はてなキーワード: 帰り道とは
そのおねえさんは、友達と楽しく飲んで飲んで、ちょっと飲みすぎていた。
ボックスシートの隣に座っている、iPodを聞く見知らぬ男性に腕を絡めた。
斜め前の男性に絡んでみた。
そのうち、みんな無視。
おねえさんは面白くない。
だから余計絡む。
僕は気がついた。「彼女はさびしいんだ。誰かと話をしたいんだ」と。
でも、誰も取り合わない。
しまいには、iPodお兄さんは逆切れ。
でも違うんだ。彼女は話し相手がほしいだけなんだ。
何駅か過ぎ、みんな下りていった。
ボックスにはおねえさんと僕だけ。
本と音楽のキリが良かったので、声をかけてみた。
「おねえさん、なにかいやなことがあったの?」
「うん、ちょっとね」
「結構飲んだの」
「うん」
「独りで?」
「ううん。仲のいい友達と。とても楽しかった」
「でも… 帰り道一人になったらちょっと滅入っちゃって、誰かと話したくなったの」
そう、彼女は宴のあとの寂しさをちょっと紛らわせたかっただけなんだ。
「でも、寂しさが先走っちゃって、絡んじゃった。迷惑かけてごめんね」
「ううん、全然。こっちこそもっと早く話せればよかったんだけど、ちょっと入りにくくてね」
「ありがとう。話しかけてくれて。最後になって気分がよくなった。だって1日の最後は気分よくおわりたいじゃない」
「そうだよね」
それから彼女は自分の職種、住んでいるところ(僕の一つ先の駅だった)、その地の住み心地のよさを語ってくれた。
そう、彼女は話を聞いてほしかっただけなんだ。
だから話しかけた僕に心を開いてくれた。
僕の降りる駅が近づいてきた。
「本当にありがとう。うれしかった」
嬉しくなったのは貴女だけじゃないよ。
「喜んでもらえて、僕も嬉しくなったよ」
最後、握手して別れた。
なんか、気分がとてもよくなった。
「死ねばいいのに」
でも、そのほとんどはだめな自分に向けてのもので、他人に向けることは滅多にない。
普段はとことん自虐的。
ネット界隈の不愉快な存在や、えらーい人に向けても「死ねばいいのに」とは
ほとんど言わない。死んだ方がマシな辛い目に遭えとは思っているけど。
でも、日常の生活範囲内にいるんだ。
心の底から「こいつ、本気で死ねばいいのに」と思う奴。
向こうもそう思っているのは肌で分かる。目で分かる。呼吸で分かる。
今日、帰り道にそいつと遭遇。それまでのハッピーな気持ちが全部消えた。
今もまだ「あいつ、他人にできるだけ迷惑かけない方法で、俺が手を汚さない方法で、でもむごたらしく死なないかな」という
悪い考えがうごめていている。ま、向こうもそう思っているだろう。ああ、本当に死ねばいいのに。
まあ、そいつと顔合わせたくないなら、自分が死ねばてっとりばやいのだろうが
自分が死んだ後、そいつがどこかで「あいつ死んでせいせいしたわ」と言われると思うと、すっごいむかつく。
むしろこっちが「あー、あいつ死にましたか。いやー、残念ですよねえ、彼はほんと、できる男だったのに」と
ものっすごくわざとらしい笑みで弔辞を読みたいのに。
葬式行かなくても、どっかの川辺で酒でも飲みながら
「死にくさりやがったか! ざまーかんかんカッパの屁」と高笑いしたいくらい。
ああ、これが憎悪というものなのか。畜生、いつか俺はゼスモスを発動させられるぞ。
だからといって、そいつが自分の生きるカンフル剤なのかというと、それも違う。
せいぜい「あいつが生きているうちは、こっちも死ねないな」くらい。積極性がない。
死ねばいいとは激しく思っているけど、自分から積極的に殺すという殺意はない。
こういうとき、無機物をとにかく壊したり他人や動植物に八つ当たりする人もいるんだろうけど
そういう生き方は持ち合わせていない。だから、こんなことをしている。
嗚呼、今日も自分のことが嫌いになりました。
でも、本当にあいつ死んでくんないかなあ。
のっかりで自分も思い出。
小・中・高と一緒だった友人がエホバだった。
一緒に遊びに行った帰り道に、何を思ったのか友人は突然エホバのことを話し出した。当時小学1年生。幼いなりに今後の付き合いのことを考えて打ち明けたのか、単に幼くて判断基準がなかったのかはわからない。ひととおりの話を聞いたあと「ナルホドそういう考え方もありますか」などと思ったような覚えがある。
そういえばその友人ははジブリ作品が大好きで、特に「魔女の宅急便」が気に入っていた。あまりにも好きすぎて、直線定規にまたがって空を飛んだ夢を見たなんてことをうれしそうに話していた。「本当は魔女が好きなんて言っちゃいけないんだけどねー」と笑ってたなぁ。
英語の弁論大会に出るぐらい頭の良い子だったけどもちろん進学はせず、高校卒業後は受付かなんかやってるらしい。家が近いので、時々その子のお母さんがうちに冊子もってくるみたい。
今思うと自分が小・中・高通して仲が良かった友人たちはだいたい宗教が絡んでるんだよね。エホバか創価のどっちか。あまり意識したことないけど、きっとうち地元はそういう人が集まってんだと思う。ちなみにうちは仏教徒。
自分にとっては別にどうでもよいことだったし、友人たち自身もその親も一切勧誘しなかったし、個人としてはいい子達ばかりだったから普通に友達だったけどね。
僕が今までで一番強くて熱くて純な恋をしたのは中学生の頃だった。
当時恥ずかしくて女子と話すことができず、帰り道いつも遠くから彼女の姿を追っていた。
彼女は全くの反対方向に住んでいた。だから僕は帰り道、行きの三倍の距離を毎日歩いていた。
ある時一緒のグループになったことがあった。僕は友達と大きな声で騒いで気を引こうとした。
ある時一緒の掃除当番になったことがあった。僕は恥ずかしさから掃除をサボって先生に怒られた。
こんな風に3年間はあっという間に過ぎていった、そして卒業式の日が来た。
彼女は推薦で他県の県立高校へ行くことになった、馬鹿な僕は地元の馬鹿な私立高校へ入学する。
もう会えない別れがついに来てしまった。
僕は最後に卒業アルバムに彼女からメッセージを書いてもらった、『この二年楽しかったよ』。
僕は読むと「この三年間ありがとう」とだけ叫んで逃げて帰った。走って走って走りまくって家まで逃げた。
その日の夜、僕は眠れなかった。寝て次の日からはもう彼女に会えない生活になるのだ。
それが悲しくて、悔しくて眠れなかった。色々憎んだ、自分も神様も学校も先生も関係ないもの全て。
立ちこぎで冷たい風を切って、涙を流してることを悟られないようにうつむきぎみで。
途中で思い切りコケテ自転車の前輪がパンクした。痛みは感じなかった、
立ち上がるとパンクした自転車のペダルを傷だらけの足で思いっきり回した。
そして彼女の家の前についた。
彼女の部屋には明かりがついていた。僕はどうしようもなくなった。結局ここまで来ても何もできないのだ。
じっと明かりを見て、電気が消えてから自転車を押して歩いて帰った。
虫の鳴き声も星や月の明るさも川を流れる水の音も空しく感じた。
家に帰ると親に怒鳴られたが無視してベットの中に潜り込んでぐっすり眠った。
そんな中学生時代の恋。
クローゼットの中に吊るされている可愛い巾着袋を開けたら、中から自転車のサドル。
なかなかシュールな展開である。
僕はそのサドルを見て、ある出来事が頭の中でフラッシュバックした。
高校生の頃、学校に止めていた自転車のサドルが盗まれて、立ち漕ぎで帰らなくちゃいけなくて、大変だったっていう事件。
足が疲れても休みようがなく、座ったら痔確定な地獄のような帰り道。
見つけたサドルは、間違いなくその時盗まれた僕の自転車のサドルだった。
僕がそれを指摘すると、彼女は素直に僕の自転車のサドルだと認めた。
彼女は僕と付き合うだすまで、色々と僕の身の回りの物をちょくちょく盗んでいたらしい。
僕はサドル以外忘れていたが、そういえば無くなったような気もする。
その時はあえて盗んでからどうしていたのか聞かなかったが、
夜布団に入って二人でエッチな気分になってる時に聞き出してやった。
その内容は、僕を興奮させた。
彼女は盗んだサドルの匂いを嗅いだり、ゴムの部分を舐めたりして、興奮していたという。
「それくらい好きだったんだよ」と、彼女は恥ずかしそうに笑った。
その顔がとても愛くるしくて、僕は益々彼女のことが好きになった。
僕は彼女をそっと抱き寄せて口付けをし、舌を絡み合わせた。
この前、好きだった人に振られた。
あるサークルを通して知り合った、背が低くて、髪が長くて、人懐っこい、いい娘だった。
中高一貫の男子校から国立理系に入って、ほとんど勉強と研究漬けの毎日で、女の子と事務連絡以外の話をした記憶もなく。
ちょっといいなって思った子は居ても恋に発展することもなく、20代も半ばを過ぎてマトモに女の子とデートしたり、電話でくだらないことを喋ったりした。
何回か遊びに行ったあとで、帰り道でその娘に告白した。
「気持ちは嬉しいけど、私にはどうにもしてあげられないな」と言われて、見事に玉砕しましたよ。
まだ結果が出る前の、高校生、大学生くらいの若い子に言っとくよ。
「努力は報われる」なんて、嘘なんだ。
「頑張ったら誰かが見てくれる」なんて、都合のいい作り話なんだ。
「未来のために」「将来のために」勉強や仕事を頑張るなんて、単なる現実逃避なんだ。
「いまここ」に存在する現実から目を背けて、都合のいい将来を妄想してるだけなんだ。
本当に誰かに自分を好きになって欲しいなら、現実と向き合うしかないんだ。
別に俺は沢山の女の子からモテたいとか、そうゆうことを言ってるんじゃない。
ただ、自分が好きになったに、自分のことを好きだって言って欲しいだけ。
たった一人の人に、俺のことを理解してほしいだけなんだ。
昔は、多くの女の子をとっかえひっかえしている友人を心の底で軽蔑していたけど、それは違ったんだな。
多くの人は、人間関係っていう荒波の中で揉まれて数多くの人と出会って、その中から自分のことを理解してくれる人を探しているんだろうね。
結局自分はそうゆうのが面倒で逃げていただけなんだ。まぁ、当然の報いだよな。
もっと早く気づけばよかったよ。
連休明け6日に新人の子が休んでた。
体調が悪ければ本人もそうだが、周りも気を遣って作業の効率は悪くなる。
くわえて病気だった場合には感染のリスクもあるので、連休明けだからといって休むなというのはただの根性論。
もう一人の新人に聞いたら
「なんかー具合悪いみたいでー朝ちょっと来てすぐに帰ったんですよー。
すっごい辛そうなのに、休む時どうしたらいいのかわからないから無理して来たとか言うんですよー?
私にメールしてくれれば言っておくのに!って言ったんですけどー」
むしろ体調が悪くても出社までしたことを評価すべき。
会社の電話は大事な取引先のために、休むというような私用で回線を占有することはしてはならない。
メールでは体調の悪さなどが伝わらないと考えたのだろう。
具合悪いので帰っていいですかって言って朝礼後すぐに帰ったらしい。
朝礼の報告を聞くだけでも出来たことを評価すべき。
「体調を管理せよ」という職務規程はないのに、そんな価値観を押しつける方が呆れる。
あと、新人歓迎会やったんだけど
「これって参加しないとダメなんですか?」で一人欠席。
当日は「じゃ、お先しつれいしまー^^」って複数の新人が場を締める前に帰ってったよ。
飲み会の後のダラダラした時間を作出しておきながら、帰るなというのは酷。
問題があるならさっさと締めるべき。
上司には、部下の有効な時間を浪費する権利はない。
夜も遅ければ、女子社員ならば帰り道も心配である。
いつからおかしくなっちゃったんだろうね。
どう見てもおかしいのは、合理的ではないあなたがた。
と無理矢理全力で擁護してみました。基本的にあなたに同情する、ちょっと異論もあるよ(締めるまでいろ、とかも)。
僕が言いたいのは、昔からそういう人はいただろうし、今だって大多数の新入社員はそういう常識を身につけてるんじゃないの?ってこと。
「使えない、常識がない、おかしい」と即断するよりも、使ってみて、常識を教えてみて、それでもおかしい奴は排除すればいいのではないかな。あなたもそうやってしごかれて淘汰されてきたはずでは。
レメディ。
クリネックス、私は日陰の女。僕は太陽!くそ、ふぁっきんTV.マスメディア。死んでしまえ。
金になることしかお前らの伝えることには含まれんのか、死ね、それに靡いてしまう俺も死ね。
ふぁっくふぁっくふぁっくふぁっく。水道水に唐揚げ俺の人生終わってる?まだはじまってもいねーよ。うわ、この米まじーし。
消え去れ金星。何とかノヴァだよほんと。
なんかこうこの時代ってなんなんだろうね。まぁいいや、ブレア万歳。君はよくやった。
俺の頭の中とかもう駄目だなーって思うもん。何の蓄積も無いっつーか。意欲?そういうのがないね。
きらめきだよ所詮。
もしね、俺がマルクス・アウレリウスの子供だったらどうなっていただろうかって考えない事もないさ。
はてなとかまじふざけんなよ。
何がデリケートゾーンの痒みにはだ、俺の脳内そんなことで一杯になってんのか。糞が。
あぁ、水が美味い。ホントうまい。
感覚とかめっちゃ糞やねん。うんこやねん。でもそれが大事かもしれんねん。
マルコの♪なんかのことを考えて俺は死ぬのか。
いや、世の中に大したことなんてないさ。
そうだろ。
大切なことはほんとちっぽけなことなんだ。そこに留まり続けるのが難しいほどに小さな場所だから、君は押し出されるんだ。
留まる事をしようと思っても、日常の波に押し流される。
次にまたその大切な場所を見つける、君の中にも見つける。一致するんだ、鼓動が重なるように。ドキドキして、口元が勝手に緩んで、そう、そういう感覚をたまに味わう。
小さなチョコレートみたいなものだ、大切にする事は難しい。
そうだろう、また押し流される。チョコレートのようなもので世界は埋まっているわけではないからね。
世界はメタンガスの黄色い薄い風みたいなもので、たまに六甲の美味しい水が湧き出てるそんなものなんだ。
いいかいおじょうちゃん、可愛いピンク色のリボンを付けたおじょうちゃん、
あんたはまともに育って、まともに終えるさ。
それでいいんだ。
俺の事がわかったって、どうにもなりはしないんだ。
君とは一生関わらない、おでん屋で会うこともないだろう。電車の中で、道端で対面する事すらないだろう。
道端に置いてあるポリバケツを思いっきり蹴り飛ばす、何処に帰るでもない夜の帰り道が俺の日常。
どちらかというとカラスの鳴き声しか聞けない俺の日常。
たまに振り返ってもらう事が出来る俺の日常。
山に向かっているのに海の絵を描くそんな馬鹿なことをしていても誰も何も言ってくれやしない。
そういう世の中なんだ。
わかりきった世の中なんだ。
変わらない世の中なんだ。
何も変わらないさ。
おじょうちゃんも、俺もね。
そうだろう、朝からお好みの音楽をかけて明るい日差しを浴びる君に、悪い事が起こるわけないだろう。
俺は朝からやることもないからね。
一曲飛ばすさ。どうしようもないぐらい何もないからね。なにもないのは俺だからかもしれない。貴方だったら豊かに感じるのかもね。
心を揺さぶらないとそうだろ。
一体何があるのかな。
心を喰ってくれないかな。喰わせたいものに喰わせようか。
小学校の頃行っていた塾の先生に赤い実はじけちゃった私ですが、そんな弾けまくりの最中に塾でスキーツアーに行くことになったんです。
めちゃんこ塾生がいるのにね、なんか「先生と旅行、ウットリ」みたいな阿呆な妄想しまくりなわけですよ。
いざ当日、もう興奮しまくりでね、押せ押せどんどんな私は先生と一緒になれる機会を探しまくりの狙いまくり。
とりあえず行きのバスの中で隣の席をゲットだぜ☆とか計画してたのですが…
まぁ、なかなかうまくいかないわけですね。だって生徒山のようにいるし、みんなに人気あった先生だしね。
なんとか近くに!という淡い期待もむなしくバスはペンションに到着。
いやでもさ、旅行は始まったばかりですよ、これからですよ、夜は長いのですよ。
夕方頃に到着したので、1日目はスキーはせずに各自部屋でまったり。
これはチャンスなんじゃないですか!?神よ…!
ここぞとばかりに先生の部屋に行こうとして、ふと同室の友達を見たら顔が真っ赤なんですね。
あれ?おっかしーな。
しかもなんか目が座ってるし。
不審に思いながら問いかけたらね、友達がこんな素敵なセリフを言っちゃってくれました。
「なんか、熱あるかも…。」
NOー!!!
額に手を当てるともうかなりのお熱ですよ。
NOー!!!!
ちょ、私の手に握られたトランプはどうしてくれる。(先生トランプしよー!と友達と押し掛ける計画をしていたわけですね)
とりあえず廊下に出て大人を探すと、なんとそこに赤い実はじけたお相手が。
神よ…!これって運命なのかしら!
とりあえず友達のことを伝えると風邪薬と体温計を持ってきてくれました。
いいなー額に手とかさーいいなーいいなー。
検温の結果、40度オーバーでした、友よ。苦しい時に嫉妬してしまってすんまそん。
はっ!でもこれ、先生がつきっきりで看病?!すなわち同室で一夜を共に、みたいな?!
なんて妄想オーバーヒート気味の私の背後でドアがノック。コンコン。
「先生、お疲れでしょうし休んで下さい。今夜は私が彼女についてますから」
NOー!!!!
恨むぜ、塾長婦人。
翌日。
友達の風邪も随分納まったものの流石にスキーは無理だろうと言うことで、彼女はペンションでお留守番となりました。
そしていざゲレンデへ!初体験だよスキーなんて!わっほーい白銀の世界だぜ!しかも超快晴!日ごろの行いがよかったせいだな、うんうん。
いそいそとスキー板を装着。集合場所へ。
「じゃあ、君達のグループは僕が教えるからね、まず八の字からやってみよう」
神よ…!
満面の笑みを携えながらせっせと八の字練習に励む私。
と、突然背後から叫び声が…。
「NOー!!!!!!」
え?NO?なになに?アメリカナイズ?
振り返るとかなりの近距離に年配の白人女性がいます。ものすごいスピードでこっち来てます。どうやら己を操縦不可能状態です。
なにやら叫んでいますが聞き取れません、もうポカンですよ私が。
とかダラダラ書いてますが、実際はここまで2??3秒かと思います、つまり身動きがとれなかったわけです。
つまり衝突事故が起きたわけです。
どかーんと吹っ飛ばされて雪の上に落下する私。
事故の時とかよくスローモーションになるって言うじゃないですか、あれほんとですね。
なんか肺打った!息できねぇ!
じたばたと声も出さずに苦しむ私、一同何が起こったのかわからずポカン。
ちょ、まじ痛いです、先生タスケテー!!!
必死の思いで憧れの先生に目を向けたはず、が、そこにいたのは別のおじさん先生でした。
「よし、すぐ医務室につれてってやる!おぶされ!」
いや、違うんです、できればあの、憧れの先生にね、おんぶしてもらいたいって言うか、あの違うんです違うんです。
しかし思い伝わらず。
名残惜しさにおじさん先生の背中からチラリとゲレンデを見ると、憧れの君は爽やかな笑顔でシュプールを描いていました。
気づいてもいねえええええええええええええ!!!!!!!!!!!!
NOー!!!!!!!!
その後、医務室で治療を受けて強制的にペンションに帰らされました。
ゲレンデにいた時間、わずか10分。
帰り道でおじさん先生がピザをおごってくれました。涙の味がしました。
チキショー!明日こそはリベンジじゃあ!
翌朝起きると、腰に激痛が走り立ち上がることが困難になっていました。
ペンションの人が哀れみの目でピザをごちそうしてくれました。涙の味がしました。て言うかなんでピザばっかり出てくるの。
その翌日もやっぱり腰が死んでおりましたのでおるすばんしました。
A男さんという人がいます。
A男さんは品行方正で勤務態度もよく、誰からも好かれる好人物です。
しかしA男さんには一つだけ一般的ではない特徴がありました。
彼は自分以外の人を殺さないと生きていけないのです。
生きていけないというのは、本能レベルで殺人欲求がある人物です。
さて、A男さんは会社の帰りにちょっと人が殺したくなりました。
もちろん社会的には許される事ではないのでその欲求を抑えようとします。
しかしA男さんはこのまま抑圧すれば自分をも殺してしまうでしょう。
どうしても欲求を抑える事が出来ず、駅からの帰り道に前を歩いていた女性、B子さんを殺してしまいました。
A男さんは殺人欲があるという以外は理知的な人間なので自らの行動をカムフラージュします。
A男さんは自分の欲の為にCさんに迷惑をかけてしまったという自責の念がありながらも欲求を満たせたという満足な気持ちもありました。
しかし法治国家のシステムはさすがに効率よく機能し、A男さんの行動は発覚します。
週刊誌やワイドショーなどでもズバッと非難され、世を騒がす大事件になったのです。
優秀な警察の捜査により過去に同様の犯行を重ねていたことも発覚し、「被告の犯行は自己の欲求を満たすための犯行で、動機は自己中心的
で非道。酌量の余地はない」という様なありきたりな文句を並べ、めでたく死刑となりました。
話は変わって……
ここにA男さんの事件を報道するワイドショーや新聞を見ながら恐い時代になった物だとつぶやくC郎さんという人がいました。
C郎さんも品行方正で勤務態度も良く、誰からも好かれる好人物でした。
A男さんと違いC郎さんには殺人欲求などなく、日々平穏にくらしています。
もちろん財布が許せばの範囲ですが豪勢にステーキでも食べたい気分です。
しかしC郎さんはこのまま我慢すれば空腹感で夜も眠れません。
どうしても欲求を抑えることが出来ず、駅の近くのステーキハウスで特選ロースステーキ270g(\2,980)を平らげました。
C郎さんは自分の欲求の為に三重県松阪市の牛の命を断った、牛さんに迷惑をかけた、などとも思わず満腹感に浸りながら帰りました。
しかし、薄給のC郎さんが次の日から財政難になったのは言うまでもありません。
さて、A男さんは法によって裁かれC郎さんや一般市民は悪いヤツは居なくなったと安心して眠れるようになりました。
もちろん社会道徳的に、とういより法律と言うモノが有る以上、人間同士が形成する社会という集団の一員としてA男さんは裁かれて当然でしょう。
しかし、両者の違いは殺した対象が人間か牛かという事であり「自分が生きるために他の生命を奪った」という点では変わりません。
なぜ人はダメで牛はokなのか?
人間同士が安心して生活出来るためのルールを守らなかったから裁かれた、という理屈はわかります。
でもA男さんにとっては、自身の生存に関わる大問題であるし、そもそも「そのルール」を守る事を契約してこの世に生まれてきた訳ではありません。
A男さんを裁くことこそ裁く側の身勝手な都合ではないでしょうか?
正義ってなんでしょうか。
「多数派の都合」が正義でしょうか?
それを全くの自己批判も無しに振りかざしていいもんなんでしょうか?
A男さんを裁く側は「君には悪いけど我々にとってあなたは脅威だから、我々の都合で死んでもらいますよ」と言うべきじゃないでしょうか?
裁判官はA男さんを「自己中心的だ」と断じました、なるほど彼はは自己中心的ででした、でも裁く側は自己中心的ではないでしょうか?
そう問われた時、我々は有効な反論を持ちうるんでしょうか?
中二っぽいとは思うのですが、最近こんな事が頭から離れません。
#つーかもちろん、僕にはそんな欲求ないですよ
両手でつり革に捕まりながらふらふらしているおじさんがいた。そこそこ高齢にも見えるし、明らかに酔っぱらっている。なんか危なくて見ていられなかったので、席を譲ろうとしたら「酔ってない酔ってない」なんていう。いやいやいや。酔ってますから。自覚ない時点で危ないですから。呂律がまわってないですよ。あと酒くさい。でも座ろうとしない。結局僕は降りるまでそのおじさんと話した。
おじさんは酔っていた。何度も年齢を聞かれた。学生だと答えたが、やたらと出世しろといわれた。出世のまえに就職だと思ったが黙っていた。しかし60歳と言っていたが、そんな定年間近になっても出世というのはつきまとうものなんだろうか。退職金とかが現実的になってきて、もしかしたら一番意識させられる時期なのかもしれない。退職してしまえばその呪縛からも解き放たれるんだろうか。そうであればいいと思った。
おじさんはなんかご機嫌で、いまから飲もうと誘われた。断ったけど。正面の席があいたので強引に座らせた。まもなく僕が降りる駅に着いた。ちゃんと家に帰ってくださいよと声をかけて電車を降りた。駅から自宅までの帰り道で気になった。こっちが座らせておいてなんだが、眠ってしまうのではないか。あの人は、ちゃんと降りるべき駅で降りただろうか。
>元気になったら幸せになったの?
http://anond.hatelabo.jp/20070315175551の者ですが、回答。
「今、自分は幸せか?」「幸せになれるのか?」なんて考えが思い浮かばない状態にやっとなった。
元気になったら、「なるようにしかならないよ。HAHAHA」と気楽に笑い飛ばせるようになった。
ちょっと落ち込むことがあっても、よかった探しができるようになった。
薬を飲んでいたときは、失敗などの落ち込む要因は無理矢理忘れるしかなかったのに、いまでは自分の利にする方法を考えられるよ。
ここがいちばん大きく違ってるところかな。
あ、幸せって、「なる」んじゃなくて、「感じる」ものだと知った。
美味しいもの食べて「幸せ」、今日は金曜で「幸せ」、朝降っていた雨がやんで空気が澄んでいて「幸せ」。
週末は何の予定もなくて、自由に過ごせるから「幸せ」。
買ったけど、まだ読んでいない本がいっぱいあって「幸せ」。
こんな感じで、どうですかねー。参考になりました?
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ちなみに調子が悪くて死にそうだったときは、美味しいもの食べても「太って病気になりそう」、金曜で「今週は何もできなかった」、雨がやんで「帰り道滑らないかな」、週末の予定なし「誰からも必要とされていない」、読んでいない本「読む気力が無くて悲しい」とか、考えていたんじゃないかなー。
たぶんそう。
会社にあと数年で定年だけど関連会社から出向してきた50代のおっさんがいた。
彼より10歳以上年下の部長に怒られちゃうみたいな、わかりやすく駄目なサラリーマンだった。
腹が出ていて、髪の毛は脂でべっとり。いつもよれよれのスーツと垢じみたシャツをだらしなく着ている。
足なんかとっても臭いのに、仕事中靴を脱いで椅子の上で胡坐をかく癖があるから、夏は近寄るのも嫌な感じ。
女性社員や派遣からものすごく嫌われていて、男性社員からは軽蔑と哀れみの目で見られていた。
だけどそんなおっさんを私はあまり嫌いではなくて、喫煙室なんかで挨拶をかわすうちに、
ちょっと打ち解けて、たまたま帰りが重なったときに飲みに誘われた。
そのとき彼が言ってた言葉...
「マメに連絡をとって、いつもほめまくって、タイミングを見て、お願いやらせてって土下座したら、10人中5人はやらせてくれるよ。」
にわかには信じがたかったけど、彼の携帯の中の、
玄人臭のする年上のお姉さんや、日本人ではない若い女の子たちの写真を見ていたら、
なんか案外そんなものなのかもなあと思った。
で、飲んだ帰り道にそのおっさんに
「ほんとは増田さんのことも口説きたいけど、僕は増田さんのことは大事な友達だと思ってるからやめておく」
といわれたときは、何かこみあげるものというか…大きな屈辱を感じたけど、それについては深く考えないようにする…。
友人が狂ったらしい。子供が生まれてすぐ旦那に先立たれ、そしてこれ以上ないくらい可愛がってた娘も、先日亡くなったとのことなので、そうなる気持ちもわからなくはないが。彼女の娘の葬式には用事があり行けなかったし、様子も心配なので、見舞いに行くことにした。
精神病院というと、檻がついてるものだと思っていたが、その認識は古かったようで、檻などなく、 また、病院内も普通の病院と変わらないようだった。この病院には軽い人が多いのか、そもそも私のイメージ自体が間違っているのかはわからなかったが。エレベーターで3階に上がり、廊下の一番奥にある、彼女が入院している個室の前に立つ。最後に会ったのは彼女の子供が生まれてすぐの頃だったから、何年ぶりだろう。最後に会った彼女は、元来控えめな性格ではあったが、とても幸せそうに笑っていた。その印象しかない。そんな彼女は今どうなっているのだろうか。深呼吸をして、重苦しい気持ちを押しのけて、少し強めにノックをした。
「はーい、どうぞー。」明るい声で招き入れられた私は彼女を見て驚いた。彼女はあの時の笑顔のままだったのだ。とても幸せそうな、満面の笑みで迎え入れられた私が呆然としていると、彼女は私のことを憶えていたようで、「きーちゃん!久しぶりー!元気にしてた?」と問いかけてきた。私はなんとか気を取り直し、挨拶を交わすと、そのまま思い出話へと突入した。思い出話を嬉々として話す彼女を見ながら私は戸惑っていた。私のことを憶えているし、日常会話もできる。それにどこも狂った様子は見受けられない。彼女は本当に狂っているのだろうか。いや、しかし、彼女が狂っていないとしたら、あの笑顔はおかしいように思える。中学生の頃、飼っていた犬が死んだとき、1ヶ月も塞ぎ込んでいた彼女が、夫もいない中、娘の死を乗り越えられるだろうか。わずか3週間で、このような笑顔ができる程に。疑問に思った私は、おそるおそるそのことについて切り出した。
「あの…遅れちゃったけど…この度はご愁傷様でした…」
「え?何それ?」
「え?だって…娘さんが…?」
「娘?きーちゃん何言ってんの?結婚もまだなのに子供ができるわけないじゃない。」
頭を下げている私をよそに、彼女はおかしそうに笑っている。
「え…あ、うん…」
未だ事態が飲み込めずおろおろしている私を見て彼女は更に笑う。
「それに私たちまだ19だよ?結婚にはまだ早いでしょ。」
―― あ、そうか。そういうことか。そういえば、思い出話ばかりをしていて気がつかなかったが、彼女は昔の話ばかりをしていた。てっきり、今の話は辛いから思い出したくないのかと思っていたけど、思い出したくないのではなく、純粋に思い出せなかったのだ。だって、彼女は、私と同級生だった彼女は、私と同じ26歳ではなく、19歳に戻ってしまったんだろうから。
その後は、また思い出話をして帰った。病室を出るときに彼女の母親と会い、やはり彼女が19歳の頃に戻った、戻ったと思いこんでいることを知らされた。辛いことがなかった時代に、辛いことが起こる前に戻ることで、耐えきれなかった辛いことから逃れたんだろう。愛する夫と、子供が死んでしまった今という時から。歩き慣れた帰り道を行きながら彼女のことを思い出す。私のことも憶えていたし、日常会話にも何の問題もなかった彼女。しかし、本当の彼女とは会話できている気がまるでしなかった。今という時にいない、今という時を生きていない彼女との会話はどこか虚ろで、まるで幻と話しているようだった。でも、考えてみれば本当の誰かと話している、生きているだなんて考え自体がそもそも間違っているのかもしれない。誰しも本当の心になんて触れられやしないんだから。そんなことを考えていると家に着いた。
「おかーさん!」
娘の愛華が飛びついてくる。
「おかえりー!」
「ただいま、愛華。」
愛華は私を見上げて首を傾げる。
「どうしたの?」
「おかーさんげんきない?」
娘に心配させまいと、そんなことないよと笑顔を作ってみたが、効果はなかった。
「おかーさん。ちょっとしゃがんで。」
「え?」
「いいから、しゃがんでー。」
言われた通りにしゃがみ、愛華と同じ目の高さになる。きらきらと輝きながらも心配の色を浮かべている目を見ていると、
「めもつぶってー!」
と言われたので、わかったわよ、と目をつぶる。何をするつもりだろうと考えていると、頭を撫でられる。
「げんきないのないの飛んでいけー。」
私がぽかんとしていると、
「げんきでた?」
と笑顔で聞いてきたので、うん…元気でたよ、と愛華を思い切り抱きしめた。確かに娘を失ったらとても辛いだろう。でも、私は昔には戻りたくない。たとえ辛い思いがなくなるとしても、娘と生きているというのが本当は幻だったとしても、戻りたくはない。娘がいなくなってしまったとしても、その未来をしっかり生きたいと思う。少なくとも私にはこの幻は本当なんだから。だから、その娘と本当に生きている今の先にある未来を。
いたい、いたいよー、おかーさん、と言われて抱きしめる力が入りすぎていたのを知り、ごめんね、と謝り手を離す。じゃあ、一緒にご飯を作ろうかと話していると、夫が帰ってきた。浮かない顔をしていたので、娘と顔を見合わせて、二人で笑った。
誰かが元気のないときは、誰かに元気ないのを飛ばして貰おう。そして、誰かがいなくなってしまっても、その人といた今のために、挫けずその時を生きていこう。そうやって私は愛する家族と生きていこう。ずっと一緒に。ずっと、ずっと。
ほろ酔いで、もし一人だったら確実に眠っていただろう。
すると、隣に座っていた人が吐いた。
びっくりしたが、とりあえず鞄の中を漁り、助けになりそうなものを探した。
しかし情けないことに、タオルで服と身体を拭いてあげることしか出来なかった。
他の人が、持っていたペットボトルの水をあげたり、駅員さんがやってきて床を拭いたり・・・
と、一時車内は騒然となった。皆、彼を心配していた。
僕の友人は、ただ呆然としていた。
いや、むしろ、迷惑そうにしていた。
この間酔っ払って人前で吐いてたのは誰だろう?
僕はその吐しゃ物を拭いて、水を飲ませ背中をさすり、
代わりに店員さんに謝り、勘定を支払い、
それについて何度も「ごめん」と謝っていたのは誰だろう?
その日のことを思うと、隣にいる友人が憎たらしいやら呆れるやらで、気分が悪くなった。
この人は何ひとつ学習していないのだ。
僕は人前で吐いたことは一度もないのだけれど・・・。
(もともと吐きにくい体質であるし、帰り道に人前で吐くほど理性を失うような飲み方をしないから)
しかし、家に帰り着いて思った。
むしゃくしゃしたからと言って、
結局は彼と大して変わらないのかもしれない、と。
それにしても、あの日車内で吐いた人は無事に家に帰れたのだろうか・・・?
(僕は”帰り道に人前で吐くほど理性を失うような飲み方をしない”し、
正直なところ、そういう飲み方をしてしまう人を多少軽蔑しているけれど、
それでもやはり”吐く”という行為は何故人を同情的にしてしまうのだろうか)
CSSを切手と交換してくれるというので、交換所に列ができていた。
列に並んでいる人はみんな、おじいさんも若いおねえさんも、紙粘土の塊のようなものを手に持っていて、それがCSSであるらしかった。僕も家に帰って、いつか作ったきりでほうりっぱなしにしていたCSSを取ってきて、列に加わった。
僕の番になった。机の上には野菜くずが散らばっていた。交換所の人にCSSを渡すと、キャベツをくれた。とてもいきいきとしていてみずみずしくて、桃太郎のように中からキャベツ太郎が生まれてきそうなくらいにエネルギーいっぱいのキャベツだった。僕はその元気なキャベツを両手で抱えて帰った。
帰り道、道の両側の白い塀に「border-bottom:solid;」だとか「display:none;」などといったCSSが落書きされていた。最近はこんな単語を書くのが流行っているのだろうか。それとも書いた人はこの塀のスタイルを変えようとしたのだろうか。