「死ねばいいのに」
でも、そのほとんどはだめな自分に向けてのもので、他人に向けることは滅多にない。
普段はとことん自虐的。
ネット界隈の不愉快な存在や、えらーい人に向けても「死ねばいいのに」とは
ほとんど言わない。死んだ方がマシな辛い目に遭えとは思っているけど。
でも、日常の生活範囲内にいるんだ。
心の底から「こいつ、本気で死ねばいいのに」と思う奴。
向こうもそう思っているのは肌で分かる。目で分かる。呼吸で分かる。
今日、帰り道にそいつと遭遇。それまでのハッピーな気持ちが全部消えた。
今もまだ「あいつ、他人にできるだけ迷惑かけない方法で、俺が手を汚さない方法で、でもむごたらしく死なないかな」という
悪い考えがうごめていている。ま、向こうもそう思っているだろう。ああ、本当に死ねばいいのに。
まあ、そいつと顔合わせたくないなら、自分が死ねばてっとりばやいのだろうが
自分が死んだ後、そいつがどこかで「あいつ死んでせいせいしたわ」と言われると思うと、すっごいむかつく。
むしろこっちが「あー、あいつ死にましたか。いやー、残念ですよねえ、彼はほんと、できる男だったのに」と
ものっすごくわざとらしい笑みで弔辞を読みたいのに。
葬式行かなくても、どっかの川辺で酒でも飲みながら
「死にくさりやがったか! ざまーかんかんカッパの屁」と高笑いしたいくらい。
ああ、これが憎悪というものなのか。畜生、いつか俺はゼスモスを発動させられるぞ。
だからといって、そいつが自分の生きるカンフル剤なのかというと、それも違う。
せいぜい「あいつが生きているうちは、こっちも死ねないな」くらい。積極性がない。
死ねばいいとは激しく思っているけど、自分から積極的に殺すという殺意はない。
こういうとき、無機物をとにかく壊したり他人や動植物に八つ当たりする人もいるんだろうけど
そういう生き方は持ち合わせていない。だから、こんなことをしている。
嗚呼、今日も自分のことが嫌いになりました。
でも、本当にあいつ死んでくんないかなあ。