一目散に逃げるのが正解。もしかしたらそのせいで逃げ後れた別の人が怪我をしたり殺されたりするかもしれない。でも悪いのは逃げた彼じゃない。そういうバカを放置し、適切なタイミングで排除できなかった警察責任。それが出来るだけの予算と権限を警察に与えなかった政府の責任。そしてそんな政府を選んだ我々の責任だ。それを、"刃物を持ったバカを放置してはいけません。社会のために敢然と立ち向かいましょう"などと臆面もなくいえる人間の神経は理解を超える。

前から思ってたけど、日本人社会の問題を一個人(法人)に還元し過ぎる。そうして社会問題への対処がどんどん遅れていく。医療崩壊なんていい例だろ?明らかに個人の努力で解決可能な水準を越えてしまっているのに、この後に及んでも"医者がもっと頑張らないといけない"などと言っている人間がどれだけいるか。そうやって社会全体のマクロな問題から目をそらし続けるから、問題がどんどん悪化するんだろうが。

社会問題として考えなければならないのは、声ばかり大きくておつむの小さい国粋主義者のせいで日本全体の言論の自由が脅かされているという問題をどう解決するか、だ。主義主張にかかわらず、騒音を出す輩はまとめてブタ箱、でいいのか?(選挙カーや辻立ちの政治家だって例外じゃない。個人的には、日本の政治家一般の出す騒音は他国と比べて度を越して大きいので、この際一律規制しろと思うのだが)。それとも、警察恣意的に"いい騒音と悪い騒音"を判別して良いのか?バカを速やかに確保できるだけの警察予算、そのための増税を甘受できるのか?

社会にはバカが一定数混ざる。それをすべて取り除こうとすればさまざまなコストがかかる(犯罪者を確実にとらえようとすれば、監視カメラを随所に設置する必要だって出てくるし、監視カメラがいやならマンパワーに頼らないといけない=人件費ウナギ登り)。今問題とすべきは、言論の自由を守るために"我々が"どれだけのコストを呑めるか、であって、プリンスホテルがどれだけの頑張るべきか、じゃない。プリンスホテルを非難して事足れりとしている人間が入るなら、自分の行為がただの責任転嫁に過ぎないことを自覚すべきだ。

2008-02-28

日教組だけでなく

anond:20080227204153

日本人外国人は知らないけれど)って、組織や団体が悪、個人が善、みたいなイメージを持ち込むこと多いよね。具体的なことも知らずにさ。

これもそれも悪の組織に立ち向かっていく少数精鋭のヒーローっていう構図が、特撮アニメに多いせいじゃないかなぁ。

マイノリティへの憧れというか、下克上物語に涙する文化というか、弱い者いじめフラストレーションというか。

いや、よくわからんけどさ。

2008-02-27

ちょっとだけ知ってることを書く

たとえばあなたが会社で、取引先と2000万円の契約をしたとする(自分が受注側ね)。

契約書も交わし半金(1000万)も支払われた。あとは完成を待つばかり。お客さんも楽しみにしてる。完成までは1年はかかる品物。ところが引き渡し2ヶ月前になって「(某団体が)色々騒ぐから作るのやめる」とか自分の上役が言い出したらどう思う? 「お客さんになんて説明するんですか!」って返したら「半金振り込んで契約解除通知を内容証明で送っとけばいーべ」って上司が言ったとさ。どう思う?

ちなみに「契約の解除」を、プリンスホテル側が「内容証明」一本で、かつ一方的にやった、という話は事実。今回の話は実は要するにそういう単純なビジネスマナー契約における信義則上の問題であって、だからこそ裁判所も「そんな話は罷り通らんよ」という判断をし、3K新聞ですら「日教組が正しい」と書いたわけ。その上「(日教組側は)事前に説明してなかった」という、裁判所で否定された話を繰り返してるプリンスホテル側の担当者は、裁判所の神経を逆なでしてること分かってないなあ、と。まあ一般のイメージ向上を必死に狙ってるんだろうけど。

結局「お客さんがどうこう」とか「泥をかぶって」とか言うのはきれい事で、たぶん相当な所から圧力がかかったんだろうねと思う。誰のために泥かぶってるかと言えば、結局その筋なんでしょ。

http://anond.hatelabo.jp/20080227190526

http://anond.hatelabo.jp/20080227190526

それだったら警察日教組、三者交えてどうするか話し合いも出来たはずなんだけどな

http://anond.hatelabo.jp/20080227185022

日教組乙!って見えるよ

俺がご近所の人なり近隣大学受験生ならGJ!としか思わないけど

裁判所命令を無視して(相応のペナルティを覚悟の上で)の決定なんだし、

初手を誤ったのは危機管理上どうかと思うけど、泥をかぶって周辺環境

守る選択してるんだから

西武警察こわい

日教組拒否は「安全安心のため」…プリンス、謝罪一切なし

相手が日教組であるというのは置いといて、右翼のような街宣活動がうるさいという理由ならば

警察署と協議の上で機動隊を動員するなどしてそれなりの対策を練ることもできたはずなのに

そういうことを行わずに一方的に予約をキャンセルした辺り、プリンスホテルまたは

西武グループ全体でいかなる理由であっても警察に踏み込まれると困る理由を企業生命に関わるレベル

抱えてる事を堂々と言ってしまっている様にも受け止められるんだけどどうか?。

西武HD上場取り消しをはじめとして大リストラをかけなければいけないほど、

近年色々トラブルを抱えているので民事問題のうちにカタを付けたいのだろうけど

余計に世間と社会を敵に回してる印象を受ける。

2008-02-17

それはそれ、これはこれ

教研集会:プリンスホテル側、参加者の宿泊予約も取り消し(毎日)

連合傘下「プリンス使わず」、日教組集会の拒否で要請へ(読売)

日教組とか連合とかと言う組織以前の問題として、プリンスホテル側がこういうことやっちゃったと言う事は

仮に予約してもホテル側の勝手な都合で一方的に予約をキャンセルできてしまうと言う宿泊以前に

「安心して予約できないホテル」と言う事を堂々と示してしまった事に他ならない様な気がするんだけど。

http://anond.hatelabo.jp/20080216204820

うっとうしい話でスマン。

昭和33年の改訂を出した意図は、戦後かなり早くから道徳(の時間)の必要性を唱える人が少なくなく、

それはきちんと法制化されていた、ということを強調したかったから。

意外にも、単に戦前への回帰というわけでもないし。

有名なのはこの人とか:天野貞祐 - Wikipedia

一応、戦後一貫して道徳教育について言えることは、建前上、道徳教育道徳時間だけに限らず

学校での全活動を通して行う、ということだけ。

道徳教育は、道徳時間だけでなく教科の時間や学級活動など諸々の場所で学ばれるものであると。

そういう意味で「道徳時間空洞化」はあったのかも知れない。でもそれは「道徳教育の排除」とは大きく違う。

学習指導要領のその後の改訂を見ても「道徳教育が徹底的に排除された」ような事実がないのは、

改訂のまとめ部分だけ見ても分かると思う。もちろん「修身」的なものは排除されたわけだけども。

各所に見える「人間性」とか「人間形成」とかって、全部道徳教育意識した言葉だよね。

まあ個人的には、戦後道徳教育は「マスゲーム的なもの」が担ってきたんだろうと思ってる。

そしてマスゲームには修身的な匂いもある。

で今、またぞろ道徳教育重要性が叫ばれている理由はよく分からないけど、

いよいよ何か踏み切らざるを得なくなったきっかけはサカキバラ事件なんじゃないかな。

要は「生命の価値」を伝える教育、命の教育が大事だと。

まあ大事だと言うだけは簡単で、そういうことをどうやって教えたらいいか、分かってる人はどれくらいいるのか、

もしそういうメソッドが仮にあったとしても、それって国家主導であまねく実現できるものなのか、疑問は尽きないわけだけど。

また難しいのは、こういうのはただ考えて分かるだけのものでもないところ。

だから、今の道徳教育の問題を語るときに、戦後教育個人主義の行き過ぎだったとか、日教組のせいだとか、

旧来のイデオロギーを持ち出した時点で大外れだと思う。

というか「戦後教育」とまとめた時点でアウトかなと思う。

一番の問題は、伝えたい内容があっても、学習指導要領的な発想では、それを伝えるためのメソッドが結局のところ、

修身的なものかマスゲーム的なものしかない点じゃないのかな。

「反復→暗唱」とか「KY同調」といった学び方ではどうにもならない。

もし勇気があるなら、学習指導要領に「道徳時間屠殺見学が必須」とか明記すれば、

ずいぶん命の教育にはなるんじゃないかと思う。

2008-02-05

http://anond.hatelabo.jp/20080203152351

これは確認が取れていないので伝聞なんだけれども。

日教組は「日教組です」と言わないで予約をしたってほんとかな。

街宣車の量を少なく申告したってほんとかな。(1台でもうっとおしいけど)

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